ふたりでいつかひとになろう cours3(3)




脳内ザッピング 一年前の、もう再生されることのない録画

審神者は鍛刀場に入ると、いつも刀の依り代が形成される台に、「燭台切光忠」を置いた。そうして、ひとつ深呼吸をしてから、目を閉じ、願いのぶんだけ手を合わせてから、拍手をひとつ、打った。その手を放して、審神者が何かを呼び寄せるように腕を柔らかく広げると、間もなく、桜の花びらのかたちをした神気がぶわりと舞い、神が顕現をした。

拾った刀であっても、こちらが名を知っていようとも、顕現してむこうから名乗りをあげなければ、契約は成立しない。顕現した『燭台切光忠』は、真黒の燕尾服のようなものに甲冑、伊達の縁か眼帯をつけた隻眼で、その左目は、鶴丸や大倶利伽羅に似た金色をしていた。けれど鶴丸の瞳は少し白が勝っていて、大倶利伽羅の瞳は橙に照らされた金だ。燭台切のそれはそのどちらにもつかず、本当の金を煮詰めたような色をしている。燭台切光忠の神気は柔らかかったが、その眼が一瞬だけつめたくなり、さぐりをいれられているような心地がした。気は抜けない、と、山姥切はその一呼吸のうちに刀の柄を握った。けれど燭台切はひとつため息をついて、すぐに目元をやわらかくした。

「……僕はね、基本的に……自分で言うのもおかしな話なんだけど、優しい方だと思うんだよね。だから、僕と契約できない審神者は、基本的にいないんじゃないかな。でも、どうしてだろう。君の霊力が震えてる……いや、もう見ればわかるくらい、君は僕に怯えてる。身体が、震えてるじゃない。近侍は……山姥切君か。ねえ、僕は、君や、山姥切君になんにも危害を加えてないし、危害を加えるつもりもない。それなのに、どうして僕は、存在自体を、そんなに怖がられなくっちゃ、いけないんだい。そこがわからないと、契約は結べない。結んだとしても、悲しい結果が待っているだけだと、僕は思う」

山姥切はその神気の柔らかさから、本当に危害を加えるつもりがないのだとわかって、柄から手を離した。それでも警戒は解いていない。それから、これは自分が説明すべきことではなく、審神者が説明すべきことなのだとも、弁えていた。一年前の自分であったら、審神者は声が出ないからと、無責任にしゃしゃり出ていたかもしれない。けれど、少しの気遣いで、「すまない、この審神者はしゃべることができないんだ。……ちょっとした、事情で。だから文字で伝えることになる。時間がかかることを、容赦してほしい」とだけ、言った。燭台切は「……そうなんだ。いいよ。ゆっくり教えて」と、優しい顔をした。

その次に、山姥切は審神者と目を合わせた。審神者は、小さな声で「……ぁ、あ……ごめ……んな、さい」と、たしかに、言った。山姥切には、たしかに、審神者の声が聞こえた。それは以前に聞いた、しゃがれた老婆のような声では、なかった。女子にしては低くて、抑揚に乏しかったし、声の大小がまばらなせいでイントネーションがおかしく、まだ何かを通して聞いているような、不思議な声音だったのだけれど、それはちゃんと音になっていた。山姥切がどうして、と、声にならない声で尋ねても、審神者はあとでちゃんと話すから、と言わんばかりに、燭台切の方を、見た。

「あ、あ、……ひさびさ、だから、変にきこえて……たら、ごめ、なさい」
「……いいよ。気にしなくて、いいよ。……君は僕のために、そうしてくれたんだね」

燭台切の金目が、審神者の喉のあたりをじっと見た。

「……文字だと……何日も、かけられて、しまうから。それでは、……よくないと、おもい、ました。わたしは……あなたが、……この表現、は、正しくない。あなたの、かたちが、こわいの。あなたのかたち、をしたものの、いのちが、うしなわれるのが、あなたの、め、もとが、鋭くなるのが、……恐ろしいの……」
「……僕は、もしかしてこの本丸では二振り目なのかな。無いとは思うけど……一振り目が、何か悪いことを?」
「ちが、ちがい、ます。……あなたのかたちをした、悪いものが政府から……やってきて、わたしを……その、……わたしに、危害を、加えようと……。それを、大倶利伽羅が……」
「……政府から……悪いもの……?……そう。普通、そういうのは、ないんだよ。だから、それは、君の霊力と、そこの、山姥切君の神気が、とても似ていることに、関係があるのかな。君のその声にも、関係があるのかな。そして、君がとても幼い……いや、幼すぎることに、関係があるのかな」
「……あ……それを、答えてしまうのは、不平等……できない、なので……」

審神者が気まずそうに目をそらすと、燭台切は少し、眼を細めた。その気配で、審神者の肩がびくりと震えあがる。

「……君からは、鶴さんの匂いがする。神気が、まだ残ってる。さっきまで、一緒にいたのかな。……でもなんだか……いや、よそう。鶴さんが……どんなかたちでここにいるのかなんて、今は関係ないね……。この本丸には伽羅ちゃんも、いるみたいだしね。いいよ、まあ、どっちでも……うん、伽羅ちゃんは不器用だから、鶴さんに聞くことにする。でも、きっと鶴さんのことだから、適当な嘘と真実を混ぜて、巧妙にそれをわかってくれ、承知してくれって、つきつけてくるんだろうなあ。まあ、いいんだけどさ」
「……ごめ……なさ……」
「……まあ、現世の英語で言うところの、『if』の話をしたって、なんにもならない。話をもとに戻そうか。政府からやってきた僕のかたちをした悪いものが、君に危害、といいうより、……そう、君を『殺そうとした』んだね。それを、伽羅ちゃんが、『殺して』くれたんだね」

燭台切の言葉はどこまでも優しいのに、なんだか不思議で、眼に視えない棘が、傷がつかないけれど、心臓には到達するように、審神者の身体に染み込んでいった。だから審神者は、ぐらついて、へたりと、その場に座り込んだ。その身体はがくがくと震えていて、喉から小さな悲鳴が何度か繰り返し、喘鳴のようにこぼれている。かといって山姥切は審神者の肩を抱くことができない。なぜなら、この刀はまだ審神者と契約していないからだ。隙を見せれば、審神者のいのちがないのだ。山姥切は柄に手はかけないが、いつでも抜刀できる姿勢で、審神者に「なあ、今の俺なら、こいつを、折れる。鶴丸の時とも、大倶利伽羅の時とも違うんだ。だから無理なことはしなくていい。俺が刀を抜いて、この刀を折ってしまえば、それで全部終わるんだ」と、声を、かけたかった。そしてそれは傲慢だとわかっていたし、酷いことだとわかっていたし、乾いたかさぶたに爪を立てて、もっとひどい傷にする行為だと、わかっていた。だから、全部飲み込んで、「――」と、審神者にしか聞き取れない、届かない名前を、審神者にしかわからない、神気の風で、耳へ運んだ。唯一と想う相手にしか、使えない方法だ。そうしたら、審神者は驚いた顔をして、少しうつむいて、けれど、どうにか、緩慢な動作で、立ち上がった。その黒のひとみは、今度はちゃんと燭台切を視ていて、その眼が、すこし柔らかくなった。それを視て、燭台切も伸ばした棘を、おさめたようだった。審神者はじっと、しばらく燭台切を視てから、膨大な記憶の渦と格闘をして、少し震えながらも、ひとつ、息をついた。

「……あなたは、違う……全然、在り方も、いのちのかたちも、神気も、全然違う……どうして、わたし、あなたのこと、ちゃんと、みなかったのか……ごめんなさい……」
「……そう。それだけ、わかってくれれば、よかったんだ。意地悪しなくたって、よかったんだ。ごめんね」

それから審神者は、すうっと空気を変えて、息を整え、少し淀んだ場を清めるように、パンッと、綺麗な音を立てて、拍手を打ち直した。それから、肺の空気がすべて清浄なものに満たされてから、言霊を紡ぎはじめる。

「……わたしは、仮名を『哀』と申します。山城国第零玖肆本丸の審神者として……かしこみかしこみもまおす。さきみたま、くしみたま、まもりたまひ、さきはひたまへ……。どうか、その御名を、こちらに」

審神者が声に出して契約の言葉を口にするのを、山姥切ははじめて聞いた。その霊気はひどく透明で、眼には視えないのに、やさしくて、すべてを包み込むようで、けれどひどく鋭く固い部分もあって、不思議な心地がした。それから、強い引力があった。すでに契約をしている山姥切でさえ、惹き込まれる。たしかに、この声は、刀の耳に届くだろう。神霊にすら、到達してしまうだろう。言霊に乗せると、こんなにもこの審神者の霊力は強かったのか、と、眼を見開いた。燭台切も、しばらく聞き惚れてから、肩の力を抜いて、口元に笑みを浮かべた。

「君の声は不思議な響きだ。濁りがないのに、どこまでも透明なのに、どこかで凝っていて、それがどうしてか、心地いい。さて、契約しよう。……僕は、『燭台切光忠』。号を燭台切、銘はどうだったか、わからない。長船派の祖、光忠の作で、大正の世に焼失してなお、見苦しく人の目に残ってきた刀……。……怖がらせてごめんね」
「……かしこみかしこみまおす。……ありがとうございます。燭台切光忠。この本丸は、あなたを歓迎します。そして、力を、貸してください」
「うん。……どうやら、僕は……違うな、僕の影は、長いこと、君を、君たちを苦しめる存在だったみたいだね。そんなのは、今日で終わりにしよう。君は御霊を視る眼に、濁りがないから、きっと大丈夫。それと、山姥切君……ああ、これじゃあ、本科と同じだし、号だね。国広はたくさんいるし……この本丸で、君はなんて呼ばれているのかな」

山姥切も、審神者と燭台切の間で契約が結ばれたのを視て、身体から力を抜いた。そうして、その文句に、鶴丸とそっくりなことを言うな、と思った。伊達の刀はどうにも、名前にこだわる質らしい。

「……切国、と、渾名で。……俺は、俺たちはあんたのこと、なんて呼べばいい」
「できれば、号では……いや、光忠っていうのも、馴れ馴れしいって思うだろうし、元はと言えば、人の名だし、渾名は伊達の刀だけに許しているから、うん、燭台切で、いいよ。それが、妥当だと思う」
「そうか。わかった。本丸を案内……したいところなんだが、それは鶴丸にでも、頼んでおこう。どうせ、あんたの神気で近くまでは寄ってきている。さっきすれ違ったばかりだったし、そう遠くへ行っていないだろう。契約が結ばれたのなら、顔も出すに決まっている。大倶利伽羅は、わからないが……。すまないが、俺は一応、念のため、審神者を休ませる。だから……」
「いいよ、気にしないで。僕のせいじゃなくったって、僕もいじめたんだから、僕も悪いんだよ。鶴さん探して、案内してもらうから大丈夫。審神者を部屋に連れてってあげて」

山姥切は燭台切がそうではないとわかったとは言え、鮮明すぎるトラウマとの闘いで、今にも膝が砕けそうになっている審神者に、「触れるからな」と断りを入れてから、肩を貸した。けれど体格が違いすぎて、うまくいかない。おぶるにしたって、審神者の衣服的にそれは忍びないし、米俵のように抱えるのはどうかと思う。そうやってもたもたしていたら、事態を察した燭台切が「え、普通にお姫様抱っこすれば?スカートだけおさえてあげて」と言ってきたので、その抱き方の情報を手繰って、スカートに気を配れば、たしかにそれが効率がいいか、と、力任せに審神者を抱き上げた。燭台切はなんだかなあという目でそれを視ているけれど、山姥切は気が付かないまま、審神者に「安定しないから、俺の首に腕を回して……ああ、左腕だけでいい」と言った。審神者もなんでもないように左腕を山姥切の首に回して、右腕は少しだけずらして、山姥切の布を握った。

そうして、鍛刀場を出て、渡殿を過ぎて、燭台切とやはり近くをうろついていた鶴丸が合流したのを見届けてから、鶴丸にからかわれつつ、ふたりは審神者の部屋に向かった。その間にも、審神者の身体は少し震えて、だんだんと力を失っていった。山姥切は、審神者はこんなに軽かったのだなあと、寂しい想いをした。負傷した短刀を抱えたことがあるが、そちらの方がずっと重い。一年経っても審神者の身長が伸びる気配はなかったし、体重も、そんなには増えなかった。食べる量が少ないのも治らないし、たまにその日の食事当番にこっそり、「ごめんね、今日は食べられないの」というメモを渡しているのも、知っていた。審神者の身体は、きっとこれ以上には、ならない。痩せた子供で、なんなら、そんな痩せた子供でもいいから、ずっとそのままでいてほしいと思う。ずっと生きてくれるなら、どんな姿かたちであったって、構わない。そんな、痛いような山姥切の顔を下から見上げた審神者は、ぽつりと、「ごめんなさい」と言った。発音が、最初に比べたら随分まともになっている。どうして、と、山姥切はずっと思っていたのだ。声が戻ったことは喜ばしいはずなのに、何か暗い感情が、胸の内で燻っている。

「……部屋に戻ったら、いくらでも、怒っていいよ」
「……ああ」
「……わたしが泣いたって、怒っていいんだよ」
「……うん」
「……ありがとう、山姥切国広」
「……ああ、綺麗な声だな。綺麗で、透明で……なんだろう、そうだ、あんたの、涙に似た色なんだ。……ずっと……聞いていたい……そう、ずっと……」

それぎり、ふたりは黙った。審神者の部屋は、鍛刀場からは遠いところにある。刀が増えたから、部屋も増えて、審神者の部屋は本丸の一番奥だったので、そのぶんだけふたりは歩かなければならなかった。正確には歩くのは山姥切ひとりなのだけれど、中庭を過ぎて、縁側を通って、奥へ進むうちに、そこかしこからほかの刀の声が聞こえた。耳を澄ませば、いくらでも聞こえる。そんな本丸の奥に、審神者の部屋と、山姥切の部屋は、今でも隣り合わせで、存在している。

「……そう、だ、なあ、頼みがある。……嫌だったら、嫌で、かまわないけれど……その……」


四章 サスペンスドラマでは、犯人が意外な人っていうのは、王道ですよね


光忠はそのあとすぐに鶴丸と合流し、本丸内を軽く案内してもらい、それから昼餉を終えても人の身体になったからと様々を説明された。大倶利伽羅とは部屋の前を過ぎた時に一度挨拶をしたが、大倶利伽羅は難しそうな眼で光忠を視て、ただ「光忠」とだけ言った。それがわからない光忠ではなかったし、鶴丸でもなかった。だから三振りは夜になってから鶴丸の部屋へと、誰がどうともいわずに集まった。そう、大倶利伽羅も、集まったのだ。

「なんだ、久々に伊達の刀で集まったから宴でもしようって話かい?それなら気が早いなあ、最近政府と契約を結んだ刀をのけ者にしたら、あとが怖い」
「……別に」
「……そんなんじゃ、ないよ。たださ、僕はね、まぁ伽羅ちゃんがなんで黙ってるのかとか、そこのタブレットの通信記録とか、そういうのがね、『小さいこと』だけれど、気になっちゃって」

光忠は左目をにっこりとしたかたちで眇めて、鶴丸の部屋に置いてあるタブレットを指した。こういったタブレットは、この本丸では望めば誰にでも支給される。持っている刀もいれば、扱いがわからないし、壊したら面倒だからと持たない刀もいた。山姥切は使わないからと、それを持ってはいなかったし、大倶利伽羅も同じ理由で持っていなかった。そのタブレットはインターネットに接続して、色々と情報を探ったり、ダウンロードしたゲームをして遊んだり、写真を撮ったり保存しておいたりと、とても高性能で、使えるものだ。現に薬研はタブレットを駆使して医療のあれこれを調べているようだったし、通販もこのタブレットで行っていた。個体として知識を手繰れるのは一般常識と、その刀が経験してきたこと、つまり恒常的に政府のデータベースで開示されている部分に限られるので、そこを超えようとしたらやはりこういった機器が必要になる。そして、この端末は特殊で、こちらから情報を得ることはできても、情報を発信することはできない。なぜなら政府のデータベースを経由しているとはいえ、情報を得られるということは、発信している世界が、時間軸が確実に存在していて、そこへ介入することになるからだ。通販は政府直属の組織が行っているところでしかできないことになっているし、本丸内の刀と交流することはできても、外の世界と交流を持つことは固く禁じられている。

「なんだい光坊、俺のお気に入りスケベサイトでも気になるのか?」
「ああ、それは多分僕の趣味に合わないから、遠慮しておくよ。不便だよねぇ、この身体じゃ夜ごとそういう人間じみたアレコレに悩まされなきゃいけないなんて」

鶴丸はなんてことなしにそのタブレットを光忠に差し出した。パスロックもされていない。誰でもいつでも見てくれと言わんばかりだ。光忠はそのタブレットを受け取って、いくつか操作した。そうして、いくつもの通信記録を見て、確かめるように鶴丸の気配をたどって、「ああ」と、こうであってはほしくなかったのに、という風にため息をついた。

「僕はさ、今日この本丸に来たばっかりだよ。だからなんにも、知らないんだ。でもね、気になることを聞いたんだ。審神者と、山姥切君からね。あの山姥切君は初期刀だそうだね。そこは別に何も詮索しないさ。審神者がそう言うんなら、そうなんだ。でもさ、おかしいよね、政府から、悪意ある『僕の恰好をとれる管狐』が派遣されてきたとか、ね。おかしいんだ。そんなのは政府だって、送れないようになってるんだよ。セキュリティロックっていうのかな?本丸の存在する座標は、政府側にも秘匿されている。神の集う場所なんだから。だから存在と動向を把握はしていても、そこに大きく干渉することはできない。ただ、令状や書状、必要書籍や必要な情報源は、固定の回線で送り込むことができる。ただし、固定の回線で送り込むことができるのは、政府があらかじめ形式を持たせた、無害な……まあ、最後通牒とか、そういうのは無害かわからないけど、とにかく正規のものだけだ。それ以外、たとえば通販とか、特別な必要物資とか、そういうのはこちらから要請を送ってはじめて、座標が開示されて、政府がそれを確認するんだ。けどね、本丸の座標は毎回変わる。ワンタイムパスワードみたいなものさ。前に物資を送った座標に、不正なものを送り込もうったって、できやしない。だからね、絶対にいるんだよ、その管狐を、この本丸に要請した、誰か」

光忠はその時本丸にいたのは審神者と、山姥切と、鶴丸と、大倶利伽羅だと知っている。話に出てきたのがその四人だったから。鶴丸に教えてもらって追加申請した部屋のタブレットでデータだけ調べたら、審神者の初期刀が山姥切で、初鍛刀が鶴丸だった。そして、悪意ある管狐を斬ったのは、大倶利伽羅。けれど光忠は管狐を要請する時間軸に、大倶利伽羅がいたかどうかまではわからない。逆に他にも刀剣もいたかもしれない。しかし確実にその管狐がこの本丸に存在した時間軸に『その刀』が存在したと、光忠は知っている。そして、光忠と大倶利伽羅と鶴丸は伊達で縁を結んでいる。だから光忠は鶴丸から目を逸らさない。

「僕から聞かなきゃさ、君はなんにも答えてくれや、しないんでしょ?そういう刀だよ。でも、君はさ、鶴丸国永だけど、『普通の鶴丸国永』じゃ、ないよね」

鶴丸はほんとうに一瞬だけ空気を固くしてから、そんなのはありませんでしたよ、とでもいうように、「……なんでそんなこと言うんだ?驚きだなあ、俺はそんなに胡散臭いかい?」と肩を竦めた。

「……追い詰めてほしいなら、いくらでも追い詰めてあげるよ。ほんとはそんなことしたくなんか、ないんだけどさ。この本丸に来てから僕の立ち位置って、そんなのばっかりなんだもの。……いいよ、まあ、ひとつは匂いが、ね。鶴さんって、伊達の匂いだけじゃなくって、いろんなとこの匂いさせてるから、この家の、この持ち主の匂いが鶴さんの匂いっていうか、神気に深く根差してるっては、ないんだよねぇ。無いっていうか、ほんとはあるんだけど、巧妙に隠されてる。ま、少なくとも他の分霊の知識では。でもさ、君の神気には、深く根差した一カ所が、たしかにある。それは歴史上の家とか、派閥とか、そういうのじゃあない。でもこれはシックスセンスみたいなものだから、証拠にはならないね。まあ、動かぬ証拠は、さっき見つけたばっかりだけど、この通信記録」

光忠はそう言って、タブレッドの画面を、鶴丸と、そして大倶利伽羅にも見えるようにした。そのメールやチャットの送信履歴は、基本的にこの本丸内部の刀剣男士か審神者宛になっている。むしろそれ以外はない。けれど、よくよく見るとアドレスが妙で、前回の送信先が大倶利伽羅になっているし、前々回は山姥切になっている。この二人はタブレットを持っていないから、送りようがないはずなのに。

「伽羅ちゃんがタブレット持ってるかどうかは、聞いてないからわからないんだけどさ、ねぇ、見てみなよ。ここ、伽羅ちゃんのアドレス、毎回違うんだ。伽羅ちゃんが毎回アドレス変えるなんておかしいし、それをいちいち鶴さんに教えるかもあやしいよね。それよりなにより、この、アドレスが毎回違うメールだけ、この本丸のサーバー内じゃなくって、外部のIMAPサーバーが使われてる。……ああ、IMAPサーバーっていうのはね、伽羅ちゃん、サーバー上に受信ボックスを置いておいて、そこでメールや色々なものを管理しようって、ちょっと便利なサーバーなんだ。でもさ、僕らに支給される『普通の』端末には、そんな機能ないんだよ。なんでって、IMAPサーバーはつまり、本丸の外の世界に干渉するサーバーだから。ねぇ、どうして君は、そんなサーバーにアクセスできるんだい?そして、メールの内容も、送信後ご丁寧に暗号化されてる。まぁ、この暗号化形式、すごく古いから、秘密鍵知ってれば簡単に解けるんだけどさ。……で、どれかな、君が、ここの『審神者』を『殺してくれ』って、『政府』に依頼した、そのメール」

鶴丸はそこまで指し示されて、やっと、諦めたように、正確には諦めさせてもらったように、「……去年の、今頃……いや、もう少し前くらいに、あるはずだ。俺が顕現して次の日に……いや、夜中だったから日付はわからんな。まぁ、こっそり、審神者の端末から送ったから。固定回線だったが、俺のパスがついてる連絡は、そのサーバーに保存される。審神者の端末から履歴は消去できても、サーバーには残ってるだろ」と、ぼそぼそ言って、かなしく笑った。大倶利伽羅も、目を伏せた。

「光坊……まぁ、こう呼ぶことは許してくれ。俺は『政府直属の鶴丸国永』ではあっても、伊達の刀なんだ。そして、『君』なんて、よそよそしい呼び方、しないでくれ。すこしばかり、寒くなるんでな。伽羅坊も、長い間、板挟みにして、悪かった」

鶴丸は光忠からタブレットを受け取ると、IMAPサーバーにアクセスし、すべての通信記録の暗号化を解いた。ほとんどのメールの内容は、あってないようなもので、「特記報告事項無し。山姥切国広、異常なし。審神者、異常なし」だとか、「特記報告事項無し」という文言が、毎日のように送られている。けれど、一年前のこのあたりの報告は、どうだったのだろう。鶴丸は冷たい顔で、静かに、要請を出したのだろうか。

「まあ、俺は政府側の刀だったってオチだ。そりゃ、おかしいよなあ、初鍛刀が俺なんて。で、正体バラしたけど、なぁ伽羅坊、なんでお前は、俺になんにも聞いてや、くれなかったんだ?」

伊達で縁を結んだのだから、大倶利伽羅にだって、この鶴丸が、普通の鶴丸でないことくらいわかったはずだ。けれどこの一年、大倶利伽羅はそのことに関しては顕現して鶴丸と顔を合わせた瞬間、それこそ、管狐の死骸と、鶴丸を見比べていても、なんにも言いはしなかった。鶴丸はまるで、「きみが言ってくれたら、よかったのに」とでも言いたげに、大倶利伽羅に視線をやった。大倶利伽羅は憮然として、胡坐をかいていた脚を、片膝だけ立てた。

「聞けば、お前は死ぬだろう」
「はは、自害なんか、しやしないさ」
「じゃあ、願い出るのか?あの審神者に。『俺を刀解してくれ』、と」
「……まぁ、それが筋だろうな」
「……それはきっと、ここの審神者はしてくれないと思うが」
「うん、そうなんだよなあ。うん……そうなんだ。そしてそれ以前に、自害できないよう俺には呪がかけてあってな。刀解を願い出ることも、自害に含まれるらしい。だから伽羅坊がことの顛末を、憶測でもいい、審神者に伝えてくれれば……いや、それでもきっと、あの審神者は、俺を赦したろうな。切国と俺の間には、軋轢ができただろうけど……うん、まぁ、とにかく、審神者を殺そうとした瞬間から、俺はもう、ここにいてはいけないんだって、だから、どうにかして、この俺の存在を、消そうとしてきたさ……なにかのはずみで、この本丸から俺が零れ落ちるよう、考えてきたさ……そのくせ、何年先にも存在し続けていたいと、浅ましく、厚かましくも、願ったし、ずっと先に使う知識を、仕入れるなんて馬鹿なことも、した。でも俺はとにかく、赦されちゃあ、いけない刀だとは、ずっと思って、ずっと、消えてしまいたいと、思っていたな」

鶴丸はまだ、へらへらと笑って、そんなことをぷつぷつと呟いた。

「……切国にあの厄介な呪をかけたのは、わざとか。切国が解呪していなければ……」
「ああ、俺が解呪して、重くなった呪を受けて、政府直属とはいえただの分霊の俺が、消滅して、終わりだ。政府でも新しい分霊の俺が召喚されるだろうし、ここの審神者も、きっと、同じことを願って、俺とは違う、正常な、この本丸に来るべき俺を召喚してくれていたんだろう。ああ、いや、あの審神者は、きっと俺以外の『鶴丸国永』なんて、きっと呼ばないんじゃないかって、とても、傲慢なことも、思っているし、期待しても、いる。……きっと、俺はあの時切国のことなんて待たないで、審神者が庭に出たのがわかった時に、解呪してしまうべきだった。ただ、どうしてかわからないが、もしかしたら切国が、背筋を伸ばして、ちゃんと帰ってきてくれるんじゃないかって、考えてしまった。ここで解呪したら、きっとふたりとも、どこへも行けなくなって、ずっと、凝ったまま、そう、冷たい墓の中に入ってしまうんじゃないかって、それが悲しいことのように、思えたんだ。政府にしたら、そっちの方が、都合がいいはずなのに。そしたら俺以外の、政府直属の刀が送り込まれて、そいつがうまく……やってくれたかもしれないのにな」
「……変だね。僕が知ってる政府直属の刀って、もっと冷酷っていうか、政府に忠実な気がしたんだけど。そもそも、審神者と契約する政府の刀なんて、聞いたことないよ。それに鶴さんのかけた呪って、どうせあのごめんなさいとかのやつでしょ?まぁアレもたちは悪いけど、そんなのよりさ、普通に、嘘や捏造、人間の心の弱みに付け込んで切国君と審神者の間、すぱっと切りそうなものだと思ってた。だって、僕を召喚した、今の時点であんなに怖がってたんだ、当時ならもっと、付け込むところあったんじゃない?状況とか、よく知らないけどさ。そこらへんは、事情が込み合っていて、僕だけが聞いたら不公平になりそうだから、聞かないけど」
「……あったさ……山のように、あった……そうだ……不思議だ……どうして俺は……山姥切を政府に回収させずに、二人を取り持って、自分の方が消えようなんて、考えたんだ……?」

鶴丸は背を壁に持たせて、天井を、仰ぎ見た。いつも煙管を吸うものだから、他の部屋より、少し色が違ってきている。一年もそうしていたのだから、当たり前だ。それくらい長く、鶴丸はふたりの傍に、この本丸に存在しつづけてしまった。鶴丸はひとつひとつを整理するように、独り言のように、二人の前で口を開いた。

「……政府直属の刀ってのは、まぁ、神霊じゃあ、もちろんない。でも普通の分霊とも……少し違っているんだ。基本的に存在するのはひとつの刀につき一振りのみ。政府によって召喚されて、政府のどこかにある場所で顕現される。そのあたりはまあ、ロックがかかってて詳しくは言えない……と、いうより、うまく思い出せない。で、やっぱり呼び出したのが政府だから支配力が強いんだろう、他の個体に比べて、感情が乏しいと聞く。実際そうなのか、実物の俺にはわからん。それに俺は感情が乏しくったって、それがあるように見せているだろうし、実際はじめはそうしていたしな。……はじめは……?いや、ただ、そう、あそこは寒かった。……うん、寒かったよ。ガラスケースに閉じ込められているような、そんな場所だった。……政府直属の刀剣は、稀に、政府にとってあまり思わしくない、しかし処罰を与えることができない審神者の本丸へ、派遣される。この本丸は、政府にとって、とても処遇に困る場所だった。光坊は、不正なものは基本的に送り込むことができないと言ったが、刀は別だ。令状で鍛刀せよと命じて、その審神者が鍛刀を開始した時点で、俺たちにその審神者の居場所が開示される。政府でなく、刀剣に開示されるのだから、まあ裏技みたいなもんだな。……そう、俺たちが、政府直属の刀が動くのは、基本的に最後通牒を受けた本丸において、だ。最後通牒後、改善が見られない、問題の解決が行われていない、しかし審神者が解雇命令に従わない本丸に出向いて、……審神者を殺す。そしてそれは基本的に、審神者と契約を結ぶ前に、行われる。そんな本丸なんだから、近侍も手だしをしないか、近侍が手出しできない速度で、そうする。その一時、俺たちは練度が自動的に高くなる仕組みになっている。多くの分霊の経験を、集めて……。ほら、もうここからしておかしい。光坊が言ったように、俺たちは基本的に審神者と契約を結ばないんだ。いや、結べないんだ。なんでって、もう政府と契約を結んでいるし、審神者と契約なんかしたら、審神者に直接手が下せなくなる。……うん、俺は、……今まで、何人も審神者を殺してきた。何人も、何人も、名前すら知らず、興味も持たず……。そのときは……特に、なんにも、思わなかった。寒いとこから、寒いとこに呼び出されて、それで、審神者を殺して、寒いとこに戻って……どれくらいそうしていたのか、わかりやしないんだ……でも……ある日、さ、普段もっと濁った願いしか聞こえてこないのに……神格の高い刀を、とか、政府を見返す武器を、とか……そんなんばっかだったのに……透明で、綺麗で、うつくしい願いが、聞こえた……この本丸の、審神者の、願いだった。……ああ、そうだ……俺は、ただ純粋に、『人をあいする刀を』って、願われて、この本丸に、来たんだ……」

その時になって、ぽとりと鶴丸の目から涙が流れた。

「きいたこと、あるだろ、きみたちだって……綺麗で、透明で、うつくしい声なんだ。声、じゃ、ないのに、きこえるんだ……。どこもかしこも、寒かった。でも、ここはあたたかくて、審神者の神気も、凝って、ささくれているところだってあるのに、うまれたての赤ん坊みたいに、なんでもうけいれてくれるんだ……それで、だんだん、なにかが溶けて、俺、契約してたんだなあ……ああ、そうか、それでか。今まで順序立ててこんなこと考えなかったからわからなかったが、俺は初めて、俺の存在を正しく、願われた。だからここの審神者と契約をして、……そのくせ、回りくどい手で……審神者を殺そうとして……でもなにか奇跡が起きて審神者が助かったら嬉しいなあとか考えて、いざ助かったら、消えてしまいたいと、悔いたんだ……。……なあ、どうしよう、俺は、赦されたいのに、誰からも、赦されたくないよ。やっぱり消えてしまいたい。ここの審神者は俺を赦すってわかっているから、消えてしまいたい、なあ、」

鶴丸の涙は、たった一筋で、誰かの願いのように透明で、そのくせ目元も鼻も赤くなって、痛いくらいだった。この刀はずっと、ずっと、泣かない刀だった。ずっと泣きたかったのかもしれないけれど、泣かないでいた。だからその涙も、もっとたくさん、その胸の内に溜まっているのだろうけれど、ほんの少ししか、決壊をしなかった。光忠は腕組みをして、ゆっくりと瞼を落としたし、大倶利伽羅も片膝を立ててそれに頬杖をしたまま、なんにも答えなかった。その間にも、ぽとん、ぽとんと鶴丸の目からは涙が流れてゆく。光忠も、大倶利伽羅も、この刀のことは、よく知っていた。残酷なくせに、変なところで優しいのだ。人間って生き物を、どこかで試している。試すということは問いかけをして、その解答や返答に興味を持っているということで、興味を持つというのは、愛しているということに、通じてくる。そんな刀に、人間を、それもがんぜない子供を、心ばかり子供のようなこの刀に命ずるなんて、政府って存在は、神より残酷だ、と、少なくとも大倶利伽羅は思った。しかしそれは純粋な人間が集まってそうなってしまったことであって、そして純粋な人間を守るために、残酷にならなくてはならないということも、理解している。きっと、何度も何度も通知を出して、改善を要求して、それでもダメだった時にだけ、神の力を借りるのだと、そう、願いたかった。そうしてほんとうに少しの時間が経って、鶴丸が「はじめてだったなあ、ここにきて、泣いたのは」と、その涙をやっと止めることができてから、大倶利伽羅はふと、二重の契約の不自然さに思い至った。

「鶴丸、お前、契約を二重に持っているのか?」
「……あ、ああ、政府に繋いでるぶんと、ここの審神者のぶんだ」
「どこに持っている?普通、なんというか、なんとも言えないんだが、刀で例えるなら、俺たちは抜き身で、契約は鞘みたいなものだろう。ふたつも同時に存在している状態の方が不自然に思えるが」
「……政府との契約は、鞘じゃあ、ないんだ。ただの鎖みたいなもんだ。だから、冷たいし、寒い。ええと、伽羅坊の表現でいくと、俺の場合、柄に鎖がついていて、抜き身は審神者との契約の鞘に収まっている。……そんなかんじなんだ。だから、俺は政府との契約を、切れない。刀で鎖は断ち切れないだろう?」

大倶利伽羅の発言で、光忠も頭を動かしはじめたらしく、顎に指をやった。

「……ちなみにさ、鶴さんて、政府と通信してるわけだけど、それって自分の意思?それとも、何か、洗脳っていうか、こうしなきゃいけない、みたいな感じで通信してるの?」
「……いや、なんとなく、こうしなきゃいけないという気持ちはあるが、呪はかけられていない。というか、報告をする形態自体が稀というか、今までしたことがないが、こうなってしまった以上報告くらいはしておかねばという形式的なもので、最近はただのルーチンというか……内容も、あってないものばかりだし……それにもしここで何か起こったとしても、そう、俺は報告する気が……ない……?」
「伽羅ちゃん」

燭台切が鶴丸の意思が確実にこの本丸にあるということを確認してから、大倶利伽羅が即座に、何も言わずに鶴丸のタブレットを叩き割った。刀なんて持ってきていないので、両手で持って、頭上から振り落とし、その液晶へ膝頭を叩き込んだのだ。タブレットは中ほどから綺麗にバキンと割れて、バチバチと煙を上げた。火事にでもなったら困るから、と、大倶利伽羅はその残骸を即座に鶴丸の部屋から見える池に投げ込んでしまう。これであのタブレットは確認するでもなく、死んだだろう。

「……え!?いや、え!?」
「いや、あとから聞いてすまないが鶴丸、今死んだタブレットはいつ入手したものだ」
「え!?……政府に要請を出したのはまぁ、切国を結界に入れてたあたりだ。審神者にいろいろと入用だったろう。それとまとめて、審神者の端末から申請を出した。固定回線でも、俺の識別コードを添えれば、ああいった普通じゃないものも給付が受理……されるから……履歴は消したけれど……」
「……最終確認だ、鶴丸。お前、今その識別コード、空で言えるか?」
「ちょっとまて、あれ結構長いんだ。それに最後に使ったのなんてその時だけなんだから……あ……?ん?なんで自分の識別コードなのに記憶を手繰らないといけないんだ?ここにあるものなのに……ない……最初の時も……記憶を手繰ったのは……なんで……あれ、」
「覚えてないな?どこかにメモもしていないな?」
「あ、ああ……。え、あれ、まて、今手繰ったが、情報が……ロックされて……え、こんな、簡単、に……?」
「ああ、お前は政府に報告する手段を無くし、もう二度と政府とつながる端末を入手することはできない。というか、鶴丸、こういうのはお前の方が詳しいと思うんだが、お前が契約と思い込んでいるその鎖は、呪の類じゃないか?それか、契約の残りカスのような……。識別コードが契約の証だろう。けれど、空で言えない、覚えていない、視えないなら、お前の契約はひとつだ。ここの審神者との、ひとつだけ」
「……え、」
「街にいる連中の中で、審神者がもう一度審神者になるための方法のことを思い出していた。契約は二重にはできない。どこかで上書きが生じる。ここの審神者と契約した時点で、お前はここの審神者との契約のみ保持することとなった。政府のために動いたのは、まぁそれまでそうしていたからというのと、なにかしらの呪でもかけられていたんじゃないか?政府側からしたらセーフティというか、保険というか、そんなものだろう。それもほぼ、管狐の件で消えていた。切国を結界に閉じ込めたのだって結局、切国をどうこうはできないのだから自分の消滅のためであって、罪悪感からだろう。そのあたりでもう罪悪感が発生しているのだから、そのあとのお前は政府のためには動いていないんじゃないか?お前がその後も政府のために動いていたとしたら、どうして翌日に送り付けられた切国回収の件、反対をしたんだ」
「……あ……え、ていうか、えー……俺、どうしようもなく間抜けだなあ……」

鶴丸はひどく軽く見えるのに、とても重たい息を吐き出して、参ったと言わんばかりに畳に寝転がり、天井に向かって、「どうしたら、俺は消えることが、できるんだろう」と言った。白が勝った眼がすうっと細められて、その眦の赤を、少しだけ滲ませた。

「……鶴丸、お前はここの初めての鍛刀できた刀だ」
「……うん」
「切国に山のように助言をして、切国だけじゃあ支えきれない審神者を、どうにか支えてきた一振りだ」
「……」
「そんな刀の代わりが、どの刀に務まるって、いうんだ。この本丸の鶴丸国永は、お前しか、いないんだ。お前が欠けたら、きっと、駄目なんだ。だから俺は、一年間、お前が何をしようと、なんにも、言わなかった。薬研の件も、お前が何かしたのかと、疑ったこともあった。が、あれはほんとうにたまたまの産物だった。あのときだって、今だって、この本丸は、お前を必要としているだろう。なら、裏切り者をはじめから知っていて、それを報告もしなかった俺こそ、罰を受けるべきだ」
「……伽羅坊、きみはこの本丸のヒーローだ。俺っていう悪から、審神者を救った、あの審神者がはじめて、ほんとうに呼び出した、かけがえのない刀だ。俺の願いだって、叶えてくれたんだ。自分で死ぬように仕向けておいて、それで、でも生きてくれっていう、浅ましい、願いを。君だって替えがきかない。俺なんかよりずっと、替えがきかない」

そうしてふたりは押し問答のようなことをはじめてしまう。基本的に相手を持ち上げて、あの時はどうだったとか、あの時お前がいなければ、とか、そういう話だ。その様子に光忠は組んでいた腕を解いて、盛大なため息をついた。

「あのね、二人ともさ、やめにしようよ。鶴さんは現行犯っていうか、まあ悪いことしたし、してたんだから、ちゃんと罰を受けなきゃいけない。だけどそれはイコール刀解とか、消滅とか、そういうのでなく、審神者に判断を任せるのが筋だよ。で、伽羅ちゃんも知ってて言わなかったんだから、悪いんだ。そしたらもっとはやくに鶴さんは楽になれた。消えたいなんて想い、ずっと抱きつづけながら生活すること、なかったんだ。だから、伽羅ちゃんも、罰を受ける。そしてそれはやっぱり、審神者によって為されないと、意味がない。どっちが刀解されたら正解とか、そんな話じゃあ、ないよね。で、重要なのは誰が審神者に報告するかなんだけど、鶴さんは呪がかかっているから、きっと話せないね。そこは契約と違うところにあるから。で、伽羅ちゃんは今まで言わないできたのに、今になって報告するってなったら、さすがに心が痛むと思うし、不公平だ。だから、僕が、ことの顛末を、審神者に報告する。あばいたのだって僕なんだから、それぐらいの手柄、貰ったって、いいよね」
「だが、光忠……」
「……わかってるさ。新参の僕が、それも、誰かさんのせいでこないだまで審神者の出会いたくない刀剣ワースト一位だった僕が、こんな、この本丸の大黒柱みたいな二人を告発するんだ、それなりの顰蹙は買うだろうね。あの審神者からじゃあないよ。他から、ね。でもさあ、僕らって、伊達で縁を結んだ、家族……とは違うなあ、なんだろう、うまく言えないけど、とにかく、なにかで繋がってるじゃない。その繋がりによってけじめをつけなきゃならないなら、僕は喜んで、罰を受ける。この本丸に来たのが先とか後とか、関係ない。僕は二人が大事だと思うから、こうして秘密を暴いたし、それを告発する。そしてそれによって僕は、二人との繋がりを、正常に保つことができる。それだけでいいし、二人が罰を受けるなら、僕だって、同じような罰を味わいたい。それだけだよ」

光忠がそう言って、すこしだけかなしく笑うと、ふたりの金色の瞳を見て、少し息を吐いた。この本丸は、どこか、こういう変な空気がある。誰かを傷つけないことが一番で、黙っていることが大切で、誰も、『ほんとう』を聞こうとしない。審神者と、山姥切の在り方がそうさせていて、そして、それを鶴丸と大倶利伽羅が助長させていた。だから、どこかで誰かがメスを入れなければ、いけないのだ。それってほんとの仲間なのかい、と。燭台切は今回、伊達の問題であったからメスを持ったが、ほんとうの大きな、一番の根幹にメスを入れるには、立場が遠すぎる。そう、それはもはや山姥切か、審神者か、どちらかが、手をつけなければいけない問題だ。この甘ったるくて、優しくて、どこまでも傷つかない関係が、悪いって、そういうわけではないけれど、でも、これでほんとうのところまでたどり着けるかと聞かれたら、答えは絶対に、ノーだから。

「……あ、もう、亥の刻を過ぎてたね。鐘が、ずっと前に鳴ってた。そういえば、この本丸ではさ、現代で言うところの二十二時に、切国君がラジオ放送するんだっけ」
「ああ、もう、そんな時間か」
「……そういえば、顕現した刀はかならずその日の夜にゲストに出せって切国に言ってあるのに、光坊はゲストじゃないんだな」
「え、ああ、そういえば鶴さん、そんなこと言ってたね。うん、どうしてだろう。何も言われなかった」
「……俺たちがこうして話すことなんて、誰も知らないはずだが」
「まぁ、言い忘れて、明日の夜のゲストになるんじゃないか?朝の放送は起きてないやつもいるから、基本、新しい刀は夜のゲストになるんだ。まぁいいさ。土産と思って、俺の部屋で聞いていけ、もう三分もしないで、はじまるから」

鶴丸はそう言って、古めかしい、木製のクラシックラジオを、三人の真ん中に置いた。ほどなくしてそこから、いつものように、しかしいつもと違う、山姥切の声が、響き始める。


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