リトル・スロー・グッドバイ






この物語を書き始めるにあたって、引用すべき書籍を、終ぞ思いつかなかった。

もう社会人になってしまった御手杵は最近読書というものをしていないし、読んだとしても漫画の類か、専門書だった。母親を岩手に残し、御手杵はひとり、東京のそれなりに大きな会社に勤めている。東京の会社に勤めてはいるが、住まいは埼玉の西川口にあり、毎朝京浜東北線で、四十分くらいかけ、品川にある会社に通う。それを、もう三年も続けていた。大学を卒業した時に買った靴はもう使い物にならなくなっていたが、今も自宅の靴箱の隅にそっと置かれているし、内定祝いに母親から贈られた腕時計は、毎朝ちゃんと、左腕につけていた。御手杵は毎日、電車に乗る。何両も連なった電車に、たくさんの人と同じようにして、座れたらラッキーみたいな人数の中を、毎日。

ある日、仕事終わりに電車でケータイを開くとアプリを通じて、メッセージが入っていた。そのアプリは複数人と同時にグループチャットができるアプリで、そのグループは、小学校からの付き合いになる、あの六人を集めたものだった。普段はなんでもないことばかり喋っているグループだったが、今回ばかりはちょっと、違った。

「壇ノ浦小学校が廃校になるらしい」

陸奥守からだった。陸奥守は六人でただひとり、椿市に残っている。その陸奥守が言うのだから、きっと、ほんとうのことなのだ。それは、十二月の、はじめのことだった。御手杵は自分の目がひゅっと開くのがわかった。仕事が終わったらしいメンバーたちが、口々に「ほんとかそれ!?」だとか、「やっぱそうなるよなあ」とか、そんなことを言っている。御手杵の頭の中で、チカチカと、何かが瞬いた。

「最後に、小学校のこと、見たい」

御手杵は、年末に実家に帰る予定があった。年末なら、みんなもきっと、実家に帰るだろうと、思ったのだった。だからこんな提案をした。壇ノ浦小学校で過ごした期間はこの中で一番短いはずなのに、でも、なんだか不思議と、あの場所がとても懐かしく、尊いもの思えていた。けれど、不思議と、悲しいとは思わなかった。ただ、自分が生きてきた路が、この先誰も、ほんとうに踏み込めなくなるのだということは、わかった。電車は滞りなく、進んでゆく。たたん、たたん、と、規則的に音を立てながら、終点まで、ずっと。


話は、御手杵の大学生時代に、遡る。御手杵が大学一年で、二年にあがる年の春先に、大きな震災があった。御手杵はそのとき、盛岡の大学に通っていたので、盛岡に住んでいた。同田貫も、学部は違えど、同じ大学に進学していたので、付き合いがあった。同じサークルにもひとつ入っていたし、そこを通じて共通の知り合いも何人かいた。その共通の知り合いを通じて、ボウリングに行こうなんて計画を立てていた、その矢先の話だった。

震災のとき、御手杵は北天昌寺にある自宅で昼寝をしていたが、これは尋常ではないと、すぐにわかった。とんでもなく大きな地鳴りがして、思わず情けない悲鳴をあげてしまうくらいには大きな揺れだった。長い長い地震がおさまってから、すぐ、同じ岩手の椿市にいる母親にメールをした。果たして、メールは返ってきた。御手杵の母親は自分のことより、御手杵のことを心配していた。

御手杵はそれで安心して、大丈夫なのだと思って、すぐにまた、寝入ってしまった。前日は徹夜だったのだ。そうして夜になったときに、愕然とした。電気が、まだつかない。母親に電話をしようとしても、なんにもつながらない。メールも、返ってこない。大きな不安が、不気味なうねりになって、胸を苦しめるのが、わかった。

そんなとき、ぱっと、同田貫のことを思い出した。同田貫は御手杵と少し離れた、盛岡市の上田というところに住んでいる。上田にはいくつか居酒屋が立ち並ぶ上田通りという通りがあるのだけれど、同田貫のアパートはそこにあるのだ。電話は、奇跡的に繋がった。

まずお互いの安否を確かめ合って、電話が繋がったことに感動をした。そうして、バラバラでいたって仕方がないのだから、同田貫の家に集まろうという話になった。御手杵は同田貫の家まで自転車で向かった。全力でこげば十五分くらいで到着する。何度も何度も通った道が、なんだかとても、こわかった。真っ暗なのだ。あかりが、何ひとつついていない。

真っ暗な中、大きな交差点の信号機だけが、発電機みたいなもので、うごいていた。その発電機はガーともブーともつかない大きな音をたてて、御手杵を不安にさせた。今が日常という枠から大きく離れているんだっていうことが、痛いほどわかった。信号待ちをしていても、車も通らない。まるで、この世界にひとり、取り残されたんじゃないかって、思えた。

それから逃げるように自転車をこいで、同田貫の家について、同田貫の顔をみたら、ちょっとだけ不安が和らいだ。ひとりじゃないんだって、思えた。寒い中、暖房もつけられずに、ふたりで、身を寄せ会うようにして、夜を過ごした。長い長い、夜だった。眠ったのか、眠らなかったのか、わからない。ただ、御手杵は同田貫の息遣いを、聞いていた。

次の日の昼に、同田貫の家は電気も、水も、ガスも、復旧した。上田には大きな病院があるので、優先的に復旧されたらしかった。それでも、家族に連絡は、つかない。御手杵は一度自分の家に戻ってみたが、電気はおろか、水も出なかった。北天昌寺は病院があまりないので、優先度が低いらしい。仕方がないので必要そうなものだけ持って、同田貫の家にまた戻った。その道では、何台か車を見かけて、ちょっと安心した。けれど、ガソリンスタンドにはたくさんの車が列を作っていて、恐ろしかった。コンビニに入ってみても、商品が、何もない。こんなことって、あるんだ、と、思った。風景がどこか現実離れして見えた。

同田貫の家のテレビのニュースでは、この世の終わりみたいなことが報じられていた。岩手と宮城の沿岸はほぼ壊滅したみたいな、そんなこと。それから福島の原発がどうとか、事故が、とか、とにかく、ほんとにここは日本なのだろうかと目を疑うような光景。泣いている人や、津波が押し寄せた瞬間の映像、故郷が、人間にはどうしようもない力で、押し流されていく、情景。繰り返し、繰り返し、繰り返し、何回も、何回も、何回も、流れた。御手杵は、それをじっと見た。

不思議だった。明日はボウリングに行こうって計画を、サークルの仲間たちと立てていたのに、今自分は、ボウリングになんか行かないで、この地獄みたいな映像を、ただひたすら見て、家族とも連絡がとれないで、この世にひとりだけ残されたみたいな、そんな気分でいる。

夢を見ているみたいだった。日常がバラバラに破壊されて、かたちがなくなって、静かに、消えてゆく。

御手杵の母親から連絡があったのは、それから三日後のことだった。会社から近かった高台の避難所にいるらしい。会社は津波で流されてしまって、あそこにいたら危なかったみたいなことを、平気で言っていた。同田貫の家族からも連絡があって、みんな無事だったそうだ。それから、地元に残っていた陸奥守からも連絡があった。念のために和泉守や大倶利伽羅、獅子王にも連絡を取ったが、みんな無事だった。よかった。御手杵は、失われたいのちの中に、自分の家族や親しい友人がいなくてよかったと、残酷に、そう思った。

一週間が過ぎると、盛岡は、まだ買い物の点では不便が残るが、日常を取り戻していった。御手杵もいつまでもお邪魔するわけにはいかないからと、自分の家に戻った。それでもテレビのニュースは残酷な現実を突きつけてくるし、SNSの書き込みもそうだった。

御手杵はすぐにでも椿市に行きたかったが、交通網がないうえに、行ったところで、できることはなんにもなかった。そして、大学から安否確認の電話が入って、大学の春休みが一ヶ月延びたことを、知った。

なんにもすることができない、一ヶ月。御手杵はただひたすら、食い入るように、ニュースを見た。希望がなにかないのかって、それを必死に、探していたのかも、しれない。ニュースを見ていない時は、ネットで震災の情報を集めたり、知り合いに連絡を取ったりした。そのほかの時間は、ほとんど、眠った。どうしてかわからないけれど、眠くて眠くて、しょうがなかった。いろんなことを知れば知るほど、ここは日常じゃないんだと思えたし、悪い夢でもないんだとわかった。その非日常を、御手杵は不思議な気持ちで過ごしたし、多分一生、忘れないんだと、思った。


その年の夏休み、御手杵ははじめて、実家に帰らなかった。

怖くて、帰ることができなかった。ぼろぼろになった故郷を、どう受け入れていいか、わからなかったのだ。自分の思い出の中のうつくしい故郷を、とても幼稚な感情ではあるけれど、まだ、手放したく、なかった。御手杵のほんとうの故郷は東京なのかもしれない。けれど、椿市で、海口で、松崎で、青山で過ごした数年間が、御手杵にとってはたいへんおおきなものだった。心の在り方や考え方に、大きく影響していた。椿市は、御手杵の第二の故郷だ。

同田貫も、帰らなかった。同田貫は帰りたがっていたが、家族に反対されたのだそうだ。ふたりはとほうに暮れて、バイトをして過ごした。そうしたら夏休みはあっという間に終わって、なんにも楽しいことがなかったように思えて、切なかった。夏の終わりに同田貫が、「椿市で五時のチャイム、鳴ってたろ。あれが聞きたい」とぼそり、呟いた。御手杵はそのメロディを思い出して、悲しくなった。盛岡では、五時にチャイムなんか鳴らない。子供たちはどうやって、家に帰る時間を、知るのだろう。

御手杵が故郷の姿を見たのは、震災から一年後のことだった。次の年の春休みに、やっと実家に帰ったのだ。椿市に到着したのは夜の八時で、盛岡からバスで二時間半の道のりだった。御手杵は寂れたショッピングセンターの前でバスから降りた。そうして、いつか、東京からここに来た日のことを、思い出した。バスから降りるとすぐに母親が車で迎えにきて、御手杵は大きなキャリーバッグをトランクに詰め、自分は助手席に座った。

母親の運転する車に揺られながら、御手杵は、窓の外を見た。真っ暗で、時折家々や小さなビルの明かりが並んでいる。こわいものが見えやしないか、ビクビクした。なにか、自分の価値観を壊してしまうような、残酷なものが見えやしないかと、ビクビクしていた。

その次の日は御手杵は家から一歩も出なかった。出る用事がなかった。その次の次の日に、同じく帰省していた同田貫や、大倶利伽羅や、獅子王、和泉守、それから、地元で就職していた陸奥守に会うことになった。大倶利伽羅は仙台の大学へ、獅子王は同じく仙台の専門学校へ、和泉守は東京の専門学校へ進学していた。みんなが揃うのは高校最後の春休み以来だった。あのときみんなで食べに行ったお好み焼き屋さんは、津波に流されて、もう、ない。

海口にはもう、みんなが集まれるような場所はなかったので、街に出て、ショッピングセンターのフードコートに集まることになった。街に出るまでの景色を、御手杵はじっと、はじめて、見た。

海岸は地盤沈下して海に飲み込まれていたし、工事が終わっていないところは、道路にまで、ちゃぷちゃぷと海水が流れていた。みんなが通った青山中学校は津波で流されてコンクリートの建物だけが残っており、近々取り壊されるらしい。青山小学校もそうだった。御手杵は青山中学校で一緒の部活だった山姥切のことを思い出した。彼の連絡先は、知らない。なんだかんだ高校まで同じだったのに、機会がなくて、連絡先を交換していなかったのだ。それから、家の跡地みたいなのもたくさんあったし、仮設住宅がそこらに立ち並んでいた。五階建てで、五階の食堂がそれなりにおいしかった別のショッピングセンターも津波で取り壊され、そこは更地になっていた。変わらないところを探す方が、大変だった。ここがほんとうに椿市なのか、わからなかった。パラレルワールドみたいな場所に飛んできたんじゃないかって、思えた。悲しくはなかった。まだ、あんまり、現実が受け止めきれて、いない。

六人で集まっても、みんな震災の話題は避けているようだった。和泉守と大倶利伽羅が通った高校は震災で流されて、たくさんの死者が出ていたし、小学校の同級生にも、中学の同級生にも、高校の同級生にも、いなくなった人は、いた。

十九歳で生涯が終わるって、どんな気分なのだろう。からだが見つかれば、まだいい方だ。一年経ったその時でも、行方不明者はたくさんいた。その家族はどんな気持ちなんだろう。どこかで記憶を無くして、でも生きてるなんて、そんなこと、夢見たり、一度でも、するのだろうか。話が途切れるたんびに、御手杵はちらちらと、そんな悲しいことを、思った。自分が今生きてて、こんな風に、昔の仲間たちと笑っているのは、どんな奇跡がおこって、そうなのだろう。

六人はそれから、どこか悲しい気分を吹き飛ばすように、椿市に一店舗だけ残った、カラオケに行った。カラオケで高校時代に流行った曲とか、よく歌った曲とか、そういうのを、たくさんいれた。バカみたいに騒いで、タンバリンなんか持ち出して、都会じゃ使ってないような機種で、歌った。

そうして、自分たちはもう大人にずいぶん、近づいたんだなあって、思った。


そうして、大学を卒業して、ほんとうの大人になった御手杵は、壇ノ浦小学校が無くなると知った年末に、椿市に帰ってきた。東京駅から新幹線に乗り、二時間で仙台まで行き、そこから四時間、バスに揺られた。ほんとうは大宮駅から新幹線に乗ればよかったのだけれど、幼かったあの日を思い出そうと、東京駅から、乗った。季節もぜんぜん違うし、もうずっと昔の話なのに、記憶はぶわりぶわりと舞い戻ってきて、御手杵のなかに、しんしんと雪のように、積もった。

椿市に着いたのは夕方で、寂れたショッピングセンターは、大規模な改築が行われたのか、すっきりと、新しい顔をして、建っていた。震災の爪痕は、まだ残っている。仮設住宅は少なくなったけれど、更地の部分はまだあったし、工事しているところも、たくさんあった。海のところには大きな、海の見えない防波堤が立ち並び、あの青を覆い隠している。感傷的な気分になった。自分が今どこに立っているのか、わからなくなりそうだった。

みんなで小学校に集まろうという話になっていたのは、十二月三十一日だった。海口から歩いて、行くのだ。陸奥守がみんなで乗れる車を出せるし、和泉守も大倶利伽羅も獅子王も車で帰省していたが、歩いていこうという話になった。

同田貫とは同田貫の家の前で待ち合わせた。同田貫の家の前からは海口海岸が見える。地盤が沈下して、もうくじら浜へ繋がる道は海に沈んでいたし、ほよじは立ち入り禁止区域になっていた。工事がいつ終わるのか、見当もつかない。震災後の子供たちは、いったいどこで泳いでいるのだろう。子供会の「かんし」の当番は、もう無くなってしまったのだろうか。御手杵がぼんやり、海口海岸を見つめていたときに、同田貫は家から出てきた。同田貫は公務員になっていて、盛岡にある県庁に勤めていた。ぐっと落ち着いた顔で、御手杵に「じゃ、行くか」なんて言ってきた。

次に和泉守と合流した。和泉守は美容師になっていて、今も修業中の身らしい。御手杵と同じく、東京で仕事をしている。東京で何度か遊ぶこともあったけれど、毎日がどちらも忙しくって、そんなに顔は合わせていなかった。けれど、御手杵の髪の毛は、和泉守が切っている。御手杵が一ヶ月かそこらにいっぺん、和泉守の働いている美容室に通っているのだ。もちろん、指名で。

次に家があったのは獅子王だったのだけれど、獅子王の実家は震災で流されてしまい、高台に引っ越していた。引っ越し先は大倶利伽羅の家の近くだ。だから先に陸奥守と合流した。陸奥守は地元で漁業をしており、大きな船の乗組員になっていた。震災後は海も荒れてしまって、漁獲量がかんばしくないらしい。それでも陸奥守は今の仕事を楽しんでやっているらしいし、海も好きだと言っていた。たくさんのものを奪ったかもしれないけれど、たくさんのものを与えてくれるのもまた海なのだと、陸奥守は言う。

そうして、残りの獅子王と大倶利伽羅の二人とは山の入り口のお地蔵様のあるところで合流した。獅子王はデザイナーの卵になっていたし、大倶利伽羅は仙台の大きな企業に勤めていた。獅子王は小さなデザイン会社と契約して仕事をもらい、細々と、けれど着実に仕事をしていたし、大倶利伽羅も仙台で静かに、堅実に仕事をしているらしかった。

みんな、大人になった。バラバラだけれど、でも、ちゃんと、大人になった。

そうして、山道を歩きながら、なつかしい話を、たくさんした。そのほとんどは、小学校時代の話だった。クワの実やアケビ、ほよじで泳いだ記憶とうみガラス、ふるさとセンターでのイベントに、昔流行ったゲーム、診療所の跡地に立派な公民館ができた話、タイルのとれる場所、青いタイル、津波で流されてしまった商店に、エトセトラ。話が盛り上がるほど、なつかしくなって、胸が苦しくなって、かなしくなった。もう戻らない、けれどキラキラと輝く、思い出の数々。その思い出のかたちをした小学校が、廃校になる。誰も何も言わなかったけれど、みんながみんな、静かに、そのことを考えていた。

長い長い坂道を上がって、小学校にたどり着く頃には、思い出も語り尽くされて、きらきらした破片が、みんなの周りにばら撒かれているようだった。小学校は、しんとして、そこに立っていた。小さな校舎に、狭いグラウンドに、小さな体育館。遊具が少し。かなしいくらい、しんとしていた。

「来年の卒業式は、青山にできるあたらしい校舎でやるらしい」

陸奥守がそう言った。この小学校が、児童を送り出すことは、もう、ない。あとは古びてゆくだけの校舎を見て、御手杵は、どうしてこんなこと、したいと思ったのだろうと、思った。これから死んでゆく人を、今か今かと看取っている気分になった。十二月の風が、今年の終わりに吹く風が、かなしいくらい、冷たい。

「中学校のときも、こんなことしたな」
「うん」
「そんときも、なんだか、辛かった」
「ああ」
「ここがもう無くなるってこと、俺らにはもう関係ないかもしれないのに」
「うん」

誰が言っているか、わからなかった。けれどみんなの気持ちだった。


三十分もそこにいただろうか。六人は、誰ともなく、「帰ろう」と言った。いつかの日のように。

帰り道は、言葉が、少なかった。思い出は語り尽くしていたし、語るべき未来の話も、みんながバラバラすぎて、できなかった。大人になってしまったのだ。年が明けて少ししたら、みんな、それぞれの日常に戻ってゆく。東京や、仙台や、盛岡や、椿市で、それぞれ、別々の生活をする。たまに思い出して、連絡をして、くだらないことを、言って。悲しかった。胸が、苦しかった。御手杵はあの頃に戻りたいと思った。震災も、なにもなくて、ただきらきらしていた、あの頃に。そうした時に、御手杵は「あ」と声をあげた。

「俺、まだ、秘密基地、見つけてなかった」

御手杵は、思い出したように、そう言った。果たされなかった、幼い日の約束が、御手杵をこの土地に、縛り付けていた。みんなきっと、そんなこと、もうどうでもよかったのだろうけれど、「そうじゃなぁ」とか「お前忘れてたのかよ」とか「ひどいやつだ」とか「ちゃんと探しとけよ」とか「楽しみにしてたのに」なんて言って、御手杵を小突いてくる。昔に戻ったような、そんな気がした。

いつかのように、戯れながら、帰路につく。山道を越えたとき、チャイムが鳴った。五時の、チャイム。「じゃあね、また明日会おうね」だとか、そういう適当な歌詞を当てはめて歌った、あの曲。本当の曲は、ビートルズのイエスタデイだと、御手杵はもう知っていたけれど、この場所では、これはただの、五時のチャイム。大切な人を亡くしたとか、そういうものとは関係のない、また明日会うことを約束して別れるための、少し切ないメロディー。

御手杵はその曲を聞きながら、どこに秘密基地を作るべきか、静かに、考えた。けれど、きっと、もう一生、見つけられないのだとも、思った。それが悲しくて、切なくて、でも、どうして、うれしくって、泣きたくなった。あの秘密基地が、ずっと、魂みたいな場所に、ある気がして。


この物語を書き始めるにあたって、引用すべき書籍を、終ぞ思いつかなかった。何故ならば、この物語は六人の思い出のかたちをしており、その物語を象徴する文章は、この世界のどこにも、存在しえないからだ。

END


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