狂ったお茶会(2/5)





「ねえ聞いてる?はづ」
「何を」

「来るんだって、"あの子"が」


多少勿体ぶって発した客の言葉に、葉月は僅かに眉を寄せた。だってまさか、そんな。

開店前だというのに勝手に入って来た目の前の男は、相変わらず微笑んでいる。嘘を吐いているとは思えない。


一度止めたグラスを拭く作業を再開し、葉月は息を吐いた。


「…それはまた、何で」


くふ、愉しげに目の前の客、松山が微笑んだ。どうやら今回は葉月の負けらしい。負けと言っても何の勝負かよく分からないが。

ティーカップに入ったダージリンティーを口に含んで、わざとらしく松山は肩を竦めた。


「彼の母親がいい働きをしたのかな」

彼の母親もよくママ友とこの喫茶店を訪れる。
じろりと視線を寄越すと、松山は軽くウインクした。グラスを拭いていなければ拳骨をお見舞いしてやっただろうに。


「はづったら怒らないでよ。俺はただ、たまには、お子さんのオトモダチを呼んでみたらどうですかって、非常に最もなことを神の御言葉としてお伝えしたんだよ」

素敵なマダムにね、茶色の水面にはただただ悪戯っぽい笑みを浮かべた聖職者が映っている。


落とされた角砂糖と銀のスプーンがそれを揺らめかせた。

湯気の立つカップと反対に、冷めた目で葉月が言った。


「バレたら何をされるか分からないぞ」
「…はづが言わなければ大丈夫だよ」

所謂松山のそれは"彼"に言わせれば、"そそのかした"、だ。何よりも干渉されることとペースを崩されることを嫌う彼の、恐らく両方にヒットしている。ただ後々ダメージを受けるのは本人では無い。

だから非常に、分かりやすく明確にただ一言で状況を説明するなら松山がやった行為はかなり、まずい。
恐らくこの男のことだ。深く考えもせずその場の思い付きと少々お茶目な悪戯心が働いたのだろう。


葉月の一言で理解したのか、ひくりと綺麗な顔を引きつらせた様を見て、あほだな、脳内の遠い片隅で葉月はそう思った。


「彼なら三日もしないうちに、聞き回ったりしなくてもあんたの背後に立ってるよ」
「それはそれで怖いよ!?」

元より喫茶店のマスターたるもの、如何なる理由や脅しがあっても客のプライバシーを晒すようなことはしない。それは彼であっても。



時折いつもの、自分以外に興味の無さそうな顔がやって来て、無表情のままお菓子の箱を買い上げていくのを思い出す。

何処かへ出かけるのは確かだろうが(そもそも彼は常に方々へ出掛けている人だが)、相手方に気を使って手土産など持っていく人のようには、正直思えない。
先月適当に見繕ってくれとぶっきらぼうに言われた際、珈琲のクッキーを出そうとしたら止められたことがある。"ガキだから"と。それからポケモンを象ったクッキーを珍しく興味深そうに見つめていた。

因みにその時子供でも出来たのかと余計な発言をした松山は、黒い笑顔の彼に連れられて行き、その後数日姿を見なかった。



「足しげく彼が通うなんてねえ?どう思う?はづ」

透明なグラスが店の照明を浴びて美しい。葉月は満足げに目を細めた。

全てのグラスを拭き終わったところで、松山が冒頭の流れに戻る。どうやらこの男は懲りるということを知らないらしい。


「足しげく、には見えないけど」

以前それとなく相手を尋ねてみたことがあった。常連の部類に入る彼も多少の干渉は目を瞑ってくれる。
"あほのポケモンオタク"、とそう分かりにくい説明をしてくれた彼は、相手を思い出したのか、聞き分けのない子供を鬱陶しがって呆れるような、そんな顔をしていた。


「でもまあ、仲は良さそうだな。その友達」
「は〜づ〜」

おいおい冗談は止めてくれと言わんばかりに呼ばれて、むっとした。特徴的なあほ毛が機嫌悪そうに固まる。

松山はそれですら面白いのか、テーブルに肘を付くと僅かに身を乗り出した。愉しげに小首を傾げて葉月を見上げる。


「友達だなんて、お野暮さん?」
「お野暮さんって何だよ。どっちが」

苛立った語尾と同時に、鼻持ちならないその整った顔へ片手を突き出した。お代を寄越せ、帰れの合図だ。まだ店としては開店準備の段階だが。



「松山様、まだ帰らなくていいと思います」

ぬっといきなり無表情がカウンター席の下から現れて、葉月は飛び上がった。毎度のことながら息を潜めるのが上手すぎる。


「お前…っ、茶々丸!」

「はい、ボクです。おはようございます」


あろうことかのっぺりと白い顔で淡々と普通に挨拶を述べてくる。因みにビデオカメラは構えたままだ。大人しく礼儀正しいはずが実は一番面倒臭い。飛丸を叱るのが佐助の役目なら、この腐男子に拳骨を入れるのは最早葉月の役目だ。


「あのなあ、カウンターの下に潜るなって何回も…」

ところでいつもは拳骨に使う右手は、今はお勘定をいただく為に堕落しきった聖職者に差し出している。
無表情のまま器用に目だけを輝かせている茶々丸から、視線を戻す。



十秒も経たない内にその手を取って、実に様になる動作で唇を落としやがった目の前の万年発情期らしいお客様に、店長はそのまま生真面目な右ストレートをお見舞い申し上げた。






楽しいお茶会



あの子はここに立ち寄るだろうか?




(途中で道を間違えなければ、)



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