割れチョコブラウニー


※れっくすさん宅ジャローダ♂/松山と自宅ツタージャ♂/葉月










ちりんちりんと、小さな鐘が鳴った。
クリスマスのベルのようなそれは、細かい装飾を施した扉に良く似合う。




「…、よし」


脚立の上で上手くバランスを取りながら、誰に向けるでもなく葉月は頷いた。


平日でもランチタイムはそこそこ忙しいが、二時を過ぎれば客足は止まる。一息吐ける時間だ。

おやつの時間が来るまで店の掃除や草木の手入れを終えてしまう。それが葉月の生活サイクルだ。
午前中に土日溜め込んだ洗濯物も干してしまっていたから、今丁度店の扉に新しいベルを取り付けたところだった。

誰も居ないのを見計らって脚立に登り、さっさと終わらせる。彼にとっては脚立の購入さえ恥を忍んでしたことで、使用している姿さえ見られたくないらしい。




葉月は満足げに短めの手袋をはめ直した。


新しい店の鐘は、以前付けていた即席の鈴より明瞭に客の訪問を告げることだろう。

取り外した鈴は呼び出し用に客のテーブルに置くことにする。一石二鳥。



「エコだ」


一人言は鐘だけが聞いている。

葉月はくふ、と珍しく年相応な笑顔を浮かべた。


買い物に行った際、エコバックポイント(マイバック持参でポイントが貰える。五十ポイント貯まると五百円値引き)が漸く満タンになった時の笑顔と酷似している。

中性的な顔立ちではあるが、中身の方はだいぶ主夫染みているらしい。




頭の一部だけ跳ねた毛が機嫌良さげに揺れる。

鼻唄を歌いつつ脚立を仕舞い、新しいメニューでも考えようかとカウンターに立つと、チリンと澄んだ音がした。



「いらっしゃ」
「ご機嫌よう、はーづ

「―らなくていい、帰れ」


商売用笑顔ですら瞬時に消え失せた。


何てことだ、鐘を付け替えて初めての客がコイツとは。幸先が悪い、葉月はピキリと青筋を立てた。


目の前の無駄に顔だけ、本当に無駄に顔だけは(大事なところ)いい男―松山は、葉月の言葉を意に介した様子も無く、若草色のケープを翻しカウンター席に着いた。

勿論、葉月の目の前に。


そのくらい予想がつく程には、彼はこの店の常連だ。



彼が常日頃持ち歩く聖書には神の御言葉が綴られているわけだが、その形のいい唇で囁くのは女性への愛だけだ。

顔だけ神様に愛された中身俗物ですよね、と無表情でとんだ毒を吐いた知人を思い出す。

が、強ち間違ってはいない。



文字通り堕落した聖職者に、葉月は呆れとじっとりした眼差しを向けた。



「松川、あんたなあ」
「松山だよ間違えちゃうなんてはづってばお茶目さんだなあ
「今日はレディースデーじゃないぞ」

しかし、もとより名前を覚えるつもりは無い。葉月は松山の声を右から左へ快速で聞き流して、ついでにゴミへ吐き捨てる勢いで言った。


そう、松山の大好きな、レディースデー。

客を口説くなど言語道断で発見次第蹴り出すところだが、少なくとも今日はその可能性は低そうだ。そもそもレディースデーに店へ来ること自体が可笑しいのだが。

面倒が減る、と安堵の息を吐いた葉月を松山は肘をついて見つめていた。



「やだなあ、俺が女の子目当てだけに来るわけないでしょ」


へら、とその顔を与えてくれた神様にビンタでもされそうな力の抜ける笑顔。

思わず溜め息を吐いた。


はづのおやつ日替わりメニューでとハートが何個も付いてきそうな甘ったるいオーダーに答える。客は客だ。払うものは払っているから文句は言えない。



「今日はホットミルクとチョコブラウニー、生クリーム添え。あんたランチは?」
「まだ食べてない」


もう十四時だぞ、三食きちんと摂らないと身体に悪い。

胸中再び息を吐いて、鮭のカルパッチョと庭で収穫した瑞々しいトマトとレタスを皿に出す。それを小さなパンケーキ数枚、野菜ジュースと一緒に松山の前に出した。


「昼の余り物で良かったら食べろ」
「ありがと」


優しいね、にっこり微笑む眼差しは確かな熱を持って葉月に向けられている。
背中辺りに何とも言えない感覚がむずむずと走った。

いつの間にか呼ばれることに慣れてしまった、彼独特の呼び名を耳にする時も。そうか、これが鳥肌か。葉月は一人納得すると、慣れた手付きでホットミルクを注ぐ。目利きの店から取り寄せた特製の蜂蜜を一滴、垂らす。



いい香り、と呟いて、松山はカウンター席に置かれたままの、元々扉についていた鈴を弄んだ。


「あれ?入り口の鈴変えた?」
「あぁ、さっき。やっぱ鈴屋が作っただけあって綺麗に鳴った」

「えっ、まじで?俺が最初に鳴らしたとか?うわやばっ、はづの初めて貰っちゃ」
「殺すぞ」
「冗談だよねそのナイフ」


作り置いていたチョコブラウニーより先に向けたナイフに、松山の笑顔がひくりと強張る。


冗談じゃない、女はともかくれっきとした男の自分までほだされてたまるか。

葉月はふんと鼻を鳴らし、ブラウニーを切り分ける為視線を手元に落とした。





「そんなに可愛い顔してるのに、男の子なんだよねー」


いつもより低い囁きが零れた。


可愛い。

初めて出逢った時もお嬢さんとほざいた目の前の男は、また禁句を増やそうとしている。


不機嫌、と思いっきり書かれた、松山曰く可愛い顔を上げた時だった。



ついさっきカウンターに置いたティーカップの取っ手に、松山がその形のいい唇で口づけを落としていた。先程葉月が持っていた所だ、当たり前だろう、取っ手なのだから。


松山は悪戯が成功したとばかりに微笑んだが、葉月は小刻みに震えていた。

「ふふっ、もしかして見とれちゃ」

「…で、」
「ん??」



「店の備品まで汚すんじゃねーよ!!!!」


三日月のような笑みを称えた顔に、ぶわりと総毛立った葉月の拳が迷うことなく炸裂した。










ちりん、


痛む頬をさすりつつ半泣きで帰って行った情けない聖職者を見送る。
葉月は未だ不機嫌なまま、右手にナイフを構えていた。


その手元を見つめて自然と息が漏れる。




濃過ぎず薄過ぎない、仄かなカカオの匂いが今はくらくらと酔いを誘うようだった。

気に入らない。その一言に尽きる。
ふらふらと蝶のように気紛れに飛び回る男は、何も同性愛者では無い。本当に、ただの蝶。


ただの遊び心に惑わされるなど、一店舗構える身としてあってはならないのだ。




手袋をはめ直し、念入りに洗ったカップを横目に見た。





「…あんたも、俺も、」



ぎり、と唇を噛み締め、またむずむずと沸き上がってきたぶつけようの無いものを声として吐き出した。




「男だっつーのっ」




葉月は眉間に皺を寄せたまま、不覚にも動揺してしまった証拠を隠滅すべく、それを素早く口に放り込んだのだった。





割れチョコブラウニー





残念イケメン系男子とお母さん系男子
2013.3.3


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