ドアとノブとベルと鍵が付いていた壁のこと。
※過去小学校低学年くらい。
初めて出逢った日から、時折茶々丸は飛丸に手を引かれて店までやって来た。
段々と人にも慣れて来たらしい。相変わらず飛丸に甘えた様子だけれど。
小さな手で飛丸の服の裾を摘まんで、ゴツい一眼レフを首から提げている少年。
飛丸に笑いかけられると、無表情なのにそれはそれは嬉しそうで、俯いてはにかむのを眺めるのが葉月は少し好きだった。
それでも人に無関心なのには変わりなく、紅茶色の瞳は基本感情が無い。
飛丸が楽しげにしているのをずっと後ろから眺めているような、そんな大人しい子だった。
「…とびまるくん」
飛丸君、待って下さい、と、普段滅多に聞かない落ち着いた声が、その日は珍しく焦ったように発せられていた。
少なくとも葉月は驚いて顔を上げた。
同じくして開け放たれたドアからは、無表情の飛丸が乗り込んで来る。一歩遅れて躓きながら、茶々丸はたどたどしく飛丸を引き止めた。
どうしたどうしたと客の何人かは顔を上げ、葉月はカウンターから様子を見た。
「とびまるくん、ごめんなさい、おこらないで」
ごめんなさい、気持ちいつもより不安そうな顔をして、茶々丸は一心に飛丸の背中に呼びかけた。
振り返った飛丸は眉を吊り上げていて、静かに怒っているようだった。
「俺言ったよな、友達どんってしたらダメだって」
「…はい、言いました」
「もーしないって言ったろ、茶々」
「…はい」
「男と男の約束は守れ!」
しぃん、お昼のピークが終わった後で客は少ない。それでも全員が耳を傾けているのが分かった。ああ若いなあとか、そんな風に思っている人も居るかもしれない。
でも本人達にとっては深刻な問題で、茶々丸は無表情で口をつぐんだ。
その口がゆっくりと開いて、反抗を露にしたことが分かる。いつも自分の意見なんて言ったりしないのに、と葉月はゆっくり瞬いた。
「…友達じゃないです」
「は?」
「ボクのおともだちは飛丸君だけです」
片眉を上げた飛丸に、飛丸君だけでいいんです、呟いた茶々丸は酷く小さく見えた。
「飛丸君こそどうして怒らないですか。あの子は飛丸君のこと馬鹿にしました。ゆるせないです。飛丸君はすごい人なのに、バカでマヌケでおたんちん言いました。確かにマヌケですけどおたんちんは言い過ぎです。あいつうんこです」
おい。
内心ズビシとツッコミを入れたくなったが、葉月は抑えるしかない。
「友達は飛丸君だけです…!」
「茶々、」
「ボクみたいなきもちわるいのと仲良くしてくれるのは、飛丸君以外誰も居ません!似てるやつがいてもきもちわるいのと仲良くしたくもありません、ボクには飛丸君だけでいいんです!」
ぺちん、
ぺち、とか、ぺた、とでも表せるくらい、それはあまり強い音じゃ無かった。基準は知らないがはたいたって部類には入らないと思う。
それでも確かに、飛丸が意思を持って、茶々丸の頬をぶったのだ。
「…お、おい、」
本人達に任せるべきかと黙っていたが、さすがに恐る恐る声をかける。しかし葉月の声は聞こえていないようだった。
手を降り下ろしたまま飛丸は黙っている。
「…、」
茶々丸は茫然と頬に白い手をやり、のろのろと顔を上げた。
「…」
「…なんで、ですか」
「……」
見たこと無いくらい厳しい表情の飛丸に目を見張ると、漸くぶたれたと理解したようだった。
「…きみも」
「……」
「きみもぼくのこと、きらいれふか、」
可哀想なくらい唇を震わす茶々丸に、飛丸は吐き捨てた。
「そんなことゆーやつはきらいだ」
「…っ、」
小さな唇がみるみる震えだし、ぼたぼたと茶々丸の頬を涙が伝い始めた。
「おいお前ら、!」
「おまえはカメラ上手だし、れーぎ正しいし、頭いいんだ。ホルモンとか時々わけわかんねーこと言うけど、太陽みたいにきらきらしててとってもキレーなの。おれのじまんの、友達だ」
泣きじゃくる茶々丸を難しい顔で睨んで、飛丸は言った。
「おれの大事な友達のこと、きもちわるいとか、そんなことゆって、お前楽しいか」
「―…っ!…ぅっ、うぅ…っ…」
えぐえぐ泣き始めた茶々丸の頭を撫でて、飛丸は言った。
「怒ってくれてありがとな」
「…、ごめんなさい」
「叩いてごめんな」
「…ごめんなはい…」
ぽふぽふ頭を撫でてもらいながら、茶々丸は何度も謝っていた。どんってしてごめんなさいとか、大声出してごめんなさいとか、それはもう色んなことを。
飛丸は一つ一つ、丁寧に返事をしてやっていた。
「ぼくのわるぐち、ゆってごめんなさい」
「うん」
「ありがとう」
「いーいよ」
飛丸。今もこれからも、茶々丸の大切なたった1人の友達。
飛丸はいつもあっさりと、彼の心の壁に入ることを許されていた。
ああそうか、飛丸自身が開け放っているからなのか。
そんなことを考えて、あと暫くは「ここで喧嘩すんな」の説教を呑み込んだ葉月だった。
ドアとノブとベルと鍵が付いていた壁のこと。
少年Cの号哭より抜粋。
2014.4.23
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