時計の針を折りたいの
※"小劇団わいに"にて。ちょっと流血表現注意。
もけ君は普段から物静かな子だ。
仕事を丁寧且つ確実にやる優等生だって団長も言っていた。
ただ機嫌が悪くなる時がたまにあって、それが怖い。何が怖いって、その怒りスイッチが入るタイミングとか、俺にはイマイチ分かんないから。しかも大体俺に関すること。
きっともけ君は、あんまり俺の事が好きじゃないんだと思う。
仲良くしたいとは思ってるんだけどなー。
本番も近くて皆バタバタしている中、衣装を縫うので忙しいはずのもけ君が俺をガン見した時、可笑しいなあとは思った。ずっと下を向いて仕事をしていた彼とは滅多に目が合わない。だから、頑張って〜の意味も込めて軽く手を振ったりなんかもした。
その時僅かに、ほんの少しだけ、もけ君の眉毛がピクリと動いた。
ゆっくりと布を置いて立ち上がると、足音を立てずに舞台に上がって来る。彼は大体靴下のままだから足音なんて立たないの当たり前だけど。
もけ君は針を持ったままゆらりと俺の前に立った。
綺麗な深い湖畔のような瞳が、無感情のまま怖いくらい真っ直ぐに俺を見上げた。
「もけ、今から通し稽古だ」
早くどけ、団長が客席にあたる場所で胡座をかいて言った。
はい、といつもなら返事するはずの声は、落ち着いたまま俺を呼んだ。
「芥子君」
「え、何?」
「何ですかそれは」
「…これ?」
もけ君の目は一心に俺の手元へ注がれている。俺は腕を彼に見えるように上げた。
「腕時計?百均で買ってきた安いヤツだけど」
「どうして?」
「え?だって時間見たいし、待ち合わせのシーンとかでいると思って」
「僕は聞いていません。腕時計が必要なら購入してきますからそれは外して下さい」
「でも今日の通しで、」
「外して下さい!!」
ガッ、と鈍い衝撃と同時に小さな金属音がした。
もけ君の鋭い声が稽古場にこだまする。
いつも落ち着いていて、丁寧な声ばかりを発するもけ君が。
ざわめいていたホール内が全ての音を吸収してしまったように静まり返った。
ひやりと背筋が凍って、もけ君の視線を受け止めることしか出来ない。もしかして、何か地雷を踏んだんだろうか。
恐る恐る衝撃を受けた手首を見ると、ピンポイントで腕時計に針が降り下ろされていてゾッとした。折れた針の先は床に転がっている。
手の甲に生温かさを感じたと思った瞬間、赤い液体が甲を伝って床に落ちる。先の折れた針を握り締めたもけ君の拳から、ゆっくりと液体が流れていく。ぶわっと毛穴が開いた気がした。
針仕事をする時は手袋を外すと言っていた事を頭の隅っこで思い出した。
外して下さい、ピリピリした威圧感を放ったもけ君が呟いた。
「芥子君、外して下さい」
「も、もけ君…、ち、血が、」
「僕の手が加わっていないモノを身に付けられると不愉快です。外して下さい」
「わかった!分かったから!手が、」
「そうですか」
ならいいです、もけ君はふわりと口元を緩めて、すぐに元居た作業スペースに戻って行った。
中断させてしまったことを丁寧に団長に侘びてから、また黙々と新しい針を取り出して衣装を縫い始める。
カチリ、団長が煙草に火を付けた。
さっきまで団長の背凭れになっていたえるさんが床の掃除をして、腕時計を回収して行った。
フワ、とニコチンの集合体が白い煙になって吐き出される。
見た目年齢制限に引っ掛かりそうな団長は、いやに大人びた顔で言った。
「ま、芥が悪いだろうなぁ」
やっぱり今日も怒りスイッチのポイントがイマイチ分かんなかった。
時計の針を折りたいの
君が身に付けたモノを壊すのだって、全部僕の仕事ですから。
(俺、やっぱり嫌われてる、のかなぁ…。)
2014.1.21
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