溢れども 3



長く息を吐いて、高尾は目の前の男を見つめた。
洗ったおかげで幾らかマシだが、やはりそこに映る顔の表情はぎこちなくて、溜め息が出た。

泣くつもりなどなかった。
それでも、いや、それだけ堪えたのだ。
たった一言でも、ため込んだ気持ちがあふれ出してしまうには十分だった。

(冗談にしか聞こえない、か……)

思い出すだけで、喉が震える。
馬鹿みたいに情けなくて、高尾は自嘲気味に笑った。
否定されることがこんなにも苦しいとは思わなかった。
迷惑になるつもりはなかった。
ただ、好きでいられればそれでいいつもりだった。
だが、それすらも許さないと言われたような気がした。

「っ……ああもうっ!!」

いい加減にしろと天井を仰いで両の手で目を押さえる。
いつまでもこんなザマでいるわけにはいかない。
こんな感情にいつまでも振り回されて……逃げているわけにはいかない。
いつもの高尾和成にならなければ、緑間を好きでいることなんて叶わないのだ。

高尾にとって緑間に対する感情と、緑間とのバスケは、切り離すことも重ね合わせることも出来ない存在だから。
コートの上でも高尾にとって緑間が大切な存在であり続ける以上、緑間から勝利を奪いかねない己の「緑間が好き」だという感情は邪魔にしかならない。
そんなものは例え自分の感情だろうと、高尾自身が許せないのだ。

緑間の隣に立って、一緒にバスケをして、勝つ。
それが一番なのだ。
それ以上は、望まない。

「…いらねぇ、」

あの場所に立てなくなるなら、それ以上のものなんて、いらない。

すとん、と両手が降りる。
鏡の向こうの自分に一瞥をくれて、高尾はその場を後にした。





「……真ちゃん」

薄暗い廊下だが、すぐに分かった。
腕を軽く組んで壁に背を凭せ掛けて立っているのは、緑間だ。
高尾が名前を呼ぶと、緑間は高尾の方へ顔を向けた。


「うっそ迎えに来てくれたみたいな?」

真ちゃんやっさしー、とからから笑いながら高尾は緑間に歩み寄る。

「つーか結構待ったっしょ。わりーな待た、」
「高尾」

待たせて、と言おうとした言葉は遮られた。
緑間が高尾を見おろしている。

「…何だよ?怒ってんの?先帰ってても良いって俺、」
「怒っているわけではないのだよ。ただ…気になっただけだ」
「は?」
「何故泣いた?」

その顔バレバレなのだよと、その目元を見て言った緑間に、高尾はへらっと笑った。

「うわ…バレた?いや、マジちょっと調子悪くなっただけでさ。もー全然平気なんだけど」

かっこわりー、と手の甲で目元をこする。
泣いた顔を隠しとおせないことは百も承知だったから、言い訳は考えておいたのだ。
高尾の答えを聞いて、緑間の眉間に皺が寄る。

「ほんっと大丈夫なんだってば」
「…………ならば何故、俺の名前を呼んだのだよ」

答えろ、高尾。
その言葉に、高尾の頬がほんの少し引き攣った。

「……え、っと…」

名前を呼んだのは、無意識だ。
必死に押さえ込んだ泣き声に混じって、きっと呼んでしまったのだろう。
でも、つい呼んだ…なんて言ったら気持ち悪いと思うだろうか。
助けを求めるみたいに、縋りつくみたいに叫んだ、自分の声を。

ごくりと唾を飲み下すと高尾は再び口を開いた。

「聞こえた……?」
「ああ」
「……俺、」

いうな、やめろ。

「俺、……」

やめてくれ。頼むから、壊さないでくれと。
懇願するように頭の中を響く声に、高尾の喉の奥が震える。

「…………いえ、ない」

俯いてそう答えると、高尾はだっと立ち去ろうとした。
しかし、伸ばされた緑間の手によって、腕を掴まれる。

「っ…なせ、緑間」
「嫌なのだよ。理由を言え」
「言いたくねぇ」
「それは俺だから言いたくないのか」
「…そうだよ!お前だからっ…」

お前だから…!
腕を掴まれて顔が見えない状態のまま、未だ逃げようとする体勢で高尾は叫ぶようにそう言った。
言いたくない。言えない。言ってはならない。
噛み締めた奥歯が音を立てる。
高尾の腕を掴んでいた緑間の手から、ふいに力が抜けた。

「…俺は、お前の相棒ではないのか?」

ぽとりと、耳元に落ちてくるように届いた声に、高尾はゆっくり顔を向けた。

「辛いことを話してほしいと言ったのは、お前だ、高尾」

話したらきっと楽になると。
助けてやれなくても、分かち合ってやると。
聞いて支えてやるのが相棒だと。

「そう言い出したのは、お前のほうなのだよ…高尾」
それとも、俺と相棒だというのは、でたらめか?

じっと見つめてくる瞳に、高尾はくしゃりと顔を歪めた。

「、って……」

ぼろろ、っと再び涙が零れた。
緑間の手は高尾を捕まえたままだ。

「俺の、好きはっ…真ちゃんにとっちゃ…冗談なんだろっ…」

言うな、言うなと押し留めた言葉は堰を切ったようにあふれ出す。

「だって、俺だ…て、必死で、だけど」

嗚咽交じりだが、確かに高尾を傷つけたのは緑間の言葉だと。
それに気づいた緑間は高尾の腕を引いて正面から向き合った。

「俺は、」
「真ちゃんは、悪くねぇ、って…だけど我慢できなっ、くて…俺、」

お前が好きだから。

そこまで言って高尾はその場に座り込んだ。
痛くて、苦しくて。
とても言葉を紡げる状態じゃなかった。

「高尾」
「っ…」

きっと嫌われたのだと顔を上げないでいる高尾の前にしゃがむと、緑間はその頭に手のひらをそっと乗せた。
びくりと跳ねた肩に、緑間は小さく息を吐いて言った。


「……ちゃんと、聞いていろ」


俺はお前が。高尾が好きだ。


目の前の黒髪が小さく揺れた。


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おかしい、あと1話あるとか…なんでさ!?

12.08.19



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