ああ、女物の香水の匂い。

臨也が帰ってくると、微かにいつもと違う香りがした。
静雄はぼんやりとその事実を受け止め、視線をテレビから外さない。
テレビではいつの間にかバラエティー番組が映っている。弟が出演していたドラマはさっき終わってしまったし、見たい番組がもうない。
バラエティー番組は大して面白くもないのに笑い声が煩く、苛々してチャンネルを変えたくなったが、後ろの気配が消えるまでテレビに夢中な振りをする。
臨也はいつもの黒いコートを脱ぐと、キッチンに入って行った。
冷蔵庫を開ける音がする。
カチャカチャとコップの音に、液体を注ぐ音。水でも飲んでいるのだろう。
静雄はチラリと時計を見る。もうすぐ23時になりそうだ。
普段仕事がある日ならば静雄は0時には寝てしまうが、明日は久しぶりの休みだった。
臨也には教えてない。教える暇もなかったし、教えたところで何もない。
最近臨也は夜遅くに帰ってきて、静雄が仕事に行く朝にはまだ寝ている。
殆ど話す機会もなく、今も久しぶりに顔を見た。
しかし会話する気にはなれず、臨也からも話し掛けて来ない。
静雄は無意識に煙草に手を伸ばした。苛々した時は煙草がいい。最も静雄の短気さは、煙草等で紛らすことは出来なかったが。
救いを求めるように手を出した煙草は、中身が空だった。
ぐしゃり、と箱を握り潰す。
気付けば臨也はリビングから居なくなっていて、キッチンにはぽつんとコップが置かれていた。
静雄はリモコンでテレビの電源を切ると、ソファから立ち上がる。
財布と携帯とジッポーを手にし、近くのコンビニに行くことにした。
マンションから外に出ると意外に寒く、Tシャツにジーパン、サンダルと言った自分の服装に後悔した。
コンビニで弟が載った雑誌をパラパラと捲りながら、頭の中は臨也のことを考えている。
このまま一緒にいる意味があるのだろうか。
すれ違いは仕方がないと思う。仕事のこともあるし、時間が合わない時があるのはどうしようもないだろう。
だけど、あの香水の匂い。
たまに臨也は色々な香水の香りがする時があった。
違う人物なのか、同じ人物が様々な香水をつけているのか、静雄には分からないが恐らく前者だろう。
臨也は高校の時からモテていたのも知っているし、きっと色んな女を利用しているのだ。
それにざわざわと胸が締め付けられるのは、嫉妬からだろう。
静雄はそんな自分が嫌だった。臨也を縛る気はないし、あの男が自分と付き合っているのはきっと気まぐれだ。
いつか捨てられるのだろう。ゴミみたいに。
――…池袋に帰ろうか。
こんな一人で居るような新宿ではなく、知り合い達がいる池袋へ。
着替えなどなんとでもなるし、いざとなれば新羅の家にでも泊めて貰おう。
静雄は煙草を買うとコンビニを後にした。
夜の新宿は池袋より明るく、まだ人が多い通りを駅に向かって歩く。
臨也はきっと静雄が出て行っても気にしないだろう。案外数日は気付かないかも知れない。
それでも何だか逃げるようで足早になった。そんな自分に苦笑する。
改札をSuicaで抜け、山手線のホームへ進む。そのままちょうどやってきた緑のラインの電車に乗り込んだ。
平日のこんな時間でも山手線は混んでいて、静雄は直ぐに降りれるようにドア付近に立った。
発車を知らせる音楽が鳴り響く。
扉が閉まる瞬間に、突然腕を引っ張られた。
驚く間もなくそのままホームに降ろされ、目の前で扉が閉まる。
呆然としていると、臨也が立っていた。






(2010/06/29)
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