TEAR'S LIBERATION




もう二度と会うもんか。
なんて今まで何度思ったことか。
それこそこんな関係になる前から、高校を卒業した瞬間にそう思っていた。
それでも毎度毎度、あいつは現れるし、自分はあいつを見れば追い掛ける。
条件反射みたいになっているのだろう。高校生活の三年間ですっかり刷り込まれてしまった。
もう二度と会わない。
今度こそ、次こそは、会わないようにしよう。今回もそう思う。


意外にもあれから一ヶ月以上経っても臨也からは何もなく、池袋で見掛けることもなかった。
会わずに居れば少しずつ苛々は治まっていく。勿論一日にも忘れた事はないし、そう簡単に忘れられはしないだろう。
静雄は煙草を吸いながら、ぼんやりと空を見てる。空はすっかり夕暮れで赤く染まっていて、先程まで一緒にいた親友も帰ってしまった。
自分もそろそろ帰ろうと思うのに体が動かない。
苛々が治まるのと比例して、記憶が鮮明になってる気がする。
傷付いた腕も、つけられたキスマークも消えて、静雄の体には何一つ残っていないのに、感触やら温度やら声やらが鮮明に思い出せる。
あの時。
なんであの手を取ってしまったんだろう。
白くて細い指。綺麗に切り揃えられた爪。人差し指の指輪。
『もう遅いよ。シズちゃん』
何が遅いのか、今の静雄なら分かる。
多分あの時に手を取っていなくても、いずれこうなっていただろう。
いつの間にか短くなった煙草を揉み消し、静雄は立ち上がる。
肌寒い夕方はなんだか寂しさを感じられた。早く家に帰ろう。家に帰っても独りだが、外よりはマシな気がした。



家に帰るとベストを脱いだ。ワイシャツにスラックスの格好で、ゴロリとベッドに寝転がる。
体を横にして目を閉じた。
まるで胎児のように丸くなり、時折窓から吹く風に髪の毛が揺れる。
窓を閉めようかと思ったが、面倒臭くてそのままにした。

ふと気配を感じて目を開く。身を起こすと、いつの間にか寝ていたらしく、部屋はもう真っ暗だった。
黒い気配が近付いて来るのに、静雄は目を何度か瞬いた。
「…臨也…?」
「やあ」
久しぶり。
臨也は暗闇の中で笑う。
「勝手に入ってくんな」
内心の動揺を押し隠し、静雄は舌打ちをする。鳥肌が立っているのは寒さのせいだけじゃないかも知れない。
「風邪ひくよ」
臨也は窓に近付くと閉めてしまった。外の音が聞こえなくなり、外界と遮断されたような錯覚に陥った。
静雄は明かりをつける気にはなれず、ベッドの上から動かない。
「何しに来た」
有りったけの殺意を込めて睨んでやる。大抵の人間なら脅える睨みも臨也には通じない。
「そろそろシズちゃんが俺に恋しがる頃かと思って」
臨也が言い終わらないうちに灰皿が飛んできた。臨也は暗闇の中、それを避ける。
背後でガチャン、と音がした。暗くて見えないが、きっと中の吸い殻が飛び散って悲惨だろう。
「自分の家だろうが破壊活動しちゃうんだね、シズちゃんは」
臨也は笑ったようだ。
こうやって暗がりの中で臨也の声だけを聞くと、声はいやに淡々と聞こえる。顔は笑みを作っているのだろうが、声は笑っていないのだと気付いた。
「帰れ」
静雄は一言で拒絶する。
「まあ訪問の本当の理由は違うんだ」
臨也はゆっくりと静雄の方へ近付いて来た。静雄は動かない。
「俺がシズちゃん不足になったから」
補給しに、ね?
ひゅっと静雄の拳が飛んで来る。臨也はそれを横に飛んで避け、その瞬間に手にしたナイフで静雄のワイシャツを真っすぐに切った。
「っ、」
痛みはないが、静雄はそれに一瞬たじろぐ。臨也は静雄の背後に回り込むと、腕を掴んで後ろへと引き倒した。ギシッと言う音と共に、静雄はベッドに背中から沈む。
「シズちゃん」
臨也は静雄の腹に馬乗りになった。
「俺、シズちゃん不足で死んじゃいそう」
「…勝手に死ねよ」
静雄はうんざりしながら溜息を吐く。さすがにこれくらい近距離だと相手の表情は見えてしまう。臨也の顔はまるで余裕がなく、赤い双眸は酷く真摯だった。
静雄は体の力を抜き、四肢を投げ出す。面倒臭い、とそればかり考えた。
「返事を聞きに来たよ」
不意に臨也が言い、静雄は眉を寄せる。
「返事?」
「愛してる」
臨也の言葉に静雄はびくっと体を震わせた。
「…言うなっつったろ」
「何故?」
臨也は手を伸ばし、静雄の頬に指先で触れる。
「…手前の言葉は信用できない」
静雄は臨也を下から睨みつけた。
臨也は暫く静雄を見詰めていたが、やがて緩やかに笑みを浮かべる。
「シズちゃんはなんで俺のマンションに来てたの」
「……」
「考えたこと、あった?」
静雄は小さく舌打ちをし、視線を臨也から逸らした。
「ある。…けど」
「けど?」
「考えないようにしてた」
静雄の答えに臨也は笑う。
「シズちゃんらしい」
そのまま唇が下りて来て重なった。静雄も臨也も目を開いたまま。
臨也は舌先で静雄の唇を舐めた。何度も。静雄はじっと臨也を見上げている。
やがて静雄が目を閉じると、微かに開いた唇から臨也の舌が侵入して来た。ぬるりとした感触に、静雄はぴく、と身動ぎする。
深くなってゆく口づけを甘受してしまう自分に嫌悪を抱く。けれど頭の中がショートしたみたいになっていて、直ぐに考えられなくなった。
もう会わない、なんて。
無理なのは分かっていた。今までもずっと。
「愛してるよ」
臨也は唇を離すと、唾液に濡れた静雄の唇を指先で拭ってやる。
「しつこい」
「愛してる」
尚も言い続ける臨也に、静雄は眉を顰める。
「シズちゃん。ちゃんと考えて」
「…何を」
「俺のこと」
臨也は静雄の上から退いた。そのままベッドから下りる。
「今日は帰るよ」
静雄は驚いた。てっきりまた抱かれると思っていたから。
臨也は乱れた衣服を整えると振り返る。
「また来るから」
「…もう来んな」
静雄の言葉に臨也は低い声で笑い、来たときと同じく暗闇に紛れて出て行った。
静雄はベッドから起き上がると溜息を吐く。口づけで火照った体を持て余しそうだ。
『愛してる』
だなんて。
「…俺は大嫌いだ」
静雄は独り呟いて、裂かれたワイシャツをごみ箱に捨てた。

(2010/08/16)
×
- ナノ -