SCANDALOUS BLUE




粉々に割れたガラス。
ぐしゃぐしゃのシーツ。
床を汚す煙草の吸い殻。


「…こないだよりはマシね」
波江は呆れたように溜息を吐くと片付け始めた。
「悪いね。手当つけるからさ」
下だけスラックスを身につけた臨也は口許を歪めて秘書を見遣った。
「いつも思うのだけど、部屋は悲惨でもあなただけ無傷なのはどういうこと?」
「俺は慣れてるからね」
臨也はフローリングに落ちた吸い殻を見る。「伊達に8年間もやり合ってないんだ」
「それにしたって、」
波江はごみ袋にシーツを纏めながら、また溜息を吐いた。「強姦する度にこんなに破壊されたらキリがないわよ」
臨也はそれに喉奥で低い笑い声を漏らす。
「安いもんだよ、こんなの」
「不毛だわ」
「そうかな」
臨也は割れたガラスに血が付着しているのを見て、目を細めた。
「可愛いお姫様の抵抗だろう?」
「気持ち悪いわ」
波江はバッサリとそう言い、ごみ袋を持って出て行く。
「ああ、一つ勘違いしてるよ」
「何かしら」
眉間に皺を寄せて、波江は振り返る。
「今はもう強姦じゃないから」
「どうでもいいわよ」
不機嫌に出て行く秘書に、臨也は笑い声を上げた。



静雄は公園のベンチに座って煙草を吸っていた。
指で挟んだ煙草から上る煙を、ぼんやりと見ている。
視線を手の甲に移すと、うっすらと傷痕があった。昨夜自分でつけた傷。もう塞がりかけている。
昨夜のことを思い出しかけて、静雄は煙草を投げ捨てた。足で火種を踏み潰す。思い出すだけで虫酸が走る。気分が最悪だ。
段々と抵抗が弱まっているのを自分でも分かっていた。暴力を受ける側の相手なら、尚更気付いているだろう。このまま甘受してしまう自分が気持ち悪くて堪らない。
あぁ、もう。深みに嵌まってしまった。本当に腹が立つ。
一度体を繋げてしまえば、臨也はいつも求めて来るようになった。
例えば池袋で会った時。路地裏に連れ込まれてキスをされる。新羅の家で鉢合わせした時は、新羅んちでやられそうになった。
何故大嫌いな筈の自分を抱くのか、とは聞けなかった。多分、面白がっていて、きっと悪意から来る行為なのだと思う。それ以外考えられないし、それ以外の答えは静雄にはいらない。
「静雄ー」
名前呼ばれ振り返った。
上司が取り立てを終えたらしい。静雄はベンチから立ち上がる。
「待たせたな」
「ご苦労様っす」
静雄はサングラスをかけ直した。
二人は歩き出す。
ふとトムは静雄の首に目をやり驚いた。
「静雄、ここ」
「はい?」
「痕ついてんぞ」
上司に指摘されて、首筋にキスマークをつけられている事に気付く。
はっと赤くなれば、上司は笑った。
「恋人か?いいよなぁ」
「…違うっす」
「セフレか?」
「セフレってなんすか?」
「セックスするだけの相手」
上司の言葉に、なるほどセフレか、と思う。今の自分と臨也の関係はまさにそうなのだろう。体だけの関係。
そう思うと少し気持ちが楽になる。
いつでもやめられるのだ。あちらが飽きたなら。
早く飽きればいいのに。
早く早く早く。



乱暴に抱かれた後、次は優しくされる。それが静雄は不愉快だった。ずっと乱暴でいい。
四つん這いにされて後ろから突かれる。そっちの方がマシだった。臨也の顔なんて見たくないし、自分の顔を見られるのも嫌だ。
ぎゅっとシーツを掴んで、押し寄せて来る快感に堪えた。
後ろから笑い声が聞こえる。耳を塞ぎたい。もうこいつ死ねばいいのに。
喘ぎ声が漏れそうになるのを、唇を噛んで必死に堪えた。
唇が切れて、血の味がする。
血はポタリと白いシーツに落ち、真っ赤な跡を残した。
色鮮やかなそれに、静雄は眩暈を感じて目を閉じる。
「そこまで我慢しなくていいのに」
臨也は静雄の上半身を抱き抱え、繋がったまま体を向かい合わせた。
べろりと唇を舐められ、血の味がするキスをされる。
「シズちゃんの声、可愛いんだし」
「黙れ」
静雄は右手を振り上げるが、パシっと受け止められた。
そのまま手の甲に口づけられる。静雄は目を逸らした。
「…バックの方がいい」
「なんで?」
「……」
黙り込む静雄の腰を抱え、臨也は律動を再開する。
再び快感が迫り上がるのに、静雄は歯を噛み締めた。
「声出しなよ」
臨也が言うのに首を振り、静雄は自身の顔を両手で隠す。
「強情だね」
臨也は口端を吊り上げると、静雄の両手を取って顔を顕わにさせた。上半身を倒し、体を密着させる。
静雄ははぁはぁと荒い息を整えながら、うっすらと目を開けた。
臨也が珍しく余裕のない目で自分を見下ろしている。エアコンがついているのに汗が伝って顎から落ちた。
…ああ、もう。
静雄は内心舌打ちをしたい気分になる。だから見たくなかったのに。
そんな目で見るなよ。
静雄は再び目を瞑り、臨也の背中に腕を回した。
臨也は一瞬驚いたように動きを止めるが、直ぐにまた中を抉る作業に没頭する。
「ん、…あっ」
静雄は無意識に声を漏らし始めた。気持ちいい。腰ががくがくする。足の爪先までびりびりと快感が走った。
臨也の動きが早くなる。静雄も腰を揺らした。
臨也の熱が中に出されるのとほぼ同時に、静雄も熱を放つ。自身の腹に白濁した液が掛かった。



静雄はうんざりしたように精液をティッシュで拭い、ごみ箱へと捨てた。
「シャワー浴びれば?」
「嫌だ。帰る」
一刻も早くここから帰りたい、と言う態度で、静雄は身支度を整える。
臨也はそれに口許を歪め、軽く肩を竦めた。
「前までたまに会話してくれたのに。今はセックスの前後殆ど会話ないねえ」
「手前と何話すんだよ、強姦魔」
「今は合意でしょ?」
「死ね」
悪態はつくものの、静雄は手を出して来ない。
静雄は立ち上がってブラインドを開けた。外はまだ薄暗いがもうすぐ朝だ。
「こういうのセフレって言うらしいな」
「君と俺がフレンドだったことあったっけ」
「ねえよ。言葉の彩だろ」
静雄はすっかり身支度を整える終わり、ポケットからサングラスを取り出す。いつもの彼だ。
「シズちゃん、」
名を呼ばれて、静雄はベッドを見遣る。
「愛してるよ」
まるで今日の天気を告げるみたいにあっさりと告げられた。
静雄は目を丸くし、直ぐに怒りで顔を歪める。
「うぜえ、死ねよ」
「告白したのに凄い返答だ」
「黙れ」
ガシャン!
パラパラと破片が飛び散る。窓ガラスが割れた。
「乱暴だね、シズちゃんは」
臨也は笑みを浮かべたまま、下半身だけ衣服をつけた状態でベッドに腰掛ける。
「そんなに嫌なの」
「嫌だ」
「好きだよ」
「…聞きたくねえ」
「愛してる」
「気持ち悪い」
帰る、と言って静雄は部屋を出て行った。右腕はガラスの破片で血を滲ませたまま。
何が愛してるだ。
「嘘つき野郎が」
静雄が吐き捨てるように言った呟きは闇に消えた。




「今日のは久しぶりに派手ね」
ガラスを片付けながら、波江は溜息を吐く。
「そうかな?俺に殴り掛かるんじゃなくて物に当たってるだけだよ」
大層な進歩じゃないか、と臨也は笑った。
「あなたってポジティブね…」
ガチャガチャとガラスの欠片を箒で掃く。血が飛び散っているのに波江は眉を顰めた。
「いつか近隣から苦情が来そうね」
「当分来ないかも知れないな」
臨也の言葉に、波江は振り返る。
「あら、どう言うこと?」
「告白したんだけど振られちゃったからねえ」
臨也はポケットに手を突っ込んで、欠伸をひとつ。
「いい気味だわ。…その割に堪えてないみたいだけど」
「シズちゃんが思い通りになったことなんて一度もないからね」
僅かに苦笑する。それが楽しいんだけど、と付け加えて。
さて、次はどんな行動に移そうか。
臨也は考えを巡らせながら、部屋を出て行く。
「あなたに執着されてる平和島静雄には同情するわ…」
波江の言葉は臨也の耳には届かなかった。


(2010/08/15)
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