DRASTIC MERMAID




キーボードをカタカタと打つ臨也の手を見ていた。
白くて細い指。綺麗に切り揃えられた爪。人差し指の指輪。
煙草を燻らせながら静雄がぼんやりしていると、不意に臨也がこちらを見る。
「シズちゃん、気が散る」
「あ?」
「そんな見られてると気が散るんだよ。大人しくソファーで待っててよ」
臨也は眉間に深い皺を寄せて、静雄にしっしっと手を振る。
「俺は犬じゃねえ」
文句を言いつつも素直に従った。
突然押しかけたのは静雄の方だったし、仕事が忙しいのだから仕方がないと思う。秘書の女はさっさと帰ってしまったと言うし。
静雄は大人しくソファーに座って煙草を吸う。紫煙がふわりと舞うのをサングラス越しに眺めた。
カタカタカタとキーを打つ音が引っ切り無しだ。余程急いでいるらしい。
そう言えば今は何時なのだろう。見れば時計の針は9時を指していた。意外にまだ早い時間なのだなと思う。
何故自分はここに来たのだろう。手にした煙草を見ながら考える。
多分、自分と折原臨也がこんな風に会っているのを知っているのは、あの秘書と旧友の新羅だけかも知れない。親友のセルティにさえも話した事がない。
月に数度、静雄は臨也のマンションに気紛れにやって来る。臨也は毎回嫌な顔をしつつ、静雄を黙って中に入れる。そしてただ一緒にいるだけだ。殺し合いもしないし、喧嘩もしない。ポツリポツリと会話をし、静雄は帰って行く。そしてまた街で会うと殺し合いをする。その繰り返し。
何故。
何故自分はここに来たのだろう。
何故臨也は普通に中に入れるのだろう。
最近静雄にはその先が怖い。考えてはいけない気がするのだ。
カタカタ。カタカタ。
キーボードのタッチは止まない。
仕事なのだからと思いつつ、少し静雄は苛々している。そんなに仕事の方が大事なのだろうか。一緒にいる自分に構えないくらい。
そこまで考えて、静雄は自分に酷く狼狽した。
構って欲しいのか、自分は。何を考えているのだろう。
静雄は煙草を灰皿に揉み消し、ソファーから立ち上がった。
部屋を出て、そのまま玄関へ行く。臨也には何も告げずに外に出た。
これ以上ここにいて、先を考えるのはまずい気がした。
新宿の街を、静雄はゆっくりと歩く。自分はここでは異邦人だ。
胸に苛々とした焦燥を抱き、駅に向かう。マックの前の横断歩道を渡り、喫煙所で煙草を吸うことにした。
柔らかなケースから煙草を一本取り出して口に咥える。先端にZippoで火をつけ、深く吸い込んだ。口に広がるメンソールの香り。
もう新宿には来ない方がいいかも知れないな。と考えた。
深みに嵌まる前にやめておこう。きっと今なら間に合うだろう。
携帯が鳴り、静雄はチッと舌打ちをした。
『ちょっとシズちゃん』
見知らぬ番号に出てみれば案の定あの男で、静雄はまた舌打ちをする。
『何勝手に出て行ってんの』
「仕事忙しそうだし」
『誰のために急いでやってると思ってるのさ』
「……」
静雄は少し驚いた。ぎゅ、と携帯を持つ手に力が入る。
「…今日は帰る」
動揺が臨也に伝わらなきゃいい。
『シズちゃん』
「もう行かねえ」
『……』
今度は臨也が黙り込んだ。
「じゃあな」
静雄はそう言って携帯を電源ごと切った。
はぁ、と溜息を吐いて煙草を揉み消す。何故か何かを消失したような変な気分になった。
「そんな顔してさ」
背後から聞こえてきた声に、静雄はびくっと体を震わせる。
「馬鹿みたいだよ、シズちゃん」
振り返ると携帯を手にした臨也が立っていた。
「気付いてないの?」
「…手前何でいるんだよ」
静雄は眉間に皺を寄せる。
臨也は無表情に携帯をポケットに仕舞った。
「シズちゃんが出て行ったの分かったから、直ぐ追っ掛けて来たんだよ。ここで煙草吸ってなかったら間に合わなかっただろうけど」
「仕事は?」
「ほっといてきた」
臨也の言葉に静雄は目を見開く。
「いいのかよ」
「シズちゃん拗ねるし」
「拗ねてねえよ、死ね」
静雄の言葉に、あはは、と臨也は笑い声を立てた。ムカつく野郎だ。
「行こうよ」
「どこに」
「俺んち」
臨也はその眉目秀麗な顔で微笑んだ。妖艶に。
静雄の方へ手を差し延べる。周囲の喫煙者が、何事かと様子を窺っている。
「もう遅いよ。シズちゃん」
「…何が」
「手遅れだって言ってるのさ」
静雄は臨也の白い手を見詰めた。白くて細い指。綺麗に切り揃えられた爪。人差し指の指輪。
早く、と。臨也が催促する。
静雄は小さく舌打ちすると、その手を取った。
臨也は静雄の手を引っ張って歩き出す。周囲の好奇の目など全く介していない。
静雄が試しに軽く手を引いてみるが、手は離れなかった。きつく握られている。臨也は離す気がないらしい。
無言のまま人込みを抜けてマンションに入り、部屋に入ったところでやっと手が離された。
そう言えば臨也と体を触れ合わせたのは初めてだ、と静雄は気付いた。
「シズちゃん」
臨也は突然、静雄の腰に腕を回して引き寄せた。静雄の目が丸くなる。
目の前の眉目秀麗な顔が近付いて来るのに、静雄は反射的に目を閉じた。
唇に柔らかな感触が下りてきて、キスをされたのだと気付く。キスは触れるだけのもので、直ぐに離された。
静雄は目をまんまるくしたまま、ぽかんと臨也を見詰め返す。
臨也は口端を片方吊り上げ、意地の悪い笑みを浮かべた。
「おいで、シズちゃん」
静雄の二の腕を掴むと、臨也は大股に廊下を歩き、奥の扉を開けた。
中は薄暗く、真っ黒い大きなベッドがひとつ。
静雄は腕を強く引かれ、ベッドに投げ出される。
「っ、おい」
驚いて身を起こそうとする静雄に、臨也が覆い被さった。
サングラスを外されて、再び口づけられる。薄く開いた唇に、舌が入り込んできた。歯列を舐められ、唾液を啜られ、ねっとりと舌が絡まって来る。
「…ふ、ぅ…っ」
静雄が可愛らしく声を漏らす間も、臨也の手はベストのボタンを手早く外して行った。
何度も角度を変えて口づけられ、静雄はベッドのシーツを掴む。カチャリとベルトが外されて、ジッパーが下ろされるのに我に返った。
「臨也…っ」
静雄が両腕を突っ張って臨也の体を押し返す。臨也は少し体を離すと、静雄のその腕を掴み、体を反転させた。
「!、おい…っ」
ベッドに顔を押し付けられて、両腕を捻られる。
そのまま下肢に馬乗りにされて、静雄は状況を飲み込むのに時間がかかった。
臨也は静雄のワイシャツを両腕まで脱がすと、後ろで袖を結んでしまう。
「これ弟クンがくれた大事なシャツなんでしょ?破いたりしないでね」
臨也がからかうように言うのに、静雄はカッとして身を起こした。体勢を元に戻し、脚で臨也を蹴り上げる。
臨也はそれを避けるとフローリングに膝をついた。
「体重かけて押さえ込んでたのに、本当シズちゃんは力持ちだなぁ」
「死ね」
まだ両腕は後ろで拘束されたまま、静雄は臨也を燃えるような目で睨んで来る。
脚で電気スタンドをこちらに蹴って来るのを軽々と避け、臨也は唇を歪ませた。
「本当に乱暴だ。シズちゃんは」
壁にぶつかって粉々になったそれを見て、臨也は笑う。
「うるせえ。下らねえことしてんじゃねえよ」
静雄はベッドに腰掛けたままだ。白いシーツは何箇所か破れてしまっていた。よく見れば他にも傷がついている。
「やれやれ」
臨也は立ち上がって、静雄の足を引っ張った。
「!?」
両手が使えない静雄はバランスを失ってフローリングに倒れ込む。臨也はそのままスラックスを引っ張り、静雄の膨ら脛まで脱がせてしまった。
「離せ、バカ!」
臨也はフローリングに転がった静雄に、いつの間にか持っていたナイフを思い切り突き刺す。身体ではなく、足まで下げられた衣服に。
「本当に馬鹿力相手は苦労するよ」
衣服はナイフに因ってフローリングに固定された。静雄の力ならあっさりと外されるだろうが、動きを一瞬止めるには十分だった。
臨也は静雄の下着の上から手を触れ、ゆっくりと撫でる。
静雄の肌が粟立つ。
「変態かよ、手前…」
「そうかも」
臨也は笑って、下着の中に手を入れた。指の腹を使って愛撫する。
「……っ、」
段々と性急になっていく動きに、静雄はぎゅっと目を瞑った。考えまいとしても、下肢に熱が篭ってゆく。
臨也はやがてそれを口に含んだ。ぬるりとした温かい感触に、静雄は思わず声を上げる。
「やめ…っ」
静雄はいつの間にか抵抗する力を失っていて、臨也にされるがままだ。
先端を優しく舐められ、皮を唇で噛み、手の動きは段々と早くなる。指先が更に下の蕾に触れ、静雄は羞恥で顔が染まった。
「…っ…」
「うん」
ナイフを抜いて、臨也は静雄の衣服を全て脱がしてやった。薄暗い部屋に白い裸体が晒される。
後ろを解しながら、前を長い時間を掛けて愛撫してやる。
「離せ…、いく…」
そう言う静雄の腰が動くのを両手で掴み、引き寄せた。口に含んで激しく動かす。
やがて静雄の身体がびくんと跳ね、臨也の口腔に射精した。
「……っあ、」
断続的な快感に、静雄が首を振る。
臨也はそれを残らず嚥下すると、顔を上げた。静雄の潤んだ目と目が合う。
「…死ね」
「…酷いな」
こんな時でも悪態をつく静雄に、臨也は笑い声を上げる。
臨也は静雄の体を抱え上げ、ベッドに戻した。ギシリ、と男二人の重さでベッドのスプリングが揺れる。
「シズちゃんみたいな馬鹿力を犯すのは本当に大変だ」
「手前しかいねえよ、こんな事すんのは」
「薬を使っても良かったんだけどね?抵抗する方が楽しいだろう?」
「死ね、クズ」
静雄は諦めたように視線を逸らした。快感が覚めやらぬせいか、まだ頬は赤い。
「もっと気持ち良くしてあげるよ」
「うぜえ、死ね」
「うん。だから良い子にしてね」
臨也はそう言って、自身のベルトを外した。






「何よこれ」
朝、出勤した秘書は部屋の惨状を見て驚いた。
シーツはボロボロ、スタンドは粉々。壁はひび割れているし、フローリングも傷だらけ。
「あんまり家具を置いてなくて良かったよ。あったら投げられてたろうな」
臨也は床に転がったナイフを拾い上げ、ポケットに入れる。
「まさか片付けろって言うのかしら?」
不機嫌な顔で言う秘書に、臨也は笑って肩を竦めた。
「給料に上乗せするよ」
はぁ、と波江は大袈裟に溜息を吐いて片付け始める。
「あなたたちがこんな関係になるなんて青天の霹靂だわ」
「そうかな?俺は分かっていたけど」
臨也は口端を吊り上げた。楽しそうに笑い声を出して。

「多分初めて会った時からね」


(2010/08/14)
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