夏祭り


夏祭りと言うのは心が躍るものだと思う。
神社の薄暗い中に照らされた提灯の明かりに、臨也は目を細める。
酒の臭いがする大人、バタバタと走り回る小さな子達、テンションが高い中学くらいの子供のグループ。皆が祭のせいではしゃいでいた。
クラスメイトたちに誘われて気紛れに来てみたが、意外にも悪くないかも知れないと臨也は思う。遠くで花火が打ち上がった。
「臨也、花火の方を見に行くってさ」
クラスメイトの門田が早く来い、と手招きをした。他のクラスメイトはもう大分先に行ってしまっている。
花火も夏祭りも悪くはないが、この混雑ぶりは苦手だ。
ふと人込みの中に、金の髪の青年を見付けた。平和島静雄。臨也が見間違うのは絶対にありえない存在。
彼は身長が高いせいもあり、とても目立っていた。そういえば夏休みになって初めて見た気がする。
静雄はどうやら新羅と首無しと一緒らしい。静雄は私服だが、新羅は浴衣姿だった。隣で新羅が頻りに静雄に話し掛けているのが見える。静雄はそれに何か答え、セルティの方に笑った。
仲が宜しいことで。
臨也は胸に何か嫌な感情が渦巻いたが考えないようにした。
「臨也」
門田が再び催促するように振り返る。
臨也はそれに片手を上げて答え、少し早足で急いだ。



「あれえ、門田くん」
名前を呼ばれて振り返れば、岸谷新羅が立っていた。浴衣姿で。
「君も来てたんだ」
「お前は夏祭りなんて意外だな」
門田が笑って言えば、あはは、自分でもそう思うと新羅は笑った。
「静雄と一緒か?」
新羅の後ろを見れば、静雄とフルフェイス姿のライダーがいた。三人で来たらしい。
「うん。君はクラスメイトと?あ、臨也もいるの」
新羅は遠目に臨也の姿を確認し、複雑な顔になった。
「静雄と会ったら厄介だなぁ」
「喧嘩になるからな。会わせないようにしねえと…」
「いやあ、静雄が夏祭り誘ったら臨也断ったって言ってたから」
「そうなのか」
門田はへえ、と声を上げる。そういえば自分が誘った時も少し躊躇っていたようだ。確かに折原臨也が夏祭りに嬉々と来るとは思えなかった。
「じゃあ静雄をあっちに連れていくよ」
新羅はそう言って門田と別れた。

「新羅と何話していたの」
臨也は門田の方に近付いてきて、新羅の背中を見送った。さすがに目敏い。
「ただの挨拶だ」
「ふうん」
臨也の赤い双眸が細められたのに、門田もそちらを見た。
新羅に背中を押された静雄が、こちらに顔を向ける。どうやらばれたらしい。
静雄は驚いたように臨也を見、直ぐに不機嫌な顔になって視線を逸らした。何やら悪態をついてるのが遠目からも分かる。
臨也はそれを面白そうに口端を吊り上げて見ている。
「いいのか」
「なんだい」
「本当は静雄に夏祭り誘われていたんじゃないのか?」
「は?」
門田の言葉に臨也は眉間に皺を寄せた。「なにそれ。知らないけど?」
「さっき新羅が」
門田が説明すると臨也は不機嫌な顔になり、舌打ちをする。
「行って来る」
「え?ああ」
走って人込みに紛れていく臨也を、門田は少し驚いて見送った。恐らく静雄を追い掛けて行ったのだろう。
「あいつら、結局仲良いんだな」
門田の呟きは花火の音に掻き消された。



臨也は人込みの中に金髪の青年を見付けると、その腕を掴んだ。
静雄が振り返り、驚いて臨也を見る。
そのまま腕を引いて、臨也は静雄を人込みから連れ出した。
「臨也?」
「新羅、シズちゃん返して貰うよ」
新羅に声をかけて、臨也は人込みをどんどん進む。
新羅が何か言ったけれど、もう聞こえなかった。
いつの間にか臨也は、静雄の腕ではなく手を掴んでいる。静雄の手が温かいのに、臨也は酷く安心した。
「何なんだよ」
人通りが少ない場所まで来ると、静雄は臨也の手を振り払う。臨也は足を止めた。
静雄はきつい眼差しをして臨也を睨む。頬が微かに赤く見えるのは、多分臨也の気のせいではないだろう。
「シズちゃん。いくら俺でもちゃんと言われなきゃわかんないよ」
臨也は肩を竦めて静雄を見た。



「夏休み?」
「そう。どっか行ったりすんのか」
屋上で空を見ながら、静雄は目を細める。飛行機雲が真っ直ぐに空を二分していた。
静雄の白いワイシャツはところどころナイフで切られ、血が滲んでいる。喧嘩の後だと一目で分かる格好。
「特には。あんまり人込み好きじゃないし」
対する臨也は淡々と答え、携帯をさっきから弄っている。こちらもシャツはボロボロで、手や腕には絆創膏が貼られていた。
「宵宮とか、花火とかも?」
「ああ言うの好きじゃない。煩いし」
「ふーん」
静雄がつまらなそうな返事をした時、臨也の違う携帯が鳴った。
「…手前、携帯何台持ってんだよ…」
「今時一台も持ってないのシズちゃんくらいだよ」
臨也はそう言いながら電話に出た。
「はい。はい、はい…ああ…」
静雄は溜息を吐いて、臨也を置いて屋上を出て行く。
臨也は静雄の後ろ姿に眉を顰めるが、何も言わずに見送った。



「夏祭り、好きじゃないって言ってただろ」
「そうだけどさ。シズちゃんが誘ってくれたら行くよ」
「……」
静雄は目を逸らし、舌打ちをする。
臨也は溜息を吐いて、静雄に手を差し延べた。
「一緒に行こう?」
「……何だよ、その手」
静雄は差し延べられた手を訝し気に見る。
「手、繋がないとシズちゃん迷子なりそう」
「死ね。絶対嫌だ」
赤くなって静雄は顔を逸らした。この大勢の人数の中で、男同士で手を繋ぐなんて御免だ。
「誰も他人なんて気にしてないよ」
臨也はそう言って静雄の手を取った。静雄が文句を言う前にそのまま歩き出す。
「おい」
「花火を見に行こう」
「……」
静雄は顔を赤らめてブツブツと何かを呟くが、ぎゅっと臨也の手を握り返した。



土手の下に来ると中心部よりは人が少なかった。遠くで祭囃子が聞こえる。太鼓や笛の音。子供の笑い声。
ドーンと花火が上がり、パラパラと綺麗な光りを散らす。
静雄は臨也と手を繋いだまま土手に座り、空を見上げていた。
臨也もさっきから無言だ。珍しく花火に魅入っているのかもしれない。
隣の方に座っている女のグループが、チラチラとこちらを見ていた。恐らく臨也を見ているのだろう。顔だけはいいのだ、この男は。
静雄はそっと手を離した。
臨也は静雄の方に視線を戻す。
「何?」
「いや」
静雄は素知らぬ顔をして花火を見上げた。臨也が訝し気にこちらを見ているのが分かっていたが、完全に黙殺する。
「シズちゃん」
名を呼ばれて顔を向ければ、唇を塞がれた。静雄は驚きで目を丸くする。
隣にいる女たちが息を呑むのが分かった。
土手の草むらに押し倒されて、口の中に舌が入り込んで来る。臨也の手が静雄の内股をジーンズ越しに撫でるのに、ぴくりと体が反応する。
押し倒している臨也の向こうに花火が見えた。静雄はぎゅう、と目を閉じる。瞼の裏に、今見た花火の光りが張り付いている。
臨也の舌が静雄の舌に絡み付き、吐息さえも奪われた。息苦しくて臨也の背中に片手を回し、ぎゅっとシャツを掴む。自分の鼓動の音と、花火の音しか聞こえなかった。
やがて唇が離されると、静雄はうっすらと目を開く。夜空に花火が舞った。
「…手前、」
正気に戻った静雄が臨也に蹴りを繰り出すが、臨也は笑いながらそれを避けた。
「だってシズちゃん隙だらけだったし」
笑う臨也にまた静雄は殴り掛かる。周囲に悲鳴が上がった。
「ここじゃちょっとまずいなぁ」
走って逃げようとする臨也を静雄が追う。
「おい、こら!待て!」
静雄は真っ赤になって追い掛けた。あんな、他にも人が居るような場所で、あんな…。顔が羞恥のせいで赤くなるのが分かる。熱い。
薄暗いせいか人が多いせいか、静雄は臨也をあっさり見失ってしまった。臨也はすばしっこいのだ、いつも。
神社の微かな光りの中で、静雄は溜息を吐く。羞恥で火照った顔が普通の状態に戻ってきた。心臓の音も。
「シズちゃん」
急に腕を掴まれて、引き寄せられた。神社の木に背中を押し付けられて、そのまま抱き締められる。
「ここならだあれもいないよ」
臨也は静雄の肩に額を押し付けて、くすくすと笑い声を漏らす。その手は静雄の背中をゆっくりと撫でた。
「…っ、」
静雄はびくっと体を震わせる。Tシャツの中に冷たい手が入り込んで来るのに、眩暈がしそうだった。
「ねえ、シズちゃんさっきのってファーストキス?」
臨也は悪戯っ子みたいな表情をして顔を覗き込んで来る。静雄は顔を真っ赤にすると身を捩った。
「うるせえ悪いか。離せ、死ねっ」
「いやあ、好きな子のファーストキスの相手とか嬉しいよね?」
「は?」
静雄はぽかんとする。
臨也はそんな静雄を見て逆に驚いたようだ。
「は?今まで気付かなかったわけ?どんだけ鈍いのさ」
「んだよ、それ…」
静雄は明らかに狼狽して、視線を泳がせた。
「好きだって言ってんの。Likeじゃないよ?Love。分かる?」
「……」
花火が上がり、パラパラと光りが落ちた。臨也の白い横顔が、赤やら緑の光りで一瞬染まる。
「シズちゃん」
名を呼ばれ、口づけられた。唇に触れるだけの、優しいキス。
「返事は急がないから、ゆっくり考えて」
臨也はそう言って、愛しそうに静雄の指先にキスを落とす。
静雄は低く何度も悪態を吐きながら、臨也の好きにさせていた。真っ赤な顔で。
「あ、そうだ。シズちゃんにこれあげる」
臨也はポケットから携帯を取り出し、静雄に渡した。
「まだ殆ど新品だから、データは真っ白だけど」
「…いらねえよ、こんな高いもん」
静雄は臨也に突っ返す。
「別にいいよ。俺何台もあるし」
臨也がしれっと言うのに、静雄は表情を曇らせる。
「俺は手前みたいに携帯ばっか弄ってる奴は嫌いだ」
「は?なにそれ」
「手前、人と話してる時もいつも携帯弄ってるじゃねえか」
静雄はうんざりしたように言って、軽く溜息を吐いた。
「シズちゃん、携帯に嫉妬?」
臨也の方はと言えばとても楽しそうで。
「そんなんじゃねえよ」
「こないだの事、言ってるんでしょ?」
夏休み前の屋上で。
臨也はニィと唇を歪めて笑った。いつもの嫌な笑顔だ。
「シズちゃんって実は俺の事好きだよねえ?」
臨也が言うのと同時に花火が上がった。ドーン、と音が響くのを聞きながら、静雄は目を丸くする。
「誰が誰を好きだって?」
「無自覚なのも可愛いんだけどさ」
臨也は携帯に何やら文字を打ち込んでいる。登録ボタンを押して、静雄の方へ再び差し出した。
「俺の番号入れたから。これは俺専用にしてね」
「…いらねえって」
「シズちゃん携帯ないから連絡つけれないんだよ。まだ夏休みは長いんだから、デートしようよ」
臨也はそう言って、静雄のジーンズのポケットに携帯を突っ込んだ。静雄は慌ててそれを取り出す。
「シズちゃんと居る時は携帯なんて見ないからさ」
ね?と臨也が上目遣いに見上げてきた。
「…本当だな?」
「うん」
「……」
静雄は溜息を吐いて携帯を見詰める。やがて諦めたようにポケットに仕舞った。

なんなら待受画面を俺の写真とかにしようか?

…死ね。



(2010/08/12)
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