浸食




静雄がコンビニで煙草を買う間、セルティは外で待っていた。フルフェイスの姿では、こう言う店には入れない。
コンビニの看板の前に立ちながら、ふと何気なく雑踏に目をやると、臨也らしき後ろ姿が見えた。女性と共に。
彼女だろうか。腰に手を回しているし、いやに親密だ。
臨也の恋愛話などセルティは聞いたことはないが、あの顔だしモテてはいるのだろう。
静雄が見付けたらまた喧嘩になってしまうな、と考えながら見ていると、
「どうかしたか?」
静雄がコンビニから出て来た。
静雄はもう新しい煙草の封を開けながら、ぼんやりしているセルティに首を傾げる。
セルティは静雄に天敵である男の話をするべきか悩んだが、その悩んでいる間に静雄はそちらを見てしまった。
同時に臨也もこちらを向く。
二人の視線がかち合ったのが、セルティには分かった。
「今度弟がまたドラマの主役をやるんだ」
静雄は何事もなかったかのように視線を逸らし、突然話し始めた。「お陰でまた忙しいみたいでさ。全く会えねえよ」
どうやら静雄は『見なかったこと』にしたらしい。
煙草を取り出すと先端に火をつける。ふう、と煙を吐いた。
そしてそのまま歩き出すので、慌ててセルティもバイクを押して後に続く。
ちらりと臨也の方を見ると、あちらももう立ち去ったようだ。
なんだかそんな二人に不自然さを覚えたが、セルティは聞くのはやめておくことにする。自販機やら標識やらが飛び交わないのは街にとって良いことな筈だ。
そのあとも静雄は臨也の話題は一切出さず、そのまま二人は別れた。


臨也は女と別れると気怠いまま池袋の街を歩く。
顔は良いのに頭が悪い女だったな、と冷えた頭で思う。
街はもうすっかり夜の影を落としていて、繁華街のネオンが眩しい。ゴミゴミとしたこの騒がしい街が臨也は好きだったが、新宿よりは静かだと思う。
ふとコンビニの前を通り、今日見た出来事を思い出した。
真っ黒な首無しライダーと一緒にいたバーテンダー。池袋の自動喧嘩人形。あの二人は結構な割合で一緒にいる。化け物同士で気が合うんだろう。高校の時からいつもそうだ。
目が合った癖に、あの男はいつものように追い掛けて来なかった。こちらが女連れだから気でも使ったのか。驚くわけでもなく無表情に目を逸らされた。いつもなら自分を見た途端に直ぐに沸点に達する癖に、ああいう時だけはいやに冷静だ。本当に気持ちが悪い。何か少しでも反応すれば可愛いげがあると言うのに。
あの男の淡泊な反応も、あのライダーと親友だと言うことも、全てが臨也にとって苛々の対象だ。
早く新宿に帰ろう。
臨也は池袋の街を駅へ向かって急いだ。



「聞いたよ。また新しい彼女だって?」
ふふ、と笑って新羅は目の前の友人を見た。
「もう別れたよ」
臨也はあっさりとそう言って、テーブルの上に置かれたコーヒーを見下ろす。それはまだ湯気を上げていて、臨也好みのブラックだった。
「これまた早いなあ」
新羅は多少諦めを込めて肩を竦める。一瞬口にしたコーヒーの湯気で眼鏡が曇った。
「誰から聞いたの」
「誰って」
「どっちから聞いたの」
「セルティ」
その答えにふうん、と臨也は興味を失ったように答えた。
「静雄が話すわけないじゃないか」
新羅は苦笑する。「僕が君の名前を口にしただけで怒るんだからさ」
「シズちゃんって俺が女と居るときは襲って来ないんだよね」
臨也は無表情だ。それでも何か不機嫌そうだな、と新羅は思う。
「じゃあいつも彼女といたら」
「いつもとか気持ち悪い」
「本当に君は酷いね」
新羅は苦笑いを浮かべた。本当はこの目の前の友人は、ちゃんと恋をしたことなんてないんじゃないだろうか。
「襲って来ないのも気味が悪いけど、凄い冷たい目でこっちを見るんだよねえ。ホント、ムカつく」
うんざりしたように言う臨也に、新羅はさらに苦笑いを強くした。
「臨也がどうせ直ぐに別れるから、軽蔑してるんじゃないの」
「そう言う感じじゃないなぁ。あれは、」
無関心の目だ。
臨也が誰とどう過ごそうが全く興味がない、という目。
「静雄が臨也に全く興味がないなんて有り得ないでしょ。何年もいがみ合ってるんだからさ」
そう言って新羅はふと視線を移した。臨也もそれに釣られて見る。
視線の先には池袋最強のシンボルのひとつ、サングラスが置いてある。
「シズちゃんの?」
「昨日忘れて行ったんだよ。後でセルティが届けるって言ってたけどね」
「…新羅って、シズちゃんとセルティの仲に嫉妬したりしないのかい」
臨也は以前から思っていたことを口にした。この自分と似た歪んだ性質の旧友が、嫉妬や焦燥を抱かない筈はない気がする。
「僕はセルティを信じてるからね。まあ静雄にはあんまりセルティの前で格好良くしないでって言ってあるけど!」
「…聞いた俺が馬鹿だった」
臨也はうんざりしたように言うと、立ち上がってサングラスを手に取った。
「これ、俺がシズちゃんに返しておくよ」
「何言ってるの。僕が静雄に殺されるじゃないか」
慌てる新羅に、
「ちょっとシズちゃんに用があるから。ついでだよ」
臨也はその眉目秀麗な顔に笑みを浮かべた。



静雄はエレベーターのボタンを押しながら、うんざりしたように本日何回目かの溜息を吐いた。
見知らぬ番号からの電話に出てみれば、自分がこの世で一番大嫌いな相手からで。
『サングラス預かってるから取りにおいで』
楽しそうに笑うその声に、瞬間持っていた携帯を握り潰しそうになった。よく堪えたなと自分でも思う。
帰ったら新羅の奴も一発ぐらい殴ろう。いや二発は殴ってもいいはずだ。
臨也の部屋の前まで来て、扉を蹴って入ろうか悩んでいると、中から突然扉が開いた。
出て来たのは結構美人な女で、確か臨也の秘書だったか。
「いらっしゃい、どうぞ」
波江は無表情で歓迎の言葉を口にし、静雄を中に招き入れた。
「奥へ通すように言われているの」
波江が一番奥の部屋を指差す。多分、あれは寝室だろう。静雄は眉間に皺を寄せ、廊下を進む。
波江は静雄の後ろ姿を見送り、さっさと事務所に戻った。
大きな窓に視線を向ければ空は真っ暗で、今にも雨が降りそうだ。
波江はそんな空を見ながら、
「趣味の悪い男」
と吐き捨てるように呟いた。



静雄は寝室の前まで来ると、中から聞こえてくる声に一瞬ノブを掴む手を止めた。
はぁ、と深く溜息を吐いて扉を開ける。
中には案の定、臨也がベッドにいた。女と一緒に。
臨也は静雄の姿を見ると赤い双眸を細めて笑う。白い肌に黒いシーツのコントラストが際立っていた。
「いらっしゃい、シズちゃん」
「本当に手前は気持ち悪いな」
静雄は頭痛を覚え、眉間を指で押さえた。ぞわぞわと這い上がってくる嫌悪感に吐き気がしそうだ。
「もう少しで終わるから待ってよ」
臨也は女の白い足を抱えたまま、高い声で笑う。引き攣ったような嫌な笑い声。
静雄は扉に凭れ掛かると、ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。女の掠れた喘ぎ声を聞きながら、煙を深く吸う。酷く不味い。
真っ黒な室内を見回しながら、灰を床に落とす。どうせ掃除をするのは静雄ではないのだから関係ない。土足で入れば良かったな、と心底後悔した。
ああ、本当にうざい。何で自分は今こんな所に居るのだろう。わざわざ新宿にまで来て、何故他人のセックスを見なくてはならないのか。
静雄は胸に走る少しの痛みを無理矢理に抑え込み、無表情のまま窓を見た。
窓にはブラインドが下がっていたが、隙間から見える空は真っ暗だ。
いつの間にか煙草が小さくなっているのに気付き、静雄は壁で揉み消した。ポケットに手を突っ込んで背を向ける。
「帰る」
こんな所に一秒だって居たくなかった。
「サングラスはどうするの?」
後ろから臨也の笑い声と女の喘ぎ声が聞こえてくる。死ねばいいのに、どちらも。
「新羅にでも弁償させる」
「シズちゃん」
ギシ、とスプリングの音がする。静雄は振り返った。
「俺が他の女を抱いていて、なんとも思わないの?」
臨也の冷たい赤い目と視線がぶつかった。
「思わない」
「なんで」
「手前が誰と寝ようが興味がないから」
静雄は臨也のそれと同じくらい冷たい目で見返した。
「ふうん」
臨也の唇が歪んで笑みを形作る。酷く冷酷な笑みだった。
静雄は扉を閉めようとして、ふと動きを止める。
「臨也」
「なんだい」
「お前女の趣味悪いのな」
そう言うと、今度こそ踵を返して扉を閉めた。パタン、と少し軽めの音がする。
静雄は玄関に戻るとさっさと靴を履いて外に出た。人生で一番無駄な時間を過ごした気がする。タイムマシンがあるなら戻りたい。
あのサングラスは気に入っていたのに。


外は雨が降り始めていて、静雄は舌打ちをして駅までを歩き出した。不快な雨が、静雄を容赦なく濡らしてゆく。金の前髪からポタポタと雫が垂れた。
信号待ちをしていると、不意に雨の不快感が消え、驚いて振り返る。そこには先程の秘書の女が、傘を差して立っていた。矢霧波江、と言ったか。傘を持って追い掛けて来たらしい。
「貴方が応えない限り、あの男は繰り返すわよ」
波江は無表情でそう言った。ひょっとしたら少しだけ憐れんでいるのかも知れない。
「……」
静雄は黙って波江を見た。何を、とは聞かなかった。
波江も静雄を見返す。
「どんどんエスカレートして行って、いつかどちらかが壊れるかも知れないわ」
ひょっとしたらもう壊れているのかも知れないけれど。
波江の言葉に、静雄はゆっくりと片方の口端を吊り上げた。
歪なその表情に、波江は目を見開く。
「俺があいつに無関心であればある程、あいつの独占欲は俺に傾く」
静雄は笑みを浮かべたまま、目を細めた。色素の薄いその目は楽しんでいるようでさえであった。
「壊れる事の、どこがいけない?」
静雄の言葉に、波江は自分の傘を持つ手が柄にもなく震えるのを感じた。指先が冷たいのは雨のせいだけじゃない。
「…私があいつに言うかも知れないわよ」
「あんたが言っても、何も変わらない」
静雄は薄く低い笑い声をあげる。自嘲するような笑みだった。
「もう遅いから」
傘を持つ波江を残して静雄は雨の中に出た。金の髪が再び雫で濡れる。
「……あなたたちって本当に馬鹿ね」
波江がそう呟くと、静雄は少し笑ったようだ。
波江は無言で手にしていたもう一本の傘を差し出した。
静雄はそれを受け取り、「ありがとう」と小さく呟く。そしてそのままもう二度と振り返らなかった。


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(2010/08/11)
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