最近臨也が雇ったとか言う助手は、なかなか美人だったように思う。後から例のボールペン男の姉だと知ってかなり驚いた。
彼女は静雄を見ても無表情で、いつも甘いカフェオレを出す。味の好みを把握しているらしい。
雇い主に会いに来る、世間では犬猿の仲と言われる自分をどう思っているのだろうか。とたまに考えるが、きっと彼女は何も思っていないのだろう。
こう言う女は、案外臨也に合ってるかも知れないな。
冷めてしまったカフェオレをスプーンで掻き混ぜながら、静雄はぼんやりと思った。




臨也に抱かれた後はいつもうんざりするぐらいの後悔の波が襲って来る。
まず体が怠いし、無理な体勢を取らされたら間接が痛くなってるし、中出しなんてされたら後処理が面倒臭い。
身体だけじゃなく精神面でもかなりの負担だ。
何故世界で一番大嫌いで殺したい奴に抱かれたんだろう。
やってる最中は気持ちが良いのに終わった後は世界が終わればいいのにとさえ思う程の後悔っぷり。
じゃあ抱かれなきゃいいとは思うのに強引に抱きしめられて口づけされると力が抜けてしまう。
はあ、と溜息を吐いて静雄はベッドから身を起こした。
隣にはこちらに背を向けて男が眠っている。寝息は聞こえないが多分眠っているのだろう。
ベッドから出ると、静雄はズボンを履き、シャツを羽織った。
煙草を手にし、ベランダに出る。部屋で吸うと臭いとかで臨也が煩いのだ。
煙草の先端に火をつけてゆっくりと煙を吸い込むと、静雄は空を見上げる。
空は朝焼けに染まっていて、遠くに見える朝陽が眩しい。
ダラダラと続いているこの関係も、どれくらい経つのだろう。
高校の時からだから…と思い、静雄は考えるのをやめた。年数を知ったら凹みそうな気がする。
いつ終わるんだろう。こんな惰性だけで体を繋げる行為を。
終わらせるのはどちらからだろうか。
例えばどちらかに好きな女が出来たりしたら。
若しくはどちらかが死んだりしたら。
静雄は煙草を揉み消すと、ひょい、とベランダの手摺りに立った。
下を見下ろせば地面が遠い。ここから落ちたら間違いなく死ぬだろうな、と考える。馬鹿馬鹿しい考えだ。
「何してんの」
不意に声を掛けられて静雄は驚く。
「人んちで自殺とかやめてよ。迷惑だから」
振り返ると臨也が不機嫌そうに窓際に立っていた。
「んなことしねえよ」
静雄は舌打ちをし、手摺りから下りる。
風で白いシャツが舞って、静雄の胸に付けられた情事の跡が見え隠れする。
臨也は何も言わずに部屋に引っ込んだ。また寝るつもりなのかも知れない。
静雄も中に入るとベランダの鍵を閉める。
ベッドの方に戻ると案の定臨也は横になっていた。
静雄はシャツの前をちゃんと留め、いつものバーテン服を見に纏う。
「帰る」
臨也からの返事はない。起きてるくせに。
「もう来るのやめておく」
そう一方的に告げて、静雄は立ち上がった。
寝室を出て、玄関まで行くと、後ろから臨也がついて来る。
「どういうこと」
「そのまんま」
靴を履いて、ポケットからサングラスを取り出して掛ける。
「…別にいいけどさ。シズちゃんセックスの相手いるの」
臨也は眠いのか、目を細めて不機嫌な表情だ。
「別にしなくていいし」
「良く言うよ。シズちゃんセックス好きじゃん」
「うるせえな」
静雄はポケットから合い鍵を取り出すと、臨也に差し出した。
臨也は無言でそれを受け取る。
「じゃあな」
静雄はそう言うと、さっさと出て行った。


まだ人通りの少ない街を歩きながら、静雄は幾分すっきりとした気持ちだった。
少しの虚無感と、煩わしさが消えたことへの開放感。
煙草を吸おうとして、臨也のマンションに忘れたことに気付く。
あー、うぜえ。
取りに戻るわけにも行かず、静雄は頭を掻きむしる。
煙草はともかく、あのZippoは気に入っていた。
…今度返してもらおう。
静雄はもう臨也の事を考えるのを辞めにして、駅までの道を急いだ。



臨也はベランダからビルだらけの風景を見、手でカチカチとZippoを弄っていた。
もうすっかり太陽は全身を表して、眩しい光りを放っている。それが夜型の臨也には幾分鬱陶しい。
この関係が終わるのならば、自分からだと臨也は思っていた。
突然もう来ないと言われて、臨也にとっては寝耳に水で、多少驚いたのも事実。
「どういう心境の変化やら…」
いつだって静雄の心境など臨也には計り知れない。もっと分かりやすい相手なら、とっくに手駒にしている。
きっと一生分からないだろう、あの男の気持ちなど。全く相容れない存在なのだ。あの男は。
臨也は静雄が忘れて行った煙草を一本銜えると、Zippoで火を付けた。
メンソールの煙を吸い込み、紫煙が煙草の先から上がる。あの男が身に纏う匂い。
「…よくこんな不味いもの吸えるよ」
臨也はそう呟くと、煙草を手摺りで揉み消した。



「静雄がZippo返せって言ってたよ」
新羅がコーヒーを差し出しながら、目の前の友人に言った。
臨也は一口それを飲み、困ったように肩を竦める。
「捨てちゃったよ」
「うわあ、君殺されるよ。あれ静雄気に入っていたし」
「置いて行く方が悪いと思うけど」
悪びれない臨也に、あははと笑いを返した新羅は一応伝えておくね、と返答する。
「てかさあ、僕は君らの伝言板じゃないんだけどね?」
「仕方ないんじゃない。ずっと会ってないし」
「珍しいね」
「池袋に来たのも久し振りだからなぁ」
臨也はコーヒーを飲みながら、天井を仰ぐ。「最近なんかつまらなくて。五月病かな」
「今8月だけどね」
「それに池袋に来たらシズちゃん煩いし」
「君ら付き合ってたんじゃないの?」
新羅の素朴な疑問に、臨也は一瞬動きが止まった。
「…付き合ってはいないかな」
「ふうん」
新羅はそれ以上何も言わず、コーヒーを啜る。
臨也は視線をテレビに移す。テレビはワイドショーをやっていた。
「こないだ鍋したんだけどさ」
「ああ、聞いたよ」
「その時、矢霧製薬のあの男の子来てたよ」
「へえ」
臨也は適当に相槌を打つ。新羅が何を言いたいのか分からない。
「静雄も知り合いみたいで」
「へえ」
「お姉さんの話しをしてたよ」
「波江のこと?」
「臨也の彼女なの?」
「そんなわけないだろう」
大体あいつは気持ちが悪いくらいのブラコンだし。
「でも静雄はそんな感じに言ってた。お似合いだってさ」
「は?」
「静雄が臨也のことをそんな風に話すの初めて見たから。凄い印象残ってる」
「……」
なんだそりゃ。
臨也は黙り込む。
「それっていつだっけ」
「結構前だよ。一ヶ月以上前」
「帰る」
臨也は急に立ち上がった。
新羅は臨也が不機嫌な顔で出ていくのを黙って見送る。
「これで僕は伝言板から解放されるかな?」
そう独り言を呟いて、新羅は笑う。口に含んだコーヒーはもうすっかり冷めていた。








(2010/08/03)
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