携帯の着信音がして、静雄は意識を現実に戻した。
ポケットから携帯を取り出すと、中のメールを見て溜息をひとつ。
そろそろ来るだろうと思っていたので諦めに似た気持ちを抱く。
ソファーから立ち上がるとリビングを出た。家主がいないのに自由に歩き回るのは多少抵抗があるが、仕方がない。
静雄は玄関に行くと扉の施錠を外した。がちゃ、という金属の音がやけに耳に響く。
そこに立っていたのは酷く綺麗な顔をした黒髪の男だった。真昼間だと言うのにも関わらず、制服姿で。
「やあ」
「…手前学校は」
「シズちゃんに言われたくないなぁ」
「俺は病人だ」
「そう言えば少しやつれてるね」
臨也はそう言って中に入ると、後ろ手でそのまま鍵を掛けた。
静雄はもう臨也と口を利く気にはなれず、背を向けてリビングに入って行く。
「ただサボってるだけかと思ったら本当に具合悪そうだね」
臨也は静雄の向かいのソファーに腰掛けた。テレビも何もつけていないリビングは、ひっそりと静かだった。
静雄はそれには答えずに、鋭い眼差しをしたまま目を伏せている。臨也を視界に入れる気はないらしい。
「新羅にさ」
赤い目を細めて臨也は話し出す。唇の両端は吊り上がり、いつもの彼の表情だ。
「シズちゃんが休んでるのは俺のせいか、って聞かれた」
「誰のせいでもねえよ」
静雄は不機嫌な顔のまま面倒臭そうに答える。本当は会話をするのも面倒臭かった。
「でもあの日からなんでしょ」
臨也は口端を吊り上げる。ソファーの背もたれに背中を深く預け、探るように静雄を見た。
「強姦されたのそんなにショックだったの」
「死ね」
この発言に、静雄は額を押さえた。ズキズキと頭痛がする。
「そんな具合悪くなるくらいにさ、ショックだったんだ?」
臨也の笑い声が低くリビングに響いた。静雄は何も答えず、ただ黙って唇を噛み締める。
「つーか手前何しに来たんだよ」
「シズちゃんを笑いに」
「帰れ」
うっぜえ。何なんだこいつ。
静雄は溜息を深く吐くと立ち上がった。
「どこ行くの」
「寝室で寝る。勝手に出てけ」
これ以上こいつと居ると本当に吐いてしまいそうだった。
「治療してあげようか」
後ろから掛けられた言葉に、静雄は思わず立ち止まる。
振り返れば赤く冷たい目が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「治療してあげるよ、シズちゃん」
「…何のだよ」
「強姦されてセックスが怖いシズちゃんへの治療」
臨也がそう言った途端、真っ正面から拳が飛んできた。それを寸前で避けて、臨也は笑う。
「新羅んちを壊す気?」
「手前が素直に当たれば壊れねえよ」
「ここ、君の親友の家でもあるんだよ」
笑って臨也がそう言うと、静雄は舌打ちをして戦闘態勢を解いた。
「くだらねえ事言ってねえで早く帰れよ」
「だってさあ、まさかシズちゃんが登校拒否しちゃうぐらい精神面が弱いなんて思わなかったし。そんな腑抜け相手じゃ俺もつまらないじゃないか」
「……」
静雄はうんざりして黙り込んだ。ふつふつと沸き上がる怒りよりも、疲れの方がでかい。
頼むからこいつ早く死んでくれ。誰かこいつの口を早く黙らせてくれ。
「次は優しくする」
臨也は三日月のように唇を形作る。赤い双眸が優しそうに細められた。
「シズちゃんがぐちゃぐちゃになるまで気持ち良くしてあげる」
「…気持ちわりぃ」
静雄は目を伏せる。僅かに指先が震えるのが自分でも分かった。
「シズちゃんを愛してあげるよ」
臨也はゆっくりと一歩静雄へと近づいて来る。甘い言葉と共に。
「……」
「だって化け物のシズちゃんを愛せるのは俺だけだもんねえ?」
臨也は声を上げて楽しげに笑った。
まるで悪魔のようだ、と静雄は冷えた頭で考える。
こいつは人間の姿をした悪魔だ。きっと中身もその外見と同じく真っ黒なんだろう。闇のように。
臨也は静雄の手を優しく取った。冷たい手。静雄は抵抗しない。
臨也はまるでスキップでもしそうな軽い足取りで静雄の手を引くと、寝室の扉を開けた。



「一発殴らせてくれない?」
「嫌だよ」
「だよねえ…」
新羅は溜息を吐いて目の前の友人を見詰めた。
臨也はソファーに座り、我が物顔でコーヒーを飲んでいる。気怠そうにしているのは、情事の後だから、らしい。
「でもセルティになんて言おうかな。知られたら君、一回ぐらいは鎌で首を切られるかもよ」
「新羅が上手く言っておいてよ」
「はー」
新羅はまた盛大な溜息をひとつ。
臨也が早退したと知って嫌な予感がした。案の定新羅が帰宅すると、玄関には臨也の靴があるし。
セルティの仕事もどうせ臨也絡みなんだろう。
新羅はコーヒーを飲みながら考える。
新羅の家に静雄がいると分かっていて、わざと静雄を一人にするきっかけを作ったに違いない。セルティを外に出すことで。
「ていうかさ、人の家でよく性交渉とかできるよね。君の厚顔無恥ぶりには本当に感心するよ」
「シーツ代ぐらい出すよ」
「そう言う問題じゃないんだけどね。…あ、」
リビングに入ってきた人物に、新羅は顔を引き攣らせた。
臨也も振り返ると、そこにはセルティが立っていて。
『やはりお前のせいか』
PDAをぐいっと臨也の前に突き出す。
「やはりってセルティ、気付いてたの」
新羅が困ったような顔になった。
『静雄の首に痕があったしな』
「あれは俺であって俺じゃないけど、まあ俺のせいかな」
臨也は悪びれる様子もなく肩を竦めて笑う。
芝居がかったその態度に、セルティの機嫌が下降するのが新羅には分かった。
しかしセルティは臨也には何も言わずにリビングから出ていく。静雄の様子でも見に行ったのだろう。
「臨也。君さぁ、あんまりセルティを怒らせないでよね。宥めるの僕なんだから」
「俺としてはあいつがシズちゃんと仲が良い方が気に入らないけどね」
臨也は笑顔だが、目だけが笑ってない。新羅は溜息を吐いた。
セルティがやがてパタパタとスリッパの音を響かせて戻って来る。
『静雄が起きた。帰るって』
「そう」
新羅は立ち上がって廊下に出ると、奥の部屋から静雄が出て来るところだった。
静雄は寝起きらしく、まだぼんやりとしている。目が少し赤い。
「もう平気なの?」
「ああ」
「もう学校行ける?」
「…多分」
新羅の問いにこくんと頷いて、静雄はリビングに居る臨也を見た。
視線は直ぐに逸らされたが静雄が臨也を見つめる目付きが何やら微妙に変化していて、新羅は少し複雑な気持ちを抱く。
「シズちゃん」
玄関に歩いて行こうとする静雄に、リビングから臨也の声が呼び止めた。
ぴく、と静雄の体が動く。
「おいで」
臨也はソファーに座ったまま、最大級の笑みを浮かべて静雄に腕を伸ばした。
静雄は僅かに頬を赤くし、小さく舌打ちをすると怖ず怖ずと臨也に近付く。
近付いて来た静雄の手首を掴むと、臨也はそのまま強引に引っ張って静雄を抱き抱えてしまった。
静雄は驚いたようだったが、抵抗せずに臨也の好きにさせている。
膝の上に抱き抱え、頬擦りをし、口づけを落とす様を、セルティと新羅は半ば呆然と見ていた。
まるで親と子供だ。
新羅は冷えた頭で考える。
臨也の奴、静雄に自分の歪んだ愛を植え込んじゃったみたいだ。
「イチャつくのは結構なんだけど余所でやってよ。セルティが倒れそうじゃないか」
『い、いや。すごい光景すぎて…』
「じゃあ俺も帰ろう。シズちゃんが帰るならここに居ても意味ないし」
臨也は静雄の手を引いて立ち上がった。
静雄は黙って臨也に付いていく。まるで従順なお人形だ。
「臨也、静雄にどんな魔法を使ったの」
新羅は眉間に深く皺を寄せた。「すごく気持ち悪いんだけど」
「愛してあげただけだよ」
うっとりとそう言って、臨也は静雄の頭を撫でる。静雄は赤くなり、目を細めて受け入れていた。
二人が仲良く新羅のマンションから出て行った後、新羅は一人溜息を吐く。
「本当に臨也のやり方は反吐が出るなあ」
静雄が性的に襲われたなんて、本当に偶然なのかな?ああなるのを分かっていて、わざと仕向けたんじゃないのかな。
どれもこれも臨也ならやりそうだ。
新羅は臨也が抱く静雄への執着心をある程度理解していた。
『静雄なら大丈夫』
差し出されたPDAに顔を上げれば、セルティが新羅を気遣うように立っていた。
『静雄は分かっていると思うから』
「分かっているって?」
新羅の問いに、セルティは先ほどの親友との会話を思い出していた。


セルティが躊躇いがちに寝室のドアをノックすると、中から友人の返事が聞こえてきた。
中に入ると静雄はベッドに腰掛けて、すっかり暗くなった窓を見ていた。ぼんやりと。
『大丈夫か?』
「ああ。明日から学校行く」
悪かったな、と静雄は笑う。その笑みに何だか違和感を覚えて、セルティは首を傾げた。
『本当に大丈夫なのか?』
「うん。そろそろ帰るわ」
静雄はベッドから立ち上がると制服の上着に腕を通す。
「暫くあいつの下らない愛に付き合うことにした」
静雄は独り言のように呟いた。口が利けない友人は答えない。
「もしかしたら一生かも知れないし、あいつが直ぐに飽きて終わるかも知れない」
『お前はそれでいいのか』
セルティがそう問うと、静雄はまた笑う。
「お互い様だから」
なにが、とはセルティは聞かなかった。聞かなくても分かる気がした。
…もし一生だったなら。
自分はそれを見守っていこうと思った。寿命が長い自分はそれができるのだから。
『見送ろう』
セルティは友人の為に扉を開ける。
静雄はそれにとても穏やかに笑い、ゆっくりと寝室から出た。




(2010/08/02)

ツイッターでリクエストいただいたものです。珂婉さんへ。

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