静雄が学校に行かなくなって今日で三日だ。

新羅のマンションのリビングにある大きな液晶テレビに向かって、静雄はさっきからアクションゲームをしている。
苛々してくるとコントローラーを真っ二つにしてしまうので、たまにそんな静雄の気分を紛らわせてあげるのがここ三日のセルティの仕事だった。
静雄は毎朝学校に行くふりをして家を出て、そのまま新羅の家に来る。弟に心配をかけたくないのだと少し悲しげに言ったのを、セルティは覚えている。
新羅が理由を尋ねても口を割らず、じゃあうちに居るのは一週間だけと新羅は条件を出した。静雄は根が真面目なので余程の事があったのだろう、と言うのが新羅が出した結論だ。
セルティは先ほどからぼんやりと金髪の青年の姿を見ながら悩んでいた。
上着を脱いでシャツをはだけた静雄の首筋に、赤い痕がある。もう殆ど消えかかっているそれは、一昨日初めてここに来た時ははっきりあった。
さすがにその痕が何かなんてセルティにも分かる。だからこそ新羅には黙っていた。言うべき事なのか判断がつかないし、同級生の友人には静雄だって知られたくないのではないかと思う。
ただ、誰がつけたものだとか、それが原因で学校に行かないのではないか、とかそれに悩んでいるのだ。新羅に相談するべきなのか…。
「セルティ」
声をかけられてハっとした。
『どうした?』
「対戦しよう。一人飽きた」
真顔で言われて笑ってしまった。最もこちらの笑い顔なんて静雄には分からないのだけど、雰囲気は伝わったようで静雄は照れたように笑う。
セルティはコントローラーを握りながら、今はまだ何も言わないで見守っておこうと決めた。


「シズちゃん今日も休みなの?」
昼休み、隣のクラスからわざわざやってきた臨也は、教室に金髪の青年が居ないのに無表情に呟いた。
「そう。風邪かもね」
新羅は肩を竦めて苦笑する。静雄でも風邪なんて引くんだね、と続けた。
「ふうん」
臨也はつまらなそうに目を伏せる。
「臨也も静雄がいないと寂しいんだね」
「そうかもしれない」
口端を吊り上げて、臨也は嘲るように笑う。その笑みがなんだか酷く冷たく感じて、新羅は少し寒気がする。
「ねえ臨也」
「なに?」
「まさか静雄が休んでる原因って君じゃないよね?」
眼鏡をかけ直しながら、新羅は恐る恐る聞く。
臨也は赤い双眸を細めると、喉の奥で笑う。
「何でそう思うの?」
「他意はないよ。なんとなくそう思っただけ」
「どうだろうね?」
肩を竦めると臨也ははぐらかし、隣のクラスへと戻って行った。
「…まさかね?」
新羅はそれを見送って溜息を吐く。まあ冷静に考えたら静雄に何かするなんてあの男しか居ないのかも知れない。
一体何を仕出かしたのやら。
新羅は溜息を吐くしかなかった。



新羅も登校しセルティも仕事に出ると、静雄は一人で過ごすしかない。
さすがにずっとテレビゲームは飽きるし、かと言って制服姿で外に出たら補導ぐらいされるかも知れない。
ぼんやりと何をすることもなく、ただ窓を見る。
外の風景はうんざりするくらい青空で、もう夏なのだと思った。
あの日もこんな空だったな、と嫌な事を思い出してしまう。



あの日、いつものように喧嘩を売ってきた奴らはいつもと違う事をしようとした。
大人数に押さえ付けられ、シャツを脱がされた。ベルトに手を掛けられたところまでは覚えている。
そこから理性が飛んで、何をしたか良く分からない。ただ気付くともう無抵抗の相手を目茶苦茶に殴っていた。どうでも良かった。こいつら全員死ねばいいと思った。強姦されそうになった、なんて。
「シズちゃん」
声を掛けられて我に返った。
振り向くと学ラン姿の同級生が立っていた。酷く端正な顔をした男。
彼は少し楽しそうな、いや、ひょっとしたら怒っているかも知れない表情をしていた。
「それ以上は死んでしまうよ」
臨也は静かに言い、静雄に近付いてきた。
「手前の仕業かよ」
静雄は血まみれの拳を下げて、吐き捨てるように言う。
「半分当たり」
臨也は冷たい目で倒れている奴らを見下ろし、「まさかレイプしようとするとは思わなかったけど」と淡々と言った。
静雄は黙り込み、胸が顕わになったシャツを手で押さえる。ボタンは飛び散ってしまって、もう使い物にならないだろう。
「震えてるね。怖かったの」
臨也は嘲るように笑い、静雄のその手に触れた。
静雄はそれを振り払う。
「うるせえ」
答えた静雄の声は少し震えていて、臨也はクス、と笑った。
「俺んち来ない?」
「は?」
「シズちゃん血まみれだし、そのままの姿じゃ帰れないでしょ」
お詫びにシャワーくらい貸してあげるよ。
臨也はそう言って静雄の返事を聞かず、先を歩いていく。
静雄は舌打ちをすると鞄を拾って後に続いた。



臨也の家は両親が海外赴任だとかで誰もいなかった。
「妹達がいるんだけどまだ小学生だから叔母の家にいる」
「じゃあ一人暮らしか」
「まあそうなるね」
臨也は淡々と言って静雄のワイシャツを洗濯機に放り込んだ。
「脱がないの」
浴室に突っ立ったままの静雄に、臨也は意地の悪い笑みを浮かべる。
「手前が居なくなったらな」
小さく舌打ちをして静雄はきつい眼差しを臨也に向けた。臨也は肩を竦めると、洗濯機にもたれ掛かる。
「そんなに怯えなくてもいいよ。男同士なんだしシズちゃんの裸なんて気にしないよ」
「……」
静雄は何やら小声で悪態をつき、制服のズボンと下着を脱いだ。浴室の扉を開けてさっさと入る。
「湯舟に入る?」
「シャワーだけでいい」
臨也が中を覗き込めば、こちらに背を向けて立つ裸体の静雄が見えた。
「手前、出てけよ」
「洗ってあげようか」
「はあ?」
臨也の言葉に、静雄は酷く間抜けな声を上げる。
臨也は後ろから腕を伸ばして、シャワーのコックを捻った。
熱いくらいのシャワーが突然出て、頭から被った静雄は口を噤む。その間に臨也はシャンプーを手にし、静雄の頭をわしゃわしゃと掻き乱した。
「おい」
「シズちゃん背が高いからやりづらいなぁ」
「本当に洗う気かよ…」
静雄はそれっきり黙り込む。
臨也は喉奥で笑って、髪の毛を泡立ててゆく。静雄の裸は細く、シャワーの熱のせいかほんのりとピンクだった。
シャワーで流してやりながら、臨也は静雄の首筋のそれに気付く。
首と鎖骨の間のギリギリな位置に、赤い跡があった。
「キスマークつけられたんだ?」
嘲るように臨也が笑えば、静雄がはっとして首を手で押さえた。シャワーで熱を帯びた体が震える。
「上書きしてあげようか」
「上書き?」
「こっち向いて」
臨也に肩を掴まれ、半ば強引にこちらを向かされる。
意外に間近に臨也の綺麗な顔があり、静雄は驚いた。思えばこんな至近距離でこの男の顔を見るのは初めてだった。
臨也は衣服を着ていたがびしょ濡れで、漆黒の前髪からはぽたぽたと雫が落ちる。
臨也はニィ、と笑うと静雄の首筋に唇を寄せた。赤い同じ箇所を、噛んで強く吸う。びくっと静雄の体が震えた。
「…っ、手前何してんだよ…」
「消毒だと思えばいいよ。他はなさそうだね?」
ジロジロと静雄の裸体に遠慮ない視線を送る。
静雄は臨也の頭を押し退けて鏡を見た。首筋には赤いどころか鬱血して少し紫の跡が出来上がっている。
「制服着てたらわかんないよ」
臨也はそう言ってシャワーを止めた。「石鹸つける?」
「…もういい」
静雄は色の濃くなった金髪を掻き上げ、顔から落ちる滴を拭う。
臨也は先に浴室から出ると、びしょ濡れのTシャツを脱ぎ、静雄にタオルを放った。
静雄はそれを受け取って体を拭く。まだ微かに指先が震えていて、うんざりした。
「シャツ乾燥機入れとくけど、乾くまで俺の部屋行こうか」
そう言われて連れていかれた部屋は酷く無機質な部屋だった。何もかも整頓されていて、およそ学生らしくない。ゲームもなければ漫画もなく、あるのはパソコンだけ。
「つまんねえ部屋…」
「そう言えば他人を入れるの初めてだ」
臨也は楽しげに笑うと、静雄に缶ジュースを差し出した。
それを受け取りながら、まだ指先が震えているのを臨也が気付かなきゃいい、と思う。
同性の男達に強姦されそうになったせいなのか、それとも人を殺しかけたせいか。静雄には自分でも分からなかった。
テレビもない部屋は静かで、静雄は臨也との時間を持て余した。
別に仲が良いわけでもないし(寧ろ最悪なくらい悪いし)会話する内容もない。
静雄はタオルで髪を拭きながら、ただぼんやりとしていた。
臨也の方はと言えば携帯をずっと弄っている。あまり携帯に興味がない静雄は、何がそんなに面白いんだろうと思う。
「シズちゃんを襲った奴らだけど、多分もう池袋に来ないと思う」
携帯から目も上げずに、臨也は突然口を開いた。
「どう言うことだ?」
「ちょっと手を回してお仕置きしといたから。もう会うことないから安心しなよ」
臨也はそう言うと携帯を閉じる。どうやらさっきから携帯を弄っていたのは何かやっていたらしい。
「まあ、あんだけシズちゃんにぼこられたら二度と現れないだろうけどね」
「……」
静雄は無言で歯軋りをすると視線を逸らした。
「震えてるの治った?」
臨也は急に静雄の手を取る。静雄の体がびくんと跳ねた。
「うるせえ」
その手を払いのけ、静雄は臨也を睨みつける。
「まだそんななんだ。余程怖かったんだねえ」
臨也は人の悪い笑みを浮かべ、床に座ったまま静雄に一歩近付いた。
タオルを引っ張ると、中から不機嫌な顔の金髪が出て来る。臨也はそのままタオルを取り去ると、静雄の頬を両手で包んだ。
「髪まだ濡れてるね」
「…離せよ」
「振り払わないんだね」
臨也がそう言うと、静雄が僅かに身じろぎをする。
「ねえ、キスとかはされたの?」
「…されてねえよ」
「本当に?」
「ああ」
「なんだ、消毒してあげようと思ったのに」
臨也はそう言って薄く笑うと、ゆっくりと唇を重ねた。
ぴく、と僅かに静雄の体が動き、薄い色素の瞳が見開かれた。
「シズちゃんの記憶を全て塗り替えてあげるよ」
臨也は触れただけの唇を離し、間近で眉目秀麗な笑顔を浮かべる。
「シズちゃんが今日襲われたのはチンピラみたいな不良じゃなくて、俺だってことにしておこうよ」
「…手前何言ってんだ」
静雄は唇を拭いながら、臨也を怯えた目で見る。
「シズちゃんのその目、ゾクゾクするからさ。勃っちゃいそうになるよ」
「きめえ」
立ち上がろうとした静雄の腕を掴み、臨也はそのまま静雄の体をフローリングに転がした。
「シズちゃんさっきから力が弱いんだ。気付いてた?俺の腕を払いのける力も女の子みたいだったよ」
怖がってるせいなの?と笑い声を上げて、臨也は静雄に馬乗りになる。
「離せよ。死ね」
「俺が何言いたいか分かるよね?」
「…死ね」
静雄は臨也を睨みつけた。本当にこいつ、死ねばいいのに。
「これからシズちゃんを強姦するけど」
「……」
「恨むなら俺を恨めばいい」
「…んだよ、それ」
「恐がるなら俺を恐がればいい」
「……」
静雄は力を抜いて肢体を投げ出した。とん、とその音がフローリングに響く。
「シズちゃんの全てのベクトルは俺でいいんだよ。恨みも恐怖も俺にだけ抱けばいい」
「…手前は本当に馬鹿だな」
「強姦だから乱暴に抱くけど…、泣かないでね?」
臨也はそう言って笑うと、静雄のベルトに手を掛けた。










(2010/08/01)

ツイッターでリクエストいただいたものです。珂婉さんへ。
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