臨也は頬杖をついて外を見ていた。 雨が降り出して、外を行き交う人々は早足だ。色とりどりの傘たちが、すれ違い、ところ狭しと道を塞いでいる。 注文したコーヒーはすっかり冷めてしまっていて、飲む気を失っていた。取り替えて貰う方が良いのかも知れないがそんな気にもなれず、ただ黙って外を眺める。 それを見付けたのは偶然だった。逆はあるかも知れないが、自分には都合良く相手を見付ける嗅覚などない。ただ相手はとても目立つ存在だったけども。 平和島静雄は雨だというのに傘もささず、街の雑踏に紛れて立っていた。 いつからそこに佇んで居たのだろう。金の髪は雨を吸って色を濃くし、白いシャツは透けて肌の色が顕わだ。 ただ黙って雨に打たれている男はここ池袋ではかなりの有名人だったが、何故だか今は誰の目にもとまっていないようだ。 色とりどりの傘に紛れて佇む白と黒のコントラストの存在はまるで絵画のようだった。 こちらには後ろ姿しか見えず、男の表情は分からない。何かに怒っているのかも知れないし、案外穏やかな表情をしているのかも知れない。 何を見ているのだろう。 雨を避けようともせずに、じっと視線を向けているのは何なのだろう。 残念ながら臨也の場所からはそれは見えない。知ろうと思う好奇心さえ、少しだけ臨也には不快だ。だって大嫌いな相手だったから。 ただ彼の後ろ姿からは果てしない孤独が感じられた。まるで彼は幻の存在で、今にも消え去りそうに見えた。 不意に彼の頭が動いた。 横を見た彼は何かを見付けたようで優しく微笑む。臨也が見たことがない表情。 真っ黒なライダースーツの彼の親友が、彼に向かって傘を差し出した。 セルティは右手で傘を差し出し、左手で雨に濡れた静雄の頭に触れた。 濡れていたことを怒られてでもいるのか、静雄は苦笑している。 どれもこれも臨也には見せない表情。 臨也は突然、この目の前のコーヒーカップを投げつけてやりたくなった。何故だかとても苛々する。なんなのだ、これは。 立ち上がって会計を済ませると、傘も差さずに外に出た。 雨足は意外に強く、臨也の体を濡らして行く。黒いコートが水を吸って重くなった。 傘の集団を掻き分けて道を進む。目的の相手はまだ先程と同じ場所にいた。親友と共に。 静雄は真っ直ぐにこちらを見た。目が合った瞬間に、臨也は先程感じた焦燥にも似た感情が失くなっていくのを感じた。 サングラスの奥の色素の薄い彼の目が、金色に輝いた気がした。きっと彼が獣だったなら、全身の毛が逆立っていたかも知れない。 「いーざーやぁぁぁ」 穏やかだった静雄の表情が怒りのそれに変わる。 ああ、やっぱりこの男には怒りの表情が一番似合う。 「やあシズちゃん。何でそんな濡れてるのかな?まあシズちゃんなら風邪なんてひかないだろうけど」 「うるせえ!池袋来んなって言ってんだろうがぁぁぁ」 同時にどっかの店の看板が飛んできた。臨也が避けると、それはガシャンと言う音と共に破壊される。 「おー、こわ!相変わらず出鱈目だねえ」 「死ね!」 静雄が尚も攻撃しようとして来るのを、セルティが慌てて止める。 『やめろ二人とも!こんな雨の中本当に風邪をひくぞ』 頭に血が上った静雄にはセルティの存在はもう頭にない。 踵を返し逃げ出した臨也の後を、走って追っ掛けて行く。雑踏を擦り抜けて、人通りがない路地裏まで。 もう雨は土砂降りに近く、静雄の体の熱をどんどん奪っていく。ぽたぽたと前髪から水滴が落ちるのを、静雄は鬱陶しく拭った。 臨也の姿はとっくに見えなくなっていて、また見失ったことに苛立つ。あの男は悔しいことに自分より素早いのだ。 その時携帯が鳴った。静雄は廃ビルの軒下に移動すると少し濡れた携帯を開く。自分を心配する親友のメールに、我を忘れて臨也を追い掛けたことを後悔した。 心配はいらないと返信し、静雄は煙草を取り出した。 それはもう水を含んでただのゴミと化している。 舌打ちをしてそれを道端に捨てると、静雄は座り込む。 ぼんやりと空を見上げた。空は真っ暗でどこまでも雲が覆っている。雨は当分止まないだろう。 腕も足も冷たくなっていて寒い。だが静雄は動かなかった。ただ黙って空を見上げている。 「ねえ」 ぼんやりとしていたせいか、突然声をかけられて体が跳ねた。 「シズちゃんさ、さっきから何やってんの」 振り返れば見失った筈の標的で、静雄は舌打ちをした。 「手前こそ自分から現れるとはいい度胸だな」 「雨に濡れるのがそんなに好きなの」 そう言う臨也もびしょ濡れだ。 臨也はゆっくりと静雄に近付き、濡れて重くなったコートのポケットに手を突っ込んだまま、静雄を見下ろす。 「シズちゃんは怒りに駆られた方が綺麗なんだからそんな表情しないでよ」 「んだよ、きめえな」 静雄は再度舌打ちをし、視線を逸らす。本当に昔から、静雄はこの男のこういう突拍子もない言動が苦手だった。 すっかり覇気をなくした静雄は、臨也が隣に座り込んでも黙って好きにさせている。 臨也は静雄の肩に手を触れ、冷たさに一瞬手を止めた。 「本当に風邪ひくよ」 「お互い様だろ」 肩に触れた臨也の手からは、全く温もりを感じない。 「ねえ」 「話し掛けんな、死ね」 「さっきさあ、シズちゃんがセルティと話してるの見た時ムカついた」 「はあ?」 静雄は意味が分からず間抜けな声を出す。臨也は静雄の後ろに回ると、背中から冷たい体を抱きしめた。 「仲良いからムカついた。こう言うの何て言うんだろうね」 「……さあな」 触れ合った部分から少しずつ体温が戻ってゆく。 じわじわと広がってゆく熱に、気持ちが悪いなと静雄は思った。 「化け物のシズちゃんでも人並みに体温があるんだね」 「死ね」 嫌なことを知ってしまったな、と静雄は頭の片隅で思う。 冷えた身体に浸透していく臨也という人間の温もり。あまり知りたくない種類のものだった。ずっと冷えたままで良かったのに。 「シズちゃん」 何故この男は自分を抱きしめているんだろう。何故自分は振りほどかないのだろう。 「俺んち行かない?」 「は?嫌だ。新宿とか面倒臭い」 「実は池袋にマンション借りたから」 「……また悪巧みかよ」 「ひどぉい!」 人肌で暖まって来ると、身体に張り付いた衣服が気持ち悪く感じた。 「近いから、うちおいでよ」 「……」 静雄は目を閉じて軽く溜息を吐く。 臨也は立ち上がると静雄の手を取った。 今なら。 臨也は怠そうにしながらも立ち上がった静雄を見て、思う。 今ならこの男を抱けそうな気がする。 多分静雄は抵抗しないだろう。 きっと甘受する筈だ。それは確信に近い。 家についたらめちゃくちゃに抱いてやろうか。 臨也は自分の考えにゾクリとした。 何度も何度も抱いてやろう。静雄が泣き出して、自分しか見えなくなるくらいに。 静雄を自分の物にしたら、この焦燥にも似た嫌な感情が消える気がする。 「…なんだよ?」 静雄が訝し気に見る。 「雨も悪くないと思って」 臨也がこう言えば、 「そうだな」 と静雄が初めて臨也に普通に笑った。 手を伸ばせば、すぐにあなたに届く距離で (2010/07/30) ×
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