Harmony of December
ツリーを飾りたい、と静雄が言ったので、臨也はクリスマスツリーを買いに行った。そして選んだそれは自分の身長よりも低い、シンプルなものだった。あまり大きなツリーはさすがに邪魔だろうし、持ち帰るのも大変だ。
ピンクやホワイトや、枝先が光るものまで、今時のツリーには色んな種類があることに驚く。臨也はその中でもオーソドックスなものを選び、オーナメントやライトも買おうか…と考え、それらがツリーの箱に最初から付属されていることに気付いた。便利なものである。
おもちゃ屋のレジは平日の割に混んでいて、クリスマスの買い物をする人間がいかに多いかを思い知らされる。この分だとラッピングをするカウンターも混んでいるに違いなかった。
クリスマスソングが流れる店内を、ツリーの箱を抱えて歩きながら、臨也は他に何を買おうかと考える。なんのお土産なら静雄は喜ぶだろうか──帰りに静雄が好きなスイーツでも買って行こうか。某店のなめらかプリンや、クリスマス限定のチョコレートなんかもいいかも知れない。
こんな風に静雄の為に買い物をする自分を、臨也は今でもほんの少しだけ不思議に思っている。以前の自分なら、いかに相手を陥れ、辱めるかを考えていただろう。人間の気持ちや感情は、本当にあっという間に変化するのだと他人事のように思う。
チカチカと光るイルミネーションと、明るく軽快なクリスマスソング。それらを遠目に眺めながら、臨也は静雄のことを考えていた。最近の臨也の頭の中は、静雄のことでいっぱいだ。
大して面白くもないテレビ番組から目を逸らし、臨也はリビングの隅へと視線を向けた。
視線の先では静雄がホットカーペットの上に座り込み、先程からクリスマスツリーを組み立てている。緑色の枝に金色のベルを吊り下げ、てっぺんには大きな星を飾って、最後にLEDのライトを全体に巻き付けてゆく。夢中になるのはいいことだが、その間ずっと臨也は放って置かれているのである。つまらないな──と、臨也が些か不満に思い始めた頃、静雄が不意にこちらを振り返った。
「臨也、これ。」
ライトのプラグをコンセントに差せ、ということらしい。
「はいはい。」
プラグを受け取ってそのままコンセントに差し込むと、クリスマスツリーの赤や青や緑のライトが一斉に点灯する。
「お。」
どうやらクリスマスツリーの出来映えに満足したらしい。静雄は笑ってひとつ頷くと、臨也の方を得意気に振り返る。その顔が余りにも嬉しそうだったので、臨也は胸に抱いていた文句を飲み込んでしまった。その笑顔は反則だろ──なんて、言葉には出せないけれど。
「これ、ずっとつけておけよ。」
「ずっとって…ライトを?」
訝しげに問い返す臨也に、静雄はこくりと頷く。クリスマスツリーのライトを、一日中付けっぱなしにしろと言うのか。部屋の中でこんなにチカチカと光っていては、仕事中に気が散りそうである。
臨也は随分と複雑そうな表情をしたが、結局は渋々と静雄の言葉に頷いた。きっとあの秘書の女には、嫌味を言われるだろう。
静雄の為に甘いミルクティーを淹れ、冷蔵庫からプリンを取り出しながら、臨也はふと思う。
ひょっとして自分は、かなり静雄に甘いのではないだろうか。何か無理な願いを言われても、それを許し、叶えようとしてあげるくらいには。
嘘だろう──?
臨也は茫然とする。一体いつからこうなったのだろう。ナイフで皮膚を裂き、大通りでは車で轢いて、拳銃でその体を狙うくらいには、彼を厭うていたと言うのに。
「臨也?」
いつまで経ってもキッチンから戻って来ない臨也を心配し、静雄がリビングからやって来る。ピピーと冷蔵庫の扉が開いている時の警告音が煩い。
「どうしたんだ、大丈夫か?」
長く細い腕が目の前に伸びて来て、開いていた冷蔵庫の扉をパタリと閉める。そして顔を覗き込んで来る静雄の顔は、本当に自分を心配しているものだった。
「…大丈夫。ちょっと考え事をしててね。」
いつものように口端を吊り上げて笑いながら、臨也はプリンとスプーンを静雄の方へ差し出した。
「あげる。」
静雄が好きな、某ケーキ屋のプリンである。店にはプリンの種類がたくさんあるが、静雄はこのなめらかプリンが大好きなのだった。
静雄は一瞬納得していない表情を見せたが、差し出されたプリンに意識を移したようだ。臨也の手からプリンとスプーンを受け取ると、その頬を僅かに赤く染めて、小さな声で「サンキュ。」と短く礼を言った。
──シズちゃんが、俺に礼を言うなんて。
臨也は内心それに驚き、そして酷く気恥ずかしい気分になった。この照れた表情も、先程のように得意気に笑った顔も、昔ならば臨也には決して向けてくれなかっただろう。静雄はいつだって、臨也には不機嫌で怒りを顕わにした顔しか見せていなかったのに。
プリンを食べ、紅茶を飲みながら、静雄と普通に会話をする。今日1日の出来事や、家族のこと、仕事の話や、新羅の愚痴まで。まるで友達のように。
それは決して臨也には、不快な時間ではないのだ。
「──静雄と楽しく過ごす夢を見た。なんて、」
切ないよねえ…と、新羅は悲しげに天を仰いだ。
「いや、夢じゃないからさ。漫画のようなオチを勝手に付けるのやめてくれない?」
新羅のくだらないジョークに、臨也は思い切り顔を顰める。そんなことを夢見るなんて、まるで自分が可哀相な人みたいじゃないか。
ここは池袋にある高層マンション。その最上階にあるこの部屋は、臨也の友人である闇医者の家だった。仕事で池袋に用があったついでに寄ってみたのが、臨也は既にここに来たことを後悔し始めている。
「しかしまあ、自覚するの遅くない?」
口調には呆れを滲ませながら、しかし楽しそうに笑って新羅は肩を竦める。
「君が静雄に甘いのは、前からじゃないか。」
「……そうかな。」
不機嫌に眉根を寄せ、臨也はコーヒーのカップに口を付ける。今日の新羅が淹れたコーヒーは、なんだかやけに苦い。
「少なくともここ数年はさ。僕はてっきり君達は、もう付き合ってると思っていたんだけど。」
「そんなわけないだろう?」
笑いながらの新羅の言葉に、臨也は更に眉間の皺を深くした。冗談じゃない──男同士で天敵である静雄を相手に、そんな馬鹿なことはあるはずがないじゃないか。
けれども今の臨也には、それを強く否定することが出来ない。どちらかと言えば嫌悪しているのはそのこと自体ではなく、それを軽々しく口にする新羅に対してだった。自分の内心を暴かれているみたいで酷く不快だ。
「なるほど、そっちは自覚してないんだ?いや、それとも気付かない振りをしているのかな?」
ふふふ、と新羅は意味ありげに含み笑いを漏らす。その顔はどう見ても、面白がっているようにしか見えない。今ここにいるのが臨也ではなく静雄だったなら、新羅は殴り倒されていただろう。
臨也はもう新羅を相手にするのはやめ、不機嫌な表情のまま小さく溜め息を吐いた。新羅の言葉は意味が分からなかったし、その言葉の先にある意味なんて考えたくはない。
「ところでクリスマスは何か予定があるの?」
急に話題転換をした新羅に、臨也は警戒をしながら低い声で「何も。」と答える。今は特定の彼女がいるわけではないし、家族とクリスマスを過ごすこともない。臨也にとってはクリスマスなんて、ただのキリストの誕生日だ。
「静雄と会えばいいじゃないか。プレゼントでもあげてさ。」
新羅の急な話題転換は、これが言いたかったらしい。臨也はまたうんざりとし、小さく舌打ちをする。
「俺はシズちゃんと約束なんてしたことはないよ。」
いつもふらりとあちらから新宿に遊びに来るのだ。もしくは臨也が池袋にいれば、あちらが勝手に見つけてくれる。
「普段ならいいけどさ、クリスマスくらいは──、」
「帰る。」
まだまだ続きそうな新羅の言葉を遮り、臨也はソファーから立ち上がった。これ以上新羅の話を聞いていても、不快になるだけだろう。どうせいつも話の最後には、ただの彼女の惚気話になる。
「全く、しょうがないなあ…。いい加減ちゃんと自覚しなよ?」
僅かに苦笑を漏らし、新羅は玄関先まで送ってくれた。臨也はそれには何も答えず、ただ小さく肩を竦める。
「静雄は愛されるのが下手だけど──、」
靴を履く臨也の後ろ姿に、新羅はまだ言葉を続ける。
「君は、愛するのが下手だったよね。」
「──…どういう意味?」
この言葉に臨也は振り返り、眉根を寄せて新羅の顔を見上げる。新羅は眼鏡の奥の瞳を細め、にっこりと微笑み返した。
「ま、もう過去形の話だから。──じゃあ静雄に宜しく。またね?」
ぽん、と肩を押され、外へと促される。それ以上強引に聞き返すことも出来ず、臨也は渋々と部屋の外へと出た。肝心なところははぐらかされてしまい、なんだか消化不良の気分だ。閉まる扉の隙間からは、新羅がにこにこと手を振っていた。
次に会うときは、何か報復してやろう──臨也はそう思いながら、マンションの外に出る。
久々に歩く池袋の街は、クリスマス一色だ。赤や金色のリボンで飾り付けられた街灯や、チカチカと光るイルミネーション。
冷たく乾いたアスファルトを歩きながら、臨也は先程の新羅の言葉を考えていた。コツコツと響く靴音は、街に流れるクリスマスソングでかき消される。
認めたくない、決して認めたくないはないが、新羅の言葉は多分、事実なんだろう。いつから『こうなった』かは分からないが、それは徐々に臨也を浸蝕していたのかも知れない。出会った当初は本当にあの男は嫌いだったし、早く死ねばいいと思っていたのに、いつの間に──。
臨也は顔を上げ、繁華街のビルの隙間から空を見る。今はまだ空は明るいが、あと一時間もすれば暗くなるだろう。冬は日が暮れるのが早く、夜の時間が長い。
去年のクリスマスは、この街で静雄と喧嘩をしていた気がする。多分一昨年も、その前の年も、そのまた前も、ずっとずっと喧嘩をして来た。それは『喧嘩』という名の殺し合い。
だけどきっと、今年は喧嘩はしないんだろう。こちらからは何も仕掛けるつもりはないし、陥れる計画も立てていない。相手もきっと何もして来ない。
そうか──。
臨也は思わず雑踏の中で立ち止まる。後ろを歩く人間が肩にぶつかってゆくが、それも気にならない。
静雄があんな風に笑うのも、自分に我が儘を言うのも、こちらが悪意を示さないからだ。臨也が傷付けようとしなければ何もして来ないし、臨也が優しければ相手も素直に返して来る。それは簡単で当たり前のこと。
──君は、愛するのが下手だったよね。
不意に新羅の声が脳裏に蘇る。そして、その言葉の意味も。
いつからこうなったかなんて、考えるまでもなかった。 自分は『下手だった』だけで、本当は最初から静雄のことが──。
──なんて、柄にもないことを考えるのは、街に流れるクリスマスソングに毒されてるのかも知れない。この自分がここまで悩むなんて、全くらしくない。
臨也は深く溜め息を吐くと、また騒がしい雑踏を歩き始める。頬を撫でる風が、また冷たくなった気がした。
結局臨也は、クリスマス当日になっても静雄を誘ったりはしなかった。
今冬一番の寒気だという12月25日。関東北部では雪が降ったこの日、臨也はマンションに籠もって1人仕事をしている。日曜ということもあり秘書もおらず、朝から誰とも口を利いていない。別にクリスマスなんて気にしたことはなかったが、何だか今日はやけにつまらなく感じた。
静雄が飾り付けたツリーの灯りが、パソコンのモニターにチカチカと反射する。臨也は長らく見つめていたパソコンの画面から目を離すと、すっかり暗くなった窓の外に視線を移した。遠くの空だけがまだ青く明るくて、マンションの上空は既に夜の帳が落ちている。
池袋に直接行くか、静雄に連絡を取って見るか──。ここ数日それをずっと悩んでいたが、当日になっても未だに悩んでいた。自分の行動力のなさが、我ながら情けない。
はあ、と臨也が深く溜め息を吐くと同時に、机の上に置いていた携帯電話が震え始めた。メール着信を知らせるライトと、背面に表示される差出人の名前を見て、臨也の目が大きく見開かれる。
『今から行くから、鍵開けとけよ。』──。
臨也がそんなメールを受け取ってきっかり五分後、静雄は臨也のマンションへとやって来た。珍しく黒のジーンズにアウターという私服姿で、首には真っ白なマフラーを巻いている。
「珍しいね。」
「今日は仕事が休みだからな。」
「へえ。」
例え仕事が休みでも、普段はバーテンダーの制服を着ている癖に──臨也は疑問に思ったが、それを口にしたりはしなかった。クリスマスに自分に会う為にお洒落して来ているのか、なんて──自分の考えたことに恥ずかしい。
静雄が入って来ただけで、部屋が幾分明るくなった気がする。勿論それは気のせいなのだが、臨也にはそんな風に感じられた。そんな自分に自嘲しつつも、やはり静雄が来てくれたのは嬉しい。ホットミルクを作り、ココアでも淹れてやろうと席を立つと、後ろから静雄に呼び止められた。
「これ…。」
ぶっきらぼうに差し出される箱。目を逸らし、いつものように不機嫌に見える顔だが、頬がほんのりと赤い。
「なに?」
「…クリスマスプレゼントだ。」
「え…?」
静雄が自分に?
臨也は驚いて目を丸くし、箱を受け取ったまま固まってしまった。どくん、と心臓が脈打ち、なんとも言えない感情が込み上げて来る。
「開けろよ。」
促されて慌てて箱を開ければ、中には少し歪な形のクリスマスケーキが入っていた。生クリームは少し崩れているが、真っ赤な苺がたくさんデコレーションされている。
「…手作り?」
「俺、金ねえし…。セルティや新羅に手伝って貰って作った。」
そう言う静雄の顔は、先程よりもずっと赤かった。
静雄が滅多に料理をしない人間なのは、臨也でも知っている。不慣れな身ではケーキ作りはさぞかし大変だったろう。もしかしたら何度か失敗もしているかも知れない。
その様子が思い浮かんで、臨也は思わず口許を綻ばせる。じわり、と胸に暖かなものが広がり、頬が熱くなるのを感じた。今まで生きて来て、こんなにも嬉しかったことはない。
「ありがとう、シズちゃん。…俺もプレゼントがあるんだけど、いいかな?」
「え?」
ケーキを一度テーブルの上に置いて、臨也はデスクの引き出しから箱を取り出した。緋色の小さな箱に、金の文字で何か文字が書かれている。
「順序が逆になっちゃったけど──、」
出会ってから約十年。色々なことがあったけれど、今なら言える気がした。いや、言わなければならないだろう。口にしてしまえばきっと、今より前に進めそうな気がする。
臨也は箱を開け、中からプラチナのリングをひとつ取り出す。寒さのせいか、それは箱の中でも冷たかった。
驚きで目を丸くする静雄を見つめながら、臨也はゆっくりと口を開いた。
2011/12/27