そして僕は途方に暮れる



※500000リクエスト。第三者視点。



 僕の通う学校には、有名人が2人いる。
 一人は髪を金髪に脱色し、長身で華奢な身体なのに、とても馬鹿力を持つ人だ。ヤクザの組を潰したとか、自動販売機を持ち上げられるとか、それらの噂はほんとかどうか分からない。
 もう一人は顔がやけに綺麗で、ブレザーが多いこの学校で珍しく学ランを着ている人だ。愛想は良いけど胡散臭くて、僕はこの人はなんだか少し怖いと思っている。
 二人は僕より学年がふたつ上で、三年生の先輩だった。この二人はとにかく仲が悪くて、喧嘩は日常茶飯事。学校の教室が半壊しただの、廊下にガソリンが入ったドラム缶があっただの、毎日噂には事欠かなかった。そしてその噂は事実だということを、入学して1ヶ月もすれば新入生も理解するのだ。
 金髪の方が『平和島静雄』。美形の方が『折原臨也』と言う名前らしい。前者は名前とは正反対、後者はなんだか「らしい」名前だなあ、と僕は思った。
 ──へいわじましずお。
 僕はその名前を口の中で反芻する。
 そうか、あの人の名前は平和島静雄というのか──。
 金の髪に無愛想な顔。喧嘩をしている時以外の彼の顔は、いつもどこかつまらなそうに見える。
 僕は平和島先輩を校内で見つけると、良く眺めるようになっていた。それはグラウンドでだったり、屋上でだったりした。彼はとても目立つから、様々な場所で見つけやすかった。
 実を言うと、僕はこの高校に入学する前から彼を知っていた。ちょうど一年ほど前に、池袋の街で一度会っているのである。多分、平和島先輩はそんなことは全く覚えていないけれど。



 その頃の池袋は今よりももっと治安が悪くて、それこそカラーギャングが何チームも街にのさばっていた。夜遅く一人で歩くな、人気が少ない路地裏には行くなと、学校や親からも散々注意されていた。
 中学生だった僕にはカラーギャングが怖くて(今も怖いけど)、早く帰るようにしていたのだけれど──ある日塾での授業が遅くなってしまったのだ。
 池袋はメインストリートといえど、夜遅くなれば店は閉まってしまう。一本向こう側の道ならば飲み屋も多くて明るいのだろうが、そんな繁華街を中学生が歩くわけも行かない。
 だから僕は仕方なく、シャッターが降りた店が並ぶ道を恐々として歩いていた。この通りを抜ければ直ぐに駅前が見え、区民の味方の交番が見えるのだ。もう少しの辛抱だった。
 しかし運が悪いことは重なるもので──。僕は裏道に連れ込まれ、カラーギャング数人に絡まれてしまったのだった。ああ、ほんとについてない。最悪だ。
「金を出せ。」
 彼らの要求は至ってシンプル。ただのカツアゲが目的だった。
「な、ないです…。」
 中学生の僕がそんなに大金を持ち歩いている筈がない。せいぜい財布には数千円である。
「少しでもいいから出せっつってんだよ!」
 リーダー格の男が僕に凄み、足元に転がっていた空き缶を強く蹴り飛ばす。カランカランカラン…転がった空き缶の音が、誰もいない静かな道に響いた。彼等はたった数千円の為に、犯罪者になると言うのだ。
 僕より年上──ひょっとしたら成人を迎えたいい大人──の彼等は、無情にも震える僕から財布を取り上げようと胸倉を掴む。金を盗られるだけで済めばいいが、暴力を振るわれるのだけは怖かった。誰だって痛いのは嫌に決まってる。
 その時──、
「うわっ?!」
 情けない悲鳴と共に、カラーギャングの一人が空を ”飛んだ” 。
「──え?」
 僕はその光景に口を開けてぽかんとし、他のカラーギャングの仲間たちは何が起きたのか分からずに固まる。急に人間が空を飛んだなんて、誰に言っても信じて貰えないだろう。でも実際にいま僕の目の前で、人が数メートル高く夜空に飛んで行ったのだ。
「な、何──、」
 唖然とする僕の目の前で、カラーギャング達は次々と投げ飛ばされて行った。そう、多分投げ飛ばされて──いたのだろう。金髪で細身の青年が片腕一つでそれをやり遂げるのを、僕はこの目で確かに見ていたのだ。それはとても信じられない光景だったけれど、決して夢ではなかった。
 金髪の青年は息一つ切らすことなくカラーギャング達を全て投げ飛ばし(彼等は道に落ちてぴくりとも動かなくなった)、最後に恐怖で座り込んだままの僕の顔をじっと見下ろした。街灯の薄明かりの中で彼の目はギラギラと輝いて見え、その体からは怒りのオーラをユラユラと立ち昇らせている。まるで漫画に出て来る鬼神のようだ──僕は唾を飲み込んだ。
 彼が着ている青っぽい色のブレザーが、来神高校のものだと僕は気付く。つまりこの青年は、自分より一つか二つしか歳は変わらないのだ。
 青年はやがて僕から目を逸らすと、もう用は済んだというようにさっさと踵を返した。
「あ、あの…っ、助けてくれてありがとうございました!」
 僕は慌てて彼を追い、後ろから声を掛ける。彼のお陰でカツアゲから助かったのだから、当然のことだろう。正義のヒーローみたいだ…僕はそんな憧憬を彼に抱いていた。
「…助けた?」
 青年は訝しげに言葉を反芻し、こちらをゆっくりと振り返る。ちょうど傍に立つ街灯のお陰で、その顔がはっきりと見えた。表情は仏頂面だったが、意外に整った顔をしている人だ。
「別にそんな気はなかった。」
「え…。」
「あいつらが蹴った空き缶が足に当たってよ。それにムカついたからぶっ飛ばした。」
 そんだけだ。と、青年は無愛想にそう言って、再び僕に背を向けて歩き出す。僕はそれを目を丸くして見送るしかない。
 何という非常識、不可思議な存在なのだろう──。豪快奔放、とは彼のことを言うに違いない。
 彼は僕を助けようとしたわけでは無かったけれど、僕の胸に宿った憧憬は消えなかった。あんなに強くて格好良いなんて!

 僕はそれからその青年のことが忘れられず、親や学校の反対を押し切って志望校を変えてしまった。あの時の金髪の青年が通う、来神高校を受験したのだ。彼が自分と入れ違いに卒業してしまうかも、と言った懸念はあったけれど、僕はそれでもいいとさえ思っていた。彼と同じ高校に通えればそれでいい、なんて、乙女みたいなことを思ってしまったのだ。



 ──結果それは叶い、僕は今ここにいる。
 僕は今日も自分の教室から、平和島先輩が他校の生徒を投げ飛ばすのをずっと眺めていた。あの時よりも大人数の相手を、殆ど片手だけで軽やかに空中に放り投げている。
 毎日こうやって眺めていて気付いたが、彼はあまり暴力が好きでは無いらしい。大抵は相手から喧嘩をふっ掛けられるし、相手をするのも本当は嫌そうだ。
 平和島先輩が何故あんなにも他校の生徒に喧嘩を売られるのかは分からないけど、彼の気の短さが喧嘩を受けて立ってしまうんだろう。理由や理屈を考える前に、どうやら勝手に手や足が出てしまうようだ。自分で自分を制御出来ないんだなぁと、僕はそう結論付けた。
 気が短くて不器用だけど、本当は優しい──平和島先輩は、そんな人なんだと思う。
 だって僕は一年前のあの後、気付いてしまったのである。「空き缶がぶつかったから。」と彼は言ったけど、あの空き缶は道端に転がって行っただけだったのだ。あの時カラカラと転がる音はしたけれど、何かにぶつかった音はしていなかったのだから。
 だから平和島先輩は、あの時やっぱり僕を助けてくれたんだと思う。暴力は嫌いだけれど、カツアゲされそうだった中学生を放って置けなかったのだろう。
 クラスメート達が帰った教室で、僕は一人で彼を眺め続ける。話し掛ける勇気もないし、知り合いになんてなれないけど、僕はそれだけでいいと思っていた。

「君さあ、」

 不意に直ぐ後ろで声がして、僕は驚いて小さく声を上げてしまった。直前まで誰かの気配なんてしなかったし、足音や僅かな物音もしなかったと言うのに。
「シズちゃんのこと好きなの?」
 直ぐ後ろに居たのは学ラン姿の先輩──『折原臨也』先輩だった。
 彼は何がそんなに楽しいのか、口許に笑みを浮かべてこちらを見つめている。こうして間近で見ると、恐ろしいほどに整った顔をしている人だった。白皙の肌も長い睫毛も、薄い唇も通った鼻筋も、僕が知っている人間の中で一番美しい。光の加減のせいか、瞳だけが赤みがかって見える。
「…なんの話ですか…?」
 暫くの沈黙のあと、僕はやっと口を開いた。咽が渇き、発した声も僅かに掠れてしまう。
「君、いつもシズちゃんを見つめているだろう?」
 折原先輩はそう言って、僕から窓へと視線を移した。その視線の先にはきっと、平和島先輩がいるのだろう。
「…平和島先輩は、目立つので…。」
 僕は小さな声でそう言い訳するが、それは決して嘘では無かった。平和島先輩は金髪で長身なのを差し引いても、いやに目立つのだ。人を引き付けるオーラがあるのかも知れないと僕は思っている。
「でも君の眼差しは他の人間とは明らかに違うよ。」
 喉奥で低い笑い声を漏らしながら、折原先輩は口端を吊り上げる。
「他は皆、『畏怖』と『好奇』の眼差しであの化け物を見る。けれど君は『あれ』を怖がってはいないね。」
 それはねっとりと絡み付くような、嫌な喋り方だった。
 ああ、やっぱり僕はこの先輩は苦手だ──僕は無意識に目を伏せる。僕が怖がっているとしたら、この先輩に対してだろう。この人は何だかとても、危険な感じがする。
「…僕は平和島先輩を前から知って居るんです。だからそのせいかも知れません。」
 嘘も無く正直に僕は答えた。平和島先輩に助けて貰ったことがあるのは伏せたけど、それを折原先輩に言う必要は無いだろう。
「へえ。」
 折原先輩はそう相槌を打って頷きながら、視線は窓の外から片時も離さない。その目には嫌悪も憎悪もなく、まるで『天敵』の平和島先輩を見ているようには見えなかった。この人は僕が平和島先輩を見詰めるのが他とは違うと言うけれど、折原先輩の方がよっぽど──。
「でも『あれ』は駄目だよ。」
「え?」
 一瞬何を言われたのか分からずに、僕は怪訝な顔になる。

「『あれ』は俺の物だから、誰にもやらない。」

 そして折原先輩はやっと僕の方を再び見た。その目には恋に浮かされた熱も輝きも全く無かったけれど、何故か僕はその眼差しの真意が理解出来てしまったのだ。
 この人は平和島先輩に執着している──。それは恋なんて甘やかなものではなく、もっと深くて歪んだ感情だ。『執着』という表現が本当に正しいのかも、僕には分からない。愛情、固執、依存──どの言葉も当て嵌まらないのかも知れない。
 僕が何も答えないでいると、やがて折原先輩は薄く笑って踵を返した。答えられずにいた僕を笑ったのかと思ったけど、それは自嘲の笑いだったような気がする。
 そのまま先輩は何も言わずに出て行き、教室には再び僕一人だけが残された。教室の窓からは夕陽の光が入り込み、どこか遠くからは部活動の声援が聞こえる。
 窓の外に視線を向けてみれば、グラウンドにはもう平和島先輩の姿はなかった。あるのは倒れ込んだ他校の生徒たちだけだ。今日も平和島先輩は、大嫌いな喧嘩に勝利したらしい。
 ──きっとあの喧嘩相手たちは、折原先輩が焚き付けた相手なのだろう。平和島先輩への嫌がらせか、はたまた本当に先輩に怪我を負わせたかったのかは、僕には分からない。どちらにしろ、僕には理解出来ない理由なのだ。案外折原先輩は、好きな子ほど苛めるタイプなだけなのかも知れない。
 僕は鞄を手にし、帰宅する為に教室を出る。なんだか今日はどっと疲れた。僕が平和島先輩に抱く気持ちは恋なんかじゃないのに、折原先輩は誤解しているのだと思う。男が男に恋するなんて、現実世界では確率はかなり低いのに。
 階段を下り、職員室の前を通って、僕は生徒玄関へと向かう。俯いたまま廊下を歩き、角を曲がった所で──僕は誰かにぶつかって、勢い良く尻餅を付いた。
「いたっ!」
「あ、わりぃ。」
 イタタ…と腰をさする僕に対し、相手は屈んだようだ。
「すまん、前見てなかった。」
 そう言って僕の鞄を拾ってくれた相手は──平和島先輩だった。
「あ…、」
「大丈夫か?」
 平和島先輩は困ったように僕の顔を覗き込む。思っていたより顔が近くて、僕は頬に熱が集まるのを感じた。
「だ、大丈夫です。すいません、僕も俯いて歩いてたので。」
 僕は鞄を受け取って、慌てて立ち上がる。平和島先輩はそれにほっとしたのか、こちらを見て微かに笑いを浮かべた。その表情はいつもより幼く見えて、僕は直視する事が出来ない。
 先程まで喧嘩していた彼は、制服がところどころ汚れている。顔にもうっすらと土が付いていたけど、なんだか彼にはそれすらも似合って見えた。そんな風に思ってしまうのは、僕の贔屓目なのかも知れない。
「あれ?…お前、」
 ふと平和島先輩が声を上げ、眉間に深く皺を寄せた。僕の心臓の鼓動は、更にどくりと跳ねる。
「どっかで会ったことねえ?」
「え…、」
 ドクドクドクドク…僕の鼓動が激しさを増す。まさか先輩は覚えているというのか──一年前のあの時のことを。
「俺、人の顔覚えんの苦手だからなぁ…勘違いだったら悪いけど。」
「い、いえ。僕は──、」
 僕が思い切って口を開こうとしたその時、

「シズちゃん。」

 甘く柔らかなテノールが、彼の嫌っているあだ名を呼んだ。
 平和島先輩はそれに弾かれたように顔を上げ、穏やかだったその表情が一瞬にして剣呑に歪められる。僕もそれに釣られて振り返れば、案の定、折原先輩が後ろに立っていた。
「もう喧嘩は終わっちゃったの?今回の相手は余程弱かったのかな。」
「…どうせ手前の差し金だろ。」
 口端を吊り上げて笑う折原先輩に対し、平和島先輩は今にも殴り掛かりそうだ。
 二人の間の空気はピリピリとしていて、僕は息を飲んで後退った。だってここはもう、僕が居る場所じゃない。
「あ、あの、僕は帰ります!」
 すいませんでしたっ、と叫び、僕はそのまま振り返らずに生徒玄関まで走った。後ろで何か平和島先輩が言った気がしたけど、多分僕にではないだろう。ああなったあの人達は、お互いのことしか見てないのだから。
 慌てて靴を履き変え、校舎外に逃げるようにして出た。外は夕陽のせいで赤くて、まるで空が燃えてるみたいだ。
 ──僕のこれは、恋なんかじゃない。
 ただの憧れと、恋は違うのだ。あの二人を見てはっきりと、自分の感情が子供みたいな幼いものだと知る。
 折原先輩の平和島先輩を見る眼差しと、平和島先輩が折原先輩を見る眼差しは、とても良く似ていた。そこには甘い空気も愛の言葉も無いけれど、二人はお互いに同じ感情を相手に抱いてるのだと思う。
 ──僕のこの想いは、ただの憧れだ──そう思うのに、僕の心はズキズキと痛んだ。
 こんなのは恋じゃない筈なのに、何故か鼻の奥がツンとして、泣きそうになって来る。涙が零れ落ちそうになって、僕は慌てて空を見上げた。夕陽で赤く染まった空はどこまでも高く、冷たい風が頬を撫でてゆく。
 僕はそれでもきっと、平和島先輩を見つめ続けるのだろう。それで折原先輩の怒りを買ったとしても、見つめることをやめることは出来ない。だって平和島先輩は、僕の憧れなのだから。
 鼻水を啜りながら、僕は池袋の街を歩く。もう直ぐ12月になるせいで、街はクリスマスのイルミネーションが眩しい。
 はあ、と口から漏れた吐息は、赤い空に上って消えた。



かなた蒼空様リクエスト『モブ少年(高校生)の静雄への恋心を、嫉妬した臨也が踏みにじる話』(2011/11/22)
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