吾輩は猫である 前編


※18禁です。

これ の続き

 猫を拾った。真っ黒な猫だ。
 池袋では野良猫は少なくはない。静雄のアパートのゴミ捨て場にも、夜になると時々何匹か猫がやって来る。それは白黒の猫だったり、茶色の猫だったりした。全身真っ黒な猫は、意外にも珍しい。
 その黒猫はとある雨の日に、道端に血まみれで倒れていた。ピクリとも動かないので、静雄は最初それを死体かと思ったくらいだ。血が付いた体を抱え上げると、猫はハアハアと小さく息をしている。車にでも轢かれたのかも知れない。
 静雄は黒猫を抱えたまま、旧友である闇医者の元へ急いだ。勿論治療(しかも無料で)をさせる為である。獣医なんて専門外だと怒るかも知れないが、他に無料で診てくれる知り合いなどいないだろう。静雄はこの弱った黒猫を見捨てることなど出来なかったのだ。
 これが静雄とくろ(仮称)の出会いであった。




 それから二週間経ち、くろ(仮称)の傷も大分癒えた。出血の割に怪我は重傷では無かったのだ。包帯も取れ、今はもう普通の猫と変わらない。
「飼うの?、その猫。」
 キャットフードの蓋を開けながら、新羅が問う。最初はぶつぶつと文句を言っていたこの男も、最近は随分とこの猫を可愛がるようになった。きっと恋人であるセルティが、この猫を気に入ったせいだろう。
「アパートだし無理だな。早く飼い主を探してやらねえと…。」
 静雄はそれを寂しく思いながら、猫の頭を優しく撫でる。猫はにゃあ、と小さく鳴いた。
 猫は優しいヘイゼルの瞳で、静雄を見上げている。この猫はまるで、静雄の気持ちが分かっているかのようだった。真っ黒でしなやかな姿は、静雄にあの男を連想させる。
「その猫、なんだか臨也に似てるよね。」
 まるで静雄の考えを読んだかのような新羅の言葉に、静雄は一瞬どきりと心臓が跳ねる。
「…どこがだよ。あいつは猫みてえに可愛らしい存在じゃねえだろ。」
「そうだけど、真っ黒なところとか。」
 不機嫌を隠そうともしない静雄に笑い、新羅は猫の前に皿を差し出した。皿の上には先程のキャットフードが乗っていて、猫はそれを嬉しそうに食べ始める。
「美味しいかい?、『臨也』。」
 新羅はそう言って、猫の頭を撫でてやる。
「おい、この猫をあいつの名前で呼ぶな。」
 それを聞いた静雄のこめかみに、小さく青筋が浮かび上がった。怒りが湧き上がって来たものの、旧友である新羅を殴ったりはしない。最近の静雄は、怒りを抑え込むことを覚えたようだ。
「じゃあ『チョビ』とか『きくらげ』、『黒ごま』『おかか』…。」
「…お前ネーミングセンスねえよな。」
「『くろ(仮称)』なんて付ける静雄に言われたくないよ!」
 新羅は僅かに唇を尖らせ、猫の為にキッチンから水を持って来た。意外に甲斐甲斐しく動物の世話を焼くのだな、と静雄は少し感心する。
「でもさ、ペットに好きな人の名前を付けるなんてロマンティックじゃない?」
 ふふ、と新羅は楽しげに笑って、静雄にマグカップを差し出す。中には温かいココアが入っていて、静雄用に甘く作られていた。
「…好きな奴なんていねえよ。」
 何故『臨也』の名前でそんな話になるのか分からない。
 静雄はチ、と小さく舌打ちをして、新羅からカップを受け取る。顔を近付けるとふわりと白い湯気が舞い上がり、静雄の視界を覆った。音を立てて一口啜ると、それは甘くてまろやかだった。
「そう?──まあ飼い主が見つかるまでは静雄の猫だから、好きに呼ぶといいね。」
 僕は『チョビ』って呼ぼうかなあ、と新羅は目を細めて笑った。




 もう太陽はとっくに沈んでしまった。
 静雄はぼんやりと空に浮かぶ月を見上げ、手にしていたペットボトルに口を付ける。中身はミネラルウォーターだったが、生温く美味しくはなかった。
 猫は静雄の傍に蹲り、じっとしていた。時々静雄の方を見上げるのは、様子を窺っているのだろう。静雄はその頭を撫でてやり、また視線を空に向ける。開けっ放しの窓からは、冷たい風が入り込んできた。
 夜になるとこの辺りは静かだ。星が見えない代わりに、遠くに街の明かりが見える。夜でも眠らない、池袋の街。静雄はその夜空を見上げながら、小さく溜め息を吐いた。
 ──好きな奴なんていない。
 昼間、旧友に言った言葉は嘘ではない。静雄には今、好きな女はいなかった。もうずっと、恋というものはしていない。
 ただ、毎日考えてしまう相手はいた。
 思い出す度にムカついて、苛々とし、殴りたくて、殺したくて──でも何故か、体のずっと奥、心臓の辺りが痛くなる相手。喉に何かがつかえているようで、息も胸も苦しい。
 嫌い過ぎてこうなってしまったのだろうか。憎み過ぎて疎ましくて、こんなに胸が痛むほど、感情が振り切れてしまったのか。互いに殺したいほど相手を憎んでいる癖に、『あんなこと』をしてるから──。

 その時、カチャリ、と扉が開く音がした。

 静雄ははっとして玄関の方を見る。盗まれる物も何もない静雄の部屋は、普段施錠をしていない。蹲っていた猫が、にゃあ、と警戒するように小さく鳴いた。
「やあ。」
 キッチンの向こうの薄暗い玄関口に、真っ黒なコートを着た男が立っていた。赤く禍々しい瞳をこちらに向けて、静雄と目が合うと口端をゆっくりと吊り上げる。
「帰れ。」
 静雄は眉根を寄せ、吐き捨てるように短くそう言った。内心は酷く動揺していたが、それを表には出さないようにする。いや、本当は臨也が何も言わないだけで、実は表情に出ているのかも知れない。
 ──そろそろ来る頃だと思っていた──。
 静雄は小さく唇を噛み締め、扉前に佇む男をきつい眼差しで睨んだ。臨也はこんな風に、数ヶ月に一度、気紛れに静雄のアパートにやって来るのだ。──静雄を抱く為だけに。
「酷いなあ。」
 臨也はくぐもった笑い声を漏らすと、土足のまま部屋の中に入って来る。その視線が静雄から猫へと移り、目が僅かに見開かれた。
「シズちゃん、猫なんて飼ってるの?」
 にゃあ、と、猫がそれに答えるように鳴く。猫はまるで臨也を怖がるかのように、静雄の足元にすり寄って来る。
「…拾ったんだよ。今は飼い主探し中だけどな。」
「へえ…シズちゃんが動物の世話が出来るなんて驚きだね。」
 臨也は揶揄するようにそう言って、猫をじっと見下ろした。その目はやけに真摯だったのだが、静雄はそれに気付かない。
「シズちゃん、」
 コツコツと靴音を響かせて、臨也がこちらに歩み寄って来る。静雄は頭の痛みを堪えるみたいに額を押さえ、臨也の次の言葉を待った。
「抱かせてよ。」
「…なんで、」
「そろそろシズちゃんも溜まってる頃だろう?、君がセックスする相手なんて、俺しかいないんだからさ。」
 それとも自分で慰めたりしていた?
 下卑た笑いを浮かべながら、臨也は静雄の腕を強く掴む。
「やめろ。」
 カッとして静雄はその手を振り払うが、その力はいつもの静雄に比べると酷く弱々しかった。そんな静雄の態度に、臨也は低く笑う。
「そんな虚勢を張ることないじゃないか。今ここには、俺とシズちゃんしかいないんだからさ。」
 臨也の手が伸ばされ、静雄の頬に優しく触れる。目許を指先で何度も撫でられ、静雄の体は小さく震えた。
「ああ、でも今日はあの子もいるんだったねえ。」
 ちらりと臨也の視線が猫に向けられ、赤い双眸が細められた。真っ黒な猫は、ただ黙って静雄と臨也を見上げている。
「それとも、見られている方が燃えるのかな?」
 静雄の耳に吐息と共にそう囁いて、臨也はその細い体を抱き寄せた。




 窪みを舌で何度も舐め、先端の浅黒い亀頭を口に含む。生々しい雄の味。裏筋に舌を這わせ、浮き出た血管に唇を寄せれば、柔らかな陰毛が頬に当たって擽ったい。
「上手になったねえ、シズちゃん。」
 偉いね、と甘いテノールで囁いて、臨也は自分の性器を愛撫する静雄の頭を優しく撫でた。その際にわざと腰を突き上げてやれば、嘔吐いたのか、静雄はけほっと小さく咳き込む。
「もういいよ。」
 臨也はそんな静雄を引き剥がし、布団の上へと体を転がした。膝裏を掴むと、片足を高く上げさせる。すると、赤く柔らかくなった後腔が丸見えだ。
「…っ、」
「もうこんなにして。俺のをしゃぶって興奮しちゃった?」
 くくっ、と笑い声を漏らしながら、臨也の指先が後腔の周りを緩やかに撫でる。そこはひくひくと収縮し、今にも臨也の指を咥え込もうと蠢いた。
「や、…んん…、」
 周辺を指で焦らされて、静雄が熱い息を吐く。早く中を弄って欲しいのに、臨也は入り口を指腹で突っつくだけだ。
「もう…、いざ、…っ、」
 静雄は臨也を懇願するように見上げ、無意識に腰を揺らす。腹に付きそうなほど反り返った性器は、先端から透明な液が溢れ出ている。
「随分といやらしくなっちゃったねえ。」
 自身の上唇を舐めると、臨也は静雄の中にゆっくりと指を侵入させた。事前に指を唾液でたっぷりと濡らしていたせいで、ローションがなくても簡単に入る。
「…はっ、」
 静雄は声にならない息を吐いた。異物が中に入って来る圧迫感は、いつまで経っても慣れることが出来ない。しかし静雄のそこは熱く、臨也の指を逃すまいときゅうきゅうと締め付けて来た。
「痛い?」
 痛くないのは分かっていて、臨也はわざと聞いてやった。静雄は臨也のその言葉に、ぶんぶんと首を振る。その度に人工的に色を抜かれた髪が揺れ、パサパサと音を立てた。
「あっ!」
 奥のしこりの部分を臨也の指先が掠めると、静雄の体が驚いたように跳ねる。臨也はくにくにと何度も指で押し潰すようにそこを弄り、その度に静雄の体は刺激で震えた。
「やっ、もう…やめ…ろ、」
「嫌じゃないだろう?」
 ここはこんなに喜んでるのに。と、臨也の指の数が増やされてゆく。くちゅくちゅと濡れた卑猥な音が部屋に響き、静雄は耳を塞ぎたくなる。愛のない男同士のセックス──心はズキズキと痛むのに、体は与えられる快感に浅ましく反応する。静雄は漏れる声を抑える為に、唇を強く噛み締めた。
 臨也は空いている手で静雄の内股を緩やかに撫で、時折わざと音を立ててそこに強く口付ける。白い足に朱い痕がいくつも出来て、妙にそこが艶めかしかった。
 臨也は指を素早く引き抜くと、怒張した己の性器を静雄の尻肉に擦り付ける。静雄はそんな臨也のペニスを求め、焦れったそうに尻をゆらゆらと浮かせた。その目には生理的な涙が浮かんでいて、普段は健康的な色の頬が今は真っ赤だ。
 そんな静雄の表情に煽られながら、臨也ははちきれんばかりの己の性器を後腔にぐっと挿入した。その衝撃で強く体を震わせる静雄の体に覆い被さり、臨也はそのまま顔を近付けて唇を塞ぐ。
「んんっ、」
 熟れた唇を舐め、舌でエナメルの歯列を割る。柔らかな静雄の口腔は熱く、飲みきれなかった唾液が顎を伝ってシーツに落ちた。
 臨也のペニスが静雄の胎内に全て収まりきる頃、やっと静雄も怖ず怖ずと舌を絡めて来る。下唇を甘噛みし、頬の内側を舐めてやれば、静雄のあそこが臨也をキュッと締め付けた。
「…本当、やらしい体になったね、シズちゃん。」
 頬を優しく撫で、臨也は静雄の鼻先にキスを落とす。はあはあと荒い息遣いと、熱い吐息が静雄の唇から漏れた。
「っ、…黙れ…っ、死ね…、」
 静雄は熱に浮かされながらも、潤んだ瞳で臨也を睨む。その手は臨也の背中に回されることはなく、堪えるようにシーツを強く掴んでいた。額から汗がぽたりと落ちて、シーツにいくつも染みを作る。
「ははっ、素直じゃないなあ。」
 声を出して愉しげに笑い、臨也は静雄の両足を抱え直す。そのまま、ぐっと一際強く腰を押し進めると、静雄の口から「ひっ、」と引きつった声が上がった。
「取り敢えず、今は二人で天国にでも行こうか。」
 臨也は口端を吊り上げると、静雄の体の奥深くを目指し、律動を開始する。
「あっ、…ああっ、んっ、」
 静雄の口からは堪え切れず嬌声が上がり、繋がった箇所からは聞くに堪えないいやらしい音が響いた。裸の体がシーツに擦れ、パンパンと肉がぶつかり合う音もする。
 ──本当に、自分はなんて浅ましいのだろう。
 視界が涙で霞み、自分に覆い被さる男の姿も朧気だ。いっそ、目隠しでもしていたかった。自分を抱くこの男の姿など、見ていたくはない。こんな性欲だけの関係なんて、正しくはないと分かっているのに──。
 快感の波に流され、自身を責める静雄は気付かない。臨也が時折、昏い目で自分を見詰めていることに。その視線はたまに、畳に蹲る猫にも向けられていることにも。
 静雄は何度も精を放ち、与えられる快感に身を震わせた。二人の男の背徳的なセックスは深夜まで及び、やがて静雄は疲れ果てて意識を失う。
 混濁とした意識の中で、猫が鳴いたような気がした。



2011/10/26
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