なかしたい。ないてほしい、ぼくだけのために バニラ味のシェークを啜ってみるも、もう中味はない。 悔し紛れにストローの先を噛めば、上司に笑われてしまった。 もう一杯買えよと言われて悩んでいると、奢ってやるからと上司はレジに向かってしまった。 こんな上司の優しさが静雄には純粋に嬉しい。 待っている間に窓から外を見ると、見慣れた顔がこちらを見ていた。口許に笑いを浮かべて。 黒い髪、黒い服装。赤い瞳。 視界にそれを入れた瞬間に体中の血液が沸騰した気がした。もうこれは条件反射なのかも知れない。 立ち上がろうとした時に、その黒い男の傍らに女がいるのが見えた。 きょうはでーとちゅうなんだ 臨也の口の動きで何を言っているのか理解してしまう。 「静雄」 名を呼ばれてハッとすれば上司がシェークを手に立っていた。 どうかしたのか?と問われるも、なんでもないですと答えて。 視線を再び外に移せば、もう男はいない。 まあいいか、と静雄は今見た光景を無かったことにした。 デートの邪魔など無粋だし、今はシェークが大事だ。 胸の痛みに気付かなかった振りをして、静雄はシェークを飲んだ。 酷く乱暴なセックスの後、静雄はけだるい体を起こして煙草に火をつける。 「情事の後に煙草ってドラマみたいだねえ」 臨也は事が終わるとさっさと服を着る。せめてシャワーでも浴びればいいのに、と静雄はいつも思うが口には出さない。自分だったら汗と精液だらけの体で帰るなんて御免だ。 「今日さあ、ロッテリア居たでしょ」 突然言われて、一瞬なんのことか分からなかった。 「あー…、そういやぁ…」 すっかり忘れてた。 というか思い出さないようにしていた。臨也が他の女と居た所なんて。 シェーク美味かったなぁ、なんて的外れな事を考えながら、静雄は灰皿に灰を落とす。 「あの女、今付き合ってるんだけど」 「へえ」 臨也の言葉を適当に流しながら、何故ロッテリアは『シェーク』じゃなくて『シェーキ』なのだろうと思う。 「シズちゃん聞いてる?」 「聞いてなかった。なんだ?」 「彼女が嫉妬するから、シズちゃんとは今日が最後ってことで」 「分かった」 静雄はふう、と煙を吐くと灰皿に煙草を押し付けた。 シャワーを浴びようと立ち上がれば、ちょうど臨也が出ていくところだった。 真っ黒な後ろ姿が扉の向こうに消えるのを見届け、静雄は浴室へと入る。 シャワーを浴びながら、ああ、俺は捨てられたのかと実感が湧いた。 元々あっちから始めた関係だったし、終わらせるのもあちらだろう、とは思っていた。 大体普段殺しあっている自分たちが肉体関係があるだなんて滑稽だ。 ああ、だるい。 もう考えるのはやめよう。 静雄は少しだけ痛む胸の理由を考えないようにし、シャワーを止めた。 ふと静雄の視線が止まったのを見て上司は顔を上げる。視線の先には雑踏に紛れて真っ黒な服装のあの男がいた。 静雄はそれを見ても眉一つ動かさず、また煙草を吸う作業に戻る。 「行かないのか」 上司は不思議そうな顔で静雄を見上げた。 「ゴミに構うの止めました」 静雄は無表情だ。煙草を揉み消すと、上司を振り返る。「でも見るとムカつくんで、遠回りしましょう」 路地裏を歩く静雄に、トムは違和感を覚えるが横に続く。仕事の邪魔にならないのは良いことなのだが、静雄らしくないので多少気持ち悪かった。 静雄はあれから臨也を池袋で見ても無視するようになった。無視、と言うのは語弊があるかも知れない。単に考えたくないだけだった。考えるのを遮断する、と言った方が正しく感じる。 幸いと言うか何故か自分は相手を見付ける嗅覚と言うか感覚が優れていて、避けるのは簡単に出来てしまう。こちらが避ければきっと相手は分からないだろう。 仕事を終えて帰宅した静雄は着替えながら携帯が光っていることに気付いた。 サングラスを外し、いつものバーテン服を脱げばそこらへんにいる若者だ。 静雄は携帯を手に取ってメールを見る。それは親友からのもので食事の誘いだった。 親友のライダーは残念ながら人間ではないので食事の必要はないはずだが、同居人の闇医者の顔が浮かぶ。最近怪我をしていないので暫く会っていないことに気付いた。 正直面倒臭かったが腹も減ったし行こうかなと悩む。 行く、と一言メールを打って静雄は立ち上がった。 「久し振りだね」 入って、と新羅が出迎えた。 玄関には靴がたくさんあって、ああ、また鍋なのかと思う。 「臨也もいるから喧嘩しないでね」 新羅は恐ろしい事をさらっと言う。 それにふうん、と頷いて静雄は中に入った。 リビングでは前の鍋と同じメンバーがいて、皆が静雄に挨拶をしてくる。 「私服とか珍しいですね」 なんて言う高校生は確か竜ヶ峰だったか。 臨也は門田たちと何やら話している。静雄はなるべく臨也を見ないようにして促されるままセルティの隣に座った。 「最近来ないからどうしたのかと思ってたよ」 新羅が静雄に取り皿を渡しながら聞いてくる。それに忙しいから、と短く答えて静雄は皿を受け取った。 「セルティとは会ってるくせに」 『新羅、煩いぞ』 「浮気は駄目だよ!って痛い痛い痛い!」 漫才のような二人を見ながら静雄は箸を動かす。 『臨也がいるのに悪かったな』 差し出されたPDAを見て静雄は苦笑する。大丈夫、我慢するからと小声で答えた。 我慢も何も何故か怒りの感情は湧いて来ない。以前まで条件反射のように血液が沸騰する感覚を味わっていたのに不思議だ。 こんな大人数での鍋だと言うのに酷く静かで穏やかだった。静雄は本来キレなければ大人しいので、話し掛けられなければ会話もしない。専ら話し掛けて来るのは親友と旧友で、適当に相槌を打ちながら時間は流れてゆく。 その間静雄は一度も臨也を見なかった。たまに刺すような視線は感じていたがことごとく無視をした。 「ねえ、静雄」 ふと真摯な声に顔を上げれば、新羅が耳元で。「臨也となんかあったの」 「なんか?」 「空気が変な気がした」 「怒りを抑えてるから不自然なんだろ」 「君、ちっとも怒ってないじゃないか」 新羅は苦笑する。伊達に何年も傍観者の立場を取っていたわけではないのだ。 「飲み物が足りないね!」 突然新羅がでかい声で言って立ち上がる。 「買いに行くことにしよう。そうしよう。静雄、手伝って」 そう言って静雄の手を取った。静雄は苦笑しながら立ち上がる。 セルティ後はよろしく、と言って新羅と静雄は外に出た。 外の空気は冷えていて、アルコールが入って熱い体には気持ちがいい。 「静雄と外出なんてのも久し振りだ」 「そうだな」 学生の頃は毎日一緒に登下校していたのに。 臨也のせいで最悪だった高校生活は、残念ながらまだ静雄には懐かしむ余裕などなかった。ただこの闇医者とは比較的普通の学生生活を過ごしていたので、幾分ノスタルジィな気持ちにはなる。 「臨也と付き合ってたんじゃないの」 「ねえよ」 「でも関係はあったんでしょ」 「……」 新羅はいつもの白衣を着たまま、静雄の半歩前を歩く。静雄は煙草を吸うか悩み、コンビニが見えてきたので断念した。 「捨てられた」 一言そう言えば、新羅は少し驚いた顔をした。 「臨也が?あの君に異様な執着を見せてる臨也が?有り得ない」 「女が出来たって言ってた」 静雄は淡々とそう言い、コンビニに入る。中はエアコンが効き過ぎなくらい効いていて、寒いなと思った。 「どうせ長続きしないよ。高校の時だってそうだったじゃないか」 カゴに適当に飲み物を入れて行きながら、新羅は溜息を吐く。 「プリン」 「はいはい」 カゴにプリンも入れて、新羅はレジに持って行った。 コンビニを出ると二人はゆっくりと歩く。お互い何も言わなかった。 繁華街から離れてるとは言え、通りは騒がしい。人々のざわめきを聞きながら、二人は高級マンションまでを歩く。 「静雄」 「ん」 「臨也のこと好きなの?」 「死ねばいいとは思ってる」 「まあそれも事実なんだろうけど」 新羅は苦笑する。 「今日はもう帰るわ」 もうすぐマンションの入口と言うところで、静雄は新羅に袋を渡した。 「そうかい」 「セルティによろしくな」 「たまには顔を見せにおいで。プリンは取っておくから」 新羅のこの言葉に、静雄はただ手を挙げて答えた。 家に帰るまでの道程を、静雄はゆっくりと煙草を咥えながら歩いた。ふわり、と白い煙りが揺れて夜空へと消える。 ブーツの靴底がコツコツと音を立てる。財布とパンツに繋がれたチェーンもチャリチャリと。 竜ヶ峰が言ったように私服で外に出るのは久し振りだ。たまには私服で新羅でも誘って買い物やら映画やら見るのもいいかも知れないな、と考える。 「シズちゃん」 後ろから声を掛けられ、静雄は足を止めた。 「シズちゃん」 もう一度、嫌な愛称で呼ばれる。この世で自分をこんなふざけた呼称で呼ぶのは一人しかおらず、静雄は舌打ちをした。 一瞬無視しようか悩むが、静雄は紫煙を吐き出すと諦めて振り返る。 臨也が真っ黒ないつもの服装でそこに立っているのを確認し、静雄はもう一度煙を吐いた。 「なんだ」 なんか用か?と眉間に皺を寄せて。 「シズちゃんってホントに俺には理解不能なんだよ」 芝居がかった大袈裟な仕種で、臨也は肩を竦める。 「大体何で俺に抱かれてきたの?高校からだから、8年だ。8年と言えば俺の人生の三分の一。決して短い時間じゃない。こんな長い年月を大嫌いな男に抱かれる何て神経がおかしい」 ベラベラと臨也は口を開く。 鬱陶しい奴だな、と逆に静雄は閉口した。この口を黙らせるには、やはり暴力しかないんだろうか。うざい野郎だ。 「でも俺と君の間に愛情はない」 臨也は口端を吊り上げて愛想が良い笑顔を浮かべた。「少なくとも口にした事は一度もない筈だ。俺も君も」 「臨也」 静雄は煙草を投げ捨てると踵で揉み消した。「俺はもう家に帰るんだ。手前も早く帰れ」 「まあ待ちなよ。少しぐらい話に付き合いなって」 本当に堪え性がないなぁ、と臨也は笑う。 「聞いてやるから3秒で言え」 静雄は込み上げて来る怒りを辛うじてやり過ごした。ポケットから新たな煙草を取り出すと唇に銜える。 「シズちゃん、俺の事好きでしょ?」 「は?」 ぽかん。 まさにそんな表現がぴったりな顔で、静雄は固まった。 「無自覚みたいだから、自覚させてやろうと思ったんだよね」 臨也は自嘲するみたいな笑みを浮かべる。どんな表情をしても、この男は美形なのだ。 「意味わかんねえ。帰る」 静雄は煙草の先に火をつけると、さっさと臨也に背を向けて歩き出した。 「俺が女と居たのを見た時のシズちゃんの顔、凄い良かったよ」 臨也は後ろからついてくる。ああ、もううざい。何なんだこいつは。 ギリギリと歯軋りをしつつ、静雄は煙を吐き出した。 「だって俺勃起しちゃったし!あれだけであの女の価値あったなぁ」 臨也は恐ろしいことをサラリと言う。静雄は立ち止まって振り返った。 「おい、」 「あの女とは別れちゃったよ。つまんない女だったし」 「手前帰れよ」 ベラベラと喋り続ける臨也に、静雄は反対方向を指差す。「若しくは新羅んちに戻れ。ついて来んな」 臨也はじいっと静雄を見詰めてくる。赤い双眸が細められた。 「何で捨てないでくれって言わなかったの」 「……」 静雄は眉間に皺を寄せる。 「8年だよ、シズちゃん」 臨也の赤い目は、静雄から離れない。「いい加減自覚しなよ」 「自覚なんて、」 とっくにしてたさ。 静雄はそう言うとつけたばかりの煙草を投げ捨てた。踵で踏み潰し、今度こそ臨也に背を向ける。 その腕を掴まれ、強引に体を向かされた。間近に見えた臨也の赤い目は怒りで彩られている。 「じゃあ何で言わなかったの」 「言うわけないだろ」 「何で?」 「別に捨てられても良かったから」 静雄は臨也の目を見返した。赤い目には自分が映っている。 「おかしいでしょ、そんなの」 「おかしくねえよ」 静雄は腕を振り払った。意外にも簡単に離される。 「手前が俺のことを好きじゃねえのは知ってるし、いつか捨てられるだろうぐらいは思ってたさ。それが8年も続いたってだけだろ。俺にはそれが長いか短いかなんて判断つかねえ。どうでもいいんだよ、そんなことは」 ああ、クソっ。本当にうざい。 「捨てられちまえば黒歴史だろ、こんなの。俺はもう無かったことにしたい。手前とはもう殺し合いさえうざい。もう他人でいいじゃねえか。俺はもう手前に関わらないし、手前もそうすればいい。邪魔者がいなくなって手前だって楽だろ」 そう言った途端、頬を平手打ちされた。静雄の目が驚きで見開かれる。 臨也はぞっとするほど冷たい目で静雄を見ていた。 「やっぱり避けてたんだねえ。いやに遭遇しないからさ、そうなんじゃないかとは思ってたけど」 「……」 痛覚が鈍いはずの自分が、何故か殴られた頬が痛く感じて静雄は頬を押さえた。 「シズちゃんには悪いけど、もう無理なんだ」 臨也はそんな静雄の手を掴む。静雄は抵抗せずに黙ってされるがままになっていた。 「俺も自覚しちゃったから」 「…何が」 「失敗したなぁ、ホント」 臨也は静雄の手を掴んだまま、一歩距離を詰める。 「シズちゃんに分からせてやろうと思ったのに、分かってなかったのは俺の方だったわけだ」 「…臨也?」 静雄は身動ぎして後退しようとするが、臨也に手を強く握られて敵わない。 「言わないよ、俺は。シズちゃんだって言わないんだし」 手を引かれ、更に距離が縮まった。至近距離にある顔を、静雄はただ黙って見詰める。 臨也の長い睫毛が伏せられ、吐息が頬に触れた。静雄は条件反射で目を閉じる。そのまま柔らかな唇が重なった。 人通りがないとは言え、路上で、男同士がキスをする様はなんて滑稽なんだろう。静雄は口づけを甘受してしまう自分に眩暈がする。 「いくらシズちゃんが鈍くても、意味くらい分かるよね?」 触れるだけの唇を離して呟いた臨也の声は掠れていた。 「…多分」 答えた静雄の声も掠れてる。 臨也はそのまま静雄の細い体を抱きしめ、ポケットからコンビニの袋を取り出した。中には小さなプリン。 「新羅がこれ持って追っ掛けろって怒ったんだよ」 「へえ…」 「付き合い結構長いけど、怒鳴られたのは初めてだね」 「…俺も見たことねえな」 「シズちゃん愛されてるね」 臨也は静雄の肩に額を埋めた。静雄のシャンプーの匂いがする。 「まあ俺の方が愛してるけど」 「…言わないんじゃなかったのかよ」 「今のは言葉の彩だから」 臨也はそう言って笑った。 (2010/07/27) ×
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