怪談〜Seven mysteries〜



突然だけど、夜の学校って怖いよね。──え?…まあ、そりゃあ君は怖くはないかもね。高校生の頃、夜遅くまで学校で追い掛けっこしていたし。君と臨也は夜の校舎なんて慣れてるのかも知れないけど、大抵の人間はやっぱり怖いと思うよ。だってそうでしょ?昼間は何百人もの生徒がいてエネルギーに溢れている場所が、夜になると人っ子一人居なくなるわけだから。僕はそれだけで少し不気味に感じるよ。──そんなことはどうでもいいから、早く続きを話せって?あー、はいはい、分かったよ。全く静雄くんは堪え性が無いんだから。ぎゃっ!待って待って!話すから殴らないで!僕はまだ死にたくない!セルティを残して死ねないよ!!
──…ふう。ええと、ね。要するに学校の怪談の話さ。こないだ帝人くんと杏里ちゃんから──え?、誰だって?静雄も知ってるじゃないか。来良の高校生だよ。一緒にうちで鍋やったでしょ?…覚えてないって?…あ、そう…。まあとにかく、その子たちから聞いた話なんだ。来良に伝わる学校の怪談。それが僕たちが通っていた頃に噂されていたのと、全く同じ内容でさ。久々に聞いて懐かしかったよ。どんなのかって?静雄くんも聞いたことあると思うよ。どっかの教室から、啜り泣くような声が聞こえて来るって話。それが美術室だったり、音楽室だったりもするんだ。えっ、知らない?おかしいな、結構有名な話だったんだけどなあ…。授業が終わって生徒が下校した放課後、美術室や音楽室からその声は聴こえて来るんだ。実は僕も一度だけ、その声を聴いたことがあるんだよ。
あの日──完全無欠、品行方正な僕にしては珍しく、教室に忘れ物をしてね。それに気付いたのはもう夜だったんだけど、まだ部活動はやってる時間帯だったし、校門も開いてるだろうと思って、学校まで取りに行ったんだ。その日は月が綺麗な晩で、季節は夏だったけど妙に涼しかった。電気が消えた薄暗い校舎に入って、僕は真っ先に自分の教室を目指したよ。僕は人外な物は慣れてるから、正直霊なんて怖くは無かったけど、静かで暗い学校はやっぱり薄気味悪かったな。だから無意識のうちに、早足になっていたと思う。さっさと忘れ物を取って、さあ帰ろうとした時──階段の下の方から声がしたんだ。
苦しそうな、嗚咽のような…やけに艶めかしい声。今でも思い出すとちょっとゾクっとする。僕らが三年生の時の教室を出て階段を降りると、直ぐそこに音楽室があったでしょ?その声はそこから聴こえて来るみたいだった。
僕は即座に学校で噂になっている怪談を思い出した。君は興味がないせいか知らなかったみたいだけど、当時は生徒の間で凄い噂になってたんだ。虐められて自殺した生徒の霊だとか、事故で亡くなった生徒が、死んだことに気付かずに登校してるとか、教師と不倫して捨てられた女生徒だとか…まあ、そんな在り来りな話。たかが噂だろうと思っていた僕も、実際その声を聴いたら恐ろしくなっちゃってね。声は断続的に続いて、大きくなったり小さくなったり…時々がたがたと、中の机や椅子が動く音もしてたかな。今思えば、ひょっとしたらポルターガイストだったのかも知れないね。──え?、それで僕はどうしたかって?、勿論脱兎の如く走り去ったよ!思わず悲鳴を上げたら中の声はぴたりと止んだけど、僕はその時にはもう走り出していた。だって本当に怖かったし!後ろから何かが追い掛けて来そうで、校門を出るまでは後ろを振り返りもしなかった。あの時ばかりは心霊番組を怖がるセルティの気持ちが分かったよ──。




「へえ。その話なら知ってるよ」
静雄が新羅から聞いた話をすると、臨也は面白そうに笑みを浮かべた。
「あの学校は七不思議どころか、十個以上は怪談があったからね。誰もいない音楽室でピアノが鳴る、理科室の人体模型が勝手に動く、深夜に階段の踊り場で女が泣いている、鏡に自分の死に顔が映る…──在り来りな、何処にでもある怪談さ」
「…ふうん」
静雄は曖昧に相槌を打ち、つけっぱなしのテレビに目を向ける。何故こんな話題になったのかというと、ちょうどテレビで怪奇現象のスペシャル番組をやっているせいだった。正直言えば静雄には全く興味のない番組ではあったが、ゲストに弟の幽が出演している為、こうして見ているわけである。
「…その啜り泣く霊の話は、たくさんあった怪談の中で一番有名な話だね」
「俺は知らなかったぞ」
「シズちゃんは噂話には興味がないからだろう?」
言いながら肩を竦める臨也に、静雄は珍しく素直に頷く。静雄が興味があるのは、甘い物や家族や僅少の友人たち、そしてこの天敵の男ぐらいだ。
「お前もその声、聴いたことあんのか?」
「あるよ」
何気なく聞いた静雄の問いに、臨也はあっさりと肯定する。その答えに静雄が驚いて顔を上げると、臨也はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。普段から厭味な男ではあるが、この人の悪そうな嫌な笑みは、更に静雄を不快にさせる。
「…んだよ」
機嫌が下降したのを隠しもせず、静雄は眉間に皺を寄せた。臨也の笑いは明らかに静雄を馬鹿にし、虐げる種類のものだ。
そんな静雄の態度に、臨也はますます低く笑い声を漏らす。読んでいた雑誌を閉じると、ソファの上へそれを放り投げる。
「シズちゃんも聴いたことがあるよ」
「え?」
高校時代のそんな心霊現象など、静雄の記憶には全く無かった。静雄の記憶にある出来事といえば、今目の前にいる男に関するものばかりである。首が無い人外の親友はいるものの、彼女は実体がある存在だ。亡霊などという不確かな存在は、静雄はちっとも信じていなかった。
「学校の美術室とか音楽室とか…──覚えてない?」
いつの間に間合いを詰めたのか、臨也は静雄の直ぐ目の前にいた。素早く静雄の後頭部に手を回し、その体を引き寄せる。驚いた静雄の鼻先に、ふわりと臨也の香水の香りがした。
臨也はそのまま耳許に唇を寄せると、甘く低いテノールで囁く。
「シズちゃんは良く放課後の教室で──…俺の下で喘いでいただろう?」
「──なっ、」
突然言われたその言葉に、瞬時に静雄の顔が熱くなった。慌てて臨也の体を押し退けると、抗議するように臨也を睨む。しかし臨也はその視線を真っ直ぐに受け止め、酷く楽しげに口端を吊り上げて見せた。
──まさか。
まさかまさかまさか。
静雄は小さく唾を飲む。
怪談になっているという、学校での啜り泣く声は。
まさか。
「シズちゃんの声のことだよ」
静雄が抱いた嫌な予感は、臨也によってあっさりと肯定された。さっきまで赤くなっていた静雄は、その言葉によって今度は青褪める。
高校時代、静雄は臨也に学校で抱かれることが多々あった。当時は互いに実家住まいで、体を繋げる場所は限られていた。それは誰もいない教室だったり、美術室や音楽室のような特別教室だったりしたのだ。
薄暗く、誰もいない静かな校舎。グラウンドからは部活動に励む生徒の声がし、開いた窓からは風が入り込む。リノリウムの床に飛び散る白濁した液。体から落ちる汗と、荒い息遣い──。それらを静雄は瞬時に思い出した。ぞくりと体に走る甘い痺れに、体を小さく震わせる。
「『幽霊の正体見たり、枯れ尾花』って言葉があるくらいだから、怪談なんてそんな物さ。──あれ?どうかしたのかい」
再び赤くなった静雄の髪を梳きながら、臨也はまた低い声で笑う。赤いその目を猫のように細め、唇は三日月のように弧を描いた。
「…別に」
弱々しく否定の言葉を吐く静雄は、体に火が灯ったように顔が熱い。テレビでは弟が心霊体験について何やら話していたが、今の静雄にはそれすら耳に入って来なかった。
そんな静雄の状態など、臨也はとっくに見抜いてるのだろう。熱くなった静雄の体を抱き寄せ、髪を後ろに撫で付けてやりながら、顕わになった額に口づけを落とす。そのままゆっくりとこめかみにも口づけ、瞼、目許、鼻先、頬へと移動し、最後に唇に口づけた。静雄はその間珍しく抵抗せず、臨也の好きなようにさせている。
「俺としては、」
静雄の上唇を吸い、下唇を食みながら、臨也は情慾に塗れた声で囁く。
「シズちゃんの嬌声を誰かに聴かれたなんて、腸が煮え繰り返るけどね」
「……死ね」
だったらあん時、あんな所であんなことをすんな──。そんな想いを込めて、静雄は臨也を睨んでやった。残念ながら熱に浮されて潤んだ目は、その効果は半分も発揮されていないけれど。
「ははっ」
わざとらしく臨也は笑い、再び静雄の体を抱き寄せる。床に敷かれた柔らかな絨毯にその体を押し倒し、器用にシャツのボタンを外してゆく。
静雄はそれに小さく息を吐き、やがて諦めたように体の力を抜いた。ふと視線を上げれば、臨也の背中越しに怪奇現象を伝えるテレビが見える。
──本当に『怖い』のは、人間の浅ましさなんだろうな。
なんてことを考えながら、静雄はテレビのリモコンへと手を伸ばす。
臨也へと自分から口づけをしながら、そっと電源をオフにした。


(2011/08/03)
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -