きゃははは、と上がる笑い声に、門田は読んでいた本から顔を上げた。 教室の窓際の席に、男女数人のグループがいる。真ん中には酷く端正な顔をした男がいた。折原臨也と取り巻き達。 しかし門田が見る度に臨也はつまらなそうだと思う。本心ではきっとこの取り巻き達が鬱陶しいのだろう。 盛り上がる取り巻き達に適当に相槌を打ちながら、臨也は先程からずっと窓の外を見ている。 何を見ているのか、と門田も視線を移せば、金髪の青年の姿。 臨也と違ってこちらはいつも一人か、闇医者になるとかいう変な男と一緒の事が多い。 その時も一人だった。 静雄はどうやら今から登校らしい。どこかで喧嘩でもしたのか体のあちこち傷だらけだ。 静雄は校舎には入らずに何やら携帯で話している。会話を終えて暫くすると、新羅が走ってきた。 二人は二言三言会話をすると、新羅が静雄の手を引いて校舎に入って行く。まるで保護者のようだった。 門田はまた臨也に視線を戻す。 臨也は眉間に皺を寄せて、不機嫌そうな表情に変わっていた。いつも表面だけは愛想がいいくせに珍しい。 ま、俺には関係ないか。 肩を竦めると、門田はまた本に目を戻した。 「まーた、ボロボロだねえ!」 保健医の許可を取って保健室を陣取った新羅と静雄は、真っ白なベッドの上では患者と医者だ。 「ここの傷とかちょっと深いね。もう既に塞がりかかってるとこが君らしいけど」 「包帯は巻くなよ。幽が心配すっから」 「帰りに取ればいいだけだろう?」 傷の一つ一つを綺麗に消毒して、絆創膏や包帯を巻いていく。 「骨も大丈夫そうだよ。打撲傷もなし。切り傷くらいで良かったね」 「悪い」 静雄が珍しくシュンとしているのに、新羅は首を傾げる。 「静雄が珍しく殊勝で怖いね!なんかあったの」 「いつも治療させちまってるからな」 「お蔭様で腕は上がったよ。まあ少し休んで行ったら?誰も来ないだろうし」 新羅は笑ってベッドを叩く。「次の授業には起こしに来るよ」 静雄は素直に頷いた。疲労が濃いようで、眠いのか目を擦ってる。 ベッドに潜り込む静雄を残して新羅は保健室を出た。 教室に戻ろうと歩き出せば、ちょうど階段の前に黒髪の青年を発見する。 「やあ臨也。静雄ならベッドで休んでるよ。今日のはさすがの静雄も堪えてるみたいだ」 「ふうん」 臨也はつまらなそうにそう言って、保健室がある方向に視線を送った。 「心配なら見に行ったら?静雄が寝てたらラッキー。寝てなかったら第2ROUNDかな?」 「新羅って、シズちゃんの保護者みたいだよね」 「言い得て妙だね。お母さんとかよりはマシだけど」 新羅はそう言って笑うが、臨也の真面目な顔に笑いを引っ込める。 「なんなの?まさか僕に嫉妬かい?」 「違う」 「ヤキモチ焼くくらいなら少しは優しくしてやったら?」 「違うって言ってるじゃないか」 臨也はウンザリした顔で。 「ま、僕は行くよ。僕はセルティに夢中だってのをお忘れなく」 新羅は笑って行ってしまった。 臨也は保健室にノックもせずに入ると、真っ白なカーテンの隙間からベッドを覗き込んだ。 ベッドの主はこちらに背を向けて静かな寝息を立てている。 「シズちゃん」 一応声をかけてみるが返事はない。 顔を覗き込めば、目を閉じて全く起きる気配はない。体を見れば絆創膏だらけで痛々しかった。 真っ白なシーツに投げ出された手を取ると、指先に口づける。 「傷は俺がつけて、」 そのまま指を舐める。温かく細長い指。 「新羅が治す。その繰り返しか」 ちゅ、と音を立てて指を離す。静雄は目を覚まさない。 臨也は優しく静雄の額を撫でると、そのまま口づけた。 柔らかな唇。ここになら、ナイフも刺さるんだろうか。 臨也は唇を離すと、頬にも唇を落とした。額にも鼻先にも。瞼に口づけると睫毛が震える。 臨也はもう一度静雄の頭を撫で、唇を重ねた。 避けられてるな。 臨也は確信していた。 元々クラスが違うので遭遇率は低いと言えば低いが、あの静雄が臨也に対して殴り掛かって来ないのがもうおかしい。 昨日も今日も色々手を回して襲わせて、明らかに臨也のせいだと分かっているだろうに。 「平和でいいじゃない」 新羅は笑って言う。 「シズちゃんの癖に生意気だろう」 無視だなんてそんな頭あったのか。 苛々するなぁ、と呟いて臨也は溜息を一つ。暴力の王みたいな相手と違って、彼は物に当たったりしない。 「本人に聞けば?」 新羅が苦笑する。「いくら嗅覚が鋭くても授業があれば教室にいるんだし」 「そうすることにするよ」 臨也を見るなり、静雄は眉間に皺を寄せて教室から出て行こうとする。 「逃げるんだ?」 と臨也が言えば、ぴくりと動きが止まった。 「逃げるってなんだよ」 「そのままの意味だけど」 教室は静まり返っていた。 臨也が静雄のクラスに来た瞬間から、静雄のクラスメイト達は避難し始めて、今教室には昼休みだと言うのに静雄と臨也しかいない。 「あの時起きてたんだね」 臨也がそう言えば、びくっと静雄の体が震える。 頬は赤く染まっていて、それが肯定になっていた。 「手前のああいう嫌がらせはウンザリなんだよ」 吐き捨てるようにそう言って、静雄は赤い顔を手の甲で隠す。 「嫌がらせなら起きてる時にやるよ」 臨也は口端を吊り上げて笑いながら静雄に近付いた。 静雄はびくっと体を一歩後退させる。 「シズちゃんが俺を怖がるなんて愉快を通り越して滑稽だ」 「別に怖がってねえよ」 窓に背中がぶつかって、静雄は逃げ場がなくなった。 「あれってファーストキスだった?初めてが大嫌いな奴で気分はどう?」 臨也は窓に腕をついて、静雄を自身と窓の間に挟み込む。 「死ね」 顔を赤らめて静雄は悪態をつくが視線は逸らされた。 いつも憎悪と殺意でいっぱいの目で睨みつけてくる癖に可愛らしいもんだな、と臨也は冷えた頭で思う。 「ねえ、シズちゃん」 「……」 「何で抵抗しないの」 臨也は静雄の顎を掴むと、強引に視線を合わせた。 静雄の目は嫌悪やら怯えやら複雑な色を見せる。 「君の力なら俺を振りほどいて更にお釣りが来るよ」 嘲笑を浮かべ、臨也は静雄の頭を片手で掴むと、素早く引き寄せて唇を重ねた。 柔らかな唇がぶつかる。 静雄はかあっと一瞬にして頭に血が上り、ほぼ無意識に臨也に向かって拳を振り上げた。 殴り掛かられた拳は空を切る。臨也は咄嗟に避けて、静雄との距離を開けた。 静雄は側にあった机を掴み、臨也へと放る。それも臨也は素早く避けて、机はがちゃんと他の机とぶつかった。 教室の窓際と廊下側にそれぞれ立ち、二人は互いを睨みつける。 「おい、お前ら」 張り詰めた空気の教室に、門田と新羅が入って来た。 「もうすぐ昼休みも終わるしそこまでにしとけ」 「静雄」 新羅が静雄の元まで走っていく。 腕を取ろうとした時、 「触るな!」 と臨也が叫んだ。 新羅は驚いて動きを止める。 門田も目を見開いて臨也を見た。臨也が声を荒げる姿を、門田は初めて見た気がする。 「触るなよ。それは俺のだろう」 臨也は口端を吊り上げて。 その赤い眼だけは真っ直ぐに静雄を睨んでる。 静雄もずっと臨也から視線を逸らさない。 ギリギリと奥歯を噛み締める、歯軋りの音がした。 「臨也、とにかく今はまずいだろ。そろそろ教師が来るぜ」 門田が臨也を落ち着かせようと、肩を叩く。 「ってかここ教室だよ?臨也も静雄も分かってるのかい?」 新羅も呆れたように。 臨也はつかつかと静雄に歩み寄ると、手首を掴んだ。 静雄は一瞬だけ抵抗するが、引き寄せられるままに体を傾ける。 臨也はそんな静雄を引っ張って教室の外へ連れ出す。 廊下には人だかりが出来ていたが、二人が通るとハチノコを散らすように道が空いた。 「おい!?」 後ろから門田が声をかけるが、臨也は静雄を連れ出して行ってしまった。 「うーん、臨也にしては珍しく余裕がないね」 二人が消えた方向を見ながら、新羅は肩を竦める。 避けられて本気で怒ってるのだろう。 「…単に嫉妬じゃないのか」 崩れた机を直しながら、門田はぽつりと口にする。 「男心は複雑怪奇だね。心理なんて自身で自覚してるとは限らないから」 新羅は苦笑すると机を整列させるのを手伝い始めた。 ――…あんな臨也を見ちゃって、静雄はどうする気かなぁ? 屋上まで静雄を連れ出すと、臨也はフェンスに静雄の背中を押し付けた。 逃れられないようにフェンスに両手をつく。 屋上で昼食を取っていたであろう他の生徒たちは、二人を見るなりそそくさと居なくなる。 「シズちゃん」 「…んだよ」 静雄は顔を赤くして、唇を手の甲で押さえてる。 キスの感触を思い出しているのか、それともガードしているのか…臨也は静雄のその手を掴んだ。 静雄は一瞬目を見開く。臨也はそのまま静雄の手を下ろした。 現れた赤い唇に、吸い寄せられるように重ねる。 静雄は唇が重なっている間、終始きつい眼差しで臨也を睨んでいた。臨也はそれにくぐもった笑い声を出す。 「こう言う時は目を閉じるもんでしょ」 「死ねよ」 「もう殴り掛かって来ないんだ?」 「さっきのあれ、なんだよ」 「あれ?」 臨也は薄く笑いを浮かべ、フェンスから手を離した。「どれのことかな」 「…俺は手前の物じゃねえ」 静雄は顔を赤くして臨也を睨みつける。対して臨也は涼しい顔で。 「俺の物だよ」 「は?」 「シズちゃんは俺の物だ。誰にも渡さない」 「俺は誰のもんでもねえ」 「ふうん」 臨也は静雄から離れるとフェンスに寄り掛かる。昼休みを終える鐘の音が聴こえたが、二人はその場から動かなかった。 「じゃあ俺の物になってよ」 「…なんだよそれ」 静雄は眉間に皺を寄せ、訝し気に臨也を見る。 「シズちゃんが欲しい。俺に全部ちょうだい」 「死ね」 「もうシズちゃんを殺すのはやめにするよ。死体を手に入れてもしょうがない。中身がないと意味ないし」 「……」 「ちょうだい」 まるでおもちゃを強請る子供だ、と静雄は思う。だが臨也はどうやら本気のようで、静雄は溜息が出る。 「手前そういうの何て言うか知ってんのかよ」 「不幸なことに知ってるよ」 臨也は笑い声を上げた。 何が不幸なことにだよ、と静雄は内心悪態をつく。本当に折原臨也と言う男は静雄には理解ができない。恐ろしく相手も自分にそう思っているだろうけれど。 「俺が欲しいならちゃんと頼めよ」 静雄は臨也から目を逸らし、フェンス越しにビルの風景を見た。 臨也は静雄の言葉に驚いて目を見開く。 「何それ。頼んだらいいわけ?」 「……」 静雄は答えない。 「じゃあ土下座すればいいかな」 「はあ?そう言うことじゃねえだろ」 「じゃあどうすればいいの」 「分かんねーならもういい」 静雄は舌打ちをするとその場から立ち去ろうとする。 その手を臨也が掴んで腰を引き寄せた。 「おい」 至近距離に顔があり、静雄はかあっと赤くなる。 「好きだよ」 酷く端正な顔をした男は、静雄の目を真っ直ぐに見てそう告げた。 静雄の目が丸くなる。 「だからシズちゃんが欲しいんだ」 臨也は囁くように言って、静雄の口端に口づけた。 頬、鼻先、と続けてゆっくりとキスを落とす。あの時のように。 静雄は臨也の好きにさせたまま、目を細める。顔から耳まで熱い。多分今の自分の顔は真っ赤なのだろう。 「俺がお前の物になったなら、お前は換わりに俺に何をくれるんだ?」 そう問うと、臨也は少し驚いた顔になった。 「なんでも。俺があげれるものならば」 何が欲しいの、と静雄の頬を優しく撫でて。 「等価交換だろ」 静雄は臨也の目を真っ直ぐに見て、口端を吊り上げる。 「お前を寄越せよ」 静雄のこの言葉に、臨也は今まで生きてきた中で一番驚いた顔になった。 その顔に静雄は思わず吹き出す。 「なんだよ、その顔。間抜けだな」 「いや、今のはシズちゃんが悪いでしょ」 不意打ち過ぎた。臨也はバツが悪そうに目を逸らす。その頬が少しだけ赤いのは気のせいではないだろう。 「そんなんで良いのならいくらでもあげるよ」 臨也は静雄の頭に片手を置いて、下を向かせた。 だから、 一生シズちゃんは俺の物だ。 臨也はそう囁くと、ゆっくりと唇を重ねた。 嫌い、だけど好き 嫌いだから、好き (2010/07/26) ×
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