起死回生




※おまけ。臨也視点


臨也は馬鹿な女が嫌いである。正確に言うと、性別が関係なく馬鹿な人間は全て嫌いである。
いや、嫌いという言葉には些か語弊があるかも知れない。臨也にとって人間はことごとく平等に愛しいが、中には苛々とさせられる存在がいると言うことだ。極めて稀に。
今目の前にいる女も、その存在の一人だった。



流行の衣服、流行の髪型。
お洒落だと言えば聞こえがいいが、要するに個性がない女。日本人は周りと同じだと安心する人種だと言うが、確かにその通りなのだろう。皆が周囲に流されやすく、自分を見失いやすい。
酔っているのか、女の笑い声は耳障りだった。甲高く、品がない声。気持ちが悪いほど長い爪で、巻かれた髪の毛を掻き上げる。
失態だ──臨也はうんざりと舌打ちをした。
女は大事な依頼人だった。とある如何わしい荷物を探して欲しい、と言う簡単な依頼だった。臨也は直ぐさまそれを調べあげ、女に情報を渡すだけ──の筈だったのだ。女がここを尋ねて来るまでは。
臨也はこの容姿から、女に色目を使われることは多々ある。この女がそういう目で自分を見ているのは気付いていたし、当然そういう目的でやって来たのだろう。この女に興味がない臨也にしてみれば、大層迷惑な話だった。
依頼人であれば邪険にすることも出来ない(まだ報酬も貰っていないのだ)。女の媚びるような態度は不快でしかなく、どうやって部屋から放り出すかを臨也はずっと悩んでいた。マンションに入れてしまったことも、目を離した隙に寝室に入り込まれたことも、臨也にしては大誤算である。取り敢えずは酒でも飲ませて酔い潰すか──臨也はコニャックを取りに立ち上がった。
それが昨日の出来事だった。




目が醒めるともう昼近かった。体は怠く、僅かに頭痛がする。昨日のあれは、臨也に相当な負担を強いたらしい。
臨也は小さく欠伸をしながら、部屋の窓を開けた。まだ酒と香水の香りが部屋に残っていそうで、胃の辺りがムカムカする。窓から入り込む爽やかな風が、少しだけ気分を上昇してくれた。
いつもの衣服に着替え、顔を洗い、髪を整える。目がはっきりと醒めて来ると、頭痛も幾分和らいだ。
仕事場に入ると既に秘書の女がいて、冷たい目で「もう昼よ」と言われてしまう。
「ま、俺もたまには寝坊するさ」
「いつもじゃないの」
呆れたような波江の声に、臨也は軽く肩を竦めた。臨也は就寝時間が遅いので、その分起床も遅いことが多い。特に昨晩は余計に労力を使ったせいで、更に寝坊してしまった。
また出そうになる欠伸を噛み殺し、臨也はパソコンの電源を入れる。メールボックスをチェックして、急ぐものはないか確認した。後でモバイルフォンの方もチェックしなくてはならない。静かな部屋に、カチャカチャとキーボードを叩く音が響く。
「波江さん、コーヒーいれてよ」
「……」
臨也の言葉に、助手の女は不機嫌な顔で立ち上がる。仮にも雇い主が相手だというのに、彼女は愛想笑いひとつもしない。媚びることもなく、頭のいい女。昨晩の女とは180°違う。臨也はそんな女は嫌いではなかったが、如何せん相手は素っ気ない。嫌いではないが好きと言うわけでもないので、それはそれで構わなかったが。
波江はカップを持って来ると、無言でデスクの上に置く。部屋の中にはコーヒーの芳ばしい香りが広がり、臨也はほう、と小さく息を吐いた。
「そう言えば、」
波江は自身のデスクから何かを手にし、臨也の元へと戻って来る。
「これ、玄関に置いてあったわよ」
そう言って臨也の方へ差し出したそれは、銀色に鈍く光る鍵だった。
「──…鍵?」
「ここのマンションのね」
訝しげな臨也を一瞥し、波江はさっさと自分の席へと戻る。臨也の手の中には、冷たい鍵だけが残された。
──シズちゃん、か。
秘書の他に合鍵を渡しているのは、あの金髪の男だけだ。つまりこれは必然的に、静雄に渡した鍵ということになる。けれど静雄は、鍵を使用してここに入って来たことは一度も無かった筈だ。
「君が来た時に、既にこれがあったわけ?」
眉を顰めて臨也が問うと、波江は相変わらず冷たい視線でこちらを見る。
「そうよ。靴箱の上に置いてあったの」
波江はそう答え、再び視線をパソコンの画面へ戻す。
「ついでに言えば、あなた気付いて無かったみたいだけど──」
廊下、凄く香水臭かったわよ。
臨也の優秀な秘書は、酷く冷酷にそう口にした。




何度電話を掛けても繋がらない。仕事場に行ってみれば、今日は休みだと言う。アパートを訪ねても、人の気配もない。
彼の親友である首なしライダーにメールをしてみたが、返事は『知らない』と素っ気ないものだった。彼女が知らないのなら、新羅も当然知らないだろう。
ダラーズの掲示板を見ても、今日は目撃情報は無い。平日の昼間のせいか、静雄本人がどこかに引きこもっているのか──判断がつかなかった。
臨也は大いに焦り、内心頭を抱えた。多分──絶対に、恐らくは──、誤解されているだろう。最悪なことに。
池袋の街を、臨也は当てもなく歩く。静雄が居そうな公園、良く行くファストフード店、駅前の喫煙所も見に行ったが、その姿は見付けられない。
別に誤解を解くのは明日だって構わない筈なのに、臨也は居ても立ってもいられなかった。今日中、今すぐにでも、静雄に会いたかった。こんな風に酷く焦るのは、本当に久し振りだ。
今日は忌ま忌ましいほどに天気が良く、太陽が君臨する空は真っ青だった。ずっと動き回っているせいで、額には汗が滲んだ。この黒いコートを着ていることを、臨也は初めて後悔したかも知れない。
本当に、今更で、大変馬鹿馬鹿しいことだが──、自分がいかに静雄に執着しているかを知って、臨也は驚く。自分がこんなに必死に走り回るなんて、信じられないことだった。
『シズちゃんが、好きなんだ』
初めてそれを口にした時、臨也は自分でも酷く驚いた。まさか、自分の口からその言葉が出るとは思わなかったのだ。衝動的に、何かに突き動かされるように、その言葉は口をついて出て来た。自分も愛する『人間』のうちの一人なのだと、その時の臨也は妙に可笑しかった。
それから数年が経ち、静雄との関係は徐々に変化して行った。体を寄せ合い、口づけも交わして、男同士のセックスも覚えた。どんなに月日が過ぎても、臨也はあの頃のまま、未だに静雄に執着し続けている。あの顔もあの声も、眼差しも指先も唇も、何もかも──…臨也は静雄が大好きだった。
だからこそ、誤解されたままなのは嫌だ。あの品性が感じられない馬鹿な女の為に、静雄との関係にヒビが入るなんて許せない。
臨也は池袋の街をさ迷い歩く。気付けば空は薄暗く、夜の帳が街に下りていた。ダラーズの掲示板では相変わらず、静雄の目撃情報はまだない。途中、顔見知りの高校生や、同級生だった男に会った。皆が一様に、今日は静雄を見ていないと言う。
──情報屋が聞いて呆れる。
臨也は自嘲気味に苦笑する。好きな人間ひとり見付けられないなんて、何が情報屋だ。静雄はこの街では目立つ人間だし、池袋に住んでいる人間ならば誰でも知っているのに。
まさかこの街から出たのだろうか。それとも昨日から既にいない──?
そんな時、ポケットの携帯が鳴った。今日一日、何度も携帯が鳴ったが、どれも仕事のものばかりだった。電源を切ってやりたいが、静雄から電話かも知れないと思うと、そうもいかない。
臨也は携帯を開き、中のメールを見る。それは友人の新羅からだった。
『今静雄と露西亜寿司にいるよ(^-^)』
──は?
携帯を手にしたまま、臨也は暫し固まる。何故、新羅がこんなメールを送って来るのだろう。まさか今日ずっと、静雄は新羅の家にいたのか。それとも一緒に、どこかに出掛けていたのか。
臨也は盛大な舌打ちをした。セルティにだけメールをし、新羅を放置していたのは失態だった。てっきりセルティと新羅は、一緒にいるとばかり思っていたのだ。数時間前の自分を殴ってやりたい。
臨也は携帯を乱暴に閉じると、メインストリートを走り出す。人混みを掻き分け、雑踏にぶつかりながら、臨也は懸命に走った。
早く、早く、早く──。
走って数分で、露西亜寿司の看板が見えて来る。
ちゃんと話そう、ちゃんと謝ろう。静雄は怒っているかも知れない。もしかしたら、泣いているだろうか。きっと傷付けてしまった筈だ。謝って、理由を話して、それからまた──好きだと伝えよう。
まだずっとずっと、好きだと口にしよう。

臨也は露西亜寿司の前で立ち止まり、扉に手を掛けた。



起死回生
(絶望的な状況にある物事を立ち直すこと。元に戻すこと)
(2011/06/06)
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