トライアングラー




遊びに来ない?、と突然電話で言われ、静雄は驚いた。
幼馴染みであるその男は、とある首がない彼女にしか興味がない男だ。その彼女と住んでいるマンションは、「愛の巣」と宣って滅多に自分から人を招待しない。大抵の場合は静雄が自分から行く場合が殆どで、改めて招かれることは稀であった。そう、だから静雄は多少…警戒していたのだ。嫌な予感がしていて、そしてそういう予感は大概良く当たる。
「いらっしゃい」
笑顔で静雄を出迎えた幼馴染みは、パタパタとスリッパの音を響かせてリビングに入った。後ろから静雄もそれに続き、ソファに座っている人物を見て眉を顰める。
「やあ、シズちゃん」
臨也は静雄と目が合うと、にっこりと笑った。すらりと長い足を組んで、背もたれに片腕を預けている。相変わらずムカつくぐらい綺麗な顔で、静雄の機嫌は一気に下降した。
「なんで手前がいるんだよ」
「俺が友人の家にいたらおかしいかい?」
くっ、と臨也は低い声で笑う。目の前のソファを手で指して、座れば?と促して来る。
正直言って、もう静雄はこの時点で帰りたかった。もしくは今目の前にあるこのテーブルを持ち上げて、臨也の顔に向かって投げ付けてやりたい。しかしここは親友であるセルティの家でもあるわけで、彼女のことを考えるとそんなことも出来ない。帰ろうか、と逡巡する静雄を思い止まらせたのは、新羅が持って来た雑誌だった。
「静雄、これ」
新羅が差し出す雑誌には、羽島幽平の名前が載っている。
「昨日セルティが買ってきたんだけれど、見る?」
「……見る」
静雄はそれを受け取り、渋々とソファに腰を下ろす。臨也に文句を言うタイミングも失ってしまった。けれど今自分が持っている雑誌は、そんなことよりも遥かに大事だった。
なるべく臨也の存在を気にしないように努めながら、静雄は雑誌を捲ってゆく。弟のインタビューは長く、集中しないと頭に内容が入らない。静雄はゆっくりとページを捲り、記事を読み進めてゆく。
それからどれくらい時間が経っただろう。恐らく30分も経っていないだろうか。ふと気付くと、臨也と新羅の話し声が耳に入って来る。時折楽しげに笑い声がし、どうやら中学時代の話をしているらしかった。意外なことに二人とも生物部に所属していて、その時の話のようだ。
──中学の頃、か。
静雄は二人とは通っていた中学が違う。だから静雄はこの頃の臨也や新羅を直接知らない。その時の思い出を楽しく語る二人の会話は、静雄の胸にちくりと痛みを与えた。
こう言う感情を、ヤキモチと言うのだろうか。それは旧友の新羅に対してか、天敵の臨也に対してか。どちらへの嫉妬なのか、静雄には判断がつかなかった。いや、ひょっとしたら両方にかも知れない。自分だけが蚊帳の外という疎外感が、この嫌な感情を抱く原因か。
静雄は雑誌を読む振りを続けながら、ぼんやりと考える。中学時代なんて、たった三年間だ。新羅は小学生の頃から一緒だし、三年ぐらい知らない時があっても別にいい。臨也に関しては出来るなら出会いたくなかったくらいだ。そう、だから気にすることはない。そう思うのに、胸にもやもやと嫌な感情が渦巻いてしまう。
中学生の時の新羅は、きっと今と変わらないだろう。小学生の頃から何一つ変わっていないのだから。でも臨也の幼い頃は、少しも想像が出来ない。生まれた時から折原臨也みたいな顔をして、悠然と佇んでいるイメージだ。きっと今と同じように、とても嫌なガキだったのだろう。だから知り合いじゃない期間は、長い方がいい筈なのだ。中学時代の臨也なんて、静雄は知りたくもない。
それなのにどうして、こうも苛々とするのだろう。




雑誌を捲る静雄の手が止まったのを、臨也は先程から気付いていた。ぼうっとした顔をして、何かをずっと考えているようだ。どうせ弟のことだろう。弟が載っている雑誌を読んで、思い出にでも浸っているに違いない。
臨也にとってはそれは、面白くないことだった。雑誌を貸した新羅にも、臨也は多少苛ついている。弟の話題など出さなくても良いだろうに。
「静雄、プリンあるんだけど食べる?」
静雄が雑誌を読む事をやめたのを、新羅もとっくに気付いていたらしい。新羅の優しい言葉に、静雄はハッとしたように顔を上げた。
「…食べる」
静雄がプリンに弱いのは相変わらずのようだ。新羅は笑ってキッチンへプリンを取りに行った。
ひょっとしたら静雄の為に、新羅はいつもプリンを用意しているのだろうか。その考えは臨也を苛々とさせ、機嫌がまた悪くなる。勿論表情には出さないけれど。
新羅が席を外したせいで、リビングには臨也と静雄だけが残された。嫌な沈黙が二人の間に落ちる。静雄が雑誌を捲る音だけがリビングに響く。
「…シズちゃんと新羅って、仲が良いよねえ」
先に沈黙を破ったのは臨也だった。臨也はなるべく声に不機嫌さが出ないよう、わざと揶揄するように言ってやる。口端を歪めて笑みを作れば、内心の機嫌の悪さには誰も気付かないだろう。
「はあ?何言ってんだ。手前と新羅の方がずっと仲良いだろ」
静雄は一瞬驚いた顔をしたが、直ぐにその顔は不機嫌に歪められる。持っていた雑誌を、無造作にテーブルの端へ置いた。弟が載っている雑誌だというのに珍しい。
「何、僕を巡って喧嘩?僕も随分と罪作りな男だね。いやあ、照れるなあ」
間延びした声と共に、新羅が戻って来る。瓶に入ったプリンを三つ、トレイに乗せて。
「安心しなよ。それはないから」
臨也は冷たく言い放ち、小さく肩を竦めた。それを聞いた新羅が「わあ、酷い!」と喚くが、それが大袈裟な態度であるくらい、臨也は知っている。
「はい、静雄」
新羅が差し出したプリンを、静雄は小さく礼を言って受け取った。心做しかその目は輝いているようにも見える。静雄の機嫌を取るには、プリンが一番有効なようだ。
静雄と新羅を見ていると、まるで保護者と児童だ。小学生の時からの長い付き合いのせいなのか。静雄は新羅に甘え、新羅は静雄を甘やかしている傾向がある。
勿論、新羅の方には静雄が愛しい彼女の親友という理由もあるだろう。この闇医者は、彼女のこと以外はどうでもいいのだから。
臨也ははっきりと、この二人の関係に嫉妬している自分に気付いていた。馬鹿馬鹿しいことに、静雄が自分以外を見ていることが気に食わない。静雄の全てのベクトルが、自分だけに向いていればいいと思う。まるで子供のような感情だ。ティーンのガキじゃあるまいし。
臨也はプリンには手を付けず、テーブルのコーヒーを一気に飲み干す。それはもうすっかり冷えて、酷く苦く感じられた。




──随分と苛々してるなあ。
新羅はプリンを口に運びながら、臨也の顔をちらりと盗み見た。臨也は相変わらず厭味な笑いを浮かべて静雄をからかっているけど、その目はちっとも笑ってない。寧ろ怖いくらいだ。大体「仲が良いんだねえ」なんて、嫉妬に駆られた言葉じゃないか。
これで気付かれていないと、本気で思っているのかなあ──多分気付いていないのは、人の気持ちに鈍感な静雄くらいなのに。
静雄は静雄で、何やら気分が沈んでいるようだ。どうせ雑誌を読んでるのだからと、臨也と中学時代の話をしたのはまずかったか。こういうのには繊細なのだから、全く困ったものだ。
新羅にとって、二人は本当に分かりやすい。静雄は元々単純だけど、臨也の場合は静雄に関しては取り繕った外面が剥がれてしまうのだろう。それくらい臨也は、静雄に執着しているのだ。多分自分では認めないんだろうけど。
そして新羅は、そんな二人をたまに羨ましく思っている。互いしか見てなくて、互いに酷く執着して、これってとても凄いことだ。臨也と静雄には自分が入り込めない何かがあって、新羅はそれがちょっとだけ羨ましい。そして寂しくもある。
「実はさ、松坂牛貰ったんだよ」
この嫌な空気を払拭する為にも、新羅は二人を呼び出した理由を口にした。
「でも残念ながらセルティは食べれないし、どうせなら君らと鍋でもやろうと思って」
人は美味しい食べ物に弱い。少しはこれで臨也と静雄の機嫌も回復するだろう。新羅の行き場ないこの感情も。
「すき焼きか」
案の定、静雄は目に見えて表情が明るくなった。少食な癖に、肉は好きらしい。
「シズちゃんはプリン食べたんだから、もう他は食べれないんじゃないの」
臨也は相変わらず、そんな皮肉を言う。いちいち意地悪を言わなくてもいいのに。好きな子を虐める悪ガキみたいなものだろうか。
「うるせえ、手前は黙れ。そして死ね!」
「こっわーい」
「ちょっと二人とも!ここで喧嘩なんてしないでよね!」
放っておくと喧嘩を始めそうな二人に、新羅は慌てて止めに入った。いつものように喧嘩をして、この家を破壊されては堪らない。だってここは新羅と彼女の、愛の巣なのだ。
「一緒に鍋でも突っついてさ、たまには仲良くしようよ」
新羅の言葉に、臨也と静雄はそれはそれは嫌な顔をする。きっと内心はそれほど嫌じゃない癖に。
「それは天地がひっくり返っても無理なんじゃないかな」
「なんで俺がノミ蟲なんかと仲良くしなきゃならねえんだよ」
「…はあ」
二人の否定の言葉に、新羅は深く溜息を吐いた。
なんて素直じゃない二人なんだろう。お互いがお互いを思っている癖に、どうしてそれに気付かないのだろう。いや、ひょっとしたら分かっていて、それを認めないだけなんだろうか。自分の気持ちを気付かない振りをしているのか。
新羅は苦笑し、またひとつ溜息を吐く。
もし自分が、「君たちはお互いが好きなんだよ」と伝えたら二人はどうするのだろう。顔を赤くして怒るか、はたまた図星を指されて黙り込むか──。
いや、きっと信じないだろう。自分が何を言っても、ひょっとしたら相手から直接聞いたとしても、信じないかも知れない。二人とも無駄に矜持が高く、意地っ張りだから。
──本当に困った友人たちだ。
まだ言い合いを続ける二人を尻目に、新羅は口許を綻ばせた。


(2011/05/31)
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