『捕食』 平和島くんと折原くん


失礼します、と職員室から退室して廊下を歩きだそうとしていた静雄は、一人の教師から声を掛けられる。
「平和島くん」
隣のクラスの若い女教師。
「はい」
「これ隣のクラスに渡しといてくれないかな」
渡されたのは一冊のノート。
はい、と頷いて。
どうせ教室に戻る通り道だし。
ザワザワと昼休み時間で騒がしい生徒たちの声を聞きながら、静雄は軽い足取りで階段を上っていく。
ノートを見れば、折原臨也、とあった。オリハライザヤ。聞いたことがある。新羅の中学の時の同級生、と言ってなかったか。確か偉く綺麗な顔をした男だった気がする。
静雄が廊下を歩くたび、憧憬と畏怖に満ちた視線が降り注がれる。彼はこの高校では有名人だった。
しかしそれを全く臆しないマイペースな彼は、金の髪を靡かせて廊下をすたすたと歩く。
目的のクラスに来ると、入口にいた生徒に声をかける。
「あの」
「あ、はい」
その女生徒は自分を見るなり頬を赤く染め、何やら身嗜みを気にしだした。
「これ、折原に渡して欲しいんだけど」
「折原くんですか?ちょっと待って下さい!」
「いや渡してくれたら、」と言うのに、女生徒はさっさと呼びに行ってしまった。
仕方がないので静雄は待つことにする。
「何?」
やがて現れたのは黒髪の端正な顔をした美青年だった。表面は愛想笑いを浮かべているが何を考えているか分からない。静雄のあまり好きではないタイプ。
「本当はあの子に渡してって頼んだんだけど」
教師から頼まれたから、と言ってノートを渡す。
「ああ」
臨也は頷いて受け取った。「ありがとう」
「じゃあ」
静雄はさっさと踵を返す。
「平和島くん」
「?」
呼び止められて静雄は振り返った。
ぽい、と何かが投げられて受け止める。見ればチュッパチャプスだった。
「お礼」
口端だけを吊り上げる笑いを浮かべ、臨也は教室に戻る。
静雄は手の中のプリン味の飴をポケットに入れると、眉間に皺を寄せたまま、自身の教室に戻った。


「臨也と話したの?どうだった?」
新羅が興味津々と聞いてきた。
「話したって程ではないし」
ノートを渡し、飴を貰っただけだ。
「飴?」
「これ」
静雄は今舐めているチュッパチャプスを見せてやった。
「へえ」
「食いたいのか」
「いや。静雄ってその味好きなの」
「プリン味?まあチュッパチャプスの中では」
「じゃあきっとそれは始めから静雄用だ」
「?」
静雄は意味が分からずに首を傾げる。
「臨也が静雄の為に用意した物だよ、きっとね」
「あ?話したのは偶然だぞ」
「そうかなぁ。臨也がプリン味のチュッパチャプスを持ち歩いてるなんておかしい」
「たまたまだろ」
「今度聞いてみるといいよ」
新羅は自信満々だった。



放課後になると校内は幾分寂しい。昼間の喧騒が嘘のようだ。
静雄は日誌を職員室に届けると、教室に戻るために廊下を歩いていた。
もう殆どの生徒は帰宅していて、廊下には誰もいない――…いや、いた。
黒髪に学ランの青年が廊下の壁にもたれ掛かり、こちらを見ている。
「やあ」
「ん」
軽く挨拶だけして擦れ違おうとし、あ、と思い出す。
「折原」
話し掛けると臨也は驚いた顔をした。
「なんだい」
「チュッパチャプスっていつも持ってんのか」
「?」
「新羅が聞いてみろって」
「…ああ」
臨也は一瞬嫌な顔をし、直ぐにいつもの笑みに変える。
「君にあげるのに持ってた」
「は?」
「プリン味好きなんだろう?」
「好きだけど…」
何で知ってるのか、と言うより何であげようと持ってたんだ?
疑問が静雄の顔に出たのか、臨也は口端を吊り上げる。
「君が俺にノートを持ってくるのを知ってたから」
「は?」
静雄はキョトンとした顔で。
その顔を面白そうに見て、臨也は続ける。
「君が日直で昼休みに職員室に行くの知ってたし、君の担任と席が近いうちの担任が、君のファンで話し掛ける確率が高いと踏んだ。ノートは午後一の授業で必要なものだったし、返却してくるだろうとも。うちのクラスのいつも入口をたまり場にしている女子には、俺に用事がある奴が来たら呼んでって言っておいた」
静雄はぽかんとして臨也の言葉を聞いていた。
「もちろん上手く行かないこともあるし、君が来なきゃ来ないで別に良かった」
「何でそんなことするんだ?」
「君と友達になりたかったから」
さらりと言われて、静雄は少し顔が赤くなる。
「新羅に言えばいいじゃねえか」
「それも考えたけど単純じゃつまらないし」
臨也は薄く笑ってポケットからチュッパチャプスを出した。
「あげる」
それを受け取りながら、静雄はふと思う。
今この廊下でこの男と会うことも分かっていたんだろうか?
日直の日誌を届けて教室に戻るには、この廊下しかないわけで。
チュッパチャプスを舐めている自分を見て、新羅が何か言う事も予想していたんじゃないだろうか?

「平和島くん」
顔を上げれば赤い目がこちらを射るように見ていた。
「一緒に帰らない?」
声色は優しく甘い。
「…いいぜ」
静雄はその赤い目に魅せられるように頷いた。


(2010/07/22)
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