PIECES OF A DREAMD


──修学旅行最終日。
今日は、今までで一番自由時間が多い日だ。とは言っても夕方には飛行機に搭乗せねばならず、主にそれは買い物の為の時間だった。
国際通りと言われるその場所は、池袋で言うサンシャイン通りのようなメインストリートなのだろう。道端には大きなシーサーがどんと構えていて、下に平仮名で『こくさいどおり』と書かれているのが何だか酷く可愛らしい。静雄はそれをちらりと横目で見ただけだが、新羅は相変わらず何枚も写真を撮っている。
同じ日本なのに、やはり沖縄の町並みは雰囲気も建物も異国みたいだ。色とりどりの看板を見ながら、静雄は他の三人の後ろを黙ってついて歩く。そこは観光客が多く、車通りも多い繁華街で、たまに他の修学旅行生と何度も擦れ違った。
「あ、これセルティに買おう!これも!あ、これも!」
見るもの全てを買いそうな勢いで、新羅は次々と土産品に手を伸ばす。学校側からは予め所持金限度額は決められている筈なのに、新羅は明らかにそれを守っては無さそうだった。
「これ、綺麗だね」
横で臨也の声がして顔を上げれば、透明のガラスの瓶を眺めているのが目に入った。瓶の中には、キラキラと光る砂の山。星の砂だ。
「これってなんかの死骸なんだろ?」
静雄がそう言えば、
「それを言うのは無粋だよ」
と、笑われてしまう。
臨也はそれを買うことに決めたようで、一番大きく綺麗な瓶をレジに持って行った。あの男でも、綺麗だと言う理由で物を買ったりするのだな、と静雄は多少辛辣なことを考える。臨也が美しいと感じるものは、もっと特異な物であるような気がしていたから。
──ああ…、そういえば今日は手を繋いでない。
店を出て、三人の一番後ろを歩きながら、静雄はぼんやりと思う。先頭をガイドブックを手にした門田が歩き、その後ろをキョロキョロと落ち着かない新羅が進む。臨也はそんな二人の後ろを、気怠げに歩いていた。
真っ黒な学ランから覗く白い手が、静雄にはやけに眩しい。昨日まで、静雄に優しく触れていた手。それは数日前までは、ナイフをこちらに向けていた手だった。
今日は、手を繋がないのだろうか──。
静雄には、臨也の気持ちや言動なんて、何一つ分からない。手を繋がないのは、この道に人が多いせいかも知れないし、単にその行為に飽きたのかも知れない。臨也は気紛れで残酷で自己中で、こちらの気持ちなどは一切考えないのだから。
そう考えて、静雄はふと気付いた。
こちらの気持ち、とは一体なんなのだろう。自分は臨也に対して、どんな感情を持っているのだろう。嫌悪、憎悪、敵意、反感──それらはマイナスな感情ばかりだと思っていた。そしてその感情は、今でも確かに抱いていると断言出来る。静雄は臨也が大嫌いな筈なのだから。
なのに。
静雄は突然ぴたりと歩く足を止めた。前を歩く三人は、静雄が止まったことに気付かない。道を行き交う観光客が、突然立ち止まった静雄を訝しげに見てゆく。静雄と三人の間にたくさんの雑踏が入り込み、徐々に三人の後ろ姿が見えなくなる。
早く追い掛けなくては──。
そう思うのに、足は一歩も動かなかった。
いつの間にかはっきりと、臨也に対して何か違う感情が根付いている。嫌悪でも憎悪でもない、それらと相反するもうひとつの感情。
口付け、抱きしめられて、絆されたとでも言うのだろうか。手を繋がれ、頭を撫でられて、惹かれてしまったと言うのか。それとも静雄自身が気付かなかっただけで、ずっとずっと前から──。

「シズちゃん」

ぐい、と突然腕を掴まれ、静雄はハッとした。弾かれたように顔を上げれば、臨也の赤い双眸と目が合う。
「臨也」
静雄は驚きで目を丸くする。はぐれた筈の臨也が、直ぐ目の前にいることに酷く驚いた。
「振り返ったら居ないから…、驚いたよ」
少しだけ息を弾ませて、臨也が苦笑する。珍しく額には、汗がうっすらと滲んでいた。
まさか、探しに来てくれたのか。ひょっとしたら、この暑い中を走って?
そう考え、胸の鼓動が早くなる。臨也の目を見ていられなくて、静雄は思わず目を逸らした。
「どうかした?」
「いや、」
臨也の問いに、何か答えようと口を開く。が、言葉が上手く出て来ない。
嘘でもいいから何か言わなくては、きっと怪しまれるだろう。現に今、臨也は胡乱な目付きで自分を見ている。
──この感情を、悟られてはならない──。
自分でも気付いたばかりのこの気持ちを、本人に話すのは嫌だった。まだ自分自身でも、整理が付いていないのだから。
「──…少し、暑くて…。…ぼうっとしてた」
苦し紛れに、しどろもどろでそう告げた。
こんな静雄の稚拙な言い訳に、臨也は僅かに瞠目する。やがてその赤い目を眇めると、片方の口端を吊り上げて口を開いた。
「確かに沖縄は陽射しが強いからね」
「…ああ」
静雄は相槌を打ちながら、唾をひとつ飲み込んだ。喉が渇き、体が熱い。
「でも今の君は熱射病にも、日射病にも見えないけどねえ」
顔は笑っているのに、臨也のその声は氷のように冷たい。
「──…本当の理由は?」
有無を言わせぬ低い声。静雄は驚きで瞬きを繰り返し、笑みを貼付けた臨也の顔を見た。道の真ん中で立ち止まる二人に、たまに観光客がぶつかってゆく。こんなところでいつまでも立ち止まっていては、周りに迷惑だろう。
何も言わない静雄に、臨也が大きく溜息を吐く。掴んだままだった静雄の腕を引いて、不意に反対方向へと歩き出した。
「…っ、おい!」
慌てて抗って体を引くが、腕を掴む臨也の力は思いの外強い。臨也は人込みを掻き分けて、ずんずんと道を進んで行く。
新羅と門田は──と、口にしようとして、静雄は結局黙り込んだ。腕を引く臨也の後ろ姿が、何も口にするなと言っているように見える。臨也の強引さなんて、ここ数日ですっかり甘受するようになってしまった。
臨也の襟足から、ポタリと汗が落ちる。漆黒の髪が濡れ、首筋に流れる汗を、静雄は思わず凝視した。こんな汗をかいてまで、探しに来てくれたことが嬉しいなんて、自分はやはりどうかしてしまったんじゃないだろうか。
人があまり通らないような路地裏で、臨也はやっと静雄の腕を離す。半袖から見えるその箇所は、赤く掴まれた跡がはっきりと残ってしまった。それに静雄が眉根を寄せて臨也を睨めば、臨也は悪びれもせず肩を竦める。
「人が少ない方が話しやすいだろう?」
「…なんの話しだよ」
赤くなった箇所をわざとらしく摩りながら、静雄は小さく舌打ちをした。今の自分の表情は、ちゃんと不機嫌な顔をしているだろうか。足や指先は震えていないだろうか。
「何か悩み事?」
そう問う臨也の顔は、珍しく真剣な表情だった。いつもは楽しげに笑っている癖に、今は笑顔ひとつ見せやしない。
「別に…」
「嘘つきだね」
口を開いた静雄に、臨也は即座に言い返して来る。
「どうせつまらないことを考えていたんだろう?」
臨也のこの言葉に、静雄はムッとして顔を上げた。
「つまらねえってなんだよ。手前のせいだろうが」
発した声は、低く唸るようになる。
「俺だって、こんなことで悩みたくねえよ」
こんな風に、どろどろと醜い感情なんて、知りたくなんかなかった。
「心臓は痛いし、息も苦しいし、気持ち悪くて反吐が出そうだ」
こんな風に、切なくて不安な感情なんて、知りたくなんかなかった。
静雄は言いながら、ワイシャツの胸元を手で縋るように掴む。指先が僅かに震えているのを、臨也が気付かなきゃいい。
「こんなことになるんなら、修学旅行なんて来るんじゃなか──、」
最後まで言い終わらないうちに、突然強い力で抱きしめられた。目の前には、臨也の真っ黒な髪の毛が見える。ふわりと鼻をくすぐる、石鹸の香り。
静雄はそれに驚いて、目を大きく見開いた。ドクンと、心臓の動きが殊更に早くなる。
「な、」
「ねえ、シズちゃん」
驚きで体を強張らせる静雄の耳許に、臨也のテノールが直接響く。
「そういう君の症状、なんて言うか知ってる?」
「……」
静雄は答えない。顔に熱が集まり、鼓動がまた更に早まった。このまま行くと、死んでしまいそうだ。
こんな症状をなんて言うのかなんて、静雄はとっくに知っている。だってついさっき、気付いてしまったのだ。
「良かった。俺だけじゃなくて」
そう言って、臨也は抱きしめる腕の力を強くする。深く深く溜息を吐いて、臨也の体が揺れたのを、密着した静雄の体に敏感に伝わった。
──…え?
臨也の今の言葉に、静雄は目を丸くする。
『俺だけじゃなくて』とは、どう言う意味だろう。
言葉通りなら──…いや、まさか。
でもこの言葉は。
そう、まるで──。
ぽかんと目を見開いたままの静雄に、臨也はゆっくり口を開く。その声は小さく、静雄の為だけの言葉を紡ぐ。
「俺も同じ症状だよ。…意味、分かるかな?」
喉奥から漏れる、くぐもった臨也の笑い声。
抱きしめられて、密着されて、ドクドクと鼓動が早まる。自分の心臓に負けないくらい、早い早い相手の鼓動の音。
「シズちゃん、」
臨也が密着した体を離そうと、僅かに腕の力を弱めた。
けれど今度は静雄の方が、臨也の背中に腕を回して離れない。臨也を壊さないように、力をめいっぱい加減して、静雄は臨也の肩口に顔を埋めた。
「シズちゃん?」
戸惑ったような臨也の声。
静雄はぎゅ、と目を閉じる。
「……から、」
「え?」
「今、死ぬほど恥ずかしいから──もう少しこのままでいさせろ」
まだこの赤い顔を、臨也に見せる勇気なんてない。
静雄は無愛想な口調でそう呟き、ちょっとだけまた腕に力を込めた。心臓が早鐘のように打ち、息が苦しくて、切ない。これと同じ症状が相手にもあるかと思うと、もっともっと切なくなった。
静雄のこの言葉に、臨也は笑ったようだ。顔は見えなくても、震えが伝わって来る。また早くなった、心臓の鼓動も。
暑い、沖縄の陽射しの中で──。
二人はずっとずっと抱き合っていた。


(2011/05/17)
50000リクエスト、修学旅行。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -