PIECES OF A DREAM


夏も終わり、秋がこの街を支配し始めた頃。
枯れ葉が舞う学校の裏庭を、臨也は教室の窓から眺めていた。黄色と赤の葉が次から次へと舞い落ちる空間に、金髪の青年が佇んでいる。青年は何を見ているのか、じっと木々を見上げていた。揺れる葉の隙間から見える、遠い空でも眺めているのかもしれない。
ハラハラと左右に揺れて落ちる葉は、秋の情緒に溢れている。金髪の背の高い青年の姿は、その風景にいやに合っていた。まるで一枚の絵画のように。
「臨也」
ぽん、と肩を叩かれ、臨也はそれに振り返った。薄暗い教室に、眼鏡を掛けた友人が笑顔で立っている。
「新羅」
「何を見ているんだい?」
新羅は臨也と同じく窓枠に手を掛けて、外の世界を覗き込んだ。
「ああ。静雄かあ」
やっぱりね。と、後に続く声が聞こえた気がする。
臨也はそれに気付かない振りをして、新羅から再び静雄へと視線を移した。
静雄はまだその場から動かない。
ズズ…と、椅子が床を滑る音がしたかと思えば、新羅が前の席にちゃっかりと座っていた。自分のクラスでもない癖に、ここに居座るつもりらしい。
臨也はそんな新羅にやれやれと思いながら、仕方なく口を開いた。
「何か用なの?」
今、この教室には臨也と新羅しかいない。放課後になり、大抵の生徒たちは下校したか、部活動に励んでいる時間帯だ。いつまでも居残っているのは、予定のない暇な人間くらいだろう。自分達のように。
「用と言えば、用なのかな」
ニコニコと笑う新羅の口調は、相変わらず飄々としている。臨也はそんな新羅に、微かに眉を顰めた。
「用があるなら、はっきり言いなよ」
「来月、修学旅行があるでしょ」
臨也の機嫌が下降したのを察知しながら、新羅は漸く口を開く。それでもその表情は、相変わらず心中がわからない笑顔のまま。
「静雄がそれに、行かないって言うんだよね」
「…へえ」
来月の始めに、この学校の修学旅行がある。沖縄へ三泊四日だ。生徒たちは皆楽しみにしており、臨也のクラスも最近浮足立っていた。
「どうして行かないの?」
臨也は赤い目を細めると、探るように新羅を見た。そしてそれがどう自分に関係あると言うのか。
新羅は困ったような顔になり、小さく肩を竦めてみせる。
「自分が行くと、他のみんなに迷惑がかかるからって」
「はっ、」
新羅の言葉に、臨也は思わず笑ってしまった。なるほど、確かに静雄らしい考えだ。迷惑なんて今更だと思うが、たった一度の高校行事を邪魔したくないのだろう。
「そんなの、気にすることないのに」
この学校の生徒なら、そんなものもうとっくに慣れている筈だ。毎日毎日、破壊や喧嘩を繰り返しているのだから。
「でもさあ、みんな静雄と同じグループにはなりたがらないでしょ」
新羅は眉尻を下げて苦笑する。
「僕と二人だけじゃ、『班』にはならないからね」
確かに自分から危険に飛び込む人間はいない。静雄は勿論、胡散臭いと言われている新羅とも組みたい人間は少ないだろう。
臨也としては班なんて、『二人』でも良いだろうと思うのだが、静雄は気にするのかも知れない。
「それで?君は俺にどうして欲しいのかな」
半ば予想はついてはいたが、臨也は敢えて新羅に問い質した。ちらりと視線を裏庭に向ければ、もう静雄の姿はそこにはない。あるのは紅葉で赤くなった木々だけだ。
「簡単な頼み事なんだけどね」
新羅は机に頬杖を付き、眼鏡の奥の目を楽しげに細めた。弧を描いた薄いその唇を、勿体振ってわざとゆっくりと開く。

「君、僕らと一緒の班にならない?」

新羅のその言葉は、臨也の予想通りのものだった。




何故クラスの違う自分が。と、臨也は初め不平不満を漏らした。大体あの意固地な静雄が、臨也と同じ班になることを了承するわけがない。学校側だって、違うクラスの問題児を、わざわざ組ませたりしないだろう。
しかしそんな臨也の心配は、ただの杞憂に終わる。新羅はもう既に手を回し、互いの担任教諭に話を付けてあるらしい。臨也と静雄を同じ班にするなんて、学校側が良く許したものだ。臨也だとて問題児の一人なのだから、危険分子は隔離するつもりなのかも知れない。
新羅は更に、臨也とも違うクラスの門田のことも引き込んでいた。
「班の人数は四人からだから、頼んじゃった」
と、悪びれることもなく笑う姿は、さすがに臨也を呆れさせる。門田のことだ、断り切れなかったのだろう。
これで臨也が断れば不成立になるわけだが、新羅は断られるとは露ほども思っていないようだ。臨也は暫し逡巡し、どうするべきか考えた。
結論から言うと、臨也は結局は承諾してしまった。
何故引き受けたのかと問われれば、気紛れだとしか答えられない。臨也は別に修学旅行を楽しみにはしていなかったし、静雄との確執なんてのも今更気にしていなかった。
寧ろ『同じ班』だなんて、相手にとっては嫌がらせに感じるだろう。だから多分、相手の反応が見たかったのもある。

「行かねえし」

だからそうあっさりと静雄に答えられた時、臨也は内心「やっぱりな」と思ったのだ。

二人しかいない、ただっ広い屋上。空はどこまでも高く澄み渡り、白い雲はひとつもない。残念ながら都心にあるこの高校は、屋上の風景は決して良くはない。見えるのは雑然とした町並みと、高い灰色のビルだけだ。
臨也はそんな屋上の入口に立って、風景を眺める静雄の後ろ姿を見ていた。今はまだ授業中で、二人以外の生徒の姿はここにはない。時折吹く秋の冷たい風が、静雄の金の髪をふわりと揺らした。
「どうして?」
臨也は口端を器用に吊り上げ、そんな静雄に問い掛ける。太陽の光が反射して、静雄の人工的な髪の色が眩しい。
「どうして行かないの?」
そう問いを繰り返せば、ゆっくりと静雄が振り返る。そういえば、静雄がこちらを見ないで話をしていたのは初めてだ。彼はいつも相手の目を真っ直ぐに睨むというのに。
「手前と一緒なんて、死んでも嫌だ」
唸るように吐き捨てられた答えも、臨也には予想通りのものだ。
静雄の瞳は、きつくこちらを睨んで来る。嫌悪と憎悪を滲ませて。彼は臨也にはこの表情しか見せない。
「新羅がせっかく君の為に尽力したのに?」
その眼差しを真正面から受け止めて、臨也は笑いを含んだ声で返してやった。
「……あいつが勝手にしたんだろ」
口調こそ素っ気ないが、静雄が答えるまでには間があった。多少なりとも、自分の為に動いてくれた新羅に思うところはあるのだろう。
「あーあ、新羅が可哀相」
「……」
臨也は肩を大袈裟に竦め、静雄の方へ近付く。
静雄は警戒するようにそんな臨也を睨みつけるが、何も言わなかった。
「別にいいじゃない、同じ班なくらい。四六時中一緒にいるわけじゃないんだしさ」
班で行動をする、なんて守らなきゃいいだけだろう。大体元々は違うクラスなので、移動などは別な筈だ。
臨也は静雄の目の前で立ち止まり、顔をわざと近付ける。目の縁の睫毛が確認できるほどに、至近距離で相手の顔を覗き込んだ。
静雄はそれに顔を蹙めると、何度も瞬きをした。その目許が赤いのは、きっと臨也の気のせいではない。
「…シズちゃんって、」
こんな風に、静雄の顔を見るのは初めてだ。いつだって自分達の間には、ナイフや標識が存在していたから。
「結構綺麗な顔してるんだねえ」
そう低い声で囁くと、臨也は体を更に近付ける。吐息が頬を掠めるほどに近付くと、スッと静雄が目を逸らした。
「とにかく、俺は行かねえ、…から」
「そんなに俺といるの嫌?」
唇を耳に寄せ、わざと優しく囁く。ぴく、と静雄の肩が跳ねるのに、臨也は目を僅かに細めた。
「…嫌だ」
答える静雄の声は、微かに掠れている。
「喧嘩をしたくないから?」
臨也は嗤う。天敵とも言える仲の自分達が一緒にいては、必然的に喧嘩は起きてしまうだろう。例え別行動をしても、ホテルなどは班で同室なのだ。
静雄は喧嘩をして、周りに迷惑を掛けるのを恐れている。せっかく新羅が尽力してくれても、喧嘩ひとつで台無しになってしまうからだ。臨也にはそんな静雄の怯えが、酷く滑稽に思えた。
化け物の癖に。
化け物、と恐れられている癖に、何を今更。
「シズちゃん」
臨也は耳許から体を離すと、静雄の顔を覗き込んだ。
静雄は目を逸らしたまま、ずっと不機嫌な顔をしていた。それでもいつものように殴り掛かって来ないのは、今は怒りより自身の力に嫌悪を抱いているせいかも知れない。
「修学旅行中は、協定を結ぼうか」
「は?」
臨也の提案に、静雄は目を見開いた。キョトン、とした年相応の顔に、臨也は楽しげに唇に弧を描く。
「『喧嘩しない』、って言う協定だよ」
冷たい風が、二人の間を吹き抜けてゆく。静雄の金髪も、臨也の黒髪も、風でふわりと揺れ動いた。
「修学旅行中は、俺と君は友達。ただの仲が良い同級生だ。俺は君に嫌がらせはしないし、君も俺に暴力を振るわない。これでどう?」
臨也の手が伸びて、静雄の冷たくなった顔に触れる。そのまま親指で緩やかに頬を撫でると、探るように静雄の目を見上げた。
静雄は暫く、そんな臨也をじっと見返していた。恐らくそれは数秒間だったが、臨也にはやけに長く感じられてしまう。
静雄には臨也の嘘は通じない。勘が鋭いせいか、余計なごまかしは直ぐに見破られる。だから臨也は、本当に協定は守るつもりだった。
これもただの『気紛れ』だ。静雄に同情したわけでも、新羅の友情に感動したわけでもない。
少なくとも臨也は、自身でそう信じていた。
「…分かった」
やがて静雄が渋々とそう承諾した時、臨也は思わず安堵の息を吐いた。静雄はまだ警戒心を剥き出しにしていたが、臨也はそれににっこりと笑みを見せてやる。
「じゃあ協定成立ってことで」
臨也はそう言うと、静雄の後頭部に手を回した。静雄が「え?」と驚きで口を開くのと同時に、それを塞ぐように唇を重ねる。
乾いた静雄の唇は、意外にも柔らかかった。静雄の瞳が驚きで丸くなるのに、臨也は喉奥で笑い声を漏らす。
静雄が身動ぎをしたのか、フェンスがカシャンと音を立てる。べろりと下唇を舐めてやると、体が面白い程に跳ねた。臨也は薄目でそれを見ながら、ゆっくりと唇を離す。
何が起きたのかまだ良く分かっていない静雄に、唇を吊り上げて見せる。
「お手柔らかに頼むよ。シズちゃん?」
そう口にするのと、静雄の拳が飛んで来たのは、ほぼ同時だった。
「ははっ」
臨也は笑い声を上げて、それを素早く回避する。
「…手前っ、ふざけんな!」
憤怒に震える静雄の顔が真っ赤なのは、きっと怒りだけのせいではないだろう。
臨也はそれに目を細めて笑うと、これ以上殴られないうちにさっさと屋上から退散することにする。
「じゃあね、シズちゃん。旅行楽しみにしてるから」
後ろから静雄が何か怒鳴っていたが、臨也にはそれはもう聴こえない。屋上の重い扉を開き、階段を急いで駆け降りるが、静雄が追って来ないのは分かっていた。




屋上の重い扉が閉まり、臨也の歩き去る足音が遠くに消えると、静雄は小さく息を吐いた。
心臓がバクバクと激しく動き、赤いであろう顔は耳まで熱い。時折吹く秋の風が、火照った体を冷ましてゆく。
「…くそっ」
臨也から与えられた感触が、まだ唇に残っている。
静雄は忌ま忌ましげに舌を打つと、乱暴に手の甲で唇を拭った。
これがファーストキスだなんて、最悪の思い出だ。高校生活の思い出になるであろう修学旅行も、どんなことをされるか堪ったものではない。
静雄は空を見上げ、また深く溜息を吐いた。




(2011/04/18)
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