『接触』 平和島くんと折原くん2

これの続き(500000リクエスト企画)



漆黒の髪、赤みを帯びた瞳。眉目秀麗な顔に銀縁の眼鏡を掛けて、折原臨也は今図書室にいる。白く長い指は淀みなくシャーペンを走らせて。
本人は勉強をしているだけだと言うのに、周りの女生徒達はやけに騒がしい。図書室なのだからもう少し静かに出来ないのだろうか。
新羅はそう思いながら、臨也に近付いた。ぽん、と後ろから肩を叩く。
「やあ、臨也」
「ああ」
新羅、と彼は友人の名を呼んだ。掛けていた眼鏡を外し、目を細めながら。
「よくこんな騒がしい所で勉強できるね」
新羅が笑って言えば、
「俺が来た時は静かだったからね」
臨也は周囲を見回して、僅かに笑う。その顔はこの状況を面白がっているようだった。
新羅は鞄を机に置くと、臨也の前の席に座る。カタンと椅子が音を立てたが、騒がしい室内には咎める者はいない。
「こないだ静雄と帰ったんだってね」
「ああ。先週かな」
答えながら、臨也はシャーペンを筆箱に仕舞う。もうここでの勉強はやめる気らしい。
「どうだった?」
新羅はわくわく、と言った感じで身を乗り出して来た。目がキラキラとしているように見えるのは、決して気のせいではないだろう。
「そうだなあ」
臨也は眼鏡をケースに入れ、口許を吊り上げて笑った。
「可愛いね」
「可愛い…」
新羅は言葉を反芻し、ぽかんとした顔になる。
「確かに顔は良い方だけど…可愛い?」
「見た目の話じゃないよ」
筆箱を鞄に仕舞い、参考書を閉じ、臨也は帰り支度をし始めた。
新羅は首を傾げる。
「臨也って変わってるもんねえ」
「新羅には言われたくないなあ」
少しだけ不愉快な顔を見せ、臨也は立ち上がる。もう帰る気らしい。
そんな臨也を、中学の同級生である新羅は咎めるように見上げた。眼鏡の奥の瞳は、少しだけ真剣な色を帯びている。
「静雄をどうする気なの」
「どうもしないさ」
口角を吊り上げて、酷く端正な顔をした男は新羅を見下ろした。
「ただ楽しそうだと思ってね」
薄く笑いを残して、臨也は図書室を去っていく。新羅はそれを、ただ肩を竦めて見送った。
「うーん…臨也は何を考えているのやら」
臨也が静雄をどう扱うかは興味があったし、静雄がそれにどう答えるのかも気になる。
「僕は成り行きを見守ろうか」
と言うより、それしか出来ないだろう。あの二人にとって、自分はあくまでも脇役なのだ。
新羅は小さく笑みを零すと、図書室の窓から空を見上げる。空はどこまでも青くて、もうすぐ夏が来るのだと思った。




折原臨也は友人が多い。廊下で擦れ違う彼はいつも誰かと一緒にいたし、登校も下校も見掛ける度に知らない人間といた。
「やあ」
臨也は静雄を見るといつもそう声を掛ける。「やあ」「平和島くん」「元気?」「またね」そんな当たり障りのないことを。
『君と友達になりたかったから』
なんて告げられ、その時は一緒に帰ったけれど、それから仲が進展したわけではない。クラスも違うし共通点もないのだから、当然と言えば当然だろう。臨也が静雄に挨拶をする度に、臨也の連れは変な顔をする。それくらい、臨也と静雄は人種が違うのだ。
一方静雄は大抵一人か、新羅と一緒にいた。友人なんて別にたくさんはいらなかったし、一人は気が楽だった。自分が近寄りがたい雰囲気を持っているのは分かっていたけれど、それを改善する気も更々ない。
そんな性分だったから、臨也が何故自分と友達になりたいと言ったのか、静雄には理解出来なかった。新羅に聞いてみても、さあ?と笑われるだけだ。悩んでも他人の考えが分かる訳もなく、静雄はもう臨也について考えるのはやめることにする。自分があの男を意識していることは気付かない振りをして。



「平和島くん」
名を呼ばれて顔を上げれば、教室の入口に折原臨也が立っていた。
静雄と目が合うと、臨也は笑って片手を上げる。静雄は訝しげに眉を顰め、扉の方へ歩み寄った。
「何か用か?」
「数学の教科書忘れちゃってさ。貸してくれないかな」
臨也は眉尻を下げ、申し訳なさそうな表情になる。わざとらしいくらいに。
「お前なら貸してくれそうな奴はたくさんいんだろ?」
どうしてわざわざ自分に?
そう口に出してから、静雄は内心しまったと思った。今の言葉は、何だか嫉妬をしているみたいでばつが悪い。
「俺は君から借りたいんだよ」
そんな静雄に、臨也はにっこりと微笑んで見せた。頼むよ、と両手を合わせて頼まれれば、無下に断るわけにもいかない。
静雄は溜息を吐くと、教科書を取りに教室へと戻る。机からまだ真新しい教科書を取り出すと、臨也へと渡してやった。
「ありがとう。終わったら返すよ」
「うちはもうそれ終わったから、今日中ならいつでもいい」
そう静雄が言うと、臨也は「じゃあ、」と酷く楽しそうに言葉を続けた。
「今日一緒に帰ろう。その時に返すよ」
「は?」
静雄が何かを言う前に、臨也はさっさと自分のクラスへ戻ってゆく。それと同時に、休み時間が終わる鐘が鳴り響いた。
「静雄ー、先生が来るよー」
茫然とその場に佇んでいた静雄は、新羅の声にハッとする。
慌てて席に戻り、次の授業の準備をするが、頭は酷く混乱したままだった。
…何なんだ、あいつ…。
折原臨也の目的が分からない。
そして何故自分がこんなに悩むのか分からなかった。
たかが一緒に帰ろうと言われたぐらいで、何故こんなにも自分は落ち着かないのだろう。
静雄は溜息を吐くと、腕に嵌めた時計を見た。下校時間までは、後2つも授業がある。それまでに頭が冷えていることを願うしかない。
静雄にはその時間が、やけに長く感じられた。




「食べる?」
差し出されたのはチュッパチャプスだった。黄色くて薄いその包装は、静雄の好きなプリン味だ。
「…食べる」
一瞬悩んだが食べ物に罪はない。
静雄は素直に臨也の手からそれを受け取り、包装を取っ払った。無造作に口に入れると、甘いプリンの味が広がる。
「それって47カロリーもあるんだよ。知ってた?」
「知らねえ」
そんなことどうでもいいじゃないか。
静雄は舌先でそれを舐めながら道を進む。臨也はくっくっく、と低く笑い声を漏らした。何が面白いのだろうか。
二人は学校を出て、池袋の街を歩いていた。折原臨也と一緒に帰る、と言うと、新羅はさっさと先に帰ってしまった。「ごゆっくり!」、なんて意味が分からないことを言って。
静雄は臨也のお喋りに時たま相槌を打ちながら、俺達は周りから友人に見えるのだろうか、と考えていた。男子高校生が二人で歩いていたら、大抵は友人だと思うだろう。同じ高校なのに制服が違うし、案外他校生同士に見えるのだろうか。
都会の空は青く、薄かった。太陽が出ている時間はどんどん長くなり、もう少しで夏がやって来る。穏やかな風が吹いて、静雄はそれに目を眇めた。
帰途で出会う臨也の友人達が、別れの挨拶をしてゆく。大きな声で「臨也、またなー!」と叫ぶ姿は、静雄には何だか滑稽に見えた。まるで犬が尻尾を振っているかのように。
「お前、友達多いよな」
静雄はなるべく平静を装ってそう言ってみた。ざわめく喧騒のせいで、自分の声は臨也に聴こえ辛いかも知れない。聴こえていないなら、それはそれで構わなかった。
「友達?」
臨也は静雄の言葉を反芻し、口端を僅かに吊り上げる。
「知り合い、だよ。ただのクラスメイトと友人は違うだろう?」
ははっ、と小さく笑い、臨也は目を細めた。
臨也にとってあのたくさんの飼い犬たちは、友人でも何でもないらしい。静雄はその言葉に驚き、眉根を寄せた。
「お前、冷たいな」
「でも平和島くんは友達だよ?」
表面に笑みを張り付かせたまま、臨也はさらりとそんなことを言う。
「だって君とは友達になりたかったからね」
「…何で俺と?」
静雄は問う。自分は無愛想だし、他人から好かれる方ではない筈だ。臨也みたいな男に好かれる理由が分からない。
「『何で』?──…何でかなあ」
臨也は笑ったまま、それ以上は何も言わなかった。しつこく聞くわけにもいかず、静雄は黙り込む。
何か変な雰囲気のまま、互いの家への別れ道に来た。
「んじゃあ、俺こっちだから…」
さっさと去ろうとした静雄の腕を、後ろから臨也が掴んだ。
「!?、なん…」
「メルアド交換しない?」
携帯を取り出した臨也にそう提案され、静雄は目を丸くする。断る理由もなければ度胸もなく、静雄も仕方なしに携帯を出した。
赤外線通信でメールアドレスと電話番号を交換し、臨也は満足そうに微笑む。
「ありがとう。メールするよ」
「…俺はあんまメールしねえぞ」
静雄はメールも電話も好きではない。携帯の登録件数だって数人しかいないのだ。
「俺がするからいいよ。…はい」
手を差し延べられて渡されたのは、色んな種類のチュッパチャプスだった。静雄の手の平で、カラフルなそれが転がる。
「弟さんとでも食べて。じゃあね」
臨也はにっこりと人の良さそうな笑みを浮かべ、さっさと角を曲がって行ってしまった。
そのあまりにも素早い去り方に、静雄は暫くポカンとする。手の平に乗せられたチュッパチャプスがひとつ地面に落ち、慌ててそれを拾い上げた。
──…弟って。
何故知っているのだろう。新羅からでも聞いたのだろうか。
静雄はチュッパチャプスを見詰めたまま、僅かに眉を顰める。
カラフルなそれは、今の自分の心とは正反対だった。


(2011/02/20)
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