Happy new year.




1月1日。元日。新年の始まり。NewYear'sDay。

その日はさすがに仕事は休みだった。一年の始まりを、日本中がお祝いをする日。
帰省も何もしない静雄にとって、そんな元日はただの日曜日と同じだ。朝からテレビは新年の挨拶ばかりで、面白い番組は何一つやっていない。かと言ってテレビを見る以外は何もすることもなくて、退屈で暇な一日だった。
「ふわあ…」
大きな欠伸をひとつしながら、静雄は家の外へと出る。
途端に襲って来る冷気に、ひっと身を縮こませた。裸足にサンダル、薄いTシャツ一枚の姿では、さすがに外は寒い。
静雄は足早に歩くと、アパートの前にあるポストを開ける。中には何通かの手紙やチラシが入っていて、下らないチラシは全て傍にあるごみ箱へ捨てた。
手紙だけを手にし、さっさと部屋へと戻る。幾分感じていた眠気は、冷気のせいで吹き飛んでいた。寒さで粟立った肌を、和らげるように腕を摩る。
つまらないテレビ番組を見ながら、静雄は手紙を一通ずつ確認した。今はメールで挨拶することが多いせいか、送られて来る年賀状は毎年減っている。元々友人も多い方ではないし、年賀状を送られる事自体が珍しい。届く年賀状の大半がダイレクトメールみたいなものだ。
ふと、その中の一枚に目が留まった。何の変哲もない普通の年賀ハガキ。平和島静雄様、と書かれている。
差出人を見てぎょっとした。右上がりの少し丸い文字で、「折原臨也」と名前が記されてあった。
「うっぜえ…」
嫌がらせに違いない。一年の始まりであるこの日に、大嫌いな男の名前を見る事になるとは。
可愛らしいウサギが印刷されたハガキは、臨也が出したかと思うとそれだけで苛々とする。静雄は盛大に舌打ちをし、見えないようにそのハガキをひっくり返した。
ちょうどその時、扉をガンガンと叩く音が部屋に響いた。
静雄はそれに嫌な予感がし、立ち上がる。こんな元旦の昼間から訪ねて来る知り合いなんて、静雄には全く心当たりがない。
施錠していない扉は、静雄が開く前に外側から開かれた。それと同時に、真っ黒な出で立ちをした男が中へと入って来る。首に巻いたマフラーだけが真っ青で、黒にその色は随分と映えた。
「やあ」
「……」
ぽかん。
静雄は唖然とし、目の前の男を目を丸くして見るしかない。
臨也はそんな静雄を面白そうに見遣ると、片方の口端を吊り上げて笑った。
「間抜け面だね」
「何しに来た」
静雄の体温が上昇する。コメカミに筋が浮かび、ギリギリと歯軋りの音がした。
並の人間ならば逃げ出しそうな静雄の様子に、臨也は全く動じない。
「新年のご挨拶に」
「ふざけんな」
「本当だって」
静雄の怒りの視線を受け流すと、臨也は赤いその目を細める。表情には笑みを張り付かせ、大袈裟に肩を竦めて見せた。
「年賀状も出したけどさ、直接挨拶した方がいいだろう?」
「死ね」
元日から嫌がらせのオンパレードか。静雄は頭を抱えたい気分だ。
「でさあ、一緒に初詣行こうと思って」
「はあ?」
静雄はまた間抜けな声を出す。怒りを通り越し、茫然とした。
この男は何を言っているのだろう。何故自分が殺したいほど憎い相手と出掛けなくてはならない。
「俺、明治神宮行ったことないんだよねえ。付き合ってよ」
「一人で行けよ」
「早く着替えて。待ってるから」
静雄の言葉は綺麗に無視し、臨也は玄関に座り込む。
「おい」
「待ってる」
臨也は足を組むと、両手を後ろにつく。完全に寛いだ体勢で、どうやら本気で待つ気らしい。
ご機嫌な臨也とは対照的に、静雄はズキズキと頭痛がした。臨也の自己中心的な行動には高校の時から振り回されている。そしてそれを結局は甘受してしまう自分がいて、心底反吐が出る思いだ。
はあっ、静雄は深く深く溜息を吐くと、着替える為に部屋へと引っ込む。明治神宮なんて恐ろしい程に混んでいるだろう。人間観察が趣味の男とは違って、静雄は人混みは嫌いだ。それだけでも憂鬱になり、機嫌は下降する。
静雄は渋々と着替え、ジーンズにTシャツ、黒のコートと言うラフな格好を選んだ。たかが初詣、それも臨也なんかと出掛けるのに、着飾るなんて御免だった。
それを見た臨也が、僅かに目を細める。
「シズちゃんの私服とか久し振りに見たよ。似合うじゃない」
その口調も表情も、珍しく揶揄するようなものではなかった。そんな臨也の言葉に、静雄は少し戸惑う。けれどそんなこと、おくびにも出さなかった。
「早く行こうぜ」
臨也を促して、家の外に出る。やはり外は上着を着ていても、寒いものは寒い。静雄は扉を施錠しながら、寒さに身を震わせた。
「シズちゃんちょっと薄着なんじゃないの?」
臨也が幾分苦笑めいた笑いを浮かべ、自身がしていたマフラーを外す。
「これ貸してあげるよ」
そう言うと静雄の返事を聞かず、さっさとそれを静雄の首に巻いてしまった。
「別にいらねえよ」
静雄は眉を顰め、無愛想な声を出すが、臨也の好きにさせていた。温かい、スカイブルーのマフラー。それはまだ臨也の温もりが残っていた。
臨也の匂いがする。
静雄はそれに、なんだか体温が上がった気がする。ひょっとしたら顔も赤いかも知れない。恥ずかしさをごまかすように、顔をマフラーに埋めた。
元日でも街は人だらけだ。休んでいる店もあるけれど、殆どが営業中。住宅街は静かだったけれど、やはり繁華街は騒がしい。
臨也と静雄が共に歩く姿を、街を行き交う人々がギョッとした顔で見て行く。静雄が有名人過ぎるせいか、二人の関係が知れ渡っているせいか、おそらく両方なんだろう。
臨也にはそれが滑稽で楽しいようだ。静雄の方はと言えば、そんなことは気にもしていない。人の目に晒されるなんて、もう慣れてしまっている。
池袋から明治神宮前へは電車で一駅だった。さすがに初詣客が多いのか、電車は元日なのに混んでいる。臨也の下らない話を聞きながら、静雄はたまに相槌を打つ。無口な方なので、大抵聞き役だ。
電車が着いて、地下鉄の駅から出ると、外の風景は木々だらけだった。渋谷区にあるのが信じられないくらい、緑が多い。
静雄も明治神宮なんて来るのは初めてだ。大きな鳥居をくぐり、人だらけの道をゆっくりと歩く。参拝する境内には恐ろしい程に人がいて、静雄はやはり来た事を後悔した。
「シズちゃんも明治神宮は初めて?」
「まあな」
臨也の問いに、静雄は素直に頷く。同時に吐いた息が白いのに、無意識に寒空を見上げた。青い空。白い雲。澄んだ空気は何だか心まで洗われそうだ。
寒く冷たいせいで空気が澄んでいる気がするけれど、本当は気のせいなんだろう。なんと言ってもここは都心なのだし、こんなにも人が集まって熱気で溢れている。それでもこの空の青さを見上げれば、都会の喧騒を一瞬忘れられた。
空を見上げながら、いつの間にか人混みに流されていたらしい。ハッと顔を前に戻せば、隣にいた筈の臨也の姿がない。
静雄は慌てて周囲を見回すが、同じ服装をした人間が多過ぎて見付ける事が出来なかった。
はぐれたか。
しまった、と思ったがもう遅い。戻ることも出来ず、ただ人の流れに合わせて進むしかなかった。
家族、恋人、友達、老若男女。たくさんの人々が境内にはいる。それはまるで自分を取り囲んでいるようで、何だか静雄には恐ろしい。こんなにも人間はいるというのに、この世界で自分だけが独りな気がした。
ギュッと無意識に、首に巻かれたマフラーを掴む。それは少しだけ臨也の匂いがして、まるで傍にいるような錯覚を覚える。
あんな天敵のような男でも、いないと寂しいのか。
馬鹿馬鹿しい考えだ。臨也なんかといるよりは、独りの方がいいに決まっている。
それなのに臨也が居ない今、自分は酷く不安だ。臨也の温もりに縋るように、静雄はマフラーに顔を埋めた。
ぐいっ。
突然横から伸びて来た手に腕を掴まれ、静雄は体のバランスを崩す。そのまま体を引っ張られ、腰に腕を回された。
驚いて顔を上げれば、至近距離に赤い目があった。その赤い双眸には自分が映っている。
「…いざ…、」
「大丈夫?」
臨也はニィと口端を吊り上げて笑い、そのまま静雄の顔を覗き込む。互いの吐息が触れ合う程の距離に、静雄はぎょっとした。境内を歩く参拝客も、驚いた顔で二人を見ている。
「ちけえよ、離れろ!」
「だってシズちゃん寂しそうな顔してたからさ」
身を捩る静雄に、臨也は笑って体を離す。ホッとしたのも束の間、右手を強く握り締められた。
手を繋がれた、と思う間もなく、臨也は静雄の手を掴んで歩き出す。
「おい、臨也…っ」
「はぐれないように、だよ」
臨也は笑い声を上げたが、振り返らなかった。静雄の手を強く引いたまま、ずんずんと先を歩く。人混みのおかげで、誰も手を繋いだ自分達に気付かない。
それでも静雄には恥ずかしくて、頬を赤くする。
決して臨也が相手だからじゃない。いい歳をした男同士が手を繋ぐことにだ。
…なんて、自分に言い訳めいたことを思う。
離そうと手を引いて見ても、臨也の手は離れない。それどころか指を絡ませて、ぎゅうっと握られてしまった。
「臨也、離し…」
「シズちゃんは何を願う?」
臨也は口端を吊り上げて、静雄の言葉を遮る。
「俺は今年こそシズちゃんが死にますように、って願おうかなあ」
「うぜえ」
いつもの憎まれ口に、静雄は手を離すタイミングを失ってしまった。まだマシなのは、臨也がこちらを振り返らないことだ。今この赤い顔を見られたら、静雄は憤死するかも知れない。
臨也は肩を竦め、静雄の手を強く握ったまま賽銭箱付近まで進む。ずっと繋がれていた手は、そこで不意に離された。
「二拝二拍手一礼だよ」
「…分かってる」
静雄は小銭を取り出して賽銭箱へ投げた。頭を下げ、柏手を打って、手を合わせる。
去って行った臨也の手の温もりが寂しい、なんて。
静雄は目を瞑り、そんな考えを振り払った。
大人になってから、誰かに手を繋がれたのは初めての事だ。そのせいで少し変な気分になっているのかも知れない。
「シズちゃん願い事長いよ」
隣で笑われて目を開く。考え事をしていたせいで、願い事を言うのを忘れてしまった。
「どうかした?」
「なんでもねえよ」
揶揄するような臨也の視線を逃れ、静雄は踵を返す。
もう一度手を繋ぎたい、なんて。
馬鹿馬鹿しい事を咄嗟に願ってしまった。一年の始まりに、自分は何をやっているのだろう。
「シズちゃん」
臨也が追ってきて、後ろから名を呼ぶ。しかし静雄はそれに答えずに足早に歩き出す。
きっと、自分はどこかおかしいのだ。こんな大勢の人間がいる場所で、はぐれてしまったせいかも知れない。
何だか頬が熱い。耳までも。さっきまで冷気のせいで、体は冷えていたと言うのに。
「ねえ」
後ろから伸びてきた手が、不意に静雄の手を掴んだ。静雄はそれに驚いて振り返る。
「またはぐれるよ」
臨也は静雄の顔をじぃっと見詰めて来た。その顔には珍しく、揶揄するような色はない。
「おいで」
静雄の手を引っ張って、臨也は人混みをくぐり抜けてゆく。男二人が手を繋いでいても、参拝客は誰一人気に止めない。
指先だけが冷たい、臨也の手。
臨也はさっきと同じように、振り返らずに前を歩いてく。
その後ろ姿を見ながら、静雄はふと気付いた。
臨也の耳がほんのり赤い。もしかしたら顔も。
まさか、臨也も照れているのか。あの臨也が。
「…っ」
静雄の顔が、また熱くなる。
ああ、もう!なんなんだ一体。大嫌いな筈の天敵と、自分は何をしているんだろう。
それでも静雄は、臨也の手を優しく握り返した。ぴく、と臨也の手が僅かに動く。
「シズちゃんは何を願ったの?」
前を向く臨也の黒髪が、風でふわりと揺れる。はあっと、白い吐息が見えた。
「誰が言うか」
「ケチだなあ」
減るもんじゃないだろうに。臨也はそう言って笑う。
静雄はそれに、何も答えなかった。
もう叶ってしまったなんて、口が裂けても言えない。もし言ったとしても、この男は笑っただろう。こいつはそう言う男だ。
「手前は何を願い事したんだよ」
静雄の問いに、臨也は暫し黙り込む。そして繋いだ手を強く握ると、振り返って笑った。

「今年一年、シズちゃんと一緒にいれますように」

2011/01/02
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -