12月26日






もうすぐクリスマスが終わる。
静雄は壁に掛けられた時計を見て溜息を吐いた。
カーテンがない部屋の窓からは、新宿の夜景が見えている。空には星が少しだけ瞬き、月だけがこちらを見ていた。
静雄の待ち人であるこの部屋の主は、まだ帰らない。鍵だけ渡されて、待っていてと言われたのは昨夜のことだった。
多分仕事が忙しいのだろう。いや、ひょっとしたら違う誰かとクリスマスを過ごしているのかも知れない。あの男は顔だけは良く、きっとモテる筈だ。クリスマスの誘いなど、引っ切り無しだろう。
なんにせよ、静雄には関係がないことだった。
そう思うのに、言われた通り素直に部屋で待つ自分に嫌気がさす。あの男の香りがするこの部屋で、あの男を大人しく待っているのが最高に気持ちが悪い。
静雄はソファに座り込み、ぼんやりとテレビの画面を見つめた。番組の内容なんてちっとも頭に入って来ない。クリスマスにはドラマ放映も少なく、出演する弟をチェックする必要もない。
食事をとっていない腹からは、空腹を訴える音がした。静雄はそれでも何かを食べる気にはなれず、瞬きもせずにテレビの画面を眺めている。まるで人形のように動かずに、ただずっと。
不意に携帯電話が鳴った。
静雄はその音に驚き、慌てて携帯をポケットから出す。それは親友からのメールの着信だった。
待ち人からではないのに落胆し、携帯を開く。せっかく親友がメールを送ってくれたと言うのに、落ち込んでしまった自分に少しの嫌悪を覚えた。
『メリークリスマス。今日は来れなくて残念だった』
ああ、そう言えば今日は新羅の家のパーティーに誘われていたんだった。
静雄は思い出し、深く溜息を吐く。
こんなことなら新羅の家に行くんだった。クリスマスの夜に一人空腹でいるよりは、それはどんなに有意義だった事だろう。
静雄は親友に謝罪のメールを返信すると、自身の頭をくしゃっと掻き毟る。苛々を少しでも和らげようと煙草に手を伸ばすが、紙のケースは見事に空だった。
時計を見れば、後30分でクリスマスが終わる時間だ。静雄はそれに馬鹿馬鹿しくなり、ソファから立ち上がる。
帰ろう。
早く家に帰って寝よう。
こんな日は寝てしまうに限る。
コートに袖を通し、テレビの電源を消す。リビングの明かりも消して、静雄は部屋から出た。
鍵を掛けるか悩み、結局施錠する事にする。本来なら鍵を部屋に置いて行きたかったけれど、仕方がないだろう。
マンションから出ると、冷たい空気が身を包む。そう言えば他の地域では大雪だと聞いた。クリスマスに寒波とは、ついてない話だと思う。
はあっと吐く息は白く夜空へ消える。たまにチカチカと窓が光る家は、クリスマスツリーでも飾っているのかも知れない。
静雄は目を伏せ、ゆっくりと夜道を歩く。人通りが少ない、マンションが立ち並ぶ住宅街。たまに通る車のライトが眩しくて、静雄はそれに目を細めた。
会えなかったな。
静雄は上着のポケットに両手を突っ込んで、月を見上げる。
結局、クリスマス中には会えなかった。
静雄はそれを悲しく思っている自分に気付く。
会ったって多分、ムカつくだけだ。勿論それは分かっていたけれど、それでも。
冷たい風が吹き、静雄の髪を揺らす。鼻先も頬も耳も、冷たかった。スン、と鼻を啜る。乾いた道に、靴音だけが響く。
何故、あの男は待っててなんて言ったのだろう。
何故、自分はずっと待っていたのだろう。
からかわれたのかも知れない。
案外こんなふうに待っていた静雄を、どこかで見て笑っているのかも知れない。
いつもこうだ。
昔から自分ばかり悩んで。
あの男は人より高い位置から嗤っているだけなのだ。高校の頃から、ずっとずっと。
「馬鹿みてえ」
思わず悪態が口をついて出ると、
「何が?」
後ろから声を掛けられた。
静雄はそれに、ピタッと足を止める。目を丸くし、瞬きを一度した。
「待っててって言ったのになあ」
後ろから聞こえる声は、僅かに笑いが含まれている。良く知っている声。
「まあちょっと遅くなっちゃったけど」
静雄は振り向かない。
振り向かなくたって分かる。
この、人を馬鹿にした、嫌な喋り方。
「…何がちょっとだよ」
発した静雄の声は掠れていた。
「ちょっとじゃねえだろうが」
「…うん。ごめん」
後ろの声は、少しずつ近付いて来る。
携帯の時計を見れば、もう日付が変わったところだった。
「…クリスマス、終わったぞ」
静雄は振り返らないまま、言葉を紡ぐ。
「もう26日だ」
「日付なんて関係ないよ」
後ろから伸びて来た腕に、静雄は背中から抱き締められる。首に相手の前髪が触れ、少しだけ擽ったい。
「臨也」
静雄は顔だけを振り返り、抱き締めて来る男を見た。
臨也は口端を吊り上げ、静雄の肩口に顔を埋める。
「メリークリスマス、シズちゃん」
静雄はそれに目を伏せ、臨也の手に自身の手を重ねた。触れ合った互いの手は冷たい。
「…メリークリスマス、臨也」
そう答えた吐息は白く、静雄の頬を掠めて空へ消えた。


(2010/12/26)
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