12月24日






ああ、クソ!
静雄は盛大な舌打ちをすると、銜えていた煙草を地面へと投げ捨てた。踵で踏み潰すと、ジャリっと音がする。
今日は12月24日。つまりクリスマスイブだ。
金曜の夜と言うこともあり、池袋の街は騒がしい。街角にはクリスマスツリーが煌めき、色とりどりの世界が広がっている。キラキラと光るイルミネーション、どこからか聴こえるクリスマスソング。
こんな日でも静雄は普通に仕事だ。師走と言うこともあり、借金の回収は忙しい。年末は一年で一番金が動く。
はっきり言って、静雄はクリスマスイブに興味はなかった。サンタクロースを待つ歳ではないし、プレゼントをくれる恋人なんてのもいない。静雄にとって12月24日と言う今日はただの平日で、仕事が終わったらさっさと家に帰る筈だった。
なのに。
チッ、と静雄は再度舌打ちをした。
目の前には静雄がこの世で一番大嫌いな天敵がいる。距離は大体10メートルぐらいだろうか。いつものようにムカつくぐらい綺麗な顔で、シニカルな笑みを浮かべて立っている。
騒がしい雑踏に紛れ、臨也はこちらを見て何かを言ったようだ。それは静雄には聴こえない。
クリスマスイブで騒がしい街は、静雄と臨也に気付いた者達が道を避けてゆく。案外、ダラーズの掲示板あたりで避難警報でも出ているのかも知れない。それともメールが出回ったか。どちらにしろ、静雄にはどうでも良い事だった。
「池袋に来るなっつったよな?」
サングラスを外し、それをポケットに入れながら、静雄は臨也との距離を詰めてゆく。
「せっかくのクリスマスイブだし、俺は喧嘩は遠慮したいんだけどな」
口調とは違い、臨也はちっとも嫌そうではない。だんだんと近付いて来る静雄のきつい眼差しを受け止め、楽しげに笑って見せた。
「そのクリスマスイブに手前の顔なんぞ見る羽目になった俺に謝れ」
静雄のコメカミに、青く筋が浮かんで来る。拳を握り締めれば、バキバキと指が鳴った。
臨也はそれを見ながら、一歩後ろへ後退する。
「俺はシズちゃんに会いに来たのに。酷いなあ」
「黙れ」
静雄が吐き捨てるのと同時に、臨也は笑って身を翻す。それを見た静雄も、臨也を目掛けて駆け出した。
追いかけっこスタートだ。
人通りが多い町並みを、二人は風のように駆けて行く。たまに雑踏が悲鳴を上げ、二人の為に道を開けた。自販機が飛び、標識が空を舞う。けれどもそれは臨也には掠りもしない。とにかく臨也はすばしっこくて、静雄の攻撃を颯爽と避けてゆく。
気付けば誰もいない路地裏で、静雄は臨也を見失ってしまっていた。どうやら今日もまた、天敵に逃げられたらしい。
「…うぜえ」
乱れた息を整え、額の汗を拭う。こんなクリスマスイブの夜に、自分は何をやっているのだろう。世間ではクリスマスを皆が幸せに過ごしていると言うのに。
静雄はウンザリと溜息を吐くと、本日何度目かの舌打ちをした。
新たに煙草を取り出すと、一本口に銜える。火を付けようとして、突然その腕を掴まれた。
「…っ、」
そのまま建物の陰へと引き寄せられ、口に銜えた煙草が落ちる。静雄が驚いて顔を上げると、目の前に酷く端正な顔があった。
「手前…っ」
「言っただろう?シズちゃんに会いに来たって」
臨也は口端を吊り上げて笑い、静雄の顔を覗き込む。吐息が触れる程の至近距離に、静雄は何度も瞬きをした。顔を背け、後ずさろうとするが、壁に背中を押し付けられる。
「な…っ、」
「シズちゃん」
壁に手を付かれ、逃げ道を塞がれた。臨也の顔は珍しく真摯で、静雄は文句を言おうとした口を噤む。
「明日仕事、休みだよね」
「は?」
突如言われた言葉に、静雄は目を丸くした。
何故臨也がそんなことを知っているのだろう。そもそも何の為にこんなことを言うのかが分からない。
臨也は静雄の耳元に唇を近づける。微かに臨也の香水の匂いがした。
「明日はクリスマスだからさ、」
手を掴まれ、何かを握らされる。硬い金属の、冷たい感触。
静雄は臨也から目を逸らすと、手の中のそれを見下ろした。
それは鍵だった。
銀色に光る、小さな鍵。一目でどこかの家のものだと分かる。
「…なんだよこれ」
静雄は狼狽し、声が上擦ってしまう。これがどこの家の鍵かなんて、直ぐに予想がついた。
「明日、勝手に入っていいから」
臨也は唇を吊り上げて、酷く楽しげに笑う。
「うちで待っててくれないかな」
そう言って、優しく頬を撫でられた。温かい、華奢な指先で。
この臨也の言葉に、静雄の頬が瞬時に赤くなる。
「な、なんで俺が…」
顔が熱い。耳も熱い。
ドキドキと響く心臓の音だけが、いやに耳に響く。
「クリスマスだから」
臨也は低く笑い声を上げると、壁から手を離す。頬を撫でる温もりも消えて、静雄は僅かに身を震わせた。
「俺が行くわけねえだろ」
静雄が鍵を握り締めて睨むのに、臨也は僅かに目を細める。
「そしたら俺が悲しむだけだ」
臨也は何でもないことのようにそう言い、静雄に背を向けた。
「また明日。シズちゃん」
「おい、」
「じゃあね」
静雄の制止など聞かず、臨也は軽やかな足取りで去ってゆく。背中をこちらに向けたまま、軽く手を上げて。
静雄は追い掛ける気にはなれずに、ただ黙って臨也を見送った。
そして手の中には、小さな鍵がひとつ残される。
「…うぜえ」
静雄は一人呟き、その鍵を握り締めた。

それは何だか酷く重く、まるで足枷のように感じられた。



(2010/12/26)
×
- ナノ -