Merry Christmas



唇から真っ白な吐息が上がるのを、静雄はぼんやりと見送った。
空は真っ青で雲一つない。暖かくはないけれど、こんな快晴では雪は多分降らないだろう。今朝見たニュースによると、最後にクリスマスに雪が降ったのは44年も前らしい。今年も東京はホワイトクリスマスは無理そうだ。
静雄はマフラーで口許を隠すと先を急ぐ。クリスマスだろうがなんだろうが社会人には仕事がある。今日はあと一件取り立てが残っていて、これから現地で上司と待ち合わせだ。
街のどこからかクリスマスソングが聴こえて来た。池袋の街は朝から騒がしい。サンタクロースの格好をした若者がいたり、腕を組んだカップルが街を歩いてゆく。それらを眺めながら、自分も歳を取ったな、と静雄は思ってしまう。
イベントごとには殆ど興味が湧かないし、予定もなかった。寂しいとは思わないが、味気無さは感じたりもする。これでももっと若い頃は酒を飲んで騒いだりもしたけれど、今はそれすらも面倒臭い。
「シーズちゃん」
そんな時、不意に後ろからぽんと肩を叩かれた。
自分に気軽に話し掛けて来る人間は少ない。その中でもボディタッチをして来るとなるとまた限られる。更にこのムカつく愛称で呼ぶのは世界中でただ一人しかおらず、静雄はうんざりとその声に振り返った。
「…臨也」
「やあ」
臨也は目を糸のように細め、唇を歪めてその場に立っていた。
相変わらず虫が好かない笑顔をしている。何を考えているのか全く掴めないその表情は、静雄が大嫌いなものの一つだった。
「気軽に話し掛けんな」
肩に置かれた手を振り払う。こうやって臨也が触れて来るのも静雄は苦手だ。普段は自分にナイフを向けて来る癖に、その手はたまに優しく触れる。何だかその手は熱く感じて、静雄には少し辛い。
「今日は喧嘩しに来たんじゃないんだよね」
臨也は笑顔を崩さずに、ニコニコと静雄を見遣る。この男が愛想が良いのはろくなことがない。静雄は内心で警戒を強めた。
「今日クリスマスだしさ、デートしない?」
「は?」
聞き間違いかと思った。
静雄は目を丸くし、ぽかんと臨也を見る。臨也はそれに楽しげに笑い声を上げ、静雄の耳元に唇を寄せた。
「一緒に食事でもしようよ」
「するわけねえだろ」
静雄は吐き捨てるようにそう言うと、臨也から距離を取る。
「夜に家に迎えに行くよ」
「おい、」
「じゃあね」
臨也は口端を吊り上げて笑い、そのまま人の波に消えてゆく。残された静雄は茫然と、ただそれを見送っていた。頭の中は混乱でぐしゃぐしゃになりながら。

お陰でその後の仕事は殆ど身が入らなかった。デートと言う単語が頭をぐるぐると駆け巡る。
どうせいつもの冗談なのだろう。からかって楽しんでいるのだ。
そう思うのに、静雄は気分が落ち着かない。意味もなく部屋を歩き回り、そわそわと時計を何度も見てしまう。
もう直ぐ9時だ。
やはり、からかわれたのかも知れない。
悔しいけれど、それはそれで良かったと思えた。静雄はデートなんてマトモにしたことはないし、相手が臨也なら尚更対処に困る。どこの世界に殺したくて堪らない相手と、デートする奴がいるのだろう。
静雄は溜息を吐くとベッドに座り込んだ。ギシッと安物のスプリングが揺れる。真っ白なシーツに顔を埋めると、洗剤の香りがした。
その時、ガンガンと扉を叩く音がした。静雄はハッとして身を起こす。それと同時に扉が開き、部屋の中に臨也が入って来た。
「うわ、まだ9時なのにもう寝てるの?サンタクロースを待つ子供じゃないんだからさ」
「手前、…」
静雄は驚きと戸惑いのせいで言葉が続かない。臨也は部屋の真ん中まで入り込み、テーブルの上に白い箱を置く。
「ってかさ、なんでシズちゃんちインターホン鳴らないの?電池切れてるんじゃない?ドアには施錠もしてないしさ。無用心にも程があるよ」
ベラベラベラベラと良く喋る男だ。静雄はそんな臨也にうんざりとし舌打ちをした。
「何しに来た。つうかこれって不法侵入だよな?」
「夜に家に行くって言ったじゃない」
静雄の怒りなど臨也にはどこ吹く風だ。
「仕事が長引いちゃって遅れたんだよ。これからどっか行くんじゃ食事は無理かなあ」
臨也は大袈裟に溜息を吐くと、白い箱を開けた。その途端、部屋に甘い匂いが広がる。どうやら中身はケーキらしい。
「シズちゃんケーキ好きでしょ?一緒に食べよう」
臨也はそう言うと、静雄の返事も聞かずにキッチンへと向かう。「フォークとかないわけー?」と間延びした声がするが、静雄は聴こえなかった振りをした。
全く理解不能だ。
何故折原臨也が自分の家に来るのか分からない。
それもクリスマスにデートとか。まるで恋人同士がすることじゃないか。
大体臨也の顔だと女に不自由なんてしない筈だ。高校生の時から色んな女に告白されているのを静雄は知っている。
「はい」
気が付くと、目の前にケーキを手にした臨也が座っていた。フォークで一口分を切り取って、静雄の口許へと差し出す。
「なっ、」
「あーんは?」
臨也はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべ、上目遣いに見上げて来る。
「ふざけんな!何があーんだっ」
静雄は慌てて臨也から距離を取るけれど、顔が羞恥で熱い。きっと今の自分の顔は、真っ赤になっているに違いなかった。
「だってシズちゃんち、フォーク一本しかないからさ。一緒に使うしかないじゃない」
「スプーンでいいだろ。つうか、俺は手でいい」
「野蛮」
やれやれ、と言った感じで苦笑し、臨也はフォークに乗せたケーキを自分で口に入れる。「まあまあかな」と言って、赤く濡れた舌で唇を舐めた。
「シズちゃん食べないの?甘いの好きだったよねえ?」
「好きだけど…」
正直食べたい。静雄はケーキが大好きだ。この部屋に広がる甘ったるい匂いが気になる。夕飯も食べていなかったし、腹が減っていた。
「ほら」
臨也がまたケーキが乗ったフォークを差し出す。
鼻に香る生クリームの匂い。卵色でふわふわのスポンジケーキが美味そうだ。
静雄は小さく舌打ちをすると、怖ず怖ずと薄く唇を開いた。
ぱくっ。
口の中で生クリームが溶け、上品な甘さが口に広がる。それはとても美味しくて、静雄は僅かに目を丸くした。
「…美味い」
「だよねえ。滅多に食べない俺でもそう思うし」
臨也は珍しく素直に頷く。ぱくっと自分でもまた一口食べて、「ちょっと俺には甘いけどね」と笑った。
きっとどこか高級な店から買って来たのだろう。臨也はこう言うのに金を掛けるタイプだ。そしてそれを理解してしまう自分に、静雄は少しだけいらつく。
「あーん」
尚も臨也は口へと差し出して来た。今度は真っ赤な苺がフォークに突き刺さっている。
「一人で食える」
「一回も二回も変わらないよ。ほら」
しつこく唇に苺を当てられて、静雄は渋々と唇を開いた。その途端に入り込む、冷たい感触。噛むと甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。
「…酸っぱい」
「ケーキには酸っぱい方がいいよね。本来冬は苺の季節じゃないし。…ああ、そう言えば、」
些か芝居がかった仕草で、臨也は小首を傾げる。
「間接キスだねえ、これ」
ペロッと赤い舌でフォークを舐めて見せた。
「ばっ…、」
かあっと静雄の頬が赤く染まる。
ああ、うざいうざいうざいうざい…。こいつのこう言うところが大嫌いだ。静雄は赤い顔を手の平で隠し、隙間から臨也を睨む。
「手前もう帰れよ」
「なんで」
「クリスマスを一緒に過ごす女ぐらい居るだろうが」
天敵と過ごすよりよっぽど有意義だろう。
静雄がそう言うと、臨也は笑って肩を竦めた。
「好きな子と一緒の方がいいよ」
「じゃあそいつと過ごせよ」
ズキン、と何故だか胸が痛んだ。息が苦しくなって、静雄は思わず目を逸らす。
そんな静雄を見て臨也は赤い目を細めた。口端を吊り上げて笑い、苺を口に入れる。
「シズちゃんって鈍いなあ」
「はあ?」
「そんな傷付きました、なんて顔してさ」
臨也はケーキが乗った皿をテーブルに置く。カシャン、とフォークが音を立てた。
「好きな子と過ごしたいからここに居るんだよ」
臨也の手が静雄の腕を掴む。
静雄は意味が分からなくて、何度も瞬きを繰り返した。
「…は?」
「分からない?」
臨也の顔がゆっくりと近付いて来る。
好きな子って。
誰が?
誰の?
…まさか、
静雄は混乱したまま臨也の顔を凝視する。
臨也はくぐもった笑い声を出し、僅かに目を伏せた。
「好きだよ、シズちゃん」
「…っ、」
静雄の顔が赤くなる。

やがて重なった唇は、苺の味がした。


(2010/12/25)
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