静雄は煙草を燻らせながら、池袋の街を歩く。街はまだ11月だと言うのに、もうクリスマスの飾り付けが施されている。駅の前の横断歩道を渡ると、巨大なクリスマスツリーももう飾ってあった。池袋の街は、年々クリスマスの準備が早くなっている。
ファストフード店前の信号を待ちながら、静雄はさっきの新羅の言葉を思い出していた。
臨也に彼女がいると言うのは知っている。今までに何度か小耳に挟んだし、見掛けたことさえある。
きっと彼女にも、自分が体験したあの一週間のように接しているんだろう。手を繋ぎ、電話をし、デートをして。
当たり前だ。恋人ならば。
静雄は不意に、今指に嵌まっている指輪を無理矢理引き抜きたくなった。自分の力で本気を出せば抜けるだろう。そのかわり、指輪は壊れるだろうけれど。
これはまるで呪いだ。
静雄は考える。指輪には鎖が付いていて、きっと自分は過去に繋がれているのだ。いつまでも高校生の時の想いを引きずって、時の流れに流されている。
タイミングが悪い時と言うのはあるもので、信号待ちをしている横断歩道の向こう側に、真っ黒な出で立ちの男が立っていた。
男は静雄と目が合うと、その口端をゆっくりと吊り上げる。嫌味なくらい、綺麗な顔で。
静雄はそれだけで全身の血が沸き立つような気がした。
もうこれは条件反射なのかも知れない。歯はギリギリと歯ぎしりで音がし、コメカミには青い筋が浮ぶ。
信号が青になり、静雄の周りが一斉に歩き出した。人の波が緩やかに進むのに、静雄だけはその場で動けずにいる。
横断歩道の向こう側で、臨也も動かずに立っていた。その口許には笑みを浮かべたまま。
やがて青信号が点滅し、静雄は拳を握り締める。早く渡らねば、信号は赤に変わってしまう。
臨也の方は横断歩道を渡らず、踵を返して突然走り出した。それと同時に、静雄も駆け出す。追いかけっこスタートのサイン。

「いざやあぁぁぁぁぁあああ」

天を裂くような叫び声が池袋の街に響いた。



自販機が空を舞い、地上に落下する。噴き出す液体、転がる缶。臨也はそれを器用に避けて行く。
「運がないなあ、俺も。シズちゃんに見付かるなんて」
「黙れ」
静雄は忌ま忌ましげに舌打ちをし、コンビニのごみ箱を臨也目掛けて放る。しかしそれはまたも綺麗に避けられ、アスファルトの上でひしゃげてしまった。
「怖いなあ」
力や丈夫さでは圧倒的に不利な筈なのに、臨也はいつも余裕な態度を崩さない。それが更に静雄の怒りを増幅させる。
路地裏には誰もいない。二人っきりだ。こんな危険な場所に留まる通行人などいないだろう。静雄はだからこそ、思い切り力を使える。道路脇の標識を引き抜こうとして、左手を伸ばした。
そのとき、臨也の赤い目が猫のように急に細くなった。片方の眉が吊り上がる。
「どうしたの、それ」
何の事か分からずに、静雄は眉を顰めた。
「指だよ」
臨也の冷たい声に言われ、はっとする。標識を掴もうとしていた手を、ピタリと止めた。
静雄の左手の薬指に、真っ白な包帯が巻かれている。傷の治りが驚異的に早い静雄には、あまり必要がない筈の包帯が。
「シズちゃんが怪我をしたなんて報告受けてないけどなあ」
臨也は静雄に近付いて、静雄の手首を掴む。その赤い目はいやに真剣で、静雄は少し動揺する。
「誰にやられたの?」
「手前には関係ねえだろ」
静雄は慌ててその手を振り払った。包帯を巻いていても、触られれば指輪の形は分かってしまう。
「何だか随分と焦ってるね。その手に何か秘密でもあるの?」
臨也はいつもの嫌な笑みを浮かべて、探るように静雄を見た。揶揄するような口調な癖に、目は真剣だ。
静雄は舌打ちをすると、臨也のその目を睨みつける。内心の動揺を悟られないように願いながら、じりじりと後ずさった。
静雄は臨也に背を向けると突然走り出す。馬鹿みたいだ、と思ったけれど駆け出した足は止まらなかった。
きっと臨也のことだから後から色々厭味を言って来るだろう。それでも静雄は逃げる方を選んだ。今この包帯の中を見られるのは、絶対に嫌だったから。
臨也は追っては来ない。
当たり前だろう。元々はいつも鬼は静雄なのだ。鬼が逃げ出したのだから、臨也はさっさとどこかに姿をくらましたに違いない。静雄はそれでも足を止めなかった。
何から逃げているのだろう、自分は。
走りながら考える。
過去の自分はぴったりと後ろに張り付いている。気持ちからは一生逃げられないと言うのに。


静雄はそれでも走り続けた。



(2010/12/01)

(2010/12/09)見れない方がいるので修正
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