2.



教師に呼び出されて、静雄はただ黙って話を聞いていた。
何故休んでいたのだとか、いつもの乱闘がどうだとか、髪が金髪のことまで、ぐちぐちと言われる。うんざりとしてはいるが、さすがに静雄も教師には手を上げない。
この幾分若い男の教師を、静雄は苦手としていた。直ぐに肩に触れたり、腰に触れたり、いやに体に触れて来る。気持ちが悪い。
進路指導室、という大層立派な名前の密室で、静雄は目の前の教師に肩を抱かれた。
ぴく、とコメカミが動き、怒りのメーターが上がって行くのを必死に堪える。
目の前のなんの変哲もない机を見て、これを真っ二つに出来たらどんなに良いだろうと考えた。ポキリ、と指の骨が鳴る。
教師の吐息が頬に触れ、気持ち悪さに静雄は遂に決意した。ぐっ、と拳を握り締める。退学になろうが何だろうが知ったことか。今この瞬間にこいつを殴らねば一生後悔するだろう。
その時にバン、と凄い勢いで扉が開いて中に人が入って来た。
驚いてそちらを見れば、折原臨也が口端を吊り上げて立っていた。その顔には笑みを浮かべているのに、赤い目だけは笑っていない。
教師は静雄以上に驚いて慌てふためく。鍵をかけていたのにと、しどろもどろになった。
臨也は教師に近付くと耳元に何やら囁く。それを聞いた教師は真っ青になり、直ぐに逃げるように部屋を出て行った。きっと臨也の事だ。何か嫌なネタで脅したのだろう。静雄は少し教師に同情した。
「大丈夫?」
臨也は静雄を振り返り、面白そうに唇を歪める。静雄は目を逸らし、舌打ちをした。
「よく殴らなかったね」
からかうようにそう言うけれど、本当に感心してるようだ。臨也は静雄自身よりも、静雄の性質を知っている。
「何しに来たんだよ」
「捕われのお姫様を助けに」
芝居がかった態度で、臨也はわざと静雄に恭しく御辞儀をする。静雄はうんざりとして舌打ちをした。どうせ新羅あたりから聞いたのだろう。新羅はああ見えて案外お喋りだ。
「あの教師、俺にも結構しつこかったからねえ。シズちゃんは顔が綺麗だからこんな事だろうと思ったよ」
臨也はそう言いながら、部屋に鍵をかける。静雄はそれを見ても黙っていた。
「俺、自分の所有物に触れられるのだぁい嫌いだしねえ」
「誰が所有物だ、死ね」
静雄は吐き捨てるようにそう言って、机に軽く腰を掛ける。先程これを真っ二つしなくて良かった、と思いながら。
「シズちゃん」
臨也は机に片手を置き、静雄の体に密着させる。端正な顔が吐息が触れる位置に近付くのに、静雄は微かに動揺した。
「ちょうど良かったよ。外野がいないところで話したかったからね」
二人きりで。
「俺には話しなんてねえよ」
苛立ったように歯軋りをして、静雄は臨也から目を逸らす。こんな至近距離に居て、逃げるなんて無理な事だった。
「俺はあれ、強姦だとは思ってないよ」
臨也はそう言って、唇をゆっくりと三日月のように形作る。悪魔のような笑みだ、と静雄は思った。
「だって君の力なら抵抗は簡単だったろう?俺と君との戦闘能力の差は歴然で、疑う余地なんてこれっぽっちもないんだからさ」
黒い悪魔は言葉を紡ぐ。静雄は逃れられない言葉の糸に、雁字搦めにされている気がした。
静雄は無言で臨也を見詰め返す。間近で見る臨也の顔は、本当に綺麗だと思う。例え中身が悪魔みたいな男でも。
静雄だって本当は分かっていた。部屋に引きずり込まれ、押し倒されて。口づけられて、服を脱がされて。それでも静雄は抵抗しなかった。本気で抵抗したらどうなるかぐらい、自分が一番分かっている。
「あれはシズちゃんが自分の意思で、俺に抱かれたんだよねえ」
臨也が楽しげに笑うのに、静雄は小さな舌打ちをした。それでも否定はせずに黙って臨也の赤い目を睨みつける。
静雄のきつい眼差しが、自分を捉えた時に更に煌めくのを臨也は知っていた。恐らく静雄自身は知らないだろう。その事実に臨也は軽く眩暈がする。
「シズちゃん」
名を呼ぶ声が酷く甘ったるく、臨也は自分でも少し驚いた。それは静雄にも伝わったようで、僅かに目が丸くなっている。
別に構わない。
自分がどれだけ静雄を欲してるか、なんて。
臨也は静雄の頭を両手で掴んだ。そのまま引き寄せて少し乱暴に口づける。
臨也は目を開いたままだった。口づけられている静雄も。網膜に相手の姿を焼き付けようとするみたいにただじっと。
舌を絡ませ、吐息が甘くなるまで、臨也は何度も何度も口づけた。静雄の腕が臨也の背中に回される。体が近付いて、更にキスが深くなった。
長く重ねられたキスが終わり、臨也はゆっくり体を離す。静雄は顔を赤くして、臨也から目を逸らしていた。不機嫌な顔をしているのに、酷く可愛らしい。
「俺は君が何で抱かれたのか知っている」
赤く濡れた静雄の唇を、臨也は親指で拭ってやった。
「そして君は俺が何で抱いたのか知っている」
臨也の赤い目がじっと静雄を見ている。口角を吊り上げて、優しそうな笑顔を浮かべて。
「今はそれでいいと思わない?シズちゃん」
臨也の言葉に、静雄は小さく舌打ちをした。そして低い声で何やら悪態をつくと、部屋を出て行こうとする。
「俺は、」
鍵を外し、扉を開けて。静雄は臨也を振り返った。
「手前の物じゃねえし、手前の物には一生ならねえ」
静雄は真っ直ぐな目でそう言うと、部屋を出て行く。臨也は引き止めたりはしなかった。ただ黙って見送るだけだ。薄く笑みを浮かべて。
扉がピシャリと乱暴な音を立てた。
部屋に一人残された臨也は、肩を竦めて窓を見る。渡り廊下を今出て行った金髪の青年が歩いて行くのが見えた。
「…俺の物ではないと言うのなら、」
臨也は口角を吊り上げる。
「自覚するまで体に覚えさせるだけだよねえ?」
明日も明後日もその次も。まだまだ時間はたっぷりとある。
さてどうやって墜とそうか。
臨也は静雄を一生手放す気はなかった。それこそ未来永劫に。







「またやってるの」
誰もいない放課後の教室。後ろから新羅の呆れた声がするのに、臨也は振り向きもせずに笑った。
臨也の視線の先には静雄がいて、またいつもの大乱闘を繰り広げている。
たくさんいた筈の他校の生徒たちが、次々と地面に崩れ落ちていく様はいっそ清々しい。相手が何人いようが静雄には関係がないのだ。多勢に無勢などと言う言葉は、静雄に関しては当て嵌まらない。それくらい、平和島静雄は別格だ。
「前に何故こんなことをするのか聞いたよね」
視線を静雄から逸らさぬまま、臨也は唇を歪めた。新羅は戦闘中の静雄から、臨也の後ろ姿へと視線を移す。
「俺は確認がしたいのかも知れない」
「確認?」
「自分が平和島静雄を愛してるっていう確認さ」
僅かに臨也の背が揺れるのに、新羅は眼鏡の奥の目を細めた。
「…僕には理解できないんだけど」
「誰にも理解なんてできないよ」
臨也はそう言って笑う。
「自分だって良くは分かっていない。ただ、今日も死ななかったな、と安心はする。今日も俺以外の誰の物にもならなかったなって。これって愛してるからだと思わない?」
「……」
新羅は黙り込んだ。理解し難い臨也の言葉に、戸惑っているようにも見える。
新羅は視線を臨也から外にいる静雄に向けた。静雄の金髪が太陽の光りを受けて、新羅にはなんだか眩しい。ひょっとしたら自分や臨也みたいな暗い性質の人間には、静雄みたいな純粋な人間に近付いてはならないのかも知れない。
「…僕には理解はできないけどさ、」
少しの沈黙の後、新羅が口を開く。顔には笑いを浮かべて。
「歪んでるよね、臨也」
そんな新羅の言葉に、臨也は肩を竦める。視線を静雄から離さぬまま。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
臨也はそう言うと、薄く笑った。







(2010/09/06)
見れない方がいたので分けました(2010/12/09)
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