ギシッとベッドのスプリングが揺れた。
雨に濡れて冷たかった互いの体は、いつの間にか火照って熱いくらいになっている。
「…っ、…あ」
臨也が中を抉る度、静雄の口からは嬌声が上がった。それが嫌で唇を噛めば、臨也の指に無理矢理こじ開けられる。
そのまま口づけられ、歯列を割り、中に舌が入り込んで来た。奥の舌を探し出され、ねっとりと絡まさられる。くちゅくちゅと濡れた音が卑猥に感じ、静雄は羞恥に耳を塞ぎたくなった。
こんなキスも、恋人にするのだろうか。
静雄はぼんやりと薄目を開ける。くらくらとする視界の中で、臨也の赤い双眸と目が合った。
キスも愛撫もこの吐息も。ぽたりと落ちるこの汗さえも。
今感じているのは自分なのに、自分の物ではない。
激しく揺さぶられ、静雄は臨也の首に腕を回した。パサっと自分の金髪が揺れる。汗で額に張り付くのが鬱陶しい。
静雄は臨也の首筋に顔を寄せ、舌を這わせた。臨也の赤い目が僅かに細まるが、静雄からはそれは見えない。
吸い付いて、歯を立てる。臨也の白い肌に血が滲んだが、静雄はそれさえも綺麗に舐め取った。口に広がる甘い血の味。真っ白な肌に残る赤い傷痕。
自分の体の痕は直ぐに消えてしまうけれど、臨也には残るのだ。静雄はその事実に陶酔する。
臨也の腰の動きが早くなり、静雄はもう何も考えられなかった。口からは嬌声が引っ切り無しに漏れ、開いた口からは唾液が落ちる。
何か掴む物を探して手が動くのに、伸びてきた臨也の手に掴まれた。手を握り合い、指が絡み合う。
このまま死んでしまいたい。
この馬鹿馬鹿しい行為が終わった先にあるものが、静雄には何だか分からない。けれど間違いなく、これが終わったら臨也は去ってゆくのだろう。何事もなかったかのように。
静雄は臨也にしがみつく。
香水と臨也の汗の香り。荒い息遣い。熱い体温。
ああ、もう、
このまま、

死んでもいい。

白濁とした視界の中で、静雄は意識を手放した。




温い微睡みの中、唐突に目が覚めた。
何か夢を見ていたのか、全身に嫌な汗をかいている。けほ、と軽く咳込んで額の汗を拭った。少しだけ頭が痛く、全身が気怠い。
ゆっくりと瞬きを繰り返し、体を起こす。ベッドの隣には、誰もいなかった。
夢だったのだろうか。夢ならどんなに良いだろう。
静雄はそう考えながら、ベッドから立ち上がる。体が酷く重い。衣服は何も身につけて居なかった。
窓から差し込む太陽の光が、部屋の中を照らしている。もう昼が近いのだろう。
最悪な事に仕事は遅刻だった。今から仕事に行くよりは、このまま休みの連絡でも入れた方が良いかも知れない。
下着だけ身につけて、ぼうっとしたまま部屋を見回した。そう言えば指輪はどうしただろう。昨夜、床に転がった筈だ。握り締めた拳から、まるで逃げ出すみたいに。
けれどそれはどんなに探しても見付からなかった。
臨也が持って行ったのかも知れない。静雄はその可能性に小さく舌打ちをする。
ああ…なんてことだ。
自分に呆れ、腹が立つ。
最低だろう、自分は。
流されて体を重ねてしまった。大嫌いな男と。
それも相手には女が居て、自分は浮気相手になるわけだ。こんな行為は不義と言うのだろう。
頭を抱え、溜息を吐く。後悔なんてあの時もしたけれど、それよりも更に酷い。
静雄は力無くベッドに座り、また横になった。真っ白なシーツは、少しだけまだ臨也の匂いがする。
口づけは優しくて、まるで六年前の臨也みたいだった。恋人にするような、甘いキス。一週間だけだった、あの時と同じ。
思い出すと、胸がズキンと痛んだ。
思い出したくない。思い出せば出すほど、胸に広がるこの嫌な感情を、持て余してしまう。
静雄は布団を手繰り寄せ、頭からすっぽりと被った。寝てしまおう。今だけはせめて、何も思い出さずに。
静雄は唇を噛み締め、ぎゅっと目を瞑った。
起きた時、何かが変わっていたらいい。そう願いながら。



あの海を見に行こうと思ったのは、ほんの気紛れだった。
およそ海とは無縁の生活だったから、高校の時以来行っていない。つまり六年振りだ。
人があまりいない電車に揺られ、静雄はぼんやりと窓の外を見た。ビルが減り、民家が増え、そびえ立つ木々を抜けると、やがて青い海が見えて来る。波が太陽の光で反射して、静雄はその眩しさに目を細めた。
駅に降りると、やはりと言うか風は冷たい。冬の海なのだから当然だろう。
静雄は寒さに体を縮込ませ、砂浜に出た。スニーカーなんてのを久し振りに履いたせいで、何だか高校生の頃に戻ったみたいだ。
ざすざすと音を立てながら、静雄は波打際を歩く。金の髪が波風に揺れ、頬が冷たくなっていた。マフラーでもして来れば良かったかも知れない。きっと風と同じくらい、海の水も冷たいのだろう。あの時のように。
あの時。
臨也はこの海で、冷たい波に足を浸けていた。パシャパシャと音を立て、臨也がこの波打際をゆっくりと歩いていたのを思い出す。
ここで波の音を聴きながら、静雄は臨也に口づけられた。臨也の赤い目はとても穏やかで、静雄はそれを今でもはっきり覚えている。
静雄は砂浜に座り込む。
煙草を吸おうとポケットに手を伸ばし、やめておいた。海で煙草なんて無粋だろう。
静雄はただぼんやりと水平線を眺めた。来た時間が遅かった為、もう空は夕焼けで赤い。あと30分もすれば空は暗くなるだろう。
口から吐いた息が、白く空へと上ってゆく。耳も鼻先も冷たくて、静雄は抱えた膝に顔を埋めた。
こうしていても、考えるのは臨也のことだ。
家にいても、電車に乗っていても、どんな時でも考えてしまう。六年間で少しずつ忘れかけてた過去が、たった一晩であっという間に戻ってしまった。
どうして胸が痛むのか、静雄は本当は知っている。
ずっとずっと、ごまかして来ただけだ。六年もの間。
臨也が昨日言った言葉の意味を、本当は初めから静雄は分かっていた。
たかが恋人ごっこで。
男に抱かれるわけがないだろう?
大嫌いな相手だと言い聞かせ、そう思い込んで。
本当はずっとずっと分かっていたのに。
あの時。あのゲームで新羅が勝った時。静雄は嫌悪感と全く正反対の、矛盾した感情を抱いたのだ。それを自分でも気付かない振りをして。
静雄は押し寄せて来る波のずっと遠くの空を、暗くなるまでずっと見ていた。暗い海の向こうでは、灯台の明かりがチカチカと光っている。
どれくらいそうしていたのだろう。
手も足もすっかり冷えて、指先は感覚さえもなくなって来ていた。真っ黒な海はさざ波さえも見えなくて、暗い夜空にはいつの間にか星が瞬いている。
「六年って、」
不意に後ろから声がして、ぴくりと静雄の体が跳ねた。
こんなに煩い潮騒が、突然耳に入って来なくなる。耳に届くのは、この少し高い声音だけ。
「長いようで、あっという間だったよね」
臨也はそう言って、静雄の傍まで歩み寄って来た。砂浜を歩く足音が、静雄の後ろでピタリと止まる。
静雄は振り返らない。片足を抱え、ただ海の向こうを眺めていた。



(2010/12/06)

見れない方がいたので修正(2010/12/09)
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