「デートをしよう」
「は?」

放課後の誰もいない教室で、臨也は静雄を見て唐突にそう言った。
突然のその言葉に思考がついて行かず、静雄は目を丸くする。
「デートだよ。俺達付き合ってるわけだから、デートくらい当然だろう?」
臨也は机に頬杖をついて、静雄の顔を見上げて来た。
窓から入り込む夕陽のせいで、臨也の端正な顔は赤く照らされている。同じ男としてムカつくくらい、酷く綺麗な顔だ。大抵の女はきっと、この男のこの顔に見惚れるんだろう。女と言うのは見た目に弱いものだ。
付き合ってる、と言う言葉に、静雄は小さく舌打ちをした。何が付き合ってる、だ。男同士なのに、そんな言い方。
黙り込んだ静雄に口端を吊り上げて、臨也はその赤い目を細める。
「日曜日にサンシャイン前で待ち合わせしよう」
「…どこ行くんだよ」
「ナンジャタウンか水族館にでも行く?」
臨也はそう言って笑う。静雄はそれに、再度盛大な舌打ちをした。
男二人でナンジャタウンなんて、絶対に嫌だ。狭い分、ディズニーランドより嫌かも知れない。
「…………水族館なら」
「じゃあ朝10時に」
静雄の言葉に、臨也はさっさと時間まで勝手に決めてしまう。本当に自己中な男だ。静雄は内心溜息を吐く。
「行かねえかも知れないぞ」
むすっと不機嫌な顔になって、静雄は臨也を睨みつけた。その顔は夕陽のせいだけじゃなく、赤い。
「シズちゃんは来るよ」
臨也は片眉を吊り上げ、いつもの笑みを浮かべる。
「優しいからね」
「……お前以外にはな」
そう静雄が減らず口を叩くと、臨也は肩を竦めた。
「酷いな」
「お前にはな」
静雄が即座にそう返すと、臨也は声を出して笑った。その声はとても楽しそうで、静雄にはそれがなんだかむず痒い。

好きなんだけど。

あの日。
学校の裏庭で、静雄は臨也にそう告白された。
いつものような殺し合いの果てに、地面へと押し倒されて。首にはナイフを突き付けられ、口は砂埃のせいでじゃりじゃりする。
静雄は告げられた言葉に驚き、目を丸くして臨也を見つめ返した。
臨也はいつものようにシニカルに笑い、ナイフをポケットにしまい込む。
「…なんの冗談だ」
静雄はやっとのことでそう言葉を発した。その声は掠れて震えてる。
「冗談じゃなくてね」
臨也は静雄の上から退くと、ぽんぽんと制服の埃を払った。まだ寝転んだままの静雄を見下ろし、手を差し延べる。
「付き合ってくれないかな」
静雄はそんな臨也を睨みつけ、その手を払いのけた。自力で立ち上がり、乱暴に制服の埃を叩く。心臓がバクバクと激しく音を立てたけれど、静雄はそれに気付かない振りをする。
「手前、ふざけんなよ」
「本気だよ」
そう答える臨也の目は真剣で、静雄はさすがに目に見えて動揺した。
「…なんで、今更」
そんなことを。
好きだなんて急に言われて、どうすればいいのだろう。今まで殺したい程、憎んでいた相手に。
「今更気付いたんだから、仕方ないよね」
臨也はその端正な顔に、魅惑的な笑顔を浮かべる。
「まあ、いきなり付き合うのは無理だろうから、友達から始めて見ない?」
そう提案して来た臨也に、静雄はなんて答えたのだろう。頭は混乱し、心臓は高鳴って、静雄は正直この時のことは良く覚えていない。
ただ何となく、そう。
付き合うと言うことを了承してしまったのだ。
誰かと付き合ったことなんて無かったし、自分を恐れないで告白して来る相手も初めてだったから。

それがまだ、たった一週間前のことだった。





日曜日。
静雄は人が多い60階通りを、のろのろと歩いている。時々静雄を知っている人間の畏怖するような視線が向けられるけれど、今の静雄にはそんなことはどうでも良かった。
体にフィットしたTシャツに、穴が開いたジーンズ。細身で背が高い静雄は、ぱっと見はどこぞのモデルのようだ。
腕に嵌められている時計を見れば、時刻はとうに10時を過ぎている。けれども静雄の足取りは重く、はあっと深い溜息ばかりが出た。
デートなんて17年間生きてきて、生まれて初めてだった。
まして相手はあの折原臨也だ。少しだけ気が重く、柄にも無く緊張している。
のろのろとサンシャインシティの前まで来ると、静雄はピタリと立ち止まった。キョロキョロと辺りを見回すが、行き交う人が多過ぎて臨也の姿を見付けられない。
案外帰ってしまったのだろうか。腕時計を見れば、約束の時間は30分程過ぎている。静雄は溜息を吐き、思案して唇を噛んだ。
「シズちゃん」
その時、後ろから手を掴まれ、静雄は目を驚きで見開く。慌てて振り返れば、臨也が笑って立っていた。
真っ黒なシャツに黒のジーンズ。静雄が臨也の私服姿を見たのはこれが初めてだ。
「臨也、」
「来てくれたんだね」
はは、と嬉しそうに笑う臨也に、静雄は黙り込む。こんなふうに嬉しそうに笑われたら、遅れた罪悪感で胸が苦しい。
「悪い、遅れて…」
そう口にすれば、
「大丈夫」
と、片方の手を掴まれた。
人が多いサンシャインシティ前で、男同士が手を繋いでいるなんて。
静雄はそれに顔を赤くしたけれど、その手を振り解いたりはしなかった。
ワールドインポートマートの中に入り、屋上の水族館の入口まで、臨也はずっと手を離さない。思っていたよりも、他人は自分たちを気にしていないのだろう。誰も二人を好奇の視線で見たりはしなかった。
水族館の入口で、臨也は不意に手を離す。突然去った温もりに、静雄は少しだけ寂しさを覚えたが何も言わなかった。
チケットを二枚購入し、臨也は振り返る。その目は酷く穏やかで、静雄はどきんと胸が鳴った。
「…あ。金、後で、」
「いいよ。奢ってあげる」
俺、こう見えても金持ちなんだよ。と、臨也は笑って見せた。
「それに俺が誘ったんだし」
臨也は肩を竦めると、片手を静雄へと差し出した。
「おいで」
手を握れ、と言うことなのだろう。
静雄は瞬時に頬を赤く染める。さすがにこれには他人の目が突き刺さった。それでも静雄は渋々を装い、臨也の温かな手を握る。
臨也はニィっと人の悪い笑顔を浮かべ、静雄の手を引いて歩き出した。
サンシャイン国際水族館、と書かれた入口を通り、中へと入る。
中はさすがに休日のせいか、結構混んでいた。薄暗い館内は、緑色の淡いライトで照らされている。
静雄は大きなガラスの水槽を、感嘆の思いで見上げる。水族館なんて、子供の頃しか来たことがない。
色とりどりの魚が泳ぎ、キラキラと水面が光る。
「綺麗だね」
隣で臨也がそう言うのに、静雄は黙って頷いた。
魚たちは気持ち良さそうに泳いでいるけれど、海が恋しくないのだろうか。こんな狭い水槽に閉じ込められて。
「でも多分ここから逃げ出したら、生きて行けないんだろうな」
静雄が脈絡もなくそう口にしたのに、臨也は理解したようだった。
「篭の鳥と同じさ。人間に育てられた生き物は野生には帰れない」
「可哀相だな」
静雄がぽつりと呟くのに、臨也は笑う。
「可哀相だと言うことも、彼等は気付いていないよ」
臨也の言葉は静かだった。以前の臨也ならば、静雄の発言を偽善だとでも言ったかも知れない。静雄はそれがなんだか不思議に感じ、臨也の方へと顔を向けた。
臨也はじっと水槽の魚たちを見ていた。その顔に表情はなく、なんだか酷く物悲しい。
この普通の人間よりもずっとずっと綺麗な顔をした男は、何故自分を好きだなどと言ったのだろう。
静雄の取り柄と言えば、力が強いくらいだ。そしてそれはどちらかと言えば長所より短所になる。
短気だし、口は悪いし、静雄には臨也が自分のどこが良くて好きだなんて言うのか分からない。考えれば考える程、からかわれているんじゃないかと思う。
「そんなに見られてたら、穴が開きそうだ」
臨也は水槽から静雄へと視線を移し、目が合うと笑ってみせた。
静雄はそれにばつが悪そうに顔を背ける。握られていたままだった手も、そっと自分から離した。
「何を考えていたの」
「別に」
素っ気なくそう言って、静雄は水槽の魚を見つめた。魚は何事もなく、ゆっくりと水の中を泳いでゆく。ここが広い海だと信じて。
ショーが始まるせいか、いつの間にか水槽の部屋は人が疎らになっていた。館内には静かな音楽だけが流れている。
「シズちゃんは嘘が下手だね」
臨也はそう言って、不意に静雄の体を抱き寄せる。人が少なくなったとは言え、こんな公共の場で抱き寄せられ、静雄は慌てて身を捩った。
「やめろよ、馬鹿」
「騒ぐとかえって目立つよ」
「臨也、お前…」
文句は唇で塞がれる。静雄はそれに驚き、目を見開いた。
ほんの数秒、掠めるように重なった唇は、触れただけで直ぐに離される。けれどもそれは、静雄を黙らせるには十分な効果を発揮する。
静雄は何が起きたのか良く分からず、ぽかんと目の前の男の顔を見詰めた。臨也は静雄から体を離し、またその手を握り締める。
「どうかしたの?」
そう言う臨也の声には揶揄が含まれていて、静雄は我に返ると臨也を睨みつけた。
「何だよ、今の…。」
「キス」
「そう言う意味じゃねえよ」
顔が羞恥で酷く熱い。繋がれた手を振りほどこうとするが、臨也の手はきつく離れなかった。
「俺とシズちゃんは恋人同士なんだから、デートもキスも当たり前だろう?」
「…お前、どうせからかってんだろ」
静雄は耳まで熱くて、臨也から顔を逸らす。空いている手で赤い顔を隠すけれど、今更だ。
「からかってなんかない」
「臨也、」
「それ以上言うと怒るよ」
臨也の赤い双眸が、きつく静雄を睨んで来る。その眼差しのあまりの強さに、静雄は黙り込んだ。
「好きだって言ってるじゃない」
臨也の手が優しく静雄の頬に伸びて来る。
「信用してくれないの?」
そう言いながら、臨也の手は静雄の髪をゆっくりと梳いてゆく。静雄はそれが擽ったくて、恥じらうように目を細めた。
「…お前、俺のどこがいいの」
短気で、直ぐに物を破壊してしまう自分なんかの。
いつか臨也のことも、壊してしまうかも知れないのに。
「俺は壊れたりしないよ」
臨也は唇を吊り上げる。
「シズちゃんのその力ごと、俺は君を愛してあげられる」
君の手も、声も、眼差しも、その短気なところさえ。

俺は全て愛してるよ。

まるで悪魔の囁きだ、と静雄は思った。
人との接触に怯え、愛されたいと願う静雄の心が、臨也の言葉でじわじわと浸蝕してゆく。
「…お前、馬鹿な男だな」
静雄はやがて、ぽつりとそう言った。顔を赤くして、僅かに目を逸らしながら。
臨也はそれに微かに笑い、ゆっくりと静雄に顔を近付ける。
「好きだよ、シズちゃん」
そう囁いた言葉と同時に、臨也の唇が重なった。
こんなに人がたくさん出入りする水族館の水槽の前で。本当に馬鹿な奴だと思ったけれど、静雄は抵抗しなかった。
誰に見られても、もう構うもんか。
静雄はそんなことを考えながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
ひょっとして好きだったのは、自分の方かも知れないと思いながら。


(2010/12/08)
るみちゃんリクエスト。誕生日おめでとう
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