HAPPY HAPPY BIRTHDAY







60階通りは今日も賑やかだ。平日の昼間だと言うのに通りには人が多い。営業のサラリーマンや、若い男女。いつもどおりの池袋の街。
静雄は信号待ちをしながら、小さな欠伸をひとつした。ふわあ、と思わず声が出て、慌てて口を押さえる。
「寝不足か?」
隣で上司のトムが笑っていた。柄にもなく可愛い欠伸だな、と思ったが、口には出さない。静雄を怒らせたら面倒だからだ。
欠伸のせいで出た涙を拭いながら、静雄は恐縮して首を振る。
「すんません。寝不足ってわけじゃないんですけど…」
「この時間は眠いよなあ」
トムも空を見上げながら欠伸をする。空は真っ青で雲一つない。まさに行楽日和だ。こんな日は仕事はせずにどこかに出掛けたくなる。
やがて信号が青になり、人々が一斉に動き出した。静雄とトムも同時に横断歩道を歩き出す。
信号を渡り切ったファストフード店の前で、突然静雄が足を止めた。
「静雄?」
様子がおかしい後輩に、トムが訝しげに振り返る。
静雄は眉間に皺を寄せ、キョロキョロと辺りを見回す。その顔は誰が見ても不機嫌で、トムは警戒よりも先に戸惑った。何か静雄を不機嫌にさせることがあったのだろうか。この数十秒の間で。
その時、急に人込みの中から手が出て、静雄の腕を掴んだ。
「!」
ぐいっと腕を強く引かれ、静雄の体がバランスを崩す。引っ張った相手はそれを全く気にせずに、静雄を引きずるように歩き出した。
「臨也!」
慌てた静雄が名を呼んだ相手は、折原臨也だった。
確か、静雄の天敵の情報屋だ。トムはその男の登場に、ぽかんとする。
「田中さん、だっけ?シズちゃん返して貰うね」
臨也はその眉目秀麗な顔に笑みを浮かべ、トムに向かって手を振った。
「臨也、お前…っ」
「ちょっと用があるんだ。大人しくついて来て」
強引に引きずるように静雄を連れて、臨也はすたすたと横断歩道を渡る。
トムはそれを見送りながら、
「実は仲良いのかなぁ」
と見当ハズレなことを呟いた。



「どこ行くんだよ」
半ば諦めながら、静雄は臨也の後をついて行く。今日は大した取り立てはなかったけれど、明日は上司に謝らなければならないだろう。仕事をサボったことになるのだから。
引っ張られていたはずの腕はいつの間にか手を繋がれていた。池袋を歩く若者たちがぎょっとして二人を見るが、静雄の睨みで直ぐに散って行く。
臨也はそれに笑いながら、静雄を連れて駅の構内に入った。さすがにここまで来ると、静雄は臨也が池袋を出ようとしていることに気付く。
「なあ、マジでどこ行くんだよ」
握った静雄の手を離さないまま、臨也は器用に切符を二枚買う。どうやら都心は出るつもりらしい。
「決めてるわけじゃないんだ」
「はあ?」
臨也の答えに、静雄は素っ頓狂な声を出す。
「用があるんじゃねえのかよ」
段々と怒りのゲージが上がって来た。びきっと静雄のコメカミに青筋が浮かぶ。
臨也はそれを見ながら優雅に微笑んで見せた。もっともそんな笑顔は静雄には効かないのだけれど。
「誕生日なんだ」
「は?」
「だからシズちゃんとデートがしたくて」
しれっとそんなことを言う。
静雄は暫し怒りを忘れ、まじまじと臨也を見返した。その目は丸く、いつもより顔が幼く見える。
「天気がいいしさ。ちょっと鈍行で旅でもどう?」
軽い調子でそう言って、臨也は歩き出す。勿論静雄の手は離さずに。
静雄は怒るタイミングを逃し、結局臨也と一緒に改札を入った。階段を上り、ちょうど来た電車へ乗り込む。本当に行き先は決めていないらしい。
電車の中でも、繋がれた手はそのままだった。
それを見た電車内の女達が、こちらを見て何か話している。大の男が二人、手を繋いで立っているのだから当たり前だろう。
静雄は手を離そうと引いたけれど、臨也の手はきつく離れない。静雄が規格外なだけで、臨也は結構力が強いのだ。
臨也はにっこりとその眉目秀麗な顔で女達に微笑んだ。途端に女達が臨也の笑みに赤くなったのが静雄の目から見ても分かる。
気持ち悪い。
静雄はそれが面白くなくて目を逸らした。臨也の手を強引にでも振り払ってやりたい。ぴくっと無意識に握られた手が動くのに、臨也はぎゅっと握り返して来た。
ガタンゴトン。
電車は揺れる。
右手を臨也に掴まれたまま、静雄は窓の外を見た。
繁華街とそびえ立つビル群。街は真昼間からネオンが明るい。忙しない東京の街。
何度か電車を乗り換えると、段々と風景が変わって行った。ビルが減り、ネオンが減り、木々が増えてゆく。
少し煤けた、各駅停車の鈍行に二人は乗り込んだ。
列車の中は人が殆どおらず、座席は向かい合わせのタイプのものだ。臨也はそこでやっと手を離す。
ずっと握られていた手が離れ、静雄は思わず臨也を見た。臨也はそれに口端を吊り上げる。
「機嫌悪いね」
「手前が自己中だからだろ」
「本当にそれだけ?」
臨也は笑い、座席に座った。
静雄はそれには答えずに、無愛想に臨也の向かい側に腰を下ろす。窓枠に肘をついて、外の風景を眺めた。
ガタンゴトンガタンゴトン。
それは都心を走る電車よりも揺れる。
静雄は目を細め、青い空を見上げた。風景は畑や木々だらけだ。この列車はどこまで続いているのだろう。このまま乗っていたら、遠い遠い知らない所へ行けるのだろうか。
臨也は何も話さなかった。ポケットに両手を突っ込んで、ただ外の風景を眺めている。臨也の瞳に青い空が映るのを、静雄は不思議な思いで見ていた。
「ここで降りようか」
列車が聞いたことのない駅で止まると、臨也は急に立ち上がる。再び静雄の白い手を取って、プラットホームに降り立った。
ホームには人がおらず、剥き出しのコンクリートはボロボロだ。電光の案内板さえもなく、薄汚れた時計の針がもう直ぐ夕方の4時を指し示す。
駅は緑に囲まれていて、鳥の鳴き声がした。改札も機械ではなく、駅員が切符を受け取ってくれる。
駅を出て、小さな商店街を通り、山が見える方向へ歩く。金髪にバーテン服の男が田舎の道を歩くのに、たまに好奇の目が向けられる。けれどそれは池袋のとは違い、畏怖のものではなかった。だから静雄は気にしない。
たんぼのあぜ道を歩き、臨也は迷いなく進んでゆく。鳥が飛び、草花が風で揺れる。繋がれた手は温かい。
静雄は大きく息を吸い込んだ。澄んだ空気が体内を満たす気がする。ここにいたら煙草を吸う気が起きない。
「臨也」
「なあに」
静雄は前を歩く臨也の後ろ姿に目を細めた。臨也の漆黒の髪の毛が、時折吹く風のせいで揺れる。
「なんでここに連れて来た」
「誕生日だから」
臨也の答えは簡潔だ。
「…誕生日だと俺なのか」
他にもたくさんいるだろう、お前なら。
言葉裏にそう含ませて、静雄は空を見上げる。空は高く、そして遠い。吹く風は土や草の匂いがした。
臨也は不意に立ち止まる。手を繋いだまま、ぐるんとこちらを振り返った。
「シズちゃんが良かったから」
臨也の赤い目は真摯で、真っ直ぐにこちらを見つめて来る。静雄はそれに眉を顰め、訝しげに見つめ返す。
臨也の真意が掴めない。何を考えているのだろう、この男は。よりにもよって天敵を誘うなんて。
二人は暫く見つめ合い、時が流れた。
「…なんで、俺なんだよ」
漸く出た静雄の声は、少し掠れている。その声は思いの外低く、静雄は自身で少し驚いた。
「シズちゃん田舎好きでしょ?」
臨也は突然明るい声を出し、にっこりと笑う。わざとらしい笑みだったけれど、静雄はそれに何も言わなかった。言えなかったのかも知れない。
二人はその後もただブラブラと歩いた。空は徐々に赤くなり、太陽が役目を終えてしまう。暗く静かな、木々に囲まれた道。
ここは都心からかなり遠い。あまり遅くまで滞在していては、電車がなくなるだろう。
「泊まって行く?ここラブホとかあるのかな」
「泊まらねえよ、死ね」
静雄の言葉に臨也はあははと笑う。手は未だに繋がれたまま。
「シズちゃん」
臨也がその手を引き寄せ、静雄の腰を抱いた。突然縮まった距離に、静雄はパチパチと瞬きをする。
薄暗く、誰もいない木々の中の砂利道。空は深い紺色で、白い月だけが二人を見下ろしている。
「誕生日プレゼントはないの?」
臨也は吐息が触れる程に顔を寄せ、揶揄するように囁く。臨也の香水の香りがするのに、静雄は頬を赤く染める。
「はあ?いきなり言われて用意してるわけねえだろ」
静雄は粗暴にそう言い、身をよじった。けれど、臨也の腕は離れない。
「だよねえ。だから、」
これで我慢するよ。
臨也はそう言って、そのまま静雄に唇を重ねた。
ぴたり、と静雄の抵抗が止む。茶色の目が驚きで丸くなり、視界いっぱいに臨也の端正な顔。
「…っ、」
口づけられているのだと気付き、静雄は慌てて体を離そうとする。臨也はそんな静雄の後頭部に手を回すと、更に深く口づけた。
唇を割り、舌が入り込んで来る。歯列を内側から舐められ、唇を啄まれた。腰が引ける静雄の体を片手で支え、臨也は貪るように口づけて来る。
くちゅくちゅと響く水音。這い纏わる舌。静雄は怖くなり、縋るように臨也の背中に腕を回した。
怖い?
何が怖いのだろう。
静雄はそれがなんだか分からぬまま、ぎゅうっと目を瞑る。
どん、と背中に軽い衝撃を感じた。そびえ立つ木に体を押し付けられ、また口づけが深くなる。飲み切れず、唾液がぽたりと落ちた。それでもまだ、臨也は口づけをやめない。
臨也の手が静雄のシャツをはだけさせる。脇腹を撫でられ、静雄はひゅっと息を飲んだ。カチャ、とベルトの金具を外す音がする。
「いざ…っ」
「お願い」
制止しようとする静雄の耳元に、臨也の真摯な声。
静雄が目を開くと、そこには酷く余裕のない臨也の顔があった。
「今だけ、俺にシズちゃんをちょうだい。明日からまた自販機を投げてもいいし、標識を振り回していい。でも今、この瞬間だけ」
俺のものになって。
臨也はそう言って、また口づけた。静雄はそれに目を見開く。臨也の後ろの空はもうすっかり夜の帳が下りていて、たくさんの星影が見えていた。
こんなに星を見たのは初めてだ。
静雄は思いながら、徐々に体の力を抜いてゆく。
怖ず怖ずと臨也のそれに舌を絡ませれば、また口づけが深くなった。
…ああ、もう…しょうがねえな。
臨也の手が静雄の衣服を剥いでゆく。体が外気に晒されたけれど、不思議と寒さは感じなかった。
今だけだからな。
静雄は星明かりを瞼に焼き付けて、ゆっくりと目を閉じた。



電車の揺れに眠りを誘われながら、静雄はぼんやりと窓に映る夜景を見ていた。
都心に近付くにつれ、ネオンが増えてゆく。騒がしく、明るい街。薄暗い空に星は見えない。
平日の0時近いこの時間でも、電車内は人だらけだ。漂う酒の匂い、ヘッドフォンから漏れる音楽、響く携帯の着信音。
『次は新宿。新宿です』
アナウンスが次の場所を告げる。
静雄は顔を上げ、隣に立つ男を見た。臨也は無表情に窓の外を見ている。何を考えているのだろう。静雄にはいつだって分からない。
やがて電車が到着し、臨也だけがホームへ下りた。
「今日はありがとうね、シズちゃん」
口端を吊り上げて、臨也は笑みを浮かべる。小憎らしい、いつもの顔。
発車を告げる音楽がプラットホームに響く。それを聞きながら、静雄は口を開いた。
「臨也」
「なに?」
「本当の誕生日にはまた誘えよ」
静雄はそう言って口角を吊り上げる。
その言葉に、臨也の赤い目が見開かれた。
それと同時に扉が閉まり、電車が動き出す。風が舞い上がり、臨也の髪を揺らした。静雄を乗せた黄緑色の電車が、やがて小さくなって行く。
「…知ってたんだ」
臨也は苦笑し、髪を掻き上げる。臨也の本当の誕生日は5月。今は11月だから、まだまだ当分先だ。
「あー…本当、シズちゃんには」
敵わないなあ…。
臨也はそう呟いて笑うと、ゆっくりと新宿の街へ歩き出した。



(2010/11/25)
誕生日おめでとう。全裸ちゃんに捧ぐ。
×
- ナノ -