大きなベッドの真っ白なシーツの上に、静雄は足を投げ出して座っていた。その細い首には漆黒の首輪が付けられており、静雄はそれにさっきから機嫌が悪い顔をしている。
臨也はと言えば至極真面目な表情で、首輪姿の静雄を値札見するようにじっくりと眺めていた。
「赤でも良かったかなあ…」
顎に手を当てて臨也は独り言を呟く。首を僅かに傾げ、うーん、と考え込む仕草をして。
わざとらしいそんな臨也の態度に、静雄は眉間に皺を寄せる。首輪なんて買って来やがって。からかっているのが分かるから、余計にムカつく。
「…うぜえ」
低い声で悪態をつく静雄に、臨也は喉奥で笑う。
「ま、冗談だけど」
ベッドに腰掛けると、臨也は静雄の首輪に手をかけた。ぱちん、とボタンを外す音がして、首輪が取り払われる。苦しいわけではなかったが、やはり首輪がなくなって静雄はほっとした。
「替わりにこれあげるよ」
臨也がポケットから携帯を取り出す。現れたのは鮮やかなオレンジ色の携帯だった。静雄はそれに目を丸くする。
「何だそれ」
「俺専用」
臨也は口端を吊り上げて笑い、サイドテーブルにそれを置いた。
「GPS機能ばっちりだから。シズちゃんがどこにいても分かるよ」
「はあ?」
静雄はぽかんとする。臨也はそんな静雄に更に楽しそうに笑った。まさに首輪だろう?と言って。
「今更?あと一週間だぞ」
思わずそう口にして、静雄はハッと口を噤む。
残りの期間を気にしたりしたくなかったのに、つい言葉は口から出てしまった。
動揺する静雄に対し、臨也の方は低い声で笑うだけだ。臨也にとっては何でもない事なのだろう。この男はドライなところがあり、そして酷く気紛れだ。静雄は困ったように目を伏せる。
その時、突然両肩を掴まれ、ベッドに押し倒された。そのまま口づけられて、それ以上何も言えなくなる。臨也の手がシャツのボタンを外してゆくのに、静雄は身を震わせた。抱かれるのだ、と予感して。
初めて抱かれたあの日から、毎晩のように繰り返されるこの行為。
あの時流されて抱かれてしまったことを、静雄は後悔している。男同士でこんなのは変だと思っていたし、そもそもこう言う行為は好きな者同士がやる事だろう。自分と臨也の関係を考えれば、それは酷く滑稽だ。
「何を考えてるの?」
臨也の赤く濡れた舌が、静雄の唇をべろりと舐める。熱くて柔らかなその感触に、静雄は頬を赤く染めて顔を伏せた。
「何も」
そう、何も。
臨也には何も言えないから、静雄はいつだって口を噤む。
「シズちゃんは俺のことだけを考えてればいい」
そう言って臨也の唇は、静雄の首筋に下りて行く。歯を立てられ、強く吸われ、白い肌に朱い痕が付けられる。どうせ数時間後には消えてしまうのに、臨也は執拗に痕をつけてゆく。
何故臨也はこんなことを言うのだろう。俺のことだけを、とか。良く簡単に口にするものだと思う。
静雄は目を閉じて、臨也の背中に腕を回した。臨也の吐息が耳元に当たるのに、体が火照ってゆく。
今更こんな事を言わなくたって、自分は昔から、
「…あっ…、」
臨也の手が下腹部を撫でるのに、静雄は思考を中断させた。
自分の口から甘ったるい声が漏れたことに羞恥を覚え、唇をきつく噛み締める。
「唇が切れるよ」
それに気付いた臨也が、静雄の唇に指を挿入させた。口を開かされ、指の腹で口腔を掻き回される。深く侵入され、臨也のリングが唇に当たった。冷たいそれは静雄の熱を奪ってゆく。唾液が顎を伝い、シーツに染みが落ちた。
「は…っ、ふ…」
「…失敗したなあ」
臨也は静雄の口腔をくちゅくちゅと指で犯しながら、その赤い目を細める。もう片方の手は、静雄の胸の突起を掠めるように触れる。
「首輪したままにすれば良かった」
その方が興奮するのに。
そう囁いて喉奥で笑う臨也に、静雄は指に噛み付いてやった。


シーツに顔を埋めながら、静雄はぼんやりと床に転がった首輪を見た。
臨也の大好きな真っ黒な色のそれは、窓から降り注ぐ月の光りに照らされている。
こんなものがなくても、
…なんて。
自身の女々しさに反吐が出そうだ。
いつから自分はこんな弱々しくなったのだろう。こんな自分の思考回路が、気持ち悪くて仕方がない。
静雄は半身を起こし、隣に眠る男を見下ろした。
大きなベッドの左隣で、臨也が体を丸めて眠っている。真っ白で華奢な指には、静雄がつけた歯型が残っていた。人差し指に嵌められた指輪が、薄明かりの中で鈍く光りを放っている。
臨也の寝顔を見るのは初めてだ。いつも臨也は静雄より遅く寝て、静雄より早く起きる。隙を見せたりしないのだ、いつだって。
臨也の睫毛は長く、鼻筋は綺麗なラインを描いていた。凛々しい眉に、薄い唇。恐ろしいほど綺麗な顔。静雄は面食いではないけれど、それでも臨也の顔は綺麗だと思う。普通なら同じ男として妬ましく思ったりするのだろうか。静雄にはそれは何だか別次元の美しさな気がして、妬みなどの感情は一切湧かなかった。
約束の一ヶ月が終わったら、自分は再びこの顔を殴ったり出来るのだろうか。以前のように殺意を向けて、臨也に自販機を投げつけることが出来るのだろうか。今の静雄には自信がなかった。
手を伸ばし、臨也の頬に触れる。それは温かい。八年もの長い腐れ縁の中で、臨也の温度を知ったのはこの三週間だけ。この男にも体温があり、何かを食べ、体を洗い、眠る、ただの人間だなんて、今まで静雄は考えたことがなかった。
静雄にとって折原臨也と言う存在は、そう言う範疇を越えてもっと異なる特別の存在だった。大嫌いで殺したくて、死ねばいいと毎日願う、そんな憎悪の対象。
それがどうしてこうなったんだろう。
静雄は臨也の頬を撫で、そのまま指先で唇に触れた。薄く、柔らかい唇。この唇が自分にいつも口づけを施すのかと思うと、静雄は軽く眩暈がする。
憎んでいるけれど一番自分に近い存在だと言うのも分かっていた。だからと言って抱かれるなんて有り得ないだろう。いや、それ以前に何故あの時に。
静雄は臨也から手を離し、自身の膝を抱える。誰が見ていると言うわけでもないのに、裸体をシーツで隠した。性交の後のせいか、腰が僅かに怠い。
飼われてみないかと言われたあの時に、何故断らなかったのだろう。
ひょっとしたら、もしかして、まさか、これは。
あの時断らなかったのも、抱かれたのも、ひょっとして。
静雄はその先を考えたくなかった。
はあっと溜息を吐いて、静雄はベッドから出ようとする。すると腕が伸びて来て後ろから抱きしめられた。裸体同士の体が触れた箇所が温かい。
「どこ行くの」
耳元に触れる吐息が擽ったかった。静雄は顔だけ後ろを向いて、声の主を見る。
「起きてたのか」
「さっき起きた」
「いつからだ」
「シズちゃんが俺に触る前」
唇を歪めて見上げて来る悪魔に、静雄はウンザリと舌打ちをする。きっと今、自分の顔は赤いはずだ。
「ねえ」
臨也の唇が耳朶を優しく噛んで来る。静雄はそれに平然を装い、臨也を目一杯睨んでやった。
「なんだよ」
「もう一回シよう」
臨也はそう口にして、静雄の臀部を優しく撫でる。情欲を帯びたその手つきに、静雄は驚いて身を捩った。
「無理に決まってんだろ、明日も仕事あんだからよ」
「休めばいいじゃない」
「死ね」
静雄がそう悪態をつけば、何が可笑しいのか臨也は声を上げて笑った。
「じゃあ余計なことは考えてないで黙って寝なよ」
そう言って抱き寄せられ、再び布団に沈まされた。ギシッとベッドが軋む。
静雄は顔を赤くし、軽く溜息を吐いた。臨也の手が宥めるみたいに静雄の髪を撫でる。
「…ガキじゃねえんだぞ」
「分かってるよ」
笑いを含んだ臨也の声。その手は優しく静雄に触れた。
いつも自分にナイフを向けるこの手がこんなにも優しいだなんて、今まで静雄は知らなかった。いや、知ろうともしなかった。勿論今更知ったって、自分と臨也の関係が変わるなんて有り得ないのだ。
静雄は怖ず怖ずと臨也の体に腕を回す。その体は温かい。
「おやすみ、シズちゃん」
臨也の声と温もりを感じながら、静雄はいつしか眠りに落ちていた。




残りの一週間は、あっという間に過ぎて行った。
一緒に食事をし、寝て、セックスをする。それは酷く馬鹿馬鹿しかったが、人間らしい過ごし方をしていたかも知れない。
まるで恋人ごっこだな、と静雄は思っていたけれど、それは一度も臨也には言わなかった。好きだとか、愛してるだとか、そんなくだらないものを思い起こす言葉は、決して口にはしなかった。
荷物をバッグに積めながら、静雄は窓から外を見る。空は真っ青だ。天気が良くて暖かい。初冬のこんな日はインディアンサマーと言うのだと、教えてくれたのは臨也だった。
この家は臨也の思い出に溢れている。家具も臨也の趣味だし、部屋の匂いも臨也のもの。この家にある物のひとつひとつが、折原臨也を思い出させる。
そんな臨也は今、仕事でいない。
臨也がいないうちに出て行こうと、静雄は午後の仕事を早退した。顔を見て別れる勇気はなかったから、告げずに出て行くつもりだった。
一ヶ月も住んでいれば、私物は増える。歯ブラシや箸や、茶碗やカップ。それらを全てゴミ袋に捨て、静雄は袋の口をきつく縛った。
想いとかそんなものも、一緒に捨てれたらいいのにな。
そんなことを考えて、静雄は思わず自嘲した。くだらない考えだ。感傷にでも浸っているのだろうか。全くらしくない。
「もう行くの?」
不意に部屋の後方から声がして、静雄は驚きで体を跳ねらせた。
振り返れば真っ黒なコートの男が、部屋の入口に佇んでいる。口端を吊り上げ、からかうような笑みを顔に浮かべて。
「お前、」
仕事はどうしたのだろう。新宿にいるのではなかったのか。
何で、ここに。
「GPS機能で」
臨也は一言そう言った。静雄はそれに、ちっと舌を打つ。
迂闊だった。そう言えば自分には首輪が付いていたのだ。
「返す」
静雄はポケットから携帯を取り出し、臨也に放り投げた。臨也はそれを片手で受け止める。
「持ったままで良かったのに」
「いらねえよ」
「シズちゃんがどこにいるか分かれば、コンビニのごみ箱を投げられずに済むからね」
笑って臨也が言うのに、静雄はただ睨みつけただけだった。
荷物を詰め込んだバッグと袋を手にし、扉へと歩き出す。目を逸らし、足早に臨也の横を通り過ぎようとした。
「シズちゃん」
その時、臨也の手が静雄の腕を掴む。静雄はそれに驚き、鼓動が跳ねた。けれどそれをおくびにも出さず、眉を顰めて臨也を見返す。
「なんだよ」
「最後にもう一度」
キスさせてよ。
臨也はそう言い、静雄の頬に指先で触れた。その指は酷く冷たくて、静雄は体を震わせる。
首に手を回されて、頭を引き寄せられた。臨也の長い睫毛が伏せられて、唇が優しく重なる。
ああ、これは最後のキスなのか。
静雄は臨也に口づけられながら、ゆっくりと目を閉じた。最後に見た臨也の顔がサングラス越しなのを、少しだけ残念に思いながら。
やがて触れただけの唇はゆっくりと離れてゆく。臨也の温もりも、指先の冷たさも、静雄から全て消え去って行った。
「さようなら、シズちゃん」
臨也はにっこりと笑い、去る静雄の為に道を開けた。
静雄はサングラス越しの目を細め、そのまま横を通り過ぎる。
廊下に響く自身の足音を聞きながら、静雄はふと思った。
臨也は答えを見つけたのだろうか。
飼いたいと言ったあの日、知りたいと口にしていた答えを。
いつか聞いてみよう。
静雄はそう考えながら、部屋を後にする。
背後で何か臨也が言ったような気がしたけれど、静雄はもう振り返らなかった。




(2011/11/21)
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