俺に飼われてみない?


何を馬鹿なことを。
あの時、静雄はそう言った筈だ。
何を馬鹿なことを言っている。質の悪い冗談だ、とも。
「知りたいから」
憤る静雄に、臨也はそう言った。
「何を」
「何故シズちゃんを助けたか、俺は自分で知りたい」
臨也はゆっくりと静雄の手を離した。手の温もりがなくなって、静雄は無意識に拳を握り締める。
何故。
何故か、なんて自分も知りたい。
何故臨也が自分を殺さなかったのか、知りたい。
静雄は躊躇した。
馬鹿馬鹿しい、と一喝する台詞が口から出なくなっていた。じわり、と戸惑いや迷いが、心を浸蝕してゆく。
傷付けないし、陥れたりもしない。普段通りに生活して、誰と会おうが外出しようが構わない。ただ一緒に住んでくれたらいい。
臨也はそう続けて笑った。
言葉の最後に、『お願いだ』とつけ加えて。
一ヶ月くらい、あっと言う間だ。飼うだなんで言ったけれど、ただの同居だよ。とも。
そんな事は静雄だって分かっている。他人を飼ってどうこうなどと、臨也はそんな愚かな事はしない。天敵ながら長年の付き合いで、相手のスタンスは分かっていた。
だから、静雄は引き受けた。
臨也の赤い目を見返して、ただ一言「いいぜ」と了承した。
馬鹿馬鹿しい。
今思い出しても、それは馬鹿馬鹿しくて笑える話だ。
きっと静雄はこの時、変だったのだろう。臨也も同様に。
血なんて見たせいで、気持ちが高まっていたのかも知れないし、どこか頭が狂っていたのかも知れない。
八年もいがみ合って来て、ひょっとしたら疲れていたのかも知れなかった。



臨也が決めたルールはたったひとつ。
食事は一緒に摂ること。
たったそれだけ。
互いに仕事もあるし、生活時間が合わないこともある。だけどせめて食事だけは一緒に摂ろうと言った。
勿論静雄には反論する理由も無く、承諾する。寧ろもっと無理難題を言われるかと思っていたのに。
静雄が一番驚いたのは、臨也がこの為だけに池袋にマンションを借りた事だ。家具や電化製品を全て新調し、壁紙や床も張替えて。
てっきり新宿のマンションに同居だと思っていた静雄は、これに僅かに困惑する。
「だって新宿のあれは仕事場だし」
戸惑う静雄に、臨也はあっさりとそう言った。
金の使い方を間違えてると静雄は呆れたけれど、結局は臨也の好きにさせた。生活費は全て臨也持ち。飼う、と言うのはこう言う意味だったのだと静雄は知る。
「首輪とか付けられると思った?」
臨也は口端を吊り上げて笑う。
「死ね」
そう静雄が悪態をつくと臨也はまた笑った。
それはそれは楽しそうに。
静雄は思う。
相変わらず厭味や減らず口は叩くけれど、臨也はこないだからずっと笑っている。天敵と一緒に住むことがそんなに楽しいのだろうか。静雄には理解が出来ない。
理解が出来ないくせに、一緒に住むのを了承した自分も大概だ。静雄は内心苦笑し、自嘲した。
「ここがシズちゃんの部屋ね」
臨也に案内されたのは広いフローリングの部屋。大きな窓に、ベッドが一つ。窓にはカーテンもブラインドもない。
「部屋に閉じこもるのは禁止ね。同棲の意味ないから」
「同居って言え。お前の部屋は?」
「あっち。見る?」
「別にいい」
静雄は素っ気なくそう言って、部屋に荷物を置く。鞄がたった一つ。静雄には大層な荷物なんてない。
「何でも自由に使っていいよ。冷蔵庫もご自由に。じゃあ俺はちょっと仕事があるから」
臨也はそう言って、さっさと部屋を出て行く。人には閉じこもるなと言う癖に自分は仕事か、なんて静雄は思ったけれど黙っていた。
取り敢えず荷物を置き、静雄はキッチンに向かった。
真新しいキッチンに入り、銀色の大きな冷蔵庫を開ける。冷気と共に目に飛び込んで来たのは、プリンや牛乳と言った食品。それらは多分、静雄の為に用意されたのだろう。臨也はあまり甘い物は食べなかった筈だから。
静雄は冷蔵庫を閉めると、リビングに入った。リビングには大きなテレビがあり、部屋の真ん中にソファとテーブルが配置されている。臨也らしい、黒を基調としたもの。
テーブルの上には灰皿が置いてあって、多分それも静雄の為に用意されたものなのだろう。プリンやら牛乳やら灰皿やら。静雄にはなんだかそれが酷く気恥ずかしかった。
静雄はリモコンを手にし、テレビの電源を入れる。映し出された画面を見ながら、柔らかなソファに寝転がった。
番組はどうやら恋愛ドラマのようだった。非現実的な世界。今の自分のこの状況も、酷く非現実的で曖昧だ。
天敵である臨也と住むと言うことを、静雄は誰にも言っていない。弟にも、旧友にも、親友にも。
説明するのが面倒だったからだ。自分でも良く分からないこの感情を、誰かに説明するのはとても難しい。
どれくらいそうしていたのだろう。
いつの間にかうとうとと微睡んでいて、静雄は臨也に揺り起こされる。
「シズちゃん」
「…ん」
名を呼ばれ、静雄はゆっくりと瞼を開けた。瞬きを何度か繰り返し、間近の臨也の顔を確認する。
「臨也…」
「風邪をひくよ」
「…ああ」
一瞬ここがどこか分からなかった。寝起きでボーッとしているらしい。
臨也の手が伸びて来て、静雄の頭を優しく撫でる。なんだかそれがくすぐったくて、静雄は肩を竦めて目を閉じた。
「猫みたいだ」
ははっと臨也は笑い、静雄の頭から手を離す。何か食べる?と顔を覗き込んで来た。その端正な顔で。
「…何でもいい。お前が作るのか?」
「多少は作れるけどね。今は食べに行こうか」
「外に?」
「そう。嫌?」
臨也はゆっくりと口角を吊り上げる。片方の眉を上げて、静雄を探るように見詰めてきた。
「…嫌じゃねえけど」
臨也と二人で歩いているのを誰かに見られたら、と思ってしまう。そんな風に戸惑う静雄を、臨也が面白がっているのも分かっていた。
「シズちゃんが食べたい物を何でも食べさせてあげるよ」
臨也は静雄の両手を取って、そのままソファから体を起こした。
「但しファストフード以外でね」
そう言って臨也はまた笑う。こないだから自分は、臨也の笑みを何度見ているんだろう。毎日会っていた高校時代でさえ、ここまで見ていなかったかも知れない。
なんて考えながら、静雄は掴まれた臨也の手に視線を落とす。白い華奢な手。長い指。人差し指にはシルバーのリングが光っていた。
「…なんかお前」
「ん?」
「優しくて気持ち悪い」
「あはは、酷いな」
静雄の暴言にも臨也は声を上げて笑う。
「だって俺はシズちゃんの飼い主だからね」
悪戯っ子のようにそう言って、臨也は静雄の頬を撫でた。
こんなのは飼い主じゃない、まるで恋人だ。
静雄はそう思ったけれど口に出さない。口にしたらまるで魔法みたいにこの現実が溶けて無くなる気がした。
結局二人で露西亜寿司に行った。店主や店員の外国人は二人が一緒なのに驚いたようだけど、理由を尋ねて来たりはしなかった。
実は二人で寿司を食べるのは初めてではない。高校生の頃はしょっちゅう喧嘩してはサイモンに止められ、寿司を食わされていた。
あの頃と違うのは酒を飲むようになった事かも知れない。静雄は酒はそんなに強くはないが、嫌いではなかった。酒を飲むと気分がおおらかになる気がする。
「シズちゃん酔ってない?」
店を出て空を見上げれば月がこちらを見ていた。臨也はそれを視界に捉えてから、静雄へと視線を移す。
「酔ってねえよ」
静雄は臨也の言葉に反論し、煙草に火をつける。ふわりと紫煙が舞い上がり、煙の濃さに目を細めた。
臨也と二人、池袋の街を歩く。たまに痛いぐらいの視線が突き刺さったが、静雄は気にしないようにした。きっと明日には町中大騒ぎだろう。平和島静雄と折原臨也が一緒にいた、なんて。
「シズちゃんお酒弱いからなあ」
臨也はそう言って、静雄の空いている手を取った。冷たい手。静雄はそれに、眉を顰める。
「外で手を繋ぐな」
「中ならいいの」
「そう言う問題じゃねえ」
苛々と凄んで見せるけれど、臨也には通じない。それどころか掴んで来る手に力が入って来た。
「振り解かないんだ?」
「解いて欲しいのか」
「いや」
臨也は大袈裟に肩を竦め、唇を吊り上げる。
「シズちゃんも、何だか優しいね」
揶揄するような臨也の言葉に、静雄は何か言い返そうとした。けれど、臨也は静雄の手を引いてさっさと歩き出してしまう。
結局静雄は何も言えずに、ただ臨也の後に続いた。外は秋風で肌寒かったが、酒で火照った体には気にならない。
繋がれた臨也の手が、静雄の手の中で徐々に温かくなってゆく。繋いだ時は指先が酷く冷たかったのに。
そう言えば、人は緊張すると手が冷たくなると聞いたことがある。まさか目の前のこの男でも、緊張なんかしていたのだろうか。有り得ない、と言うよりは想像がつかない。
静雄は手を引かれたまま、煙草を燻らせる。ろくに吸っていないそれは、灰だけが落ちてゆく。足を止めて揉み消したいけれど、臨也に言い出せなかった。口にしたらきっと、臨也は手を離してしまう。
「臨也」
静雄は空を見上げながら、ぽつりと臨也の名を呼ぶ。
「何?」
臨也は手を引いたまま、前を歩く。
「次はお前の料理がいい」
静雄がそう言うと、臨也は振り返った。その赤い目は、驚きで見開かれている。
「何か作って」
やはり自分は酔っているのだろう。
静雄はそう思いながら、僅かに笑った。今なら何を言っても、酔いのせいに出来る。
「いいよ。何食べようか」
臨也は嬉しそうに笑い、また歩き出す。その手は繋いだまま。
「…ハンバーグ」
暫く思案したのち、静雄はそう答えた。臨也はそれに、小さく笑い声を上げる。
「シズちゃんも作るの手伝ってね」
「…善処する」
「良い子だ」
臨也は頷き、また笑い声を上げた。




(2011/11/14)
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