ソファに寝転がって、テレビのチャンネルを変える。競馬、ゴルフ、バラエティ、2時間ドラマの再放送。
日曜の午後はつまらない番組ばかりだ。静雄はテレビを見るのを諦め、リモコンをテーブルに放り投げた。それは少し乱暴な音を立てる。
煙草に火をつけて煙を吐くと、静雄はベランダへと出た。外は朝から雨が降っていて、口から出る息が少し白い。高い位置にあるこの部屋は、降る雨の音も静かだ。まるで自分以外の人間はこの世に存在してなくて、たった一人残されているかのような、そんな錯覚。
臨也は今日もずっと自室に篭って仕事をしている。一緒に暮らし始めて二週間は経つけれど、静雄はあの部屋にはまだ立ち入ったことはなかった。きっと新宿のあの仕事場みたいにパソコンがあるのだろう。
仕事なら新宿でしろと何度静雄が言っても、臨也はそれを聞かなかった。静雄が仕事の時は新宿へ出向いてるようだが、休日は静雄との食事の為だけにここにいる。
馬鹿な奴。
静雄は溜息ともつかない煙草の煙を吐いて、薄暗い空を見上げる。食事だけ一緒にしても、他の時間は全く共有していない。
寂しいだなんて女みたいな事は思わないが、少しだけ虚しさは感じていた。一緒に住んでいるのに、これじゃあ一人で住んでいるのと同じ。いや、もっと質が悪いかも知れない。
静雄はベランダの手摺りに煙草を押し付けて消すと、部屋の中に戻る。寒空にいたせいで体が酷く冷えていて、小さなくしゃみがひとつ出た。
どこかに出掛けようか。
休日の昼間に、家に燻っていると言うのも味気無い。街に出てブラブラするか、自分のアパートの様子でも見に行こう。
静雄はそう思い付くとさっさとマンションを出た。携帯と財布を持って、薄着のまま。
臨也には言わなくてもいいだろう。自由にしていいと言われている。それに、あの男は自分がどこに行こうが興味がないに違いない。
雨が降り注ぐ池袋の街を、静雄は傘も差さずに歩き出した。



ぽた、と前髪から落ちる雫を静雄は乱暴に払う。
二週間振りの自分の家は何だか埃っぽくて、静雄は窓を開けた。幸い雨脚は弱まっているし雨が家に入り込む事はないだろう。少し冷たい風が部屋の中に入って来る。
次は天気が良い日に来て、布団くらいは干した方がいいかも知れない。約束の一ヶ月が終わったら、また帰って来るのだから。
静雄は窓に腰掛けて、暫くぼんやりと外を見ていた。外はもう夕暮れで、空は相変わらず鉛色だ。雨だけがそろそろ上がりそうだが、今日はもう晴れは望めないだろう。
着ていたTシャツが雨で濡れて不快だ。それでも静雄は着替える気は起きなかった。窓から入るひんやりとした風が、濡れた静雄の体温を奪って行く。
その時、テーブルに置いていた携帯が存在を主張し始めた。バイブレーションが震え、音を立てる。メールかと思ったが、どうやら電話の着信らしい。
手に取って携帯を開くと、ちょうどタイミング悪く切れてしまった。見知らぬ番号から三件の着信。ぼうっとしていたので今まで気付かなかったようだ。
四回目の着信は直ぐにまた来た。静雄は通話のボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「…もしもし」
携帯を握り締め、静雄は警戒した声を出した。電話の向こうの相手は何となく予想はついている。
『どこにいるの?』
案の定、聞き慣れた幾分高い声がした。静雄はそれに軽く息を吐く。
「…臨也」
何で番号を知っている。
情報屋と言う職業は本当に厄介だ。きっとデータ上ならば、臨也は静雄自身よりも静雄のことを知っているんだろう。
『今、どこ』
臨也の声は抑揚がなかった。
電話越しだと言うのを差し引いても、感情が全く読めない。多分怒っているからだ、と静雄は思う。
「家」
『自分の?』
「ああ」
空気を入れ替えようと思って、と言い訳のように言葉を続けた。暇だからとか、寂しいからとかは口には出来ない。絶対に。
『……』
電話の向こうで相手は溜息をついたようだ。静雄はそれが気に入らなくて、僅かに眉を顰める。
「自由にしていいって言っただろ」
普段通りに生活して、誰と会おうが外出しようが構わない。臨也はそう言った筈だ。飼いたいと言ったあの時に。
『行き先ぐらい言いなよ』
耳に聴こえて来る臨也の声は、幾分疲れているみたいだった。それは何だか呆れているみたいに聞こえて、静雄はますますむっとする。
「俺がどこに出掛けようが関係ねえだろ」
『…何それ』
静雄の言葉に、臨也の声のトーンが下がった。いつも人を馬鹿にしたような喋り方の癖に、こんなあからさまな不機嫌な声は珍しい。
「…今日は飯いらねえ」
『シズちゃん、』
「じゃあな」
相手が何か言い返す前に、静雄は携帯の電源ごと通話を切った。忌ま忌ましげに携帯を閉じ、ポケットに仕舞う。
ああ、もう。
深く溜息を吐いて、静雄は額に手をやる。
頭が痛くなりそうだ。これじゃあ拗ねてるみたいじゃないか。…最悪だ。
静雄は窓を閉めるとベッドに寝転がる。それは少しだけ黴臭く、柔らかさも失っていた。けれどそんなことは今の静雄にはどうでも良かった。
どれくらいそうしていただろう。
バタンと扉が開く音がして、静雄ははっと目が覚める。どうやら少し微睡んでいたらしい。静雄がベッドから身を起こすのと、部屋に誰かが入って来るのは同時だった。
「臨也?」
静雄の目が驚きで見開かれる。
薄暗い部屋の真ん中には、臨也が立っていた。真っ黒なコート、真っ黒なスラックス、全身が真っ黒な姿で。
臨也はつかつかと静雄まで歩み寄るとその腕を掴む。そして強引に腕を引き、玄関へと歩き出す。
「おい、臨也」
静雄が抗議の声を上げても臨也は腕を離さない。その表情は部屋が暗いせいで全く見えなかった。
「臨也って、」
「黙れ」
臨也らしくない、粗暴な口調。静雄はそれに驚いて黙り込む。
家の外に引き摺るように出され、アパートの階段を下りる。カンカンカン、と軽い足音が周囲に響いた。
外はもうすっかり夜の帳が下りていて、風は昼間よりも肌寒い。
「どこ行くんだよ」
「帰る」
「帰るって、」
「一ヶ月はシズちゃんの家はあそこだろう?」
「……」
池袋の忙しない街を、臨也に腕を掴まれたまま静雄は歩く。好奇の視線が二人に注がれ、それが静雄と臨也だと分かると直ぐに逸らされた。
街はすっかりクリスマスのイルミネーションで騒がしい。ピカピカと光る明かりも、クリスマスの音楽も、今の静雄には全く興味がなかった。
人通りが多い道を抜け、横断歩道を渡り、やっと臨也のマンションが見えて来た。その間も臨也の手は強い力で静雄の腕を掴んでいる。痛みに鈍いはずの静雄が、痛みを僅かに感じるほどに。
マンションに着いて部屋に入り、そこでやっと臨也は手を離した。ひょっとしたらシャツをめくれば、指の跡がついてるんじゃないかとさえ思う。
「いざ…」
や、と名前を呼ぼうとして、静雄は口を噤む。臨也の赤い双眸が、じっと静雄を見詰めていた。その目はぞっとするほど冷たい。
「首輪をつけようか」
臨也は手を伸ばし、静雄の首筋に触れる。
「飼われてる証としてさ」
「…ふざけんな」
静雄はその手を振り払うと、きつい眼差しで臨也を睨みつけた。臨也はそれに薄く笑う。
「ふざけてないさ。飼い猫に首輪は必要だろう?」
言い終わらない内に、静雄の拳が繰り出される。臨也はそれを寸で避けたが、衝撃は後ろの壁を突き破った。パラパラと塵が床へ落ちる。
「…あーあ、新築マンションなんだよ?ここ」
「うぜえ」
更にまた殴り掛かろうとする静雄の手首を、臨也は逆に掴む。掴んだ手を引き寄せて、吐息が触れるほどに顔を近付けた。
「シズちゃんがどれだけ短気か忘れてたな」
「離せ」
至近距離で顔を突き合わされ、静雄は離れようと身を捩る。再び振り払った手は、あっさりと外された。
「首輪は冗談だけどさ」
臨也は軽く溜息を吐き、乱れた前髪を手で掻き上げる。
「ルールぐらい守りなよ。食事は絶対に一緒だって言っただろう?」
「…手前だって、」
静雄はそれに、鋭い目つきで睨みつけた。
「部屋から出て来ねえじゃねえかよ、いつも」
いつも閉じこもって仕事して。
これじゃあ何で一緒に住んでいるか分からない。
静雄は吐き捨てるようにそう言い、目を逸らした。
しまった、と思ったが、もう口から出た言葉は戻らない。
臨也は静雄の言葉に目を丸くしている。静雄はちっ、と舌打ちをした。
こんな事を吐露したら、きっと臨也に笑われるだろう。臨也が部屋に篭っているのが寂しいと、認めているようなものだ。
顔が段々と赤くなる。羞恥のせいで耳まで熱い。
「…それで拗ねてたの?」
「拗ねてねえよ」
即座に否定の言葉を口にするけれど、その静雄の声は震えてる。それに気付かない臨也ではないだろう。
「おいで」
不意に臨也がまた静雄の手を掴んだ。有無を言わせず手を引かれて廊下を歩く。目指すは一番奥にある部屋。臨也の寝室だ。
ドアを開け、中に連れ込まれる。部屋の中は薄暗く、パソコンのモニターだけがついていた。
真っ黒な机に真っ黒な大きなベッド。窓は静雄の部屋と同様、カーテンもブラインドもない。
臨也は静雄の腰に手を回し、体を引き寄せる。静雄がそれに驚く間に、臨也は肩を掴んで静雄をベッドに押し倒した。
「臨也、」
「ごめん」
慌てた静雄に返ってきた声は、意外にも謝罪の言葉だった。
それに驚いて顔を上げれば、臨也の手が伸びて来る。少しだけ冷たい両手が、静雄の頬を包み込んだ。
「気付かなくてごめん」
「……」
臨也の赤い目に自分の姿が映し出されるのを、静雄は瞬きもせずに見ていた。臨也の目は真摯で、じっと真っ直ぐに静雄を見詰めて来る。
「今日からシズちゃんもここで寝よう」
「…ここで?」
「そう。一緒に」
臨也の手が優しく静雄の唇を撫でた。静雄はそれに、ぴくっと体を震わせる。
「初めからそうすれば良かった」
確かにこのベッドは大きくて、大の男が二人寝れそうなスペースはあった。
だけど。
一緒に寝る、だなんて。
静雄は困惑して視線をさ迷わせる。これじゃあ本当に同居じゃなくて、同棲みたいだ。恋人同士みたいな、こんなこと。
「そしたら寂しくないだろう?」
唇を撫でる臨也の指先が、静雄の口に僅かに入り込む。静雄はそれに目を伏せ、釣られるように薄く唇を開けた。
赤く濡れた静雄の舌先が見え隠れするのに、臨也は僅かに目を細める。
「…誘われてるのかな」
臨也が発した声は、低く掠れていた。
静雄がそれに反論しようと口を開いた瞬間に、唇が重ねられる。
触れ合う柔らかな感触。静雄の色素の薄い茶色の目が驚きで真円を描いた。
薄く開いた唇を割って、臨也の舌が入り込んで来る。歯列をなぞり、奥に隠れた静雄の舌を見つけ出す。口腔内を思う様に蹂躙され、静雄はきつく瞼を閉じた。直前まで見えていた臨也の顔が、目に焼き付いている。胸が苦しい。
飲みきれなかった唾液が口の横から零れ、白いシーツを濡らす。舌が口腔中を這い回り、くちゅくちゅと水音が響いた。
何で、こんな、こと。
静雄はそう思うのに、体は動かなかった。ただ堪えるみたいにシーツを握り締め、臨也の愛撫に答える。臨也とのキスは酷く甘かった。
「ん…っ、」
鼻から抜けるような、甘ったるい声。こんな声が自分のなんて、信じたくない。息苦しくて、心臓が早鐘を打つ。
うっすらと瞼を開けば、臨也の赤い双眸と目が合った。理知的な臨也には珍しく、その目は情欲で蕩けるように濡れている。
「シズちゃん」
臨也の手がスラックス越しに静雄の内股を撫でるのに、静雄は体を跳ねらせた。

「抱かせて」

ひやり、と空気が変わった気がした。
「…何言って、」
質の悪い冗談だ、と言おうとして、静雄は黙り込む。見上げた臨也の目が本気だったから。
「優しくするから」
「…臨也」
「シズちゃんが俺無しじゃ居られないぐらい、ぐちょぐちょに気持ち良くしてあげる」
こんな臨也の言葉に、静雄はかあっと羞恥に頬が染まった。何を言うんだろう、この男は。臨也は口端を吊り上げていつものように笑うけれど、その赤い目は少しも笑っていない。
「………死ね」
静雄の口から出て来た悪態は、そんな平凡なものだった。顔を赤くしたまま、臨也から目を逸らす。ギシッとベッドが揺れた。
臨也はそんな静雄に、低く声を上げて笑う。シーツを握り締める静雄の手を取って、自身の背中に回してやる。
「ちゃんとしがみついてて」
優しくするのは、余裕があるうちだけだから。
臨也はそう言って、静雄の衣服に手を掛けた。




(2011/11/17)
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