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臨也と静雄の喧嘩を、サイケとデリックはソファに座り、黙って見ていた。
サイケはソファに乗ってしゃがみ込み、手を組んでいる。デリックはソファの背もたれに腕を掛けて、足を組んで座っていた。二体とも、まるで人間のようだ。
静雄の手によって家具や壁が破壊され、部屋はめちゃくちゃになっていた。フローリングの床にガラスの破片やカーテンだった布が散らかっている。
人間は愚かだ。
デリックはそれを冷えた思いで見る。何故感情のままに傷付け合うのだろう。例え体に傷はつかなくても、心には傷がつくと言うのに。
隣にいるサイケは何も言わない。けれどデリックはサイケが同じ思いを抱いているのを知っていた。サイケとデリックの間にはピンクの細いケーブルが繋がっている。このケーブルが互いの体を繋ぐ限り、二体は同じデータを共有している。そのせいで『物事』に抱く感想は大抵同じだ。人格プログラムが違う為、『感情』は違うけれど。
二体が黙っている間に、臨也と静雄の喧嘩が多少落ち着いて来たらしい。
「もう来ねえよ」
静雄はそう言って舌打ちをした。デリックの元になっているその外見は、今は酷く不機嫌な顔をしている。黙っていれば綺麗な顔なのに、と臨也がいつも言っている静雄の顔。
「暫く頭を冷やすのはいいかもね」
臨也は素っ気ない。
静雄に大概甘い臨也がこんな事を言うなんて、こちらもかなり機嫌が悪いのだろう。眉目秀麗と言われるその顔は酷く冷たかった。
静雄は何やら低く悪態をつき、部屋を出て行く。やがて聞こえる、扉を乱暴に閉める音。
静雄が居なくなると、臨也は疲れたように溜息を吐いた。溜息を吐くのは人間だけだ。緊張が解けた時、安心した時、疲れた時などに人間がする行為。
「片付けは必要か?」
初めてデリックは口を開いた。部屋の惨状を見て、判断した言葉だ。
「頼むよ」
臨也がそう答えると、横でサイケが無言のまま立ち上がる。デリックもソファからゆっくりと腰を上げた。
臨也はそのまま部屋を出て行く。頭を冷やすのは静雄だけではなく、臨也の方もなのだろう。人間と言うのは不思議な生き物だ。冷却ファンや電源の故障でもないのに熱くなったり冷えたりする。デリックにはそれが少し羨ましい。
「下らない感情だね」
デリックの考えを、サイケは繋がったケーブルから敏感にキャッチする。
「あんなに激情したら頭のコンデンサが融解するよ」
サイケなりのジョークなのだろう、デリックはそれには何も答えなかった。
サイケとデリックはあまり仲が良くない。人間のように喧嘩はしないが、チリチリと中の回路が焼けそうになる時がある。ロボットである二体は本来は他者と争うなど有り得ない。多分、データをインストールした臨也の意向なのだと推測された。
外見も、中の人格も、仲の悪さや趣向さえもプログラムしたのだろう。臨也と静雄(自分たち)そっくりに。
それをデリックは悪趣味だと思っているし、サイケもそう思っているのを知っていた。静雄でさえ二体を初めて見た時、はっきりと「気持ち悪い」と言ったのだ。尤も静雄のその意見の大半は外見に対してだったろうが。
家具の位置を直し、塵と化した物を片付ける。フローリングや壁についた傷はさすがに二体には修復はできない。臨也の助手の女が後日、何とかするだろう。
ゴミを纏めると、二体の仕事は終わってしまった。二体はまたソファに座る。ここがいつも待機場所だ。動けばそれだけ電力を食うし、臨也の命令がなければ何も行動は起こさない。ただずっと二体でソファにいるだけ。
「デリック」
不意にサイケが腕を伸ばして来た。デリックはそれに顔を上げる。
抱きしめられ、口づけられた。柔らかな唇、温かい腕。人間ではない自分たち。
ジ…、とまたデリックの体内で音がした気がする。CPUやマザーボードや、何か自分の体の奥にある物がショートしそうだ。勿論本当にそうなったなら、自分は停止してしまうのだけれど。
サイケのキスは優しい。絡まる舌も。唾液がわりの潤滑油が、くちゅくちゅ音を立てる。
臨也はこんなこともプログラムしたのだ。人間が愛し合う行為。抱擁やキスや、それ以上のこと。
サイケはプログラム通りに行動しているし、自分もそれに従っているだけ。
悪趣味だ。
デリックはそう思いながら目を閉じる。
この行為のデータはさすがに共有していない。デリックは奥の更にずっとずっと奥のフォルダに鍵を何重にもかけて置いてある。映像も音声も再生はしない。ただ溜めているだけだ。何桁ものパスワードとプロテクトをかけて。
サイケの手がデリックのヘッドフォンを外す。ピンクの目が自分を見ていた。
サイケにインプットされたプログラムがどんな風に行動をするのか、デリックには予測はできない。だからいつも好きにさせている。人格プログラムのデータは互いに干渉していなかったから。
サイケの手がゆっくりと、デリックの服を脱がせてゆく。ピンク色の目は細められ、赤い舌がデリックの頬を嘗める。
その目も口も髪も何もかも、自分たちのは偽物だ。人間とは違う。
ジ…ジジ…。
デリックの中でノイズがまた発生した。取り返しのつかないエラーが出る前に臨也に話そうと思いながら、デリックはずっとこのノイズのことを黙っている。
いつかバグが起きて、自分のプログラムが破壊されたなら、それはそれで良いかも知れないなと思っていた。
人間で言う死。
デリックにはそれが羨ましい。そしてそう思うこと自体、バグなのかも知れない。
「何を考えてるの」
サイケがデリックの耳に口づけながら問う。
「何も」
そう答え、サイケの首に腕を回した。
目を閉じれば真っ暗な闇。人間が闇を恐れるのが、少しだけ分かる気がする。
デリックはサイケが好きだ。手も声も眼差しも何もかも。でもこれはプログラムされたもの。偽物の愛情。
ジ…、と体のずっとずっと奥で音がする。本当にコンデンサが溶けているかも知れない。
早く壊れればいいのに。
デリックはそう思いながら、今日もサイケに抱かれるのだ。


臨也がいないとある日、静雄がやって来た。
その日が臨也がいないのをあらかじめ分かってやって来たらしい。
静雄は二体を見ても何も言わず、クローゼットを開けたり引き出しを開けたりしていた。荷物を取りに来たのだろう。
「本当に別れるの?」
サイケがぽつりと言う。臨也と同じだけど、抑揚のない声。
「まあな」
静雄は振り返らない。声には幾分苛立ちが含まれていた。
デリックは何も言わず、ただ静雄を見詰めている。無表情に。
「静雄さんと別れたら、マスターは俺達をどうするのかなあ」
サイケも無表情だった。僅かに小首を傾げて静雄を見遣る。
静雄は眉間に皺を寄せ、振り返った。
「お前はあいつと同じ顔なんだし、なんもされねーだろ」
そう言いながらも、静雄は実は予想がつかない。あの男は自分と同じ顔であっても、平気で破棄しそうだからだ。
「…お前はやばいかもな」
チラリ、とデリックに視線を移す。サイケよりデリックの方が破棄される可能性は高い。もしくはデータを入れ替えるか。
デリックは黙っていた。静雄と同じ顔で、ただ真っ直ぐに見詰め返す。
「一緒に来るか」
静雄がこう言うと、初めて二体の表情が動いた。
「え」
デリックの目が驚きで丸くなる。隣にいるサイケもだ。静雄はそれに、まるで人間みたいだな、と思った。
「まあ俺んちはここより狭いけど」
青いサングラスの奥の目を細め、静雄は笑う。静雄がこんな風に素直に笑うのは珍しい。
「俺とサイケは離れられないから」
デリックは戸惑いながら、ピンクのコードに視線を移す。長く、細い、LAN用のケーブル。
「データ共有してんだっけ。いらねえだろ、そんなの」
静雄は荷物を無造作に放ると、二体に近付いて来た。
「お前らは一人だろうが」
ひとり、と言う言い方にデリックは驚く。人間に使う言葉。
静雄はその間に、ピンクのコードを引っこ抜いた。ぷつっと音がする。
ネットワークケーブルが接続されていません。と視界に警告が出た。デリックは困惑して隣にいるサイケを見るが、サイケは無表情なまま。
「行くぞ」
早くしないと臨也が帰って来る。静雄は荷物を手にし、合い鍵をテーブルに置いた。そして振り返ることなく部屋を出て行く。
「サイケ、」
「行きなよ」
動揺するデリックに、サイケは言う。
「俺はマスターが君を破棄するとは思えないけど、一応は退避しておくといい」
サイケのピンクで無機質な目が、デリックを捉えた。繋いでいたケーブルが無くなって、デリックにはますますサイケの考えは読めない。
「早くしろよ」
玄関の方で、静雄の声が呼ぶ。
サイケとデリックは、静雄の命令も聞くようにプログラミングされている。それには逆らえなかった。
部屋を出ようと歩き出したデリックの腕を、サイケが不意に掴む。
「あ」
驚いて振り返るデリックに、サイケはそのまま唇を重ねた。柔らかな唇。温かい体温。触れるだけのそれ。
「好きだよ」
サイケはそう口にして、体を離す。
デリックはそれに目を丸くし、何かを言おうとした。けれど、まるでバグが生じたみたいに言葉が出て来ない。
「サイケ、」
「早く行けば」
「……」
その時、玄関で大きな音がした。バタンと扉が開く音。
サイケとデリックが顔を上げるのと、臨也が静雄の手を引いて入って来るのは同時だった。
「離せ!」
強引に手を引かれ、静雄は臨也の手を振りほどく。臨也はそれに、パシンと平手打ちをした。
頬を殴られ、静雄の動きがぴたりと止まる。衝撃でサングラスが床に転がった。
「……」
静雄は痛くないはずの頬を押さえ、臨也を驚いて見る。今まで何年も喧嘩をして来て、平手打ちされたのは初めてだった。
「…全く、」
はあっと臨也は溜息を吐く。
「サイケとデリックまで巻き込んで、何をやってるんだか」
臨也の赤い目が二体を見る。二体ともそれを黙って見返した。床にはピンク色のコードが転がっている。臨也にはそれだけで、何が起きたか分かったらしい。
静雄は目を逸らし、小さく舌打ちをすると部屋を出て行こうとした。床に落ちたサングラスをそのままに。
「どこ行くの」
臨也がまた静雄の手を掴んで引き止める。手を引いて腰を抱き、あっと言う間に静雄を腕の中に捕まえてしまった。
「離せ、死ね!」
腕を離そうとする静雄の耳元に、臨也が唇を寄せる。
「俺がシズちゃんを離すわけないでしょ」
この言葉に、ぴたっと静雄の抵抗が止まった。明らかに動揺し、視線をさ迷わせる。
「絶対別れてなんかやらないよ」
臨也はそう言って、静雄の肩口に顔を埋めた。抱きしめる腕に力を込める。好きだよ、と耳元に囁いて。
静雄はそれに驚いたように目を見開き、やがて顔を赤くした。答えのかわりに、抱きしめる臨也の背中に腕を回す。
二体はそれを黙って見ていた。二体はいつだって見ているだけだ。口を出すことはできない。
人間は不思議だ。
デリックはまた思う。
どうして好きな相手と喧嘩をするのだろう。どうして好きな相手を傷つけるのだろう。
それでも、デリックにはそれが少し羨ましい。好きな相手だからこそ、何かの言葉に傷つくのだ。臨也と静雄を見ていればそれが分かる。
「おいで」
臨也が静雄を連れて部屋を出て行く。きっと寝室にでも行くのだろう。もう二人は互いしか見ていなかった。
デリックはそれを見送ると、ソファに座り込む。もし自分が人間ならば溜息を吐いていた筈だ。サイケと離れなくてすんだ、と安堵して。
サイケは床に落ちたピンク色のコードを拾い、それをテーブルへ放り投げる。その表情は相変わらず無表情で、何を考えているかデリックには分からない。
不意に好きだよ、と言われたのを思い出す。あんな言葉は作られてから初めて言われた。サイケは愛の言葉を口にしたりはしない。デリックも口にしたことはなかったのに。
「デリックはプログラムだと思っているのかな」
デリックの視線に気付き、サイケは突如口を開く。無機質な目、感情の篭らない声。
サイケの言葉に、デリックは目を見開いた。考えていたことを当てられ、少し驚いたから。
「ケーブルで繋がっていなくても君の考えくらい分かるよ」
サイケは珍しく笑った。その笑顔は臨也のようでいて、臨也ではない。
「残念ながら、感情のプログラムなんて存在しないんだ」
「…それってどう言う意味だ?」
デリックはまるで人間のように首を傾げた。金の髪がサラリと揺れる。
「人間には感情のプログラムを作るのは無理だってことさ。当然、俺と君にもない」
サイケは自身の耳を塞ぐヘッドフォンを取り去った。かしゃん、と音を立ててそれは床に落とされる。
「つまりは恋愛感情はインストールされていない。この意味分かるかな?」
サイケはそう言って、口端を吊り上げて笑った。臨也がよくする笑い方。人間と同じ。
デリックはその言葉にぽかんとしていた。いつの間にか体内のノイズはぴたりと止んでいる。そのかわりデータが物凄い勢いで書き加えられてゆく。そのせいか顔が熱い。
サイケの手が伸びて来て、デリックのヘッドフォンを外す。そしてそれを無造作に放ると、腰をゆっくり抱き寄せた。臨也と静雄がさっきしてたみたいに。
「好きだよ」
顕わになったデリックの耳にそう囁く。人間みたいに、熱っぽい声で。
ああ、これはプログラムなんかじゃなかった。この人間みたいな感情は、自身が作り出したもの。
これが恋というものなのか。
サイケの背中に腕を回し、デリックは目を閉じる。
「俺も」
そう答えた声は、人間みたいに掠れていた。


(2010/11/09)
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