恋愛小説A







次の日も二人は図書室の後片付けだ。
さすがに何日も放課後に時間を取られるのは嫌なので、出来るなら今日中に終わらせたかった。
放課後の学校は静かだ。遠くで部活動に励む生徒たちの声がする。居残っている生徒の笑い声。バタバタと走る足音。
静雄は本の山に囲まれて、手際よく本を片付けてゆく。天敵である男と部屋に二人きりだなんて、早く終えてしまいたい。
「昨日は結局本は借りて行ったの?」
本を書棚に入れながら臨也が聞いて来るのに、静雄は手の動きを止めた。
「…まあな」
嘘をついても仕方がないので素直に認める。ちらりと自身の鞄に目をやった。今もあの中に入っている。
「へえ。面白かった?」
臨也にとって世間話のつもりなのかも知れない。興味があるようには見えなかったから。
「まあまあ」
静雄の答えは素っ気ない。元々静雄は寡黙なタイプなので、お喋りは得意ではない。話し掛けるのは臨也の方からばかりだ。
「ふうん」
臨也は頷き、それ以上は何も言わなかった。その顔は表情が無く、何を考えているか静雄には分からない。
静雄は梯子に上り、棚の一番上に本を仕舞ってゆく。背が高い静雄でも、一番上はさすが梯子を使わねばきつい。
中には保存状態の悪い、ボロボロの本もあった。所詮は学校の書庫なので仕方がないのかも知れないが、静雄にはそれに少し心が痛む。
慈しむように表紙を指先で撫でながら、静雄は本を丁寧に入れて行く。埃が少し被っているのを、ポンポンと手で払った。
「シズちゃんって本当に本が好きなんだねえ」
下から声がして見下ろせば、梯子に手を掛けて臨也が見上げていた。
「意外に読書家みたいだし」
「人並み程度にはな」
静雄は手にした本を書棚に仕舞い終える。一寸の隙間もなく本が収まっている様は、見ていて気分が良かった。
臨也はそんな静雄を見て口端を吊り上げ、梯子を途中まで上って来る。
「危ねえよ、上って来んな」
ぎしっと梯子が揺れるのに、静雄は慌てて書棚を掴んだ。臨也は声を上げて笑う。
「見下ろされるの嫌いなんだ」
「知るか、そんなこと」
静雄は呆れたような声を出す。元々臨也は静雄より背が低い。見下ろすなんて今更だろう。
いつの間にか至近距離に臨也の顔があり、静雄は目を瞬かせた。微かに香る臨也の香水の匂い。
「ここだと逃げる場所がないね」
臨也が薄く笑い、その吐息が頬を掠める。静雄の頬に冷たい指先が触れて、臨也の長い睫毛が伏せられた。
近付いて来る臨也の顔。静雄が思わず体をのけ反らせると、ガタンとまた梯子が揺れた。
ゆっくりと、柔らかく重なる唇。
静雄は目を見開いたまま、それを受け止める。
臨也は梯子から手を離し、静雄の後頭部に手を回した。深くなる口づけ。離れてはまた重ね合わせ、何度も何度も唇を舐める。静雄は梯子を掴んでそれに堪えていた。こんな場所では抵抗も出来ない。羞恥に眩暈がし、息が苦しい。
不意に唇が離され、静雄は我に返る。その間に臨也は梯子から飛び降りて、下から静雄を見上げていた。口角を吊り上げて。
「顔が真っ赤だ」
「…死ね」
静雄は顔を逸らして悪態をつく。唇が赤くなるくらい、ゴシゴシと手の甲で拭った。こんな嫌がらせに心が乱されるなんて、最悪だ。
臨也は笑い、まるで何事もなかったように本を片付け始める。臨也にとって、本当に何でもないのだろう。こんなことは。
静雄は梯子のてっぺんに座ったまま、動けずにいた。手足が微かに震えているのに、ぎゅうっと拳を握り締める。動悸が治まるまでは、暫くここにいた方がいいかも知れない。
臨也に気付かれないように深呼吸をし、静雄は窓から外を見た。夕方の空は茜色だ。東の空だけがうっすらとまだ青い。
「夕陽が見える図書室でキスとか、まさに恋愛小説みたいだよねえ」
この言葉に顔を向ければ、臨也が夕陽を眺めていた。臨也の端正な横顔が、夕陽に染まって赤い。
静雄はそれにウンザリと舌打ちをし、カシャンと音を立てて梯子から飛び降りた。
「手前の場合、ただの嫌がらせだろ」
何が恋愛小説だ。
「心外だね」
静雄の言葉が気に入らなかったのか、臨也が片眉を吊り上げる。不機嫌な声。
「嫌がらせならもっと違うことをするよ」
「じゃあ、」
何で。と言いかけて、静雄は黙り込んだ。聞かない方が良い気がする。臨也の答えを聞いたら、もう戻れない気がした。もしかしたら、もう無理かも知れないけれど。
「じゃあ、なに?」
首を僅かに傾げて、臨也は赤いその目を細くする。唇を歪めて笑みを浮かべている癖に、目だけはやけに真摯だった。
「…何でもねえよ」
静雄は臨也から目を逸らすと、机の上の鞄を手にした。どうせ今日も片付けは終わらない。もう帰るつもりだった。
「シズちゃんはいつもそうやって逃げるよねえ」
出て行こうとした静雄の背中に、臨也の言葉が突き刺さる。静雄はムッとして振り返り、そんな臨也を睨んでやった。
「逃げてねえよ」
「そうかな?…まあいいよ。まだ今日は見逃してあげる」
臨也は端正なその顔を、それはそれは美しく笑って見せた。見る者を魅了するようなそれは、静雄にとっては酷く冷たい笑顔に見えたけれど。
静雄は忌ま忌ましげに臨也を睨みつけるが、結局何も言わなかった。乱暴に扉を閉めて、図書室を出て行く。
後に残された臨也は一人、外の夕陽に視線を移した。赤く、綺麗な空だ。どんどん青空が赤に浸蝕されてゆく。
「いつまでも逃げられないよ、シズちゃん」
そう呟いた臨也の声は、誰の耳にも届かない。



(2010/11/03)
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