恋愛小説@







むせ返るような本の香り、静雄はこの匂いが嫌いじゃなかった。
放課後の誰もいない図書室。静雄はそんな図書室の床に座り込んで、先程からずっと本を整理している。
そこは普通の図書室とは随分と様子が違っていた。整列されていた棚は倒れ、書物がたくさん床に投げ出されている。まるで本の墓場のようだ。
その時、ガラッとノックもなく扉が開かれ、静雄は顔を上げた。
図書室の入口に学ラン姿の男が立っているのを見て、静雄はちぃっと舌打ちをする。
「サボらなかったんだ?」
臨也は揶揄するようにそう言い、中に入って来た。開けた時と同じく、少し乱暴に扉を閉めて。
「手前こそ」
静雄は目を逸らし、分厚い本を手にする。
「来ねえと思ってた」
この男がこんな馬鹿馬鹿しい罰則を守るとは。静雄にはかなり意外だ。
「シズちゃんがいなかったら帰ろうと思っていたさ」
臨也はそう言い、静雄の側に腰を下ろす。静雄はそれに顰めっ面になったが、何も言わなかった。
図書室の扉には立入禁止の紙が貼られていて、現在ここは使用禁止だ。それもそのはず、昨日二人がこの図書室で喧嘩したせいで、中の本棚がぐしゃぐしゃになってしまったのだ。
幸い部屋自体は無事だったが中の本はぶちまけられ、今も床に散らばって酷い有様だった。
教師に二人で片付けるように説教をされたわけだが、静雄はどうせ臨也はサボるだろうと踏んでいた。だから一人で本でも見ながらゆっくり片付けようと思っていたのに。
臨也は意外にも真面目に働き始めた。背表紙に貼られた番号を見て、テキパキと本棚に並べてゆく。
反対に静雄の方はのろのろと、気になる本を見付けては中をパラパラとめくっていた。
静雄は本が割と好きだ。童話からホラーまでフィクションなら何でも読んでいる。最近は喧嘩に時間を取られてあまり読む暇がないけれど、本の世界に入り込むことが大好きだった。
今静雄が手にしたのは恋愛小説らしい。仮にも学校の図書室だと言うのに恋愛小説があるとは。静雄は少し驚いたが、きっと読書好きの女生徒あたりが借りるのだろう。
「シズちゃんって活字読めるの?」
臨也が揶揄するようにそう言って、横から覗き込んで来る。
「うるせえよ」
静雄はそれにウンザリと本を閉じた。臨也の馬鹿にしたような言動はそれこそ毎日のように目にしているが、その度に神経が擦り減る気がする。
「何を見てたの」
臨也は腕を伸ばし、静雄の手から本を奪い取った。
慌てて静雄が手を伸ばしたけれど、もう遅い。
「ふうん。シズちゃん恋愛小説なんて読むの」
中をパラパラとめくり、臨也は口端を吊り上げる。さも侮蔑したようなその顔に、静雄ははらわたが煮え繰り返る思いがした。
「たまたま手に取ったのがそれだっただけだ。返せよ」
取り返そうと伸ばした静雄の手を、臨也はそのまま掴んで引き寄せた。勢いがついて、静雄の体は自然に臨也に抱き着く形になる。
「これが純愛小説なら、ここはキスをしてあげるところだよねえ」
臨也は静雄の体を緩やかに抱き留め、肩口にある耳元に囁く。綺麗に脱色された髪の毛が鼻先を掠めるのに、僅かに目を細めた。
「死ね」
臨也の手から本を奪い取ると、静雄は身を離す。心臓がバクバクと音を立てたけど、気付かない振りをした。
「小説なんて空想や虚像だよ。興味深いのもあるけどね」
静雄が蔵書を積み重ねてゆくのを見ながら、臨也は両手を上げて肩を竦める。事実は小説より奇なりと言うから、と笑って見せた。
それは静雄だって分かっている。例えば自分のような異端児や、親友のような頭部のない存在は現実に確かにいる。まさに事実は小説には敵わない。
それでも人は物語のヒーローに憧れ、主人公と一緒に涙する。現実とは違う世界に憧れて。
「お前本とか読まねえの?」
半ば呆れながら静雄は素朴な疑問を口にした。臨也は空想の話には全く興味がないようだ。
「多少は読むけどね。想像の世界より、現実の人間が織り成す世界の方が興味深いだけさ。緊迫感がまるで違うだろう?」
眉目秀麗なその顔に笑顔を張り付かせ、臨也は本を整理してゆく。胡散臭い笑顔だと思ったけれど、静雄は特に何も言わなかった。
二人の間に沈黙が落ちた。
暫く二人は無言で本を整理してゆく。二人きりの図書室で、本を整理する音だけがした。
いつの間にか外は暗くなっていて、少し手元が見づらい。電気をつけた方が良いのかも知れないなと思い、静雄は顔を上げた。
臨也が手を止めて、じっと静雄を見つめていた。いつから見ていたのだろう。静雄はその赤い双眸に狼狽し、目を伏せる。
「…なんだよ」
「何が?」
「見んなよ」
そんな目で。
「自意識過剰」
臨也は口端を吊り上げて笑い、ぽん、と本を机に放り投げた。
「今日はもう帰らない?今日中に終えるなんて無理だ」
確かに整理はまだ半分も終わっていない。
静雄は仕方なく同意して、床から立ち上がる。窓から外を見れば、赤い夕陽がこちらを見ていた。もう夕方だ。
床に積み重ねたままの蔵書を取り敢えず机に置こうとして、先程の恋愛小説が目に入った。
「読みたいなら借りて行ったら」
臨也が肩を竦めて言う。
「別に」
「読んだら黙って返しておけば分からないよ」
じゃあね。
と臨也はそう言って、さっさと図書室を出て行く。ひょっとしたら静雄に気を使ったのかも知れない。静雄にはどうでもいいことだけど。
一人残された図書室で、静雄は溜息を吐く。窓の外の赤い夕陽は、臨也のあの目を思い出させて少しだけ不快だ。
臨也が時折見せるあの眼差しが、静雄は苦手だった。
あの男にしては珍しく、酷くひたむきなあの眼差し。憎悪でも無ければ嫌悪でもない。熱情にも似た、あの視線。
何故あんな目で自分を見るのだろう。あんな、縋るような目で。
静雄はそれを考えないようにし、本を手にして図書室を後にした。




(2010/11/02)
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