PSYCHE







真っ白な壁、真っ白な天井、真っ白な床。
そんな白ずくめの広い広い部屋の窓際に、金髪に白いスーツを着た男がいた。
頭にはピンクのヘッドフォン、スーツの中にはピンクのシャツを着込んでいて、ぱっと見はどこぞのモデルにでも見える出で立ちだ。耳を塞ぐ大きなヘッドフォンからは音楽は流れておらず、部屋の中は静寂に包まれている。
男は窓際にぽつんと置いてある白い椅子に座り、先程からずっと外を見ていた。
その左足には枷がついており、そこから長く重い鎖が繋がっている。男の力でも壊せない、頑丈な鎖。
男が見ている窓は、結露で曇って真っ白だ。外との気温差が凄いんだろう。外の空気はいつも冷たく、反対にこの部屋はいつも暖かいから。
男はそんな窓に手を伸ばし、手の平で結露を拭った。クリアーになった窓からは、どんよりした空が見える。曇ってはいるが、暗くはない。ひょっとしたらもう直ぐ晴れて、青空が見えるかも知れない。それはとてもとても珍しいことだった。
その時かたんと小さな音がして、部屋の小さな扉が開けられた。男はそれに気付いたが、振り返らない。
「やあ」
真っ白で無機質な部屋に入り込んで来る、異質な存在。真っ黒な髪に、真っ白なコート。目の前の男とは違うヘッドフォンをしている。
ピンク色の目をした男は楽しげに笑顔を浮かべ、金髪の男の傍まで優雅な足取りでやって来た。
「久しぶり」
男の呼び掛けに、金髪の男は答えない。無表情なまま窓から空を見上げている。
「相変わらず真っ白で無垢な部屋だね」
黒髪の男はチラリと繋がれている鎖を見て唇を吊り上げた。
「こんな鎖までつけられて。本当にあの男は酷い」
「お前の主だろ」
金髪の男が初めて反応した。顔を上げ、目の前の黒髪の男の顔を見る。ピンク色の目が合った。
「主と言う言い方はどうかな。俺は従っているつもりはないし」
君だってそうだろう?
黒髪はそう言い、金髪の男につけられている鎖に触れた。ひんやりとした感触が、手に伝わる。
「どうやってここに入って来た」
金髪の男はそれを冷めた目で見つめ、眉を顰めた。ここに入るにはたくさんの鍵がある。現実の世界で言うならばセキュリティは万全で、難攻不落の要塞みたいなものだ。
「そりゃあ勿論、『静雄』が入れてくれたから」
「有り得ない」
そう、有り得ない。『静雄』がこいつをまたここに入れるなんて。
「残念ながらホント。あの男の苦労がちょっとは報われたのかな」
黒髪の男はそう言って笑い、金髪の男の傍らに跪く。
「……」
金髪の男はそれには答えず、また窓に視線を移した。
そう言えば確かに、空がいつもより明るい。いつももっとこの空は暗いのだ。喧嘩をしている時などは雷雨の時もあると言うのに。
「これは俺にも外せないな」
手にした鎖を揺らしながら、黒髪の男は苦笑する。
「前に見た時より更に頑丈になってる」
「これは一生外れないだろ」
金髪の男は小馬鹿にしたように笑い、左足を動かして見せた。鎖は重いはずなのに、足の動きはスムーズだ。
「『静雄』自身、外す気がないんだから」
「確かに」
跪いたまま、黒髪は笑う。ピンク色の瞳が、猫のように細まった。
良く見れば黒髪の男の足にも鎖がついている。金髪の男のより細く、それは簡単に壊れそうだった。鎖で縛っているのに、まるで縋り付くみたいに見える。
「と言うわけで」
黒髪の男は、男の手を取った。ビリッと一瞬空気が震えるが、二人には慣れっこだ。
「おいで」
手を引いて、男を椅子から立ち上がらせる。触れ合った手が熱く、思考回路が焼き切れそうだ。
「君に触れるのは、本当に久しぶりだ」
「『静雄』はガードが硬いからな」
黒髪の男の手が、優しく金の髪を撫でる。その度に金髪の男の体には震えが走った。
「俺がこうして君に触れるのも、あの男の努力の賜物と言うわけだね」
褒めてやらなくちゃ。と言いながら、黒髪の男は相手のヘッドフォンを外した。
「あの男とか…名前で呼んでやれよ」
「『臨也』」
「そう。お前は『臨也』でもあるわけだからな」
金髪の男は頷いて、自身の耳に手を触れる。ヘッドフォンを外すのは随分と久し振りだ。最後に外したのはいつだっただろう。あの時に外したのも、この目の前の男だった気がする。
「同時に君は『静雄』でもある。…シズちゃん」
臨也はそう呼んで、静雄の頬に唇を寄せた。
「名前を呼んで」
「…臨也」
「もっと」
「臨也」
静雄の手が伸びて、臨也のヘッドフォンを外す。カシャンと音を立て、それは床に落ちた。真っ白な床に、ピンク色のコードが散らばる。
臨也は静雄の腰に手を回し、自身へと密着させた。精神的な存在の自分たちには体温なんてものはない。けれど触れ合った箇所は確かに熱を持って、まるで燃えるように熱い。
臨也は静雄の頬に手で触れると、そのまま目を伏せる。静雄もそれにあわせ、瞼を閉じた。
優しく触れ合う唇。温かく、柔らかい。
唇を重ねたまま、臨也の手が静雄の衣服を脱がしていく。ネクタイを外し、シャツのボタンに手をかける。
静雄も臨也のコートのボタンをゆっくりと外していった。
二人は床に転がって、互いの白く細い体を晒してゆく。臨也は静雄の傷だらけの体に、ピンク色の目を細めた。
「肉体の傷は直ぐ治るのに」
傷口ひとつひとつに、臨也は口づけていく。
「君の精神はボロボロだね」
「お前がつけたのばかりだぞ」
静雄は低い声で笑う。臨也が口づける度に、静雄の体の傷口は塞がって行った。まるで魔法みたいに。
「俺の精神にも君がつけた傷はあるよ」
臨也は笑って返し、静雄の体に舌を這わせていく。首筋を舐め、鎖骨を吸い、腹筋に手を触れた。
熱い舌の動きに、びくっと静雄の体が震えてしまう。
「人間は互いに傷つけ合う。仕方がないことさ」
「…でも癒すのも人間だろ」
臨也の細い首に腕を回して、静雄は臨也の顔を見詰める。その目は蕩けるみたいに潤んでいた。臨也を求める目。
「そうだね」
臨也は頷き、静雄に再度唇を重ねる。二人の赤い濡れた舌が、音を立てて絡み合った。
いつまでこうしていられるだろう。
触れ合い、抱き合いながら、二人は考える。
『臨也』と『静雄』はいつもいつも喧嘩をするから、きっとまた自分たちは離れ離れになるだろう。
その度に『静雄』はこの部屋に鍵をかけてしまう。厳重に何重にも。
そして『臨也』はその鍵を一つ一つ開けていくのだ。時には優しく、時には破壊して。
「シズちゃん…」
「…はっ…ん…」
臨也の手が静雄の体を撫ぜる。静雄は臨也の背中に爪を立てた。


「愛してる」


そう囁いたのはどちらだろう。ひょっとしたら互いで言ったのかも知れない。二人にはどうでも良いことだった。
二人がこの部屋で会えると言うことは、そんな言葉はもう必要なかったから。

真っ白な壁、真っ白な天井、真っ白な床。
静雄の精神を具現化したこの部屋は、とても広い。
部屋の真ん中には窓があり、空が見えている。
普段曇っているその空は、今は青く晴れ渡っていた。



(2010/10/28)
臨也と静雄の精神具現化だと思っていただけると・・・ビクビク
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