『神様、もう少しだけ』



起きて、顔を洗って、口を濯いで、牛乳を飲んで、歯を磨いて、服を着替えて、家を出る。毎日毎日繰り返される、平和島静雄の日常だ。
着慣れたバーテン服も、ポケットに入った携帯や煙草も、視界を覆うサングラスも、全てがいつも通り。
見慣れた道を歩き、角を曲がれば、池袋のメインストリートに出る。昼間から明るいゲームセンター、チカチカと点滅するネオン、広告が流れる大型ビジョン。そしてこの街の象徴の一つであるサンシャインシティ前には、『いつも』のように真っ黒な服装の男が立っていた。
「おはよう、シズちゃん」
臨也は静雄の姿を認めると、目を細めて笑う。これもいつも通りの挨拶だ。
「待ったか」
「そんなでもないよ」
二人がその場に佇んだまま会話をしているだけで、周囲の人間達はぎょっとした顔で見て行く。良くも悪くもこの街で有名な二人は、一緒にいると大層目立つのだ。
「何か食べた?」
「いや」
「じゃあ軽く何か食べようか。もう昼食って感じだけど」
何がいいかな?と、臨也は静雄にまず聞いて来る。
「あー、そうだな。…マックとか」
残念ながら静雄には、それしか思い浮かばない。
「ファストフードは体を壊すよ?ま、行こうか」
臨也は眉尻を下げて不満を漏らすが、静雄を促して歩き出す。結局最後には静雄の言うことを優先するのも、いつものことだ。
二人で歩いていると、チラシを配っていたロシア人に冷やかされたり、顔見知りの高校生に挨拶をされたりした。こんな反応も、いつもと寸分も変わらない。
二人はファストフード店に入り、簡単な朝のメニューを注文する。評価出来るのは値段だけだ、と顔を蹙める臨也に、静雄は思わず笑ってしまう。臨也はジャンクフードが大嫌いなのだ。それでも静雄の好みを優先してくれるのは、自分が『恋人』という存在だからだろう。
とりとめのない話をしながら、静雄は窓ガラス越しに空を見上げる。青く、高い空。春の陽射しは暖かで、白い雲はゆっくりと流れてゆく。
外出日和だな、と静雄が思っていると、「デート日和だねえ」と臨也に言われてしまった。全く恥ずかしい男だ。『デート』という単語は、静雄にはむず痒い。
食べ終わってファストフード店を出ると、臨也が急に手を掴んで来た。静雄はそれに驚いて目を見開く。
「なんだよ」
「手、繋ごうよ」
口端を吊り上げて、まるで悪戯好きの子供みたいに臨也は笑った。
「な、」
この言葉に、静雄は瞬時に耳まで熱くなる。こんなにたくさんの人間が行き交う道で、手を繋いで歩くだなんて。
「絶対嫌だ」
慌てて掴まれた手を引こうとしたが、臨也の手は揺るがない。
「嫌がることはないじゃない。俺達恋人同士なんだし?」
手を掴まれ、そのまま指先に軽く口づけられた。あまりにも気障なその態度に、静雄はますます顔に熱が集まる。
「シズちゃん、顔真っ赤だよ」
あはは、と声に出して笑い、臨也は静雄の手を引いて歩き出した。静雄は足が縺れそうになりながらも、それに慌てて続く。こうなれば静雄はもう諦めるしかない。臨也はいつだって強引なのだ。
騒がしい雑踏の中を、二人は手を繋いで歩く。街のざわめきも、たまに吹く暖かな風も、青く澄んだ空も、静雄の目には入らなかった。繋いだ手だけが鮮明で、臨也の体温だけを感じた。臨也の声、臨也の表情、臨也の言葉、臨也の全てが静雄の中に浸透してゆく。
「次、どこに行こうか」
振り返った臨也の赤い双眸は、酷く楽しげな感情を宿していた。大方、静雄の反応が初々しいのが愉快なのだろう。わざとそれを表情に出しているあたり、こいつは本当に性格が悪いと静雄は思う。
「プラネタリウムとか水族館とか。池袋はデートスポットが多いからねえ」
「男二人で行く所じゃねえだろ」
「俺は別に構わないけど?」
プラネタリウムとか、ロマンチックだしさ。
臨也が笑って肩を竦めるのに、静雄はわざとらしく顔を顰めてやる。本当はどこでも良かった。『恋人』と一緒に居られるのなら、どこでも。
でもそれを口に出せるほど、静雄は恋愛に慣れていない。
だからせめて、静雄は握った手に力を込めた。自分の力では相手を傷付けるだけだから、そっと、力を加減して。
すると、臨也は少し驚いた顔をした。直ぐにその表情は消えてしまったが、珍しく臨也の心情が露見した瞬間だった。
「ショッピングでもしようか」
臨也はそう言って、さっさとまた歩き出す。前を向いたまま、「何か欲しい物はある?」と聞いて来る。
「…特には」
物欲がない静雄は、そう答えるしかない。もっと気の利いたことを口にしたいのに、何も思い付かなかった。
ああ、自分は本当に不器用だ。こんなことでは『恋人』に嫌われてしまうかも知れない。
「じゃあシズちゃんの服でも買おうか。俺が見立ててあげるよ」
「お前が選ぶと全身真っ黒になりそうだ」
「酷いなあ。ちゃんと考えるよ」
言葉とは裏腹に、臨也の声には笑いが含まれている。
静雄はそれに安心し、気付かれないようにそっと息を吐いた。どうやら無意識に緊張していたらしい。
臨也はサンシャインシティのビルに入ると、言葉通りに上着やらシャツやらボトムやら、様々な衣服を静雄に選んだ。まるで着せ替え人形みたいに衣服を何度も試着させられ、静雄もさすがにウンザリとし始める。
「もういいよ、適当で」
「そんなだから、いつもバーテン服になるんだよ」
「……」
いつも同じコートの奴に言われたくはない。
「シズちゃんって、ムカつくぐらいスタイルいいよね。でももう少し太った方がいい」
なんて言われ、脇腹を撫でられて、静雄は擽ったさに「ひっ」と声を上げた。臨也はそれに、くつくつと低く笑う。
端から見れば、自分達はどう見えるのだろう。仲が良い友人に見えるのかも知れない。同性で恋人同士だなんて、きっと誰も思わないだろう。まして自分達の仲の悪さを知っている人間ならば。
ビルの中を歩くだけで、痛いぐらいに視線が突き刺さる。『あの』平和島静雄と折原臨也が一緒にいるのだから、当然だろうと思う。自販機も投げず、標識も振り回さず、ナイフを向けることもなく、ただこうして一緒にいる。静雄自身、今でも信じられないくらいだった。
たくさんの衣服を買い込んで、二人はサンシャインシティのビルを出る。こんなにはいらないと言ったのに、臨也は許してくれなかった。
「お前、金は」
「別にいいよ。俺金持ちだし」
鼻歌でも歌い出しそうなくらいご機嫌な様子で、臨也は静雄の半歩前を歩く。一体何がそんなに楽しいのだろう、静雄は半ば呆れながら臨也について歩いた。
外は赤い太陽が傾き、もう直ぐ夕方だということを知らせている。春の陽射しは暖かかったが、時折強い風が吹いて、静雄の髪を派手に揺らした。
「あっれー、ドタチン」
目の前の臨也が、急に早足で駆けて行く。顔を上げて前方を見れば、静雄も見知った男がそこに立っていた。
「お前ら…本当に一緒にいたのか」
門田は呆れ顔をしていた。
なんの話しだろうと問えば、ダラーズの掲示板で騒がれているらしい。暇な連中だな、と静雄は小さく舌打ちをする。けれどそれが臨也の『狙い』だったから、成功していると言うことなのだろう。
門田と臨也は、そのままダラーズや黄巾賊の話題に移っていった。静雄には殆ど興味が無い話題で、後ろでぼんやりとそれを聞いている。
そういえば。
臨也と門田は、高校の時から仲が良かったな。
自分と臨也が、絶望的に仲が悪かったあの頃。
あの頃も、良く臨也が門田と話していたのを見掛けていた気がする。考えてみれば『ドタチン』なんて愛称で呼んでいるのだから、それだけ二人は仲が良いのだろう。
静雄は疎外感を感じ、無意識に一歩後ずさった。時々聞こえる臨也の笑い声に、胸がざわつく。
ああ、両手の荷物が邪魔だ。そうだ、アルパのロッカーにでも預けようか。
なんて言い訳を考えながら、静雄はまたゆっくりと後ずさる。臨也と門田も、そんな静雄にはまだ気付いてはいない。
静雄はそのまま踵を返し、サンシャインシティのビルに入った。荷物を預けて戻って来たら、二人の話も終わっているかも知れない。
静雄は荷物を両手で抱え、早足で館内を歩く。
要するに静雄は、今の目の前の光景から逃げ出したのだ。



(2011/04/01)
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