Flavor Of Life






今日も池袋の街は平和だ。
非日常な存在や行為も、それに慣れてしまえばただの日常になってしまう。
池袋の街では色々な事件が起きるけれど、それに関わっている者達には何でもないことなのかも知れない。

臨也はとあるカフェの窓際の席で、外の風景を眺めていた。
青い空、白い雲。街にはハロウィンの飾りが色取り取りに飾られている。明るく忙しない街。
時間帯のせいか学生の姿はない。まだ学校なのだろう。しかし平日の昼間でも池袋の街は人で溢れている。
ふと少し離れた路地の入口に、見知った金髪が見えた。平和島静雄。臨也がこの世で最も厭う存在。
彼は背が高いせいかこの雑踏の中でも酷く目立っていた。尤も例え背が低くても、彼の纏う空気は直ぐに臨也には分かっただろう。彼はそれくらい稀有な存在だ。見た目は大人しく見えるがその見た目に騙されると痛い目に遭う。
静雄は珍しく笑っていた。彼は大抵いつも不機嫌な顔だ。笑顔でいるのは珍しい。
隣にはドレッドヘアの男がいて、その男と談笑しているようだ。確か取り立て屋の上司だったか。
「静雄の扱いが上手いんだよね、あの人」
後ろから声がして振り返れば、旧友の闇医者が立っていた。いつもの白衣姿で。
「新羅」
少なからず臨也は驚いた。
この旧友にカフェで偶然会うなどなかなかないだろう。職業柄いつも家にいるような人間だ。
「臨也の姿が見えたから」
新羅は笑って臨也の隣の席に腰掛ける。やって来た店員にコーヒーと一言告げた。
周りの視線が白衣の新羅に注がれるが、本人は全く気にしていないようだ。臨也もそれに気にしたりはしないが、さすがに新羅の態度を見ていると自分の友人なのだな、と思ってしまう。
「静雄がいるのに行かないの?」
新羅は頬杖をついて窓の外を見る。金髪の友人が笑っているのに眼鏡の奥の目を細めた。
「行かないよ。あっちが気付いてないなら好都合だ」
誰が好き好んで自販機を投げられに行くと言うのか。
臨也はコーヒーを一口飲む。それは少しだけ冷めていて、いやに不味く感じた。
「静雄が笑ってるの珍しいなあ」
新羅は運ばれてきたコーヒーを口に運びながら笑う。
「あの笑顔が見れるのは、他には幽くんとセルティくらいだろうね」
「ふうん」
臨也にはこれしか言う言葉はない。機嫌が下降していくのを自覚していたが、それは不味いコーヒーのせいかも知れない。
「あの上司の人ってシズちゃんの先輩なんだっけ?」
「中学生の時のね」
「へえ」
自分の知らない三年間か。
臨也は赤いその目でただじっと静雄を眺めている。
臨也が知っている静雄は高校からだ。それより過去のことなど、知る由もない。
「そんな熱い視線を送ってたら、静雄が気付いちゃうよ」
新羅は臨也を見て笑い、コーヒーをかちゃかちゃとスプーンで掻き回す。砂糖もミルクも入れていない癖に。
「そう言えばあの金髪も、あの人に言われたから染めたらしいよ」
新羅がそう言うと、珍しく臨也が驚いた顔になった。
「人に言われて染めたの?あのシズちゃんが」
「僕も詳しくは知らないけどね。でも、」
「帰る」
新羅が言い終わらないうちに臨也は席を立ってしまう。
「え?ちょ、臨也?」
呼び止める新羅の声を後ろに聞きながら、臨也はさっさとカフェを出て行ってしまった。
「うわ、ひょっとして僕まずいこと言ったのかな」
窓の外を見れば、臨也が静雄に歩み寄るところだった。静雄の表情が、怒りのそれに変わるのが、新羅からでも分かる。
「まあいいか。いずれ関係と言うのは変化するものさ」
新羅はそう呟き、悠々とコーヒーを啜った。




引き抜かれた標識が引きずられ、アスファルトに長く白い傷をつける。それを軽々と片手で持ち上げ、静雄は天敵目掛けて乱暴に振り下ろした。
臨也は横に跳んでそれを避ける。避けたそれがまるでチョコレートが溶けるみたいにぐにゃりと曲がるのに、臨也は少しだけぞっとする。
「相変わらず無茶苦茶だ、シズちゃんは」
「黙れ」
廃ビルの壁に打ち付けて曲がってしまった標識を、静雄はまるでゴミのように地面に放り投げた。カラン、と金属の音が路地裏に響く。
「ねえシズちゃん、少し俺と話をしない?」
「手前と話すことは何もねえよ」
臨也の提案に素っ気なく言いながら、静雄は周囲を見回す。誰もいないこの路地裏には、投げる物はもうない。
「まあそう言わずにさ」
臨也は手にしていたナイフをポケットへとしまい込み、両手を広げて見せた。戦う気はありません、と言う意思表示。
静雄はパキパキと指を鳴らしながらそんな臨也に眉を顰める。臨也の言葉はいつだって偽りとはったりだ。決して警戒は解けない。
「その金髪だけど」
臨也が話し出すと、ピタッと静雄の手の動きが止まった。その目は少しだけ戸惑うように、臨也を見遣る。
「いつまで金髪にしてるの?」
「は?」
言われた言葉の意味が咄嗟に頭で理解出来ず、静雄は酷く間抜けな声を上げた。
ビルとビルの合間には青空が見え、たまに吹く風が静雄と臨也の髪を揺らす。
「髪だよ。そろそろ黒に戻したら?いい歳なんだしさ」
臨也は両手を上げて、大袈裟に肩を竦める。
「俺、シズちゃんはどちらかと言うと金髪じゃない方が似合うと思うんだよね」
そう口にした途端に拳が飛んで来た。臨也は咄嗟に後ろへと跳んで避ける。静雄の空振りした拳は、そのまま廃ビルのコンクリート壁を破壊した。
「怖いなあ。まだ話してる途中だったのに」
「黙れ」
茶化すように言った臨也に、また直ぐに拳が振り下ろされる。静雄が素手で臨也に挑んで来るのは珍しい。
静雄の目は怒りで爛々と輝いていて、コメカミには青筋が浮かんでいる。どうやら静雄の逆鱗に触れたらしいと臨也は気付く。
「そんなにその金髪がいいの?」
ああ、ムカつく。
あの上司に言われて染めた金髪がそんなに大事なのか。激昂するほどに。
臨也はナイフを再びポケットから取り出して、静雄との距離を取る。静雄の力は近距離でいれば危険だ。避けれるように常に距離がなければならない。
静雄はひしゃげた標識を再び手にし、臨也をきつく睨んでいた。サングラスの奥の目からは憎悪しか感じられない。憎悪、嫌悪、殺意。先程あの上司に見せていた笑顔とは偉い違いだ。
「死ね」
標識が恐ろしい勢いで投げ付けられるのと、臨也が逃げ出すのはほぼ同時だった。




「まーた、ボロボロだね」
玄関に凭れ掛かった静雄の様子を見て、新羅は僅かに苦笑した。時刻はもう夕方で、この時期の空はもう暗い。
新羅は静雄をマンションの中に入れてやり、客人用のスリッパを出してやる。
「相手は臨也かな?今日見掛けたよ」
リビングのソファーに座らせて、熱いコーヒーをカップに入れた。たっぷりのミルクと、角砂糖も入れて。
部屋に広がるコーヒーの香り。新羅は甘い静雄用のそれを、テーブルの上へ置く。つけっぱなしだったテレビの電源を切った。
コーヒーのカップから上がる白い湯気を見詰めながら、静雄ははあっと溜息を吐く。溜息を吐いた途端、白い湯気がふわりと拡散した。
珍しく凹んだ静雄のその様子に、新羅は困惑する。臨也に何かされたのだろうか。臨也の事だから何をしてもおかしくない。あの男は静雄に関しては加減を知らない。
何かされたの?と聞こうとして、新羅は口を噤む。余計なことは言わない方がいいだろう。静雄が話し出すまで。
「新羅」
「ん」
「何年になる?」
「……」
一瞬何を聞かれているのか新羅には分からなかった。でも多分、あれのことだと気付く。
「八年、かな」
「長いな」
静雄はそう呟いて、再び黙り込む。両手でカップを包み込むように持ち、ぼんやりとコーヒーを見詰めていた。
カチカチと時計が秒針を刻む音がする。テレビがなければ、このマンションは静かだ。
「…もうやめる」
「えっ」
この言葉に、新羅は思わず声を上げて静雄を見た。
「もうやめるわ」
そう言って静雄は一口それを飲む。甘い甘いコーヒーの味が口の中に広がった。
「もうやめるって…臨也のこと?」
新羅はそう言って、眉を顰める。
「八年も好きだったのに?」
ずっとずっと、好きだったくせに?
静雄はそれには何も言わず、ただ黙ってコーヒーを見詰めていた。



(2010/10/22)
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