今日は厄日だ。

静雄が家に帰ると真っ黒なゴミ袋、もとい臨也が丸くなって床に転がっていた。
「うっぜえ…」
軽く眩暈を感じながら、静雄は足で臨也を蹴る。「おい、何してんだよ」
「蹴らないでよ。痛い」
黒いゴミ袋はゆっくりと身を起こす。寝ていたのか欠伸をしながら身体を伸ばした。
「何してんだよ」
そんな臨也を見下ろしながら先程と同じ質問を繰り返す。
「寝てた」
「俺が聞いてんのはそういう事じゃねえ」
「シズちゃんを待ってた」
「…何の用だよ。つーか鍵勝手に開けんな」
静雄はこのたまにやって来る不法侵入者に心底うんざりしていた。
殺すだの死ねだの普段言い合っている癖に、我が物顔で人んちに居座っている。
こちらもいつものように暴力をふるわないのは、さすがに自分の家では喧嘩は出来ないからで、相手もそれが分かっているから来るのだろう。
「この部屋寒いよ」
「こんなとこで寝てるからだろ。ベッドかソファーで寝ろよ」
言葉裏に臨也がいることを認めてしまってるのだが、静雄は無意識だ。
「あー、ベッドやソファーはダメ」
「あ?」
「シズちゃん臭いし」
「余計なお世話だ」
「シズちゃんの匂いがするってこと」
「どう違うんだかわかんねえ」
「シズちゃんの匂いがし過ぎたらムラムラしちゃうじゃん」
臨也は口角を吊り上げて。
「きめえこと言うな」
マジうぜえ。何でこう言うこと平気で言えるんだ??
腕に若干の鳥肌が走るのを感じながら、静雄はソファーに腰掛けた。
苛々してポケットから煙草を取り出す。
「ダメ」
臨也はその手を掴んで煙草を奪うと、部屋の隅にそれを放り投げてしまった。
「おい、」
抗議の声を上げる静雄に、臨也はそのまま被さって来る。
まるでソファーに押し倒されているようなこの構図に、静雄の思考がピタリと止まった。
「あー、シズちゃんのにおーい」
臨也は静雄の白い首に腕を回して、肩に額をくっつける。
「重い」
静雄は臨也の体を引きはがそうと背中を軽く引っ張った。
「俺は自販機より軽いよ」
それに反して臨也はぎゅうっと強くしがみついて来る。
…何なんだよ…。
うざい。気持ち悪い。暑苦しい。重い。
様々な文句が浮かぶが、静雄は結局臨也の好きにさせておくことにした。諦めた、と言う方が正しい。
「シズちゃんが殴って来ないなんて意外」
「殴って欲しいのかよ」
「いや、遠慮しとくよ」
顔を上げた臨也はいつものムカつく笑みを浮かべていたが綺麗な顔で、静雄は思わず目を逸らす。
「シズちゃん」
「何だよ」
「キスしていい?」
「は?」
思わずまじまじと臨也の顔を見てしまった。
臨也は口端を吊り上げて、その赤い双眸を細めている。
キス?キスってなんだ。あれか、魚か?いやそれは違うよな。所謂あれだ。口づけ、接吻…?
ぐるぐると混乱する頭で考えていると、いつの間にか臨也の手が伸びてサングラスを外されていた。
そのまま頬に冷たい手が触れて、ゆっくりと端正な顔が下りて来る。
う…、あ…。
静雄はぎゅっと目を瞑った。

唇が微かに触れた。

その途端臨也が倒れ込んで来て、静雄は驚く。
目を開けば臨也がばったりと静雄の胸に突っ伏して寝息を立てていた。
微かに酒の匂いがしていて、どうやら酔っているらしいと気付く。
「…酔っ払いかよ」
臨也の体を軽々と抱え上げると、自分のベッドに横たえてやった。
はあ、と溜息を吐く。顔が熱い。
今鏡を見たらきっと真っ赤なんだろう。そんな顔は自分でも見たくない。
「マジ、うっぜえ…」
きっと起きたら臨也は忘れてる。自分だけがこんな想いを抱えなければならないのかと思うと恨めしい。
忘れよう。忘れてしまえ。無かったことにしよう。
静雄は唇の感触を思い出し、手の甲でごしごしと拭った。
ああ、ホントに今日は厄日だ。










(2010/07/10)
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