愛のことば






窓から見える青空は今日も綺麗だ。少しだけ開いた窓からは、涼しい風が入り込んで静雄の金の髪を揺らす。
昼休みが終わった午後の授業は酷く眠い。
腹はいっぱいだし、今日は陽射しも暖かくて、窓際に座る静雄はさっきから微睡みの中にいた。
真面目な性分なので一応ちゃんと教師の話は聞いているものの、さすがに襲って来る睡魔には勝てない。つい、うとうとと舟を漕いでいると、不意にパサリと音がしてはっとした。
何だろうと顔を上げれば、机の上にノートの切れ端で作られた手紙がぽつんと置かれている。
キョロキョロと辺りを見回せば、斜め右後ろから臨也が頬杖をついて笑っていた。憎たらしい、いつもの顔で。
考えて見れば静雄にこんなことをするのは臨也か新羅しかいないだろう。他の人間は怖がって何もして来ない。その新羅は静雄の前の席で、真面目にノートを取っているようだ。
うぜえ。
静雄はそれを無視をすることにした。
手紙を机の端に追いやり、苛々と教科書を睨みつける。もう眠気など覚めてしまった。
すると暫くしてまた目の前に手紙が落ちて来た。
ぱさり。
直ぐにもう一通。
何通も何通もコントロール良く届くそれに、静雄はとうとう痺れを切らして臨也を振り返った。
『なんだよ。』
と、口を動かして文句を言う。睨みつけながら。
それに臨也は口許を歪め、
『読んでみて。』
と同じく声を出さずに言った。
静雄はちっと小さく舌打ちをし、渋々と手紙を開く。
そして中に書いてある四文字の言葉を目にし、ぴたりと手を止めた。
瞬間、かあっと顔が朱で染まる。顔が熱くなるのが自分でも分かった。耳まで熱い。
静雄は慌ててそれを握り締め、他の手紙もかき集めてポケットへとしまい込む。こんなのを誰かに見られたら大変だ。
きっと後ろの臨也は笑っているに違いない。悔しくて睨みつけてやりたいけれど、今のこの顔では振り返りたくなかった。
あー、もう。本当にうざい。授業中に良くこんなことをして来るものだ。これだからあの男は嫌いだ。静雄が嫌がる事を知っている。
静雄は苛々とまた舌打ちをし、顔を手で隠す。授業が終わるまでにこの熱が引いてるといい。そうじゃなきゃきっとからかわれるに違いない。
ぱさっと目の前にまた一通落ちて来た。静雄はそれに目を丸くする。まだ何かあると言うのか。嘘だとでも言うつもりならそっちの方が気が楽だ。
静雄は躊躇いながらも手紙を開いた。
そこには『返事は?』と一言だけ書いてあった。右上がりの綺麗な文字で。
返事とか聞いて来るのかよ。
静雄は唇を噛み締める。顔はまだ熱い。何を返事しろと言うのだ。そんなもの、今更だろうに。
静雄はノートをビリビリと破いて、手にシャーペンを持った。震える手で何やら文字を書き、直ぐに思い直したようにぐしゃぐしゃとペンで塗り潰す。暫く悩み、結局『死ね』と一言書いて、振り返りもせずにそれを放り投げた。
床に落ちたそれを、臨也は屈んで拾い上げる。中に書かれた物騒な言葉に、唇を歪めて笑った。
やがてチャイムが鳴り響き、授業の終わりを告げる。
挨拶をして出て行く教師よりも先に、静雄は脱兎の如く教室を出て行った。
「静雄どうしたの?」
新羅はそれにぽかんとし、後ろの席の臨也を振り返る。
「臨也、また何かやったの?」
静雄に何かするなんて臨也しか有り得ないからだ。新羅はずり下がった眼鏡をかけ直した。
「死ね、って手紙を貰ったよ」
片方の口端を吊り上げ、臨也は肩を竦める。手にはノートの切れ端を持って。
「まあシズちゃんの『死ね』は愛情表現だけどね」
新羅はそれに、呆れたように溜息を吐いた。
「惚気も大概にしなよ。なんなら僕のセルティの話も聞くかい?」
「遠慮するよ。俺はこれからお姫様を追い掛けなきゃならないんでね」
にこにこと笑う新羅にそう言って、臨也はざわつく教室を出て行く。
「次の授業の先生には君達は具合が悪いとでも言っておくよ」
後に残された新羅は苦笑してそれを見送った。



外は少し冷たい風が吹いていた。それがほてった顔には心地好く、静雄は目を細める。
屋上には誰もいなかった。休み時間は短くて、直ぐに次の授業が始まってしまうからだ。そんな短時間に屋上に来る者などいない。
ちょうど校舎から、休み時間を終えるチャイムが聞こえて来た。
「授業、サボるの?」
不意に後ろから抱きしめられ、静雄は驚いて体を硬直させた。腹に腕を回され、熱い吐息が耳を掠める。
「臨也」
首だけを振り返れば、酷く端正な顔が至近距離にあった。自分を見つめて来る赤い双眸に、落ち着き始めていた筈の心臓が跳ねる。
「離せ、馬鹿」
身を捩ると意外にもあっさり腕は外れた。臨也の低くくぐもった笑い声が耳に響く。
「恋文、気に入ってくれた?」
臨也は酷く楽しげにそう笑う。少し強い風が、臨也の漆黒の髪を揺らした。
「何が恋文だ。変なもん寄越すな」
静雄は顔を赤くして臨也を睨みつける。赤い顔を自覚して、思わず手の甲で頬を隠した。本当は顔を見合わせるのも嫌だったのに。
「でも眠気覚ましになっただろう?」
「…それだけの為にあんな事したのかよ」
あの手紙は冗談だったのか、と静雄は少しほっとする。胸の奥がズキンと痛んだのは気付かない振りをして。
「あれは本気」
しかし臨也はそんな静雄の考えをあっさりと否定した。
「そう言えばちゃんと伝えたことはないなあって思って」
赤い目を細め、唇を綺麗に歪めながら、臨也は眉目秀麗なその顔に笑みを浮かべる。
静雄はその言葉に驚いて目を丸くした。けれど直ぐに我に返って、また顔を赤くする。ちっと言う小さな舌打ちが、臨也にも聞こえてきた。
「返事は?」
臨也は僅かに身を屈めて、静雄の赤くなった顔をわざと見上げて来る。
「…返事はもうしただろ」
顔を逸らし、静雄はぶっきらぼうに答えた。無意識に一歩後ずさりをして、背中にフェンスが当たってしまう。
「これでも良いんだけどさ」
臨也は『死ね』と書かれた紙を見せ、肩を竦める。
「もう一枚あるよね?ぐしゃぐしゃにしたやつ」
臨也のこの言葉に、静雄はさあっと血の気が引いた。
「ねえよ、そんなの」
「だって書き直してたじゃない」
見てたよ、と臨也は笑う。
静雄は無意識に、それをしまい込んだポケットに手を入れた。
「そこにはないよ。さっき抱き着いた時に引き抜いたから」
臨也は意地の悪い笑みを浮かべ、ぐしゃぐしゃに握り潰されたその紙を静雄に見せた。
静雄はそれに、今までで一番真っ赤になる。
「返せ!」
奪い取ろうと手を出すのに、ひょいっと避けられた。
「嫌だよ。俺宛てだろう?」
「違う!馬鹿、返せ!」
静雄が何度も腕を伸ばして来るのをことごとく避けて、臨也はそれを開いてしまった。
「ちゃんと返事書いたんじゃない」
それをチラッと読んで、臨也は静雄に笑いかける。静雄はそれにもっと真っ赤になり、顔を腕で隠してしまった。
「…最悪だ」
死ぬほど恥ずかしい。
あーもう。死んでしまえ、数分前の自分。
「恥ずかしがることないんじゃないかな。まあ赤面するシズちゃんも可愛いけど」
臨也は顔を隠す静雄の腕を掴んだ。そのまま優しく外させてやれば、中から真っ赤な顔が出て来る。
「うぜえ…」
「返事ありがとう、シズちゃん」
「うるせえ」
悪態をつく静雄に、臨也はまた笑う。
「両思いだったね」
「死ね」
「うん」
臨也は頷き、静雄の熱い頬に手を置いた。静雄は抵抗せず、臨也の好きにさせている。
「シズちゃんの死ねは愛の言葉だけど、やっぱり普通の愛の言葉もいいね」
臨也の端正な顔が近付いて来るのに、静雄は目を閉じる。唇が重なる瞬間に、死ね、とまた呟いた。
臨也はそれに低く笑い声を上げ、ゆっくりと唇を重ねた。


(2010/10/14)
ツイッタのフォロワーさんからのリクエスト。
授業中にノートの切れ端に手紙書いてしつこく投げてくる折原とそれにイライラしつつ手紙の内容に赤面する静雄
×
- ナノ -