※MEMOの『相合い傘』の続き 雨のち、晴れ 「雨だよ」 「雨だな」 「雨だねえ」 とある高校の生徒玄関で、とある三人の男子高校生が空を見上げていた。 玄関口の曇ったガラス戸からは、灰色の風景が合間見えている。薄暗い、鉛色の空。コンクリートには水しぶきが撥ねて、吸い込まれない雫は水溜まりと化していた。雨は土砂降りでは無いものの、先程からずっと止む気配がない。 新羅は先に生徒玄関を出ると、持っていた傘を勢い良く広げた。今朝の天気予報の降水確率は、およそ50パーセント。しかし午前中は青空が広がっていたので、傘を持って登校した人間は少ないかも知れない。新羅は広げた傘を肩に乗せ、後ろの二人を振り返った。 静雄は眉根を寄せ、親の敵でも見るように空を睨んでいる。臨也の方は口端を吊り上げ、やれやれと言った風に肩を竦めていた。 そんな二人の様子を見て、ふたりとも傘がないんだろうな…と新羅は察する。全く、しょうがない友人達だ。 「僕、傘もう一本持っているから貸すよ」 新羅はそう言うと、折り畳み傘を臨也と静雄の方へと差し出した。 「二人で仲良く差してね!」 と笑顔を見せて。 「は?」 この言葉に、いち早く反応したのは静雄だった。普段から無愛想な顔が、更に不機嫌窮まりない顔になる。 「なんで俺がノミ蟲と、相合い傘なんかしなきゃなんねえんだよ」 「濡れるよりマシだろう?」 新羅はあははは、と声を出して笑った。本人達は相合い傘をするよりは濡れた方がマシだと思っているのだが、新羅にはそれが分かっていないらしい。いや、ひょっとしたら全て分かっていて、わざと言っているのかも知れない。岸谷新羅はそういう男である。 「じゃあ俺がこれ使ってやるから、手前は濡れて帰れよ」 「…本当、シズちゃんって極悪非道だよね」 静雄の傍若無人な提案に、臨也は呆れて溜息を吐く。しかしその言葉とは裏腹に、顔には笑みが浮かんでいた。 「取り敢えず、傘は借りるよ」 臨也は新羅の手から傘を受け取ると、隣の静雄を振り返る。 「シズちゃんとの相合い傘なんて、初めてじゃないしねえ」 「え?」 「な、」 臨也のこの言葉に、新羅は目を丸くし、静雄は瞬時に顔を赤くした。 「あ、あれは仕方なくだろうが!手前余計なこと言うなよ!」 「えっ、えっ?どう言うこと?いつ相合い傘なんてしたの!?いつの間に!」 真っ赤になる静雄と、目を輝かせる新羅を横目に、臨也はさっさと傘を広げる。空はうっすらと東の方が明るくて、ひょっとしたら待っていれば雨は止むのかも知れない。しかしいつ止むかも分からない雨を、ずっと待つ気にはなれなかった。 「おいで」 紺色の傘を片手に、臨也が静雄を振り返る。その表情はこの状況を楽しんでいるようにも見え、静雄はそれにわざと大きく舌打ちをした。 …くそっ。 内心で毒づきながらも、静雄は渋々と臨也と一緒に歩く。その顔は赤く染まっていたけれど、それを指摘でもしたら烈火のごとく怒るに違いない。臨也は口角を吊り上げて笑いを浮かべるが、静雄には何も言わなかった。 新羅はそんな二人の様子を見守りながら、ゆっくりと後に続いた。喧嘩していない二人を見るのは滅多にないなあ、なんて思いながら。 「もう少し離れろよ」 「離れたいのはやまやまなんだけどねえ。俺が傘を持ってるんだから、離れたらシズちゃんは濡れちゃうよ?それでもいいの?」 「…………うぜえ」 相合い傘をする二人の会話を聞きながら、新羅はくすくすと小さく笑う。正直に言えば新羅自身も、二人が本当に相合い傘をするなんて思っていなかったのだ。珍しいこの光景に、つい笑みも零れてしまう。 (意外に仲良くやってるじゃないか) 新羅は笑い声を上げそうになり、慌てて口を押さえる。笑っているのがばれたら、静雄に一発ぐらいは殴られてしまうかも知れない。さすがにそんな命知らずな真似は、新羅には出来なかった。 「じゃあ僕はこっちだから」 交差点に差し掛かり、新羅は右の道を指差す。遠くの空には稲光が見えていたが、雨の音は小さくなってきていた。 「また明日」 じゃあね、と新羅は二人に手を振ると、そそくさと帰って行った。本当は違う道でも帰れるけれど、今日は二人っきりにしてやろう、という友情のつもりだ。ああ、僕って本当に優しいね!家に帰ったら早速セルティに報告をしなくっちゃ! 段々と小さくなってゆく新羅の後ろ姿を、臨也と静雄は何となしに立ち止まって見送った。心なしかその後ろ姿が楽しそうに見えるのは、きっと気のせいだと思いたい。 「行くよ、シズちゃん」 「…ん」 臨也の言葉を合図に、二人はまた歩き出す。普段は灰色のアスファルトが、雨で色濃く塗り替えられている。たまに水溜まりに足が入り込み、履いていたローファーや制服の裾が濡れた。雨に濡れた池袋の街はいつもより静かで、そして何だか少し寂しげに見えた。 例え惚気話がうざくても、お喋りな新羅が居なくなると二人の間に沈黙が落ちる。特に静雄はどちらかと言えば寡黙な方で、自分からあまり話しをしない。必然的に臨也が黙り込めば会話は無くて、気不味い雰囲気が二人を包んだ。 「シズちゃん、雨は好き?」 不意に臨也が口を開く。 「は?」 静雄がちらりと臨也を盗み見れば、その横顔には表情は無かった。 「…嫌いだ」 なんと答えようか一瞬悩み、結局静雄は正直に答えた。正確には、雨自体は嫌いじゃない。雨によって濡れたりすることが嫌いだった。傘は邪魔だし、靴は汚れる。雨が苦手な人間は、世間一般的にきっと多いだろう。 「ふうん。俺は好きだよ」 臨也はそう言うと、微かに笑って空を見上げた。空には僅かに明るさが戻っている。雨脚も幾分弱まって来て、そろそろ止むのかも知れなかった。 「…へえ」 雨が好き、とは臨也らしい。 静雄はそう思ったが、それを口に出したりはしない。自分がある程度臨也を理解している事実を、認めたくはなかった。 二人の間にまた沈黙が落ちる。しとしとしと。静かな雨の道を、二人はゆっくりと歩いてゆく。時折車が通って、水を弾く音がする。 なんだか世界に二人きりみたいだ。 なんて、静雄は馬鹿なことを思った。 「あ」 臨也の声に、静雄は顔を上げる。 「晴れたね」 その言葉に空を見上げれば、雲の隙間から青い空が見えていた。雨もいつの間にか止んでいて、空からは何も落ちて来ない。 臨也が傘を閉じるのを、静雄は無言で見ていた。先程まで肩が触れ合うくらい傍にいたのが、傘を下げた事で距離が開く。 静雄はそれに、自分でも驚くくらいはっきりと寂しさを覚えた。臨也と二人きりの時間が、終わってしまったことに対して。そしてそんな自分に気付き、酷く狼狽した。 「雨、」 臨也は足を止めると、静雄の顔を見て笑う。 「もう少し降っててくれたら良かったのにねえ」 臨也のこの言葉に、静雄は目を見開いた。自分の寂しさを見透かされた事ではない。臨也が自分と同じ想いなのが分かったからだ。 空は太陽が見え始め、キラキラと水で濡れた街が輝き出す。雨上がりに吹く風は冷たくて、静雄の金の髪を揺らした。 静雄は臨也の言葉には答えず、臨也が持つ傘を少し強引に奪い取った。パンっと音を立てて、その傘を再び開く。衝撃で雫が制服に撥ねたが、気にはならなかった。 「まだ降ってる」 「え?」 臨也が珍しく、キョトンとした顔になった。その顔は意外に幼くて、静雄は思わず目を細めて笑う。 「雨、まだ降ってるだろ」 静雄はそう言って、傘を臨也の頭上に差し出した。周りの人々が次々に傘を下ろすのに、二人だけが傘を差したまま。 臨也は空を見上げた。空はもうすっかり晴れて、青い空が広がっている。濡れた黒いアスファルトにも、青空がキラキラと反射していた。 「本当だ」 差し出された傘の柄を、臨也は静雄の手ごと掴む。ビクッと静雄の手が震えたが、臨也はその手を逃さなかった。 「まだ雨が降ってるね」 臨也は口端を吊り上げて笑い、静雄の手から傘を受け取った。 包み込んでいた温もりが無くなって、静雄の手がゆっくりと下ろされる。今更ながら自分の行動に、照れ臭くて顔を赤くした。 「だからもう少し、相合い傘をして帰ろうか」 臨也は傘を差したまま、雨に濡れたアスファルトを歩き出す。静雄はその隣を、大人しく並んで歩いた。小声でいくつか言い訳を口にするが、臨也はそれにただ笑うたけだ。 街はまだ雨の余韻が残っていて、傘を差していてもおかしくはないかも知れない。例え周りが好奇の目で見ても、二人は気にしたりはしないだろう。 雨が好きだと言う臨也の気持ちが、少しだけ分かった気がした。 (2011/03/26) ×
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